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2018.08.01

一汁三菜「おふくろの味」には幻想がいっぱい|「おかずの数」プレッシャーはどこからくるか


これこそ正しい食事だという感覚に苦しめられた(写真:iStock/kumikomini)

これこそ正しい食事だという感覚に苦しめられた(写真:iStock/kumikomini)

新聞記者を辞めた後、会社員と女性活躍に関する発信活動、さらに大学院生と3足のわらじを履きながらバリバリ働いてきた中野円佳さん。ところが2017年、夫の海外転勤により、思いがけず縁遠かった専業主婦生活にどっぷり浸かることに。そこから見えてきた「専業主婦」という存在、そして「専業主婦前提社会」の実態とそれへの疑問を問い掛けます。

「これが正しい食事」だという刷り込み

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ホットケーキミックスで子どもたちにホットケーキを焼きながら、「あぁ、実家では、1度もミックス粉を使ったことがなかったな」と思う。

小麦粉を量りふるいにかけ、砂糖を量り、ベーキングパウダーを入れて。これを入れ忘れると大変。膨らまない。今は卵と牛乳を入れてミックス粉と混ぜるだけだから何かを入れ忘れることなんてないし、焼く時間も入れて10分くらいでできる。使う食器もボール1つとフライパンくらいだ。

食事というのは365日、毎日3回あるから、育った家庭での「これが正しい食事」だという刷り込みは非常に大きい。私の家は、非常に手作り料理にこだわる家だった。カレーのルーもシチューのルーも、あの「かたまり」を溶かすのを見るのは学校の林間学校での飯盒炊飯のときだけ。母はカレーはスパイス粉、シチューは小麦粉からルーを作っていた。幼稚園から高校まで続いたお弁当生活で、冷凍食品が入っていたことはただの一度もない。

父もよく料理をしていて、朝早く築地に行って入手してきた魚をさばいたり、一時期ブリオッシュやピザも父のお手製だった。そういう両親に感謝というかすごいと思いつつも、これこそ正しい食事だという感覚は、自分が子育てする側に回って長らく私を苦しめた。自分が子どもの頃はクッキーやケーキをよく手作りしていたけど、日常的な料理は最も苦手な家事になった。料理はひどく手間のかかるものだという感覚が背景にあったのではないかと思う。

参鶏湯(サムゲタン)を作ってくれた。「1人で作ると多すぎて、食べてくれる人がいるとうれしい」という趣旨のことを言われたことが「僕作る人、私食べる人」じゃないが結婚の1つの決め手になった気がする。そのくせ、私は夫がシチューのルーを使うのを見て(なにも手伝わず、いただくくせに)ひそかに「邪道」と思っていた。

子どもが生まれてからは育休からの流れで子どもの食べるものは私が作ることが多くなっていったが、当初、実家と二世帯住宅でいろいろと頼っていたので、両親は折に触れて孫が口に入れるものに懸念を示した。野菜の産地はどこか。市販のものを使って大丈夫なのか、等。それは直接的な口頭ベースの伝達であることもあれば、さりげなく「これを使ってね」的に置いてある食材や代わりにやってくれることにも現れていて、私は日々「ちゃんとした食事」プレッシャーを感じていた。

でも、丁寧にゼロから作ったからといって子どもは食べてくれるとは限らなかったし、私の料理の腕でできる手作りの数少ないレパートリーを繰り返すよりも、何か買ってきたほうがよほど栄養にいい可能性もあった。

仕事に復帰し、両立生活がはじまり、2人目が産まれた頃には完全に呪縛にスキルが追いつかなくなった。もう呪縛とか言っていられなくなった。

友人の中には時短スキルをめきめきと上げて忙しいワンオペをしながらも「しっかり手作り」料理をしている人もいるけれど、私は無理だった。そして実家の目の届く場所、そして日本を離れ、シンガポールに来て、今はもうそういったものからおおむね自由だ。外食もレトルト・ルーも活用しているし、もちろん夫がどんな料理をしてくれても感謝している。

日本の母親は料理に時間をかけている

OECDなどの国際比較データを見ると、実は日本人の平均的な家事時間は他国に比べて短い。女性の家事時間は2011年のデータで1日約300分であるのに対し、男性は62分と、男性が圧倒的に家事をしていないからだ。この傾向は10年以上前から変わらない。

品田知美『家事と家族の日常生活~主婦はなぜ暇にならなかったのか』(2007年、学文社)は、より詳細の分析をし、日本は外での有償労働時間が長く、しかも、有業の女性も子どもがいなければあまり家事をしていないことを指摘している。一方で、子どもができると、とたんに家事時間が増える。つまり、日本における家事労働は、女性の中でも、無業の女性(専業主婦)、そして子どもがいる女性が、圧倒的に引き受けているのだ。

品田氏によれば、欧米では子どもの頃から、就業しているかどうかに関係なく、家事を手伝っており、また結婚や出産のイベントなどがあっても、それほど家事量は変わらない。「誰もが仕事も家事もほどほどにする、という生活様式が欧米家族における現代の位相」だという。これに対して日本は、成人男性の関与が極端に少なく、子どもにもあまり手伝わせず、成人女性のみが異世代にわたって(時に祖母が手伝う形で)家事を分担しているというのが特徴らしい。

その中でも、日本人女性が特に時間をかけているのが炊事、つまり料理だ。品田知美『平成の家族と食』(2015年、晶文社)によれば、2000年ごろのデータで、日本の母親たちは欧米よりも1時間以上、1日あたりの料理にかけている時間が長いという。

確かに、日本の食文化はすばらしい。私は高校生のときにアメリカに留学したことがあるが、ホームステイ先の家庭の5歳、8歳の子どもたち(と私)が持っていく「ランチ」は当初ビスケット(しかもオレオとかピーナッツバターのたっぷり入ったクッキーサンドとか甘いもの)とリンゴ丸一個に甘いジュースなどの組み合わせだった。

学校のカフェテリアで買うものはもう少しマシかと思って買ってみたが、脂ぎったフライドポテトにチーズがどろりとかけてあるものと、やはり甘いジュースだけという感じ。え? ポテトがメイン? というかポテトだけ?(ポテトは彼らにとってれっきとした野菜だ)と衝撃を受けた。それ以来、私が毎朝少し早く起きてレタス1枚とハムが入ったサンドウイッチと果物を5歳、8歳の分も合わせて3人分パックするのが日課になった。

ひるがえって日本。もちろん給食などの食育のレベルの高さは子どもをもつ親としてもありがたいことだが、キャラ弁に象徴されるように、家庭で作られるものまで手の込んでいること込んでいること。SNSに投稿するような料理は上手にできたときに投稿していたり、得意な人がやっているのだとは思うが、時に「愛情」とともに語られ、母・妻たちにプレッシャーをかける。

私は数年にわたって日本の家事代行の取材をしているが、この数年で共働き子育て家庭にヒットしたのがタスカジの作り置き料理代行だ。タスカジというのはCtoCの家事代行サービスで、たとえば整理整頓が得意、英語が話せるなど個性を生かした家事代行の提供者を利用者が指名して来てもらうことができるプラットフォームだ。

この中で、元シェフだった、家庭料理が得意などの“タスカジさん”がテレビで「伝説の家政婦」として取り上げられてレシピ本を出版するなど、大変注目されている。タスカジさんに来てもらった3時間などで15品などの作り置き料理などをしてもらい、1週間それで食いつなぐという形でワーキングマザーなどが利用している。利用登録者は3万8000人で掃除の依頼がもっとも多いが、今年6月実績で利用の44%が作り置きの依頼(前年同月は31%)になっているという。

初期の頃にわが家も使ったことがあるのだが(たいへん美味だった15品程度を子どもがまったく食べず、結局私だけで消化することになったので一度で終了したが)、このサービスが広がる背景には、「誰かの手作り」「家で食べる」ことに対する規範の強さがあると思う。

母の手によって作られたものでないといけない、というところを乗り越えただけでも前進はしているものの、外食や外で買ってきたものだけで食事を済ませることに対する罪悪感におカネを払っているように感じられるのだ。

「残念和食」?「一汁三菜」はもてなし料理

一方で、日本の家庭では食文化が崩れてきているという指摘もある。食と現代家族の生活の調査を続けている岩村暢子さんは『残念和食にもワケがある』(2017年、中央公論新社)で家庭での和食が減り、崩れている実態を写真とともに分析している。

この本自体は淡々と実態を描いており、たとえば1品ずつ適切な和食器に盛り付けるのではなく、お子様ランチに使用するような仕切りのある1プレート皿を大人も含めて利用する家庭が見られる。それには「洗い物が減るから」「子どもが自分の皿の分は食べきった感が出るから」など、現代家庭なりの“ワケ”がある。

よくかまないために甘みが出てこず白いご飯が苦手、流し込むために麦茶が必須、味噌汁では流し込むのにすっきりしないので好まれない……などのつながっている現象もみられ、背景には食事そのものやその準備、片付けの時間を節約して合理化させたい忙しい家族の様相がかいまみえる。

岩村氏は2005年に『<現代家族>の誕生』(『「親の顔が見てみたい!」調査』に解題し、2010年文庫化)で非常に興味深い分析をしている。1960年代生まれ以降の女性たちが大して食事を作っていないことについて、なぜなのかを明らかにするためその女性たちの母親にインタビューをしているのだ。

その結果によれば、母親たち(2004年末時点で平均年齢64.5歳。現在は平均年齢80歳前後の世代ということになる)は、幼少期に戦争前後で幸せな食生活もしていなければ、家事を手伝う場合も火を起こすなどの作業をしており、決して料理を教わるような余裕がなかったという。その世代は、長男に嫁ぐことを避けて、高度経済成長期に「サラリーマン」として団地に住むことにあこがれ、料理教室やテレビ番組を通じて料理に講じてきた様子が描かれる。

つまり、そもそも母親世代(現在の80歳前後)が豊かなおふくろの味を経験してきたわけでもなく見習って引き継いできたわけでもなく、雑誌やテレビ番組を見て「皆こうやっているのか」と標準化した家庭料理を作り始めた。そして自分も教えられたことがなければ娘に教えたこともなく、大人になってから日常的な料理をしていないことを知らない。そして、知ったとしても「個人の尊重」として干渉することはしないのだという。

前述の品田氏ら(2015)は岩村氏よりも量的に時間的な変化、年齢や階層を加味した詳細な分析をしているが、和食の特徴とされる「一汁三菜」はもともと茶の湯におけるもてなし料理としての懐石料理であり日常食ではなかったこと、その中で専業主婦が歴史上最も多かった1975年前後でさえ一汁三菜はさほど浸透していないことなどを指摘している。

品田氏らによれば、確かにファストフードや「中食」の利用や冷凍食品などの活用は増えているが、江戸時代や明治時代にも加工食品を売り歩く人はいた(むしろ冷凍食品などはすべてが手作りでなくても、それでも家庭で手を入れるという意味で家庭料理規範を強化させている側面もある)。つまり、丁寧に和食を作る時代や家庭は確かにあったかもしれないが、それはほんの一時期のことである。

さらに自身が1964年生まれの品田氏は「自分がすべて引き受けることなど無理である、と考えてきたのが私のような1960年代以降生まれの女性」で、母親世代が自分たちに料理を教えなかったのは、「自分たちの世代のようにすべての炊事に関する役割を引き受けることを、あえて強要しなかったのも母の世代だろう」と述べ、岩村氏が「和食の崩壊」と若干嘆きのトーンで描く「ビュッフェ食卓」(家族のメンバーがそれぞれ好みのものを食べる)についても、家族内の個の尊重と葛藤回避の技術として「十分に合理的な選択」と述べる。

にもかかわらず、子どもの弁当に母の愛情を込めることや家庭の団らんと食を結び付けて考える言説は根強い。昨今は政府も食育を打ち出し、家庭の役割を強調するが、品田氏らは他方で雇用の在り方は家族そろって夕食を取ることができるケースを激減させている(子どものいる核家族では1988年から2012年までで半減)ことを批判的に指摘している。データによれば、丁寧な盛り付けをしているからといって夕食時の会話が弾んでいるとも限らず、過剰な母親へのプレッシャーは間接的に少子化にもつながっているのではとの示唆もある。

おかずの数を求めるのはだれか

このプレッシャーは、日常的にはどこからどのようにかかってくるのだろうか。

岩村氏の本にも出てくるが、子どもは、手間暇かけても、特定のものしか食べなかったりする。品田氏らの調査でも「料理の品数は少なくても、栄養バランスがとれていればよい」と考える女性も多い(品田氏の調査で76.7%)。そうすると母子の食事は非常に簡素になっていったりするのだが、それによくも悪くもブレーキをかけるのが、父親の帰宅だ。

本の中では父親は子どもの好きなものに付き合わされ、好みを反映されていないようにも書かれているが、私が主婦たちと話していると、「今日、夫が夕飯までに帰ってくるかどうか」で料理の負担感はだいぶ変わっている。その夫たちが、「おふくろの味」「手料理」「一汁三菜」といった内容にこだわっていたら、相変わらず女性たちは料理に四苦八苦することになる。

品田氏らの調査では、平日の夕食準備時間が長い人は「夕食の品数を何品以上と決めている」割合が高く、「うちの家族は、食事の品数が少ないと不機嫌になる」という質問に対して「はい」または「どちらかといえば『はい』」と答えている人(全体の18・6%)の過半数が品数ノルマを決めている。

冒頭に書いたように、私も一時期、育った環境での食事を、配偶者や自分に求めていた。今もそうである方々に言いたい。「一汁三菜」というのは、一時期の一部の家庭のものでしかない。あなたがもしかしたら食べていた食卓は、たまたま日本でその時期に実現していた食生活で、今、状況も相手(あなたやあなたの配偶者はあなたの母親ではない)も異なる中で自分の現在の家庭に求めるべきとは限らない。

だから、妻に料理を任せている男性たちには「おかずが少ない」とか文句を言わないでほしい。帰宅予定時間間際になり「やっぱり夕飯いらないや」と連絡すると妻がキレるというのが典型的な夫婦のシーンとして漫画等に描かれるが、なぜそんなにキレるかというと、どうせ誰かが食べる料理を夫に残してあるのではなくて、夫が帰ってくるなら若干メニューを増やしていたりするからじゃないか。

だから「やっぱり夕飯いらないや」は本当にやめたほうがいいし、逆に急に帰って「なんかないの」ではなくて、インスタントラーメンでも勝手に作って食べていてほしい。

料理をするのは女性でも男性でもいい

また、夫の「手作り」イメージ自体が幻想である可能性もある。少し前に佐光紀子さんの著書『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』(2017年、光文社)がTwitterで話題になっていた際、「自分で味付けをしても唐揚げがどうしても夫の言う“おふくろの味”にならない。一体お義母さんはどうやっているのだろうと夫の実家に行ったときに台所を覗いたら日清の唐揚げ粉を使っていたときの衝撃」「出汁を取るところからはじめて料理をしても夫が美味しいと言ってくれない。入れるだけのレトルトを買ってきたら初めて『これだよ!!』と感動された」といったたぐいの投稿を目にした。

日本で、ほんの一時期、1億総中流が目指され、主婦たちが夢を見て団地に住み、多くが料理教室に通い、おいしい食卓を実現し、それが幸せだった時代は確かにあったかもしれない。でも、今はもっと生き方も、生活の選択肢も多様化している。料理が得意な人もいれば、そうでない人もいる。

手料理がうまくないと女性として失格、というような世間の見方もぜひやめてほしい。結婚披露宴でのファーストバイトで「一生おいしい料理を作ります」みたいな司会も、芸能人の結婚会見で妻の料理で好きなものを夫に聞くのもやめてほしい。料理をするのは女性でも男性でもいいし、その在り方もさまざまに変化していくものだろう。

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提供元:一汁三菜「おふくろの味」には幻想がいっぱい|東洋経済オンライン

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