2020.02.12
生理前の不調で転職を重ねた40代女性の苦悩 |うつ病なのか「PMS」なのか判断できなかった
月経前になると体や心の不調を訴える女性は約7割に上るという。はたしてコントロールする方法はあるのだろうか(写真:Ushico/PIXTA)
42歳の兵頭素子さん(仮名)は、社会人になったくらいから、生理前になると胸の張りや腰の重だるさ、イライラや落ち込みなどがあり、自分でネットや本などで調べ、「PMSの症状に当てはまる」と思っていた。
うつ病が再発した約4年前からは、月の半分は寝込んでしまうことが増え、健康診断を受けたところ、血液検査で極度の貧血が判明し、婦人科を受診。鉄剤と低用量ピルを処方され、貧血の症状は改善したが、気持ちの落ち込みは続いた。
「自分がうつ病なのか、PMSによる気分変調なのか、自分でもよくわかりませんでした……」
バイエル薬品が制作し、婦人科などに配布している冊子『生理前カラダの調子やココロの状態が揺らぐ方へ PMS 月経前症候群』によると、約74%の女性が、月経前や月経中に体や心の不調(月経随伴症状)を抱えているという。
生理前カラダの調子やココロの状態が揺らぐ方へ PMS 月経前症候群 ※外部サイトに遷移します
月経随伴症状とは、月経前はPMS(月経前症候群)やPMDD(月経前不快気分障害)、月経中は月経困難症と呼ばれる症状だが、日本ではまだあまり知られていない印象だ。
しかし、ホルモンバランスの変化により、精神状態や体調が変化することに気づき、悩んでいる女性は少なくない。
そこで、実際にPMSやPMDDに苦しむ女性の事例を紹介することで、PMSやPMDDについての理解を社会に広められたらと思う。
2度目のうつ病発症
兵頭さんがうつ病になったのは、これが初めてではない。1度目は、新卒看護師1年生のとき。
「1度目のうつ病の治療は、ある意味簡単でした。看護師になる覚悟が足りなかったことと、幼少期からの自己肯定感の低さが原因とわかり、心療内科でカウンセリングを受け、自分の考え方の傾向に気づきました」
約半年間カウンセリングを受け、治療薬の服用、そして転職を経て回復。
しかし2015年の春先から、原因不明の腹痛を繰り返したり、生理が時々とぶように。
その年の10月。それでなくても人手不足で激務の職場で、すでに「キャパオーバーです」と1度断り、了承されていたにもかかわらず、看護師長から「あなたしかできないから」と新たな仕事を振られる。
このことが2度目のうつ病発症の引き金になった。
「2度目はかなりショックでした。1度目の経験で、自分がうつになりやすい考え方をしていることに気づき、意識して自己肯定をしたり、メンタルのコントロールを心がけるようにし、自分なりに、自分との付き合い方を身に付けたつもりだったからです」
兵頭さんは、仕事を続けるために心療内科にかかる。医師からは休職を勧められたが、どうしてもやり遂げたい仕事があったため、仕事を続けられるよう頼み込んだ。
「当時の私は傲慢でした。『自分は強い人間だ。服薬でうつはコントロールできる』と思っていたし、1度目のうつが短期間で回復したので、『またすぐによくなる』と高をくくっていたのです」
しかし、最終的には2016年3月に限界を感じ、退職して治療に専念することに。
「あなたみたいな人がいちばん危ない。大丈夫大丈夫と笑って無理して、気づいたら崖から落ちる手前ギリギリのところにいる」と、医師に叱られた。
お皿を洗うのも精神的に苦痛だった
兵頭さんは長年PMSを疑っていたが、うつが再発した約4年前、健康診断によって貧血が判明し、婦人科を受診した際に症状を伝えたところ、正式にPMSと診断された。
鉄剤と低用量ピルを処方され、貧血の症状は改善したが、気持ちの落ち込みは続いた。
「生理前になると、本当に穴ぐらの中に入って、1人で閉じこもっていたい衝動にかられます。お皿を洗うのも精神的に苦痛で、泣きそうになりながら休み休み洗うくらいの感じでした」
数カ月後、そのことを婦人科医に相談すると、より強いピルを勧められる。兵藤さんはピルを服用しながら、手帳に自分の身体や精神の状態を記入し始めた。
すると、ピルを服用しているにもかかわらず、月経周期と不調がリンクしていることに気づく。
自分のバイオリズムがわかりにくくなることや、血栓のリスクなどもあるため、ピルの服用をやめることにした。
そんなとき、漢方薬局に出合う。
そこでは薬剤師が丁寧に話を聞いたうえで生薬をmg単位で配合し、オーダーメイドで薬を処方。飲み始めて数日で筋緊張などの症状が緩和され、効果を感じた。
だが、精神的な不調は一向に改善されない。
それでも兵頭さんは、「体調を崩したのは職場環境が悪かったからだ」「少し休んだら元の元気な自分に戻れて、また働ける」と思っていた。そのため、心療内科の医師が「もっとゆっくり復職を」とアドバイスするのも聞かず、傷病手当も早々に切り上げ、失業保険の受給満了を待たずに、翌年1月から働き始める。
ところが、やはり気持ちの波があり、うまく働き続けることができなかった。
「月経前になると、暗い気持ちが湧いてきて、表情が乏しくなるのが自分でもわかります。でも、元気なときは元気なんです。うつの割には症状が一定ではないため、戸惑いました」
病院勤務を続ける中で、抗不安薬など、服用する薬が増えたが、気分は安定しなかった。
2017年9月。「看護師という仕事の負荷が自分にとって大きすぎるために、PMSの症状を悪化させているのではないか」と思い、病院を辞職。デイサービス勤務に切り替えた。
2018年5月。経済的な理由と、精神的にも安定してきたことから、病院の日勤常勤の看護師に戻る。
しかし、極度の気持ちの落ち込みに見舞われ、3カ月で退職した。
入水・首吊り自殺未遂を経て…
2018年8月。兵頭さんは「今度こそ看護師を諦めよう」と思い、葬儀会社に転職。
しばらく心身ともに安定していたため、10月から心療内科に通うのをやめ、処方されていたSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬、抗うつ薬の一種)であるレクサプロも服用せずにいた。
ところが、小学6年生の娘の不登校が本格化すると、精神状態が悪化し、またしても3カ月で退職することに。
そして、翌年1月から看護師として老人ホームで働き始めた。
しかし、娘の小学校卒業、中学校入学などで不安定な状態が続き、急激に心と身体のバランスを崩す。
「自分なんて生きている価値がない」「自分がいないほうがすべてうまくいくのではないか」と思い、3月に入水自殺や首吊り自殺を試みたが、幸い命に別状はなかった。
「このときも生理前でした。レクサプロの内服をやめていたのも症状を強めた原因だと思います。服用していると、元気なときは逆にハイになってしまうことから、医師に相談すると、『症状に合わせて減薬していい』という話だったので、減薬後に自己判断で断薬をしていました」
心療内科への通院と服薬も再開した。
2019年8月。夫の祖母の介護が始まったが、1カ月も経たないうちに体調が急変し、亡くなってしまった。介護は短期間で終わったが「私は祖母に十分なことをしてあげられたのか」という自問を繰り返し、また調子を崩す。
しかしこのときは、老人ホームの仕事を2カ月休職し、休養に専念することで回復。心療内科の医師による内服薬でのコントロールが奏効し、落ち着きを取り戻した。
「自分のまじめすぎる性格や、仕事に自己実現や理想を求めすぎること、頑張っている自分が好きだったことなどから忙しくしすぎて、PMDDの症状を強めていたように思います」
PMDDと重症PMSとの見分け方は、 バイエル薬品の小冊子によれば、唐突に湧く「崖っぷちの感情」や「限界感・自己喪失感」があること、「拒絶や批判に対する感受性が高くなったり、情緒的に不安定だったり予測できなかったりする」「炭水化物を偏って摂食したり、あるものを食べ続けたりする」「睡眠過多・睡眠不足」など、自分で自分をコントロールできない感覚がある場合、PMDDである可能性が高いという。
PMDDかもしれないと気づいてから…
兵頭さんは、自分自身で調べて「PMDDではないか」と思い、心療内科で医師に相談。すると、「今後、症状と経過を総合的に判断していく必要があるが、PMDDの可能性がある」と言われた。
「私は看護師の仕事が大好きで、38歳まで仕事が趣味といえるほど働いていました。自分に厳しく、他人にも厳しかったのは、『自分は努力している』という自負があったからです。
でも、自分がPMDDかもしれないと気づいてから、自分や他人を必要以上に責めることは減りました。『努力したくてもできないときがある』のを知ったことで、娘の不登校に対しても寛大でいられるようになったんです。先日、久しぶりに家族だんらんの時間を持つことができ、不調期、本当にひどいありさまだったにもかかわらず、変わらぬ愛情を向けてくれる夫と娘に感謝しました」
食事がおいしく感じられること、趣味を楽しめること、夜ゆっくり眠れることなど、当たり前のような日常を幸せなことだと思えるようになった。
「『スゴイ誰か』にならなくても、『頑張らない私』でも生きていていいということを、ようやく理解することができました。周りにうまく頼ることも覚えて、仕事だけでなく、毎日の生活も楽しめるようになりたいと思います」
兵頭さんは、「自分のトリセツ」を作りつつ、常勤でなくてもいいから病院看護師として働ける日を目指している。
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提供元:生理前の不調で転職を重ねた40代女性の苦悩 |東洋経済オンライン