2021.07.19
「せっかく〇〇したんだから…」の考えがヤバい訳|人生の停滞を生み出すサンクコストの正体
それまでに費やした資金や労力や時間が惜しいがために、その経済行為を続けてしまうと損失がより拡大するかもしれません(写真:buritora/PIXTA)
「新型コロナウイルスの出現によって変わりつつある世の中では、戦略的に“やめる”ことが大切」と語るのは「プレゼンの神」と呼ばれる元マイクロソフト業務執行役員の澤円さん。これまでの価値観にしばられずに、「いま、自分が本当にやりたいことなのか」を考え直すことが重要だといいます。なぜいまこの時代に、「やめる」ことが重要なのか。最新刊『「やめる」という選択』から一部抜粋、再構成して掲載します。
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誰の人生にもある「埋没(サンク)コスト」とは?
「せっかくここまで頑張ったのだから、この案件は最後までやり切りたい」
「せっかく大企業に入れたのだから、転職せずに頑張りたい」
「せっかく続けてきたのだから、とにかくやっていこう」
このような「せっかく○○したのだから」という理由で続けていることはないでしょうか?
仕事に関係のないことでも、
「せっかく買ったんだから使わないともったいない」
「せっかく遠くに旅行に行くんだから、ここにも寄らないと」
「せっかく資格を取ったんだから、何か生かせることをしないと」
といった具合です。
このこうした思考がまるで“重し”のようにのしかかり、気づかないうちにあなたの人生を停滞させるコストに化けてしまっていることがあるのです。
このような考え方や行動パターンは、経済学の概念である「サンクコスト」ととてもよく似ています。サンクコストとは、「ある経済行為(投資、生産、消費など)に支出した固定費のうち、どんな意思決定(中止、撤退、白紙化など)をしても回収できない費用」。それまでに費やした資金や労力や時間が惜しいがために、その経済行為を続けてしまい、損失がより拡大するおそれがあるコストのことです。
これを人生に当てはめると、前述のような「せっかく○○したのだから」という言葉で表せる思考と行動になる、というわけです。
そして僕は、この「せっかく○○したのだから」という思考や行動こそが、「頑張っているのに、なぜかうまくいかない」という状態を生み出していると考えています。
そして、「せっかく○○したこと」がコストに化けているのならば、思いきってやめてみたらどうかと思います。
たとえば、「会社をやめたいな、でもやっぱりやめるのはもったいないかな」と考えるとき、その「やめない」と判断した理由が、「せっかく入ったのだから」ということだけなら、これはもう「やめてしまったほうがいい」状態なのだと思います。なぜなら、少し極端かもしれませんが、その会社に入社した時点である意味では目標を達成しているからです。それ以上、その会社にい続ける理由がないともいえますよね。
ある会社に入社したという事実が決断の大きな理由になるのなら、それは失うことをおそれるだけの状態であり、ただのサンクコストになっています。
もちろん頑張って希望の会社に入社したわけだから、自分を否定する必要はありません。自分の心のなかの「思い出箱」に、その会社で得た経験を大切にしまって、次の道へ進めばいいのです。
「いいか? 俺が若い頃はな……」がやめられない理由
自分の成功体験を、自分のなかだけの誇らしい思い出として持つのはいいですが、つねに自分をアップデートしていく意識がなければ、自分が誇りとしてきた過去の価値観に、いまの自分が簡単に固定されてしまいます。
そうして少しずつ成長が止まり、人生を豊かにするための大切な時間の使い方ができない状態になっていくのです。
あげくは、「いいか? 俺が若い頃はな……」と、部下や後輩たちに言い出しかねません。あなたのまわりにも、このような成長と思考が停止し、ただ部下の邪魔をするだけの上司はいませんか?
これはとても恐ろしい状態で、本人はただ一生懸命に頑張ってきただけかもしれないのです。与えられた仕事に対し、精一杯応えようとして努力して、いつの間にかその努力の証しである成功体験を、自分の価値観とアイデンティティーの「よすが」にしてしまう。
これこそが、僕がいう人生の「サンクコスト」に縛られている状態です。
僕は、こうした人たちが、過去になんの意味もないことをしていたといっているのではありません。若い頃は頑張っただろうし、それぞれの場所で社会を支えたのだと思います。
しかしいまこの時代に、「自分をもっと成長させていくんだ!」「新しい未来をつくっていくぞ!」という意志がないのなら、みんなの邪魔ばかりしていないで、「お願いだからじっとしてほしいな」と思ってしまうのです。
サンクコストは「人間関係」にも生じます。
まず、対象となる人そのものではなく、その人の属性のほうに目がいくような人間関係は、正直なところ整理しても構わないと考えます。
ビジネスにおいては、属性を重視して付き合う人は往々にして存在します。「○○グループの本社に勤めている」「あの人は本部長だから」「この人と付き合っていると営業成績にプラスになるかも……」。
そんなビジネス上のメリットで人と付き合うことは、よくあることだと思います。
「別にいいんじゃないの? 仕事で関わる人すべてと親しくなるわけでもないし、仕事の関係ってそういうものでしょ?」と、思う人もいるかもしれません。
でも、それはちょっと甘い。
なぜなら、それは最も貴重なリソースである人生の「時間」を、好きでもない人に使っているからです。この損失は、本当に計り知れません。
もちろん、いま現在関わる仕事の案件において、大切にしたほうがいい人間関係はあるでしょう。ときには、決定権がある人と近づいておくことは、仕事をうまく進めるうえで役に立つこともあると思います。
でも、いま取り組んでいる案件が終われば、また別の案件がはじまります。そして、次の仕事でもまた、別の属性を持つ人が現れるのではないでしょうか。
また、仕事で関わる人がまったく変わらない場合は、なおさら上司や得意先など決定権がある人がつねに近くにいて、その人を振りまわしてしまうこともあるでしょう。
人生の時間が着実に減る
なにがいいたいのかというと、「仕事だから仕方ないでしょ」といっているうちに、その人が自分のために使えたかもしれない人生の時間が、着実に減っているということです。
さらにいえば、自分のリソースを自分でしっかり守る必要があるのは、属性重視の人間関係は往々にしていつまでも続いていくからです。よくあるパターンは、「あのときお世話になったから」「いいお客さんだったから」という関係。要するに、ひとつの案件が終わっても、属性だけの付き合いはいつまでも続きがちだということです。
そして、それらすべてが、気づかないうちにサンクコストになっていきます。
ちなみに、そんな人間関係を続けていると、その人のまわりにいる同僚や部下たちも、同じような関係性を相手に求められて困ったことになるかもしれません。
また、最も恐ろしいのは、そうした人間関係にもまれて次第に慣れていくと、いつの間にか、自分自身がそんな属性を軸にした関係を相手に求めはじめるかもしれないことです。
よく、部署が変わったり退職したりした途端に「年賀状が来なくなった」「あいつは恩知らずなやつだ」などと文句をいう人がいるようですが、それはあたりまえですよね。なぜなら、ひとりの人間としてではなく──わかりやすくいえば、名刺に書かれた会社名や役職といった「記号」として付き合わされていただけだからです。
僕は営業の仕事をしていたので、これまで仕事でいろいろな人にお会いしましたが、なかには、自分が「営業される」立場であることに優越感を持つ「勘違い」している人もいました。
彼ら彼女らも、きっと新人の頃はそんなことはなかったのです。でも、自分に与えられた「記号」に染まって生きるうちに、本当に「記号」と化してしまったのかもしれません。
サンクコスト化した人間関係を整理する好機
僕はいま、そんな人間関係を終わらせる絶好の時代が来たと確信しています。なぜなら、たとえばリモートワーク、そしてソーシャルディスタンスが浸透したことで、それまであたりまえに行われていた会社の飲み会や接待などが激減しているからです。
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「せっかく希望の会社に入ってできた人間関係だから行かなきゃ……」と思って、これまで楽しくもない飲み会に行っていたのなら、それはまさに自分の人生がよくわからない人間関係のなかで埋没していた状態です。
でも、本当に自分にとって大切なものをしっかり見据えて、「これは人生の時間を使ってまで行きたい場所じゃない!」と思うなら、ほかの選択肢を考えられる環境が少しずつ整いつつあるのです。
多くのビジネスパーソンは、嫌々続けていた人間関係の重荷になんとなく気づいているはずです。サンクコスト化した人間関係をきっちり整理する。いまのタイミングが最大のチャンスなのです。
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提供元:「せっかく〇〇したんだから…」の考えがヤバい訳|東洋経済オンライン