2018.09.04
日本の中年男性がハマる「タテ社会の孤独」|共感力を失う人がなぜ続出するのか
「タテ社会」は変化の速い現代ではかえって阻害要因でしかないことに、トップの人間ほど気づきにくい(写真:epicurean / iStock)
女子レスリング、ボクシング、そして、体操……。アマチュアスポーツ界の「パワハラ体質」が次々と露呈している。絶対的権力を持った指導者を頂点にした封建的支配。もともと共感力のない人が、権謀術数でトップに上がるケースもあれば、階段を上るなかで、共感力を失う人もいる。
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日本の組織の長に、パワハラ・強権体質な人が多い背景については、この記事(理不尽すぎる山根会長が組織を牛耳れた根因)で分析したが、いわゆる上意下達の体育会的なタテ組織はもはや百害あって一利なしのようにも見える。
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序列偏重の閉塞的な「タテ構造」は、中根千枝氏が名著『タテ社会の人間関係』で看破したように、日本の”お家芸“でもあり、「集団のヒエラルキーによる力関係が優先し、組織の下方に位置するものの意見より、上の者の意見がとられて、議論の余地なくおしきられる」(同書)のが常である。階級や生まれなどにかかわらず、平等に出世のチャンスが与えられる点や秩序や統制のとれた組織運営という点で、高度成長時代には、力を発揮した側面があるが、変化の速い現代においては、創造性や競争力を阻害する要因として、その弊害のほうが目立つようになっている。
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グローバル企業のトップさえ時代錯誤に陥っている
7月中旬に大手自動車会社、三菱自動車工業の益子修CEOが、インタビューで、「最近の若い社員のなかには、直属の上司が話にならないと思うと、いきなり飛び越してその上の部長や担当役員にまで直談判しにやってくる人がいます。それでは秩序が乱れてよくありません」という発言をし、炎上した。
係長→課長→部長→局長→役員→社長などいった「連絡網」を「秩序」と呼ぶのかわからないが、現場に裁量権がなく、すべての決定をこうした「伝言ゲーム」と長々しい会議を経て下すという非効率なシステムゆえに、日本の会社の意思決定が異常なほどまでに遅いということは、世界的に知られたところだ。
グローバル企業のトップがこのような時代錯誤な発言をすることにびっくりさせられるが、筆者も、先日、ある超大企業の役員が、「わが社の最近の若い人たちは、友達などとは話せるが、目上の人と話すのが得意ではないという人が多い。だから、人事部に『体育会系の人材を採用しろ』と言っておいた」と話すのを聞いて、複雑な気持ちになった。
徹底的に「タテ」関係を重視し、先輩・後輩、上司・部下といったように、目下のものは目上の者を敬うべき、敬語で奉るべき、という「長幼の序」的慣習は、「礼儀」であり「常識」であるという考え方は日本ではまだまだ根強い。一方で、行きすぎた上下関係の厳しさが日本社会の圧迫感につながっている点は否めないだろう。
部活や、学校・会社での理不尽なまでのタテ意識は世界的に見ても希有だ。「序列意識なしには席に着くこともできないし、しゃべることもできない」(同書)わけで、自分が話している相手より上か下かを見極めないと、おちおち話せないということになる。そもそも、尊敬語、謙譲語、丁寧語、など相手の立場に応じて、3種類もの敬語を使い分けている国はほかにない。
こうした徹底的タテ社会のコミュニケーションに慣れてしまうと、フラット(水平的な)関係性を作るのが極めて難しくなる。
中根氏は、タテ社会という特色に加えて、「『家』や『職場』という閉鎖的な『ウチ』とそれ以外の『ソト』との壁が厚く、知らない人はすべて『ヨソ者』ととらえ、そうした精神性が『社交性の欠如』」を生む」と分析したが、見ず知らずの人とのコミュニケーションの壁が非常に高いのも日本の特徴だ。
アメリカと日本における人間関係の大きな違い
アメリカに住んで気づいたのは、初めて会う人と会話を交わす機会が非常に多いことだ。エレベーターでも、電車でも、店でも、レストランでも、何気ないきっかけで会話がスタートする。「そのドレス素敵ね」「今日は暑いね」「何を買ったの?」など、たわいのない話だ。
パーティや街角、学校、会社など、どこでも会話が始まり、こういったきっかけから、知り合いになる人もたくさんいる。女性も男性も関係なく、多くの人が「雑談力」の本など読まずとも、何気ない会話の糸口を知っている。
こうした会話では、どちらが目上か、目下かなどといったことを考えることはまずないし、会社の中でも、「先輩」「後輩」もなく、「Boss」(上司)と自分、もしくは「Colleague」(同僚)と自分といった関係性ぐらいである。社長であっても、ファーストネームで呼び、「序列」を意識して、恭しく話す必要などまったくない。基本は多くの人間関係が対等であり、フラットなコミュニケーションによって胸襟を開き、人間関係を構築していく。
拙著『世界一孤独な日本のオジサン』の中で、なぜ、日本の中高年男性が孤独になりやすいのかについてつぶさに分析したが、複層的な社会的、文化的要因が絡み合うなかで、「主犯格」の一つではないかと筆者が感じているのが、日本の特殊な「タテ」縛りの人間関係だ。
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会社という強烈な「タテ緊縛社会」の中に長年、身を置くと、横の水平的なつながりを作ることがあまりなく、友人や知人、近所づきあいなどが不得手になりやすい。
人の健康や幸福に最も影響を与えるのは、食生活でも、たばこでも、アルコールでもなく、実は人間関係。これは、最近の欧米の数多くの研究で明らかになっている事実だが、日本でも、「つながり」こそが健康満足度や幸福度に強く影響を及ぼすことを示す研究結果が8月に発表された。
東京大学の赤川学准教授(社会学)の研究チームが川崎市の市民2400人に行った調査で、「水平的なネットワークに参加するほど幸せである」と結論づけられたのだ。水平的ネットワークとはボランティアやスポーツ・趣味などのグループを指し、幸福であると答えた人の割合は、そうしたグループに参加している人が83.1%だったのに対し、参加していない人では74.2%だった。
また、健康に満足という人の割合は「地域を信頼している」という人が60.2%だったのに対し、「信頼していない、どちらともいえない」が42.3%と大きく差が開いた。興味深いのは、どのようなつながりでもいいわけではなく、「タテのつながり」については、まったく、健康や幸福度に影響を及ぼさなかったということだ。
収入の差、性別、学歴、年齢なども、健康や幸福度と関係はなく、有意に関係性がある、とみなされたのは、「地域への信頼」と「水平ネットワークへの参加」のみであった。
自発的に参加する人間関係こそが健康と幸福のカギ
会社などの義務的な組織におけるつながりではなく、自らの意思で自発的に参加するコミュニティや友人、知人関係が、人生の質に大きく影響するということだ。
裏返せば、超タテ社会組織の中でどちらが上で、どちらが下かに縛られたり、競い合ったりする関係性からは、孤独を癒やすつながりが生まれることはないし、そうした閉塞的な人間関係をベースとした組織というカゴに閉じ込められたままでいると、羽を失い、「外の世界でのつながり方」を忘れ、孤立してしまう可能性があるということになる。
そういった意味で、「肩書」や「地位」「名刺」など、タテ社会の象徴物に依存する生き方は極めてリスクが高い。会社やその中での立ち位置に自分のアイデンティティを規定されるのではなく、「個」としての自立、独立、つまり「個独」であることが、「孤独」にならない秘訣だ。
抑圧的なタテ社会、組織に疲れ、人付き合いそのものを煩わしいと思ってしまいがちな日本人は多い。しかし、そういう人たちでさえ、何カ月も誰にも会わず、話さず、頼れる人は誰もいない、といったことを求めているわけではないだろう。「ひとり」の時間を大切にしながらも、居心地のよい「ヨコのつながり」の中に自分の存在価値を見出すことが、健康と幸福のカギ、ということなのだ。
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提供元:日本の中年男性がハマる「タテ社会の孤独」|東洋経済オンライン