2019.04.17
「今の仕事が向いてない」と悩む人への処方箋| 江戸時代より「天職に出会う」のが難しい現代
近代の仕事は科学の発展とともに細分化が進んだことによって、「やりがい」を見出せなくなっています(写真:Ushico/PIXTA)
臨床に携わる一方、TVやラジオ番組でのコメンテーターや映画評論、漫画分析など、さまざまな分野で活躍する精神科医・名越康文氏による連載「一生折れないビジネスメンタルのつくり方」。エンターテインメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボにより一部をお届けする。
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「自分はこの仕事に向いていないんじゃないだろうか?」
こういう悩みを持ったことのない人は、おそらくおられないでしょう。実は僕自身が、医学部の学生時代から「医者には向いていないなあ」と悩んでいた人間です。
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ただ、「向いていない」と感じるのにもいろいろなパターンがあります。例えば、四六時中、「自分はこの仕事に向いていない」という思いにかられ、食欲が落ち、深く眠れない日々が続いていたら、どうでしょうか。
「向き不向き」という漠然とした不安
これは、仕事の「向き不向き」以前の問題である可能性が高いと僕は思います。例えば、特定の上司からのパワハラなど、職場で精神的なプレッシャーを強く受けて、自律神経の調子が崩れてしまっているかもしれません。カウンセリングや精神科の受診など、専門家のアドバイスを受けたうえで、転職や、部署の異動を検討したほうがいい状況です。
一方で、一般的に言われる「仕事の向き・不向き」というのは、そこまで切羽詰まったものというよりは、日頃の仕事の中で、ふと感じるものではないかと思います。
今の職場環境や待遇には大きな問題はない。でも、心のどこかに「なんだか自分がやるべき仕事は、これじゃない」という気がする。なんとなく「自分はずっと、この仕事を続けていくのだろうか」という不安がよぎる……。そんな感覚です。
もしかすると「そんなのは贅沢な悩み」だと感じる方もおられるかもしれません。今の日本は、さほど経済的に順調というわけではありません。「失われた30年」という表現もありますが、今のように経済が停滞した時代においては、「仕事の向き・不向き」を考えるなど贅沢じゃないか、とりあえず生活できる分だけ稼げるなら、それで十分じゃないか。そう考える人がいて当然です。
ただ私は、今の世の中は、多くの人がそうした「自分はこの仕事に向いていないのではないか」と不安を覚える「背景」があるようにも思います。これは、極めて現代的な問題だと思うのです。
現代は「職業の種類」が減っている
最近、オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーンという人が、「人間が行う仕事の約半分は機械に奪われる」という未来予測を発表し、話題となりました。人工知能(AI)やロボットの進歩によって、人間じゃなくてもできる仕事はどんどん機械に置き換わっていき、その結果、今ある仕事のほとんどは消滅してしまう、というのです。
この未来予測が正しいのかどうか、専門家ではない私には判断できません。その一方で、そもそも、こうした「仕事がなくなっていく」という傾向そのものは、実は今に始まったことではない、というのが私の意見です。実際、近代に入ってからの数百年だけをみても、社会の進歩に従って、人間が担うべき「仕事の種類」は、どんどん減り続けています。
日本の場合であれば、江戸時代にさかのぼってみるとそのことがよくわかります。江戸時代には、なにか1つの製品を作る工程が、それこそ100を超えるぐらいに細分化され、それぞれの分野に、専門の職人がいました。
例えば「刀を作る」というだけでも、鉄を製錬する人、鉄を打って刀の形にする人、刃を研ぐ人、つばを作る人、サメ皮をなめす人、さやを作る人、色を塗る人……、そういうたくさんの工程に、それぞれまったく性質の違う仕事を担う、無数の人々が関わっていました。
これは、刀だけではありません。茶の湯という文化は、茶室を造る職人、茶器を焼く陶芸家、和菓子屋さん、柄杓(ひしゃく)や茶筅(ちゃせん)を作る人など、さまざまな職業と共に栄えていました。
しかし、こういった非常に細分化され、専門化されたたくさんの職業は、さまざまな企業・組織に吸収されるなかで、なくなりつつあります。「納豆屋さん」「豆腐屋さん」「さお竹屋さん」などなど、落語に出てくる「お店」は、今ではほとんど姿を消し、大型スーパーに置き換わっています。
仕事が細分化され、たくさんの種類に分かれているということは、ある種の「豊かさ」だと僕は考えます。なぜならそれは、多種多様な人材を活かしうる「場」があったということだからです。鉄を打つのが得意だけれど、物を売るのは苦手だという人もいる。そういう人の多様性を活かす場が、かつての日本には豊かに存在していたのだと思うのです。
職業選択の自由はありませんでしたが、「多様な能力を生かす、多様な場があった」という意味では、江戸時代の労働環境は「豊か」であった側面もあると思うのです。
近年、職業の数、すなわち「働き方のバリエーション」は、激減しています。今では、働く人のおそらく9割以上がサラリーマン、すなわち、企業という組織の一員として働くようになっています。
もちろん、ひと口に「サラリーマン」と言っても、その内実を見れば多様です。ただ、少なくとも表面的には「職業」の多様性はものすごいスピードで失われています。職業の多様性が失われているということは「サラリーマン的な働き方に向いた人」以外は、どうしても心のどこかで「自分はこの仕事に向いていないんじゃないか」というストレスを抱かざるをえない、ということです。
言い換えれば、今の社会は、表面的には「職業選択の自由」が保証されているけれど、実は「職業」の多様性が激減していて、「選択肢そのものが少なくなって職業を選べない」という状況になっているのかもしれない、ということです。確かに、辞めたければいつでも辞められるし、転職もできる。でも、「自分はサラリーマンに向いていないのではないか」と感じている人にとっては、会社を辞めようと考えたとき、「自分が生きていける場所はこの世界にはもう存在しないのではないか」という不安がよぎるのです。
「天職」に出会うのは困難なこと
少なくとも法律上、私たちは勤める会社を自由に選ぶことができます。しかし、自由に選べるということは、裏を返せば「その会社でなければいけない」という必然性もない、ということでもあります。
江戸時代には身分制度があり、職業選択の自由はありませんでした。農民の子は農家を継ぎ、武士の子は武士になるという社会では、そもそも「向き・不向き」について悩む余地さえありませんでした。しかし、それが果たして「不幸」なことだったのかは、少なくとも簡単に割り切れない側面が残っている、と僕は思います。
想像してください。あなたは江戸時代に、50年続いた金魚屋の長男として生まれました。幼い頃から父親が金魚の世話をしたり、稚魚を買いに行ったり、大名屋敷の池に金魚を納品するのを見てきました。あなたはごく自然に「自分も大人になったら、この金魚屋さんを継いで商売をするんだ」と考えます。
ここには確かに「自由」はありません。しかし、あなたはそれを「不幸」だと感じるでしょうか? 少なくとも、「金魚屋さんをやる」ということについて、現代人が会社勤めをするのとはまったく次元の異なる、強い必然性を感じる場合があるのです。
「天職に出会う」という表現があります。天職というのは「向き・不向き」以前に「私はこの仕事をするために生まれてきたんだ」と心の底から思える職業のことです。現代のように「この仕事でも、あの仕事でも、どんな仕事でも選ぶことができる」という状況は、最も「天職」に出会うことが難しい社会だと言えるかもしれません。
誤解のないように申し上げておきますが、僕は別に「江戸時代のほうがよかった」という話をするつもりはありません。基本的には、功罪あったとしても、少なくとも7対3以上で、昔よりも今のほうがいいことのほうが多いと思います。
ただ、いいことがあれば、必ずある程度は、まずいこともあります。職業選択の自由を得たことによって、私たちが抱えざるをえなくなった苦しみや不安というのは、確実に存在すると僕は思います。それは、ひと言で言えば「働くことに必然性が失われた」ことの不安だと思うのです。
自分の仕事を「微分」しよう
「自分はこの仕事に向いていない」と感じている人は、実は能力というよりは、「なぜ自分はこの仕事をするのか」という「必然性」が感じられなくなっている可能性が高いのだろうと僕は考えます。
なぜ自分がこの仕事をやるのか、どうして会社は、自分にこの仕事を命じるのか。そこが腑に落ちていないから、「向いていない」と感じるのです。
では、どうしたらいいのか。「天職」に出会うことが難しい今の時代においては、今、自分がついている仕事の中に、どうにかして「必然性」を見出すしかありません。そのひとつのアプローチとして、ここでは、自分の仕事を「微分する」という方法をご紹介しておきます。
今やっている仕事がなんとなく「向いていない」と感じている人は、自分に与えられた仕事を、かなり大雑把に捉えてしまっている可能性があります。だからまず、仕事を細かく切り分けていく。そうすると、ひと口に「仕事」といっても、そこには自分にとって「得意な仕事」と「苦手な仕事」が入り混じっていることに気がつきます。
営業部と販売戦略を話しているときには、すごく楽しく仕事ができるけれど、技術畑の人と話すと、どうもうまくいかない。計画を立てたり、スケジュールを切るのは楽にできるけれど、新しいテーマを考えるのは苦手。ビジュアル的なところは得意だけど、文章でまとめるのは苦手……、などなど。
どんな仕事でも、最低でも5つ、もう少し細かく分ければ10ぐらいは、性質の違う作業(タスク)が組み合わさっているはずです。そうやって、仕事を「微分」していく。そして、微分した仕事のどれが得意でどれが苦手なのか、どれが好きで、どれが嫌いなのかということを、それぞれ5段階ぐらいで、自己評価してみるのです。そうするとある部門はうまくいっていて「5」だとしても、別のある部門が「1」や「2」だということが、見えてきます。
そうしたら次は、いちばん得意な「5」の部分を、さらに伸ばしていくことを考えてみてください。実は、これが心理学的には大切なポイントです。多くの人は「2」や「1」を補正しようとするのですが、まずはいちばん、自分の強みとなりうる「5」を強化してみる。なぜなら、強みにフォーカスしていくことで、自分なりの自信をつけていくことができるからです。そうすると自ずと、自分がなぜその仕事をやるのか、やるべきなのか、という必然性が見えてくる。
仕事を「微分」することで、どんな人でも、すべての項目で「5」を取れるわけではないし、「1」ばかりが並ぶ人もいない、ということがわかります。自分の強み、あるいは弱みを知ることは、「なぜ、自分はこの仕事をするのか」という必然性を感じる、大切なステップなのです。
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提供元:「今の仕事が向いてない」と悩む人への処方箋|東洋経済オンライン