2022.04.04
84歳で「初のネイルサロン」へ行った女性の心情|「気がつけば老婆の手」それでも美しくなりたい
84歳にして初めてネイルサロンを訪れた佐賀美智子さん(筆者撮影)
外見によって人の価値をはかるべきではない――。「ルッキズム」とは容姿の美醜による差別の意味でしばしば使われるが、それでも自分の基準で「美しくありたい」と思う人は多くいる。自らの外見を変えることによって、その人たちが手にしたいものは何なのか。「美しくありたい」の背景にあるものを追う。
「娘に連れられて、初めてネイルサロンに行ってきたんです」
横浜駅に近接するデパートの中階。待ち合わせのカフェに現れた佐賀美智子さん(仮名)は、小柄で上品な印象の女性だった。ゆったりしたブルーのニットが、穏やかな雰囲気の彼女によく似合っている。
「ネイルサロンなんて、自分には関係のないところだと思っていたんですけどね」
恥ずかしげに見せてくれた指先には、花びらのようなピンクの爪が輝いていた。
ひたすら家族に尽くしてきた
美智子さんは21歳で結婚して専業主婦になり、84歳になるが、50年以上をひたすら家族に尽くしてきた。子どもたちを育て上げ、義母を介護して看取り、長く入院していた夫は闘病の末7年前に亡くなったという。今は老人会の手伝いをしたり、ボランティアで学校や施設に出向き、子どもたちに読み聞かせをしている。
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「手なんて気にしていたら家事も病人の世話もできませんから。炊事、洗濯、時には庭仕事や日曜大工まで、何十年も手袋もせずこなしてきました。自分にかける時間もお金もないし、手をまじまじと見ることもなかったんですが……。義母と夫を送り、少し心に余裕ができて、今までフタをしてきた気持ちに気づいたんです」
「ふと気づけば老婆の手。独身のKさんの指は美しい。尊敬するNさんの手はふっくらしているけど私の手に似ている。でも、おばあちゃんの梅干し、母さんの糠味噌漬け、両方ともこの私の手がその作り方を踏襲してきた。喜ぶ人がいたから。でも今日ハッキリ思った。やっぱり美しい手にしたい!」(美智子さんが娘さんに送ったLINE)
母親の切実な声に驚いた娘さんは、急いでネイルサロンを予約し、美智子さんに付き添ってくれたのだという。
「最後にマニキュアをしたのは、50年も前になるかしら」と美智子さん(筆者撮影)
「ちょうどそのころ、近所のお寺のご住職がお亡くなりになって、当時70歳くらいの奥様が跡を継いだんです。夏のある日、そのお寺のほうへ犬の散歩に行ったら、女性住職がお庭で水撒きをしていらして。彼女はビーチサンダルを履いた素足に、真っ赤なペディキュアをしていたんですよ。手もおそろいの赤いネイルで、〝えっ、お寺のご住職がこんな爪を!? 〟と衝撃を受けました。もちろん仏儀のときはしないんでしょうけど、〝お休みのときは爪を彩って、リラックスして楽しんでらっしゃるんだな。お坊さんでもこういうおしゃれをしてもいいんだ〟って、胸がドキドキしたことをおぼえています」
大胆で、妖艶で、どこか可愛らしくもある住職の赤い爪は美智子さんの脳裏に焼き付いた。聖職者であり、自分と同じ高齢の未亡人でもある彼女が堂々と美を手なずけているさまを見て、うずうずと焦りのような気持ちも湧いてきたという。
「私が〝ネイルなんかしたら、あの人、ご主人が亡くなったのに……って言われちゃうわ〟なんて言うと、娘は〝お母さんは誰の目を気にしてるの? もしそんなことを言う人がいたら私が黙らせてやるから連れてきなよ!〟って。誰がってわけじゃないし、そう言われたら口ごもるしかないんですけど」
新たな美へ手を伸ばしたくとも、美智子さんが二の足を踏んだのはなぜだったのか。もじもじする彼女を促すと、美智子さんは「……滑稽だと思われるのがこわかったんです」とつぶやいた。
高齢者が美を求めたら滑稽だと思われる
「ずいぶん昔の話になりますが、私は小田和正さんのファンでした。透明感のある美しい歌声が本当に好きで、繰り返しCDを聴いては心の慰めにしていたんです。でも、あるきっかけですっかり彼が苦手になりました」
突然飛び出した小田和正氏の名前。氏は、彼女の心にどんな影響を及ぼしたのだろう。
「もう内容はよく覚えていませんが、ドキュメンタリー番組か何かで、小田さんが一般女性たちをババア呼ばわりしたんです。〝あんなところにババアがいるなあ!〟みたいに。一度だけでなく何度も〝ババア!〟と言っていて、耳を疑いました。その女性たちは、身ぎれいな素敵なマダムだったのですが、そういうきちんとした方たちも高齢というだけで〝ババア呼ばわり〟されるんだと。きれいな歌声にすっかりだまされてきたけど、本心では高齢女性を見下すような人だったんだなと失望しました」
美智子さんは小田さんのライブに参加したことはないという。彼の麗しい歌声と毒舌のコントラストはファンの中では知れた話だそうだが、美智子さんには受け入れがたかった。と同時に、「結局、高齢者がおしゃれをしても〝ババアのくせに〟とバカにされてしまうんじゃないか」という怖さが胸に植え付けられたという。
美智子さんの胸奥には、滑稽だと思われたくないという意地と、軽やかに美を楽しむ女性への憧憬がないまぜになって、たゆたっていた。
その思いが、ふっと水面に顔を出す出来事があった。
「趣味で日本文学の勉強を始めたのですが、コロナ禍で勉強会もオンラインで開催されるようになりました。息子に教わってどうにかパソコンを使っていますが、もっとちゃんと習わなくちゃと思って、市の老人会が主催するパソコン教室に参加したんです。中高年の男性講師に操作を教わりつつ、キーボードに置いた自分の手を見てぎょっとしました。〝なんて醜いんだろう。こんな手、見られるのいやだな〟って」
急に突き上げるような恥ずかしさに見舞われ、美智子さんは思わず手を引っ込めてしまったという。
「老人会の教室ですから、若い人はいないんですよ。それでもきれいな手をしている人はいるから、自分の手がとても恥ずかしくなって。それからです、人の手が気になるようになったのは。それまではそこまで思わなかったのに、同世代くらいの女性に会うと、ついつい手に目が行くようになりました。〝あの人は美しい手をしているな。独身だから自分に手をかけてこられたのかな〟とか。〝あの人の手はふっくらと豊かだけど、家庭をきりもりしている人の手だな〟とか。人様の手を見て、いろいろ思いを巡らせるようになったんです。それと同時に、自分の手を眺めてしみじみ思いを馳せました」
指の第一関節が変形する「ヘバーデン結節」
美智子さんの手は関節が節くれ立って歪み、人差し指の第一関節にはミューカスシスト(手指粘液嚢腫)が浮いている。薬指の第二関節はふくらみ、もう結婚指輪は外せないのだという。
「こういう手、ヘバーデン結節とかなんとか言うらしいですね。痛みはないんですけど。なんでこうなっちゃったかわからないんですが、母も義母も年を取ったら指が曲がってきていたし、加齢に伴う自然なものなのかもしれませんね」
ヘバーデン結節は、指の第一関節が変形して曲がってしまう疾患である。原因は不明だが、一般に40代以上の女性や手指をよく使う人に発症しやすい傾向があると言われている。
美智子さんの手を見て、「風の谷のナウシカ」に登場するセリフを思い出した。病に冒され、固くごつごつした手をした高齢の家臣・ゴルが言う。
「この手を見てくだされ。ジル様と同じ病じゃ。あと半年もすれば石と同じになっちまう。じゃが、わしらの姫様は、この手を好きだと言うてくれる。働き者のきれいな手だと言うてくれましたわい」
若い頃は白魚のようだった手が、年を重ねて形を変える。家族は感謝してくれているし、その手が紡いできたものに自負はあるけれど、一方で「美しさをすり減らしてきたことを切なく思う」と美智子さんは言った。
NPO法人日本ネイリスト協会が40歳以上の女性を対象に行った「ネイルへの意識調査」によると、〝普段ネイルケアをしている人〟は全体の約23パーセントで、〝特にしていない人〟は半数以上の77パーセントを占めた。ネイルケアをしない主な理由としては、「お金をかけたくない」「時間をかけたくない」「何をしたらいいかわからない」が上位となったが、〝特にしていない人〟のうち、「したいと思う」と答えた人は41.4パーセントにのぼった。
また、〝現在ネイルケアをしているが、いつまで続けたいか〟という問いには半数以上が「70歳以上まで続けたい」と答えている。ネイルケアをしている人の目的は、「ファッションとして」「美容のため」「健康(衛生)のため」などが挙げられた。
「〝ネイルケアをしているシニア世代をどう思うか〟には、「おしゃれ」「金銭的余裕がありそう」「若々しい」など好意的な意見が上位を占め、「若作り」「みっともない」「恥ずかしい」といった否定的な意見は少数にとどまった。
ギフトで体験をして、やみつきになるシニア女性も
美智子さんの施術を担当したネイリストさんにも話を聴いてみた。
「シニアのお客様の場合、娘さんやお友だちのご紹介でいらっしゃる方が多いですね。みなさん、最初はおそるおそる……というご様子なのですが、一度体験されると、また足を運んでくださいます」
誕生日のプレゼントや敬老の日のギフトで〝ネイルケア体験〟をして、やみつきになるシニア女性も多いという。
「初めは〝なるべく控えめな色にして〟とおっしゃっていた方も、回を重ねるうちに〝今度は赤にして〟とか〝パープルがいいわ〟とか、〝攻め色〟を選ばれるようになります。高齢の方は、はっきりしたお色を塗った方が、お肌がきれいに見えることもあるんですよ。〝爪に目が行くので、手のアラが目立たなくていいの〟とおっしゃる方もいます。
また、お色は塗らず、爪や角質のケアだけされる方もいらっしゃいます。長年水仕事などをされてきたシニアの方は、甘皮の量が増えて固くなっているのですが、丁寧に取り除けばきれいな指先になります」
ちなみに美智子さんが体験したハンドケアとジェルカラーの施術代は合計で1万円ほど。2回目以降はこれにジェルオフの料金がプラスされるという。ただ、きれいな状態を保つには、毎月ネイルサロンで〝お直し〟をする必要がある。
美しい桜色に仕上がった美智子さんのネイル。「次は、もう少し濃い色に挑戦してみたい」そうだ(筆者撮影)
「少し贅沢かもしれませんが、今まで労ってこなかったぶん、自分に手をかけようと思っています。爪がきれいになったらうれしくて、今はお皿を洗うときもきちんと手袋をしているんですよ。ハンドクリームもまめに塗るようにしたらしっとりとしてきて、なんだか、とても楽しくなってきましてね」
美智子さんが手をひらひらさせると、ふわりと甘い香りが漂った。
手を見られるのがいやで、宅配便を受け取るのも躊躇してきたけれど、今は怯まずにドアを開けられるという。
「年を取れば美醜なんて気にならなくなる、というのは乱暴です。気にしていると思われたら辛いから、気にしないふりをしている人も多いんじゃないかしら。私は、思い切って〝美しくなりたい〟と声に出せてよかった。一生、もっときれいにしたいなと思いながら、この手を可愛がっていきたいと思います」
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提供元:84歳で「初のネイルサロン」へ行った女性の心情|東洋経済オンライン