2022.08.17
「話しやすい人」「話しにくい人」その本質的な違い|弱いところやダメな部分をどう受け入れるか
自分自身を受け入れると、人と話しやすくなる可能性も高まります(写真: jessie/ PIXTA)
累計250万部以上の書籍を手がける編集者である一方、ドラァグクイーンとして各種イベント、メディア、舞台公演などに出演する村本篤信氏による連載「話しやすい人になれば人生が変わる」。エンターテインメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボにより一部をお届けする。
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今回は、話しやすい人になるためのマインドについてお話しします。ただ、人によってはちょっと難しく感じられるかもしれません。ですから、「そういう考え方もあるのか」と、参考程度に読んでいただければと思います。
さて、今回、みなさんにお伝えしたいのは、「自分自身を受け入れることについて」です。ちなみに、自分自身を受け入れるというのは、自分のダメなところ、弱いところ、ずるいところも含めて「それが自分なのだ」と思えるようになることだと私は考えています。
なぜ話しやすい人になることと、自分自身を受け入れることが関係するのか。疑問に思われた方も多いでしょう。でも私は、自分自身を受け入れた人は、話しやすい人になる可能性がかなり高いのではないかと思っています。
自分自身を受け入れると、人は他人に興味を持ちやすくなり、他人とフラットに接することができるようになります。また、自分自身を受け入れると、人は「自分の存在価値をアピールしなければ」「自分の立場を守らなければ」といった焦りから解放され、他人の話を落ち着いて聞くことができるようになります。
では、自分自身を受け入れることのこうした効用について、もう少し詳しくみていきましょう。
自分を受け入れると他人にも関心を持てる
まず、「自分自身を受け入れると、他人に興味を持ちやすくなる」とはどういうことか。
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話しやすい人になるためには、他人に対して興味を持つことが大事ですが、自分自身を受け入れると、他人を好きになりやすくなり(恋愛としての「好き」も人間としての「好き」も含めて)、その結果、他人に対して興味を持ちやすくなります。おそらくみなさんも、誰かを好きになれば興味を持ち、もっとその人について知りたくなり、もっとその人の話を聞きたくなるはずです。
このような話をすると、「え? 他人を好きになるのに、別に自分自身を受け入れる必要なくない?」と思う人もいるでしょう。たしかに、自分自身を受け入れなくても、他人を好きになることはできるし、相手への興味も生まれます。しかし、自分自身を受け入れていないと、他人のことをフラットに、バランスよく好きになることが少々難しくなります。
自分自身を受け入れていない人はどうしても、自分と他人を比べて劣等感に苛まれたり、自分よりも恵まれていると感じる他人をねたんだりしやすくなります。「どうせ自分なんて」が口癖になってしまったり、他人の話をついつい斜にかまえて聞いてしまい、相手が楽しい話をしているのに、ついネガティブなレスポンスを返してしまったりすることもあるかもしれません。
あるいは逆に、自分が抱えている劣等感や自分に足りないものを埋めるべく、他人を理想化し崇拝したり、盲目的に依存したりする人もいるかもしれません。そのような状態では、相手をありのまま見ることが難しく、相手の話を勝手に都合よく解釈することもあるでしょう。
劣等感に陥ることもなくなる
しかし、自分自身を受け入れることができれば、「たしかに、自分にはダメなところがある。できれば克服したほうがいいし、それを目指したい。でも、できなくても自分を責めたりしない。だって人間だもの」「自分は自分でしかなく、自分は自分の人生しか生きられない」「人と比べても仕方がない」といった気持ちになり、いたずらに劣等感に苛まれたり、他人をねたましく思ったりすることが少なくなります。自分自身にある程度満足することができれば、他人に依存する必要もなくなるでしょう。
多くの人は、自分に対して興味のない人や自分のことを嫌っている人、自分を勝手に理想化している人と話すより、等身大の自分に対して興味や好意を持ってくれている人と話すほうが楽しく、話しやすいと感じるはずです。
次に、「自分自身を受け入れると、『自分の存在価値をアピールしなければ』『自分の立場を守らなければ』といった焦りから解放される」点についてお話ししましょう。
自分自身を受け入れていないと、人はなかなか「自分は自分のままで、この世界に存在していても良い」という確信を持つことができません。
その結果、社会や他者からの評価によって、自分の価値や自分が存在する意味を確かめようとするため、ときには他人の話を遮ってまで自分の存在をアピールしたり、他人を押しのけてまで居場所を確保しようとしたり、必要以上に他人の顔色をうかがったりすることがあります。
しかし、社会や他者の評価はあてにならず移ろいやすいものです。他人を一面でしか評価しない人はたくさんいますし、自分より優れた人も、世の中にはたくさんいるからです。そのため、社会や他者の評価によって、自分の価値や存在意義を確認している限り、人は十分な満足感を得られず、焦燥感を抱え続けることになります。
人が、会話や会議などの最中に「ここで何か言わなければ」「自分の存在を主張しなければ」と焦ってしまうのは、それをしなければ自分の存在価値がなくなってしまう、自分の居場所がなくなってしまうと感じるからだと私は思います。
完璧主義で他人に厳しくなる傾向も
自分と生き方や考え方が異なる人と話をしているとき、過剰に腹を立てたり、喧嘩腰になったり、相手を無理やり説得しようとしたりする人にも、そうした焦りがあるような気がします。
自分を受け入れていないと、自信が持てず、「自分は自分であり、他人は他人である」という割り切りができないため、「自分と違う考えや生き方を認めてしまったら、自分の価値が揺らいでしまうのではないか」と不安になってしまうのです。
「完璧でなければ、他人や社会から認められない」と思うあまり、完璧主義になり、自分にも他人にも厳しくなってしまう人もいるでしょう。
でも、自分自身を受け入れることができれば、「ダメなところもあるけど、自分は唯一無二の存在である」という、確固たる自信を持つことができます。
そして、「この人に好かれたい(この社会で評価されたい)という思いはあるけど、自分なりに努力をしたうえで、ダメならダメで仕方ない」「万が一、この人に好かれなかったり、この会社やコミュニティで居場所がなくなったりしたときには、新たな場所を探すか、一人で強く生きていこう」といった具合に、ある程度ドライな気持ちで生きることができるようになります。
そうなれば、「ここで何か言わなければ」「自己主張しなければ」という気持ちが薄くなり、相手の話を落ち着いてきちんと聞くことができるようになるでしょう。
「人間はみな、完璧ではない。自分にダメなところがあるように、相手にもダメなところがある」「自分の考えが100%正しいわけではない」と思えるようになれば、相手の言動や失敗に過剰に腹を立てたり、他人を攻撃したりすることも少なくなるはずです。
話しているときに必死で自己アピールをする人や、他人の生き方や考え方の違い、他人の失敗を許さない人と、多少の違いや欠点を大らかに受け入れ、落ち着いてちゃんと話を聞いてくれる人。どちらのほうが「話しやすい」と思われやすいかは、言うまでもないでしょう。
ありのままを受け入れてくれた人たち
自分自身を受け入れるというのは、とても難しいことのように感じる人もいるかもしれません。
私が自分自身を受け入れられるようになったのは、30代を過ぎてからのことです。それまでの私は、劣等感のかたまりでした。容姿に対しても性格に対しても才能に対してもまったく自信が持てず、周りの優れた友人たちと比べては、嫉妬したり、ひけめを感じたりしていたのです。
そんな私が、自分自身を受け入れられるようになったのは、一つには、私をそのまま受け入れてくれた人たちのおかげです。私のいいところは褒め、ダメなところ、弱いところは「それも村本らしさだよね」と言ってくれる人が何人かいることが、大きな支えになっていると思います(ただ、そうした人と出会えるかどうかは、運次第なところがあり、「みなさんの周りにも、そんな相手が必ずいるはず」とまでは言い切れないのですが)。
もう一つは、厳しいゲイ友だちのおかげです。20代の頃、私の周りには、変に観察眼が鋭くて口の悪いゲイ友だちがたくさんいて、劣等感や欠点や弱点など、私が隠そうとしていることは容赦なくついてくるし、少しでも勘違いしたり自分を哀れんだりすると、すぐに「勘違いすんなブス」「悲劇のヒロインぶってんじゃないわよ」とつっこんできました。
そのときはもちろん腹も立ちましたが、彼らからの攻撃に鍛えられ、私は徐々に、「弱点や欠点はヘタに隠そうとするより、堂々と認めてしまったほうがラクだ」と学びましたし、相手からつっこまれる前に、自分で自分の気持ちや考えを、できるだけ冷静に客観的にチェックするようになりました。
たとえば、他人に対して自分が何かしらネガティブな気持ちを抱いたときには、「たしかに相手の言動が無神経で気に障る部分もあるけど、自分より優れている相手に対する妬みもかなりあるよね」「相手の言動が非常識だと思ってイライラしているけど、それって、自分が『常識』だと思っているものをベースに考えているだけだよね」といった具合に、その気持ちを客観的に分析するのです。そうすると、まず他人にネガティブな気持ちを抱く頻度が、大幅に減っていきます。
欠点を隠そうとするほど気になってしまう
また、面白いもので、弱点や欠点は見ないようにすればするほど気になり、隠そうとすればするほど姿を現してきます。最初はやや痛みを伴いますが、「自分にはこういう弱いところがある」「自分にはこういう欠点がある」と分析し、認めると、どんどん気にならなくなり、「ダメダメな自分だけど、まあ、いいか。完璧な人間なんていないし、仕方ない」という気持ちになっていくのです。
全員におすすめはしませんが、興味のある方は、ためしにこうした「徹底的なセルフツッコミ」にチャレンジしてみてください。
なお、話しやすい人になれば、自己肯定につながるようないい出会いも増えますし、いい出会いが増えれば、自信と余裕が生まれ、もっと話しやすい人になるといった好循環が生まれます。
あるいは、他人に興味を持ち他人の話を聞くことが増えると、自分のことを俯瞰してみられるようになり、「自分がコンプレックスを感じたり、隠さなきゃいけないと思ったりしていたことなんて、大したことなかったな」と思えるようになったりもします。
そう考えると、やはり「自分自身を受け入れること」と「話しやすい人になること」は、車の両輪のようなものだといえるかもしれません。
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提供元:「話しやすい人」「話しにくい人」その本質的な違い|東洋経済オンライン