2018.02.20
孤独な人に「耐え続けろ」というのは残酷だ│死亡リスクは「毎日タバコ15本」に匹敵する
「孤独」は、まさに「万病のもと」だ(写真:よっしー / PIXTA)
拙著『世界一孤独な日本のオジサン』の出版に合わせ、日本の中高年男性の孤独についての記事を何回か書いてきた。
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お寄せいただいたご意見や周囲の男性たちの反応はおおむね、①「自分は孤独ではない」②「将来の孤独をとても心配している」③「余計なお世話だ」「ほっといてくれ」「孤独の何が悪い」の3つのパターンに分かれる。つまり、「自分は今、孤独である」と吐露する男性はあまりいない。
中高年で、「孤独ではない」と堂々と言い切るのは、フリーランス、起業家などの非サラリーマン、お金持ち、転職経験者、趣味などを通じて仲間がいる人が多い。一方で、「とても心配している」と声をそろえるのは、都市に住む大企業、中小企業のサラリーマンだ。そして、「孤独は楽しむもの」「独りのほうが楽」「どうせ死ぬときは独り」と言うのが3つ目のタイプで、「孤独」を肯定的にとらえる声が少なくない。
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「最も優れた人々は孤立を選ぶ」とはいうが…
高名な哲学者ショーペンハウアーは「最も優れた人々は孤立を選ぶ」と論じた。実際に、「非常にインテリな人は一人のほうが幸福である」という研究もある。しかし、そういった少数の人を除き、多くの人にとって「孤独」は「毒」であり、人々の生きる力を奪うものという考え方が海外では一般的だ。
非常にインテリな人は一人のほうが幸福である ※外部サイトに遷移します
「孤独」とはそもそも、「頼りになる人や心の通じ合う人がなく、ひとりぼっちで、さびしいこと(さま)」を指す。「孤」は「みなしご」を意味し、誰にも頼れず、精神的に「孤立」し、主観的に苦痛を覚える状態のことだ。一方で、日本では、「独りで独自」の時間を過ごし、楽しむことをも「孤独」ととらえている節がある。
英語では、ポジティブな意味合いの「Solitude」(個人が能動的・自発的に一人を楽しむこと)と、ネガティブな「Loneliness」(自らの意思に反して、疎外感や孤立感を味わうこと)とに分かれているが、日本語では、「個独」という「良いこどく」と、「孤独」という「悪いこどく」がひとくくりになり、結果として、「孤独」が美化されているきらいがあるように感じる。
フィギュアスケートの羽生結弦選手も「孤独」との戦いの末に勝ち取った金メダルと形容されたが、時として自分を追い込み、壮絶な苦しみを乗り越えることによって、頂点に到達することができたということだろう。ただ、彼とて、ずっと「孤独」であったわけではない。多くの人が彼を支え、この偉業は成し遂げられた。
「孤独」は時として、人を高みに導くが、怖れるべくは、常態化した「孤独」だ。
同調圧力の強い「集団主義」とされる日本社会の中で、その抑圧から離れ、「個」として「群れ」から外れることは「かっこいい」こととみなされる側面もあるだろう。
「日本人は集団性が強く『個』が確立していないのではなく、『個』が確立され過ぎている国民」「日本人は個として孤独だから、群集を組んだときに、異常に群集心理が出る」とかつて、作家・安部公房氏は逆説を唱えたが、西欧の「個人主義」が歪んだ形で植え付けられたという指摘もある。
一方で、「個人主義」と言われる欧米諸国では、個々が独立した存在であるからこそ、「つながり」の重要性をより強く認識している。人間は「ソーシャルアニマル(社会的動物)」であり、「他者との関係性において存在する存在」であり、「独りで完結することはない」という考え方が根強い。
孤独は「現代の伝染病」だ
欧米との文化的・歴史的な背景の違いはあるとしても、同じ人間として、日本人だけが特別に孤独耐性が高い、ということではないだろう。実際、「孤独」は、今、世界の多くの国々で、「現代のエピデミック(伝染病)」ととらえられており、アメリカやイギリス、オーストラリア、ニュージーランド、インドなど、あらゆる国のメディアで、毎日のようにその蔓延が危惧され、喧伝されている。
日本では、独居老人が、独りで死を迎える「孤独死」が問題視されることは多い。物理的に孤立することで、体調に変化があっても気づかれず、適切なケアが受けられず、死に至ることへの恐怖感は多くの日本人に共有されている。しかし、本質的な問題は、独りで死んでいく「孤独死」ではなく、「孤独による死」である。
「孤独」は、まさに「万病のもと」だ。気づかぬうちに、多くの人の心と体をむしばみ、その寿命をすり減らしていく。アメリカ・ブリガムヤング大学のジュリアン・ホルトランスタッド教授(心理学)は2010年、148の研究、30万人以上のデータを対象とした分析を行い、「社会的なつながりを持つ人は、持たない人に比べて、早期死亡リスクが50%低下する」とする結果を発表した。
社会的なつながりを持つ人は、持たない人に比べて、早期死亡リスクが50%低下する ※外部サイトに遷移します
そのうえで、①孤独の死亡リスクは、1日タバコ15本吸うことに匹敵、② アルコール依存症であることに匹敵、③ 運動をしないことよりも高い、④ 肥満の2倍高い、と結論づけた。
また、2015年の研究では、70の研究、340万人のデータをもとに、「社会的孤立」の場合は29%、「孤独」の場合は26%、「1人暮らし」の場合は32%も7年以内に死ぬ確率が高まるとの結果を導き出した。
「社会的孤立」の場合は29%、「孤独」の場合は26%、「1人暮らし」の場合は32%も7年以内に死ぬ確率が高まる ※外部サイトに遷移します
そのほかにも心疾患や認知症、精神疾患など多くの病気のリスクを高めると考えられている。では、孤独はどのような作用によって人体にこれほどのダメージを来すのだろうか。
古代から、人間が敵と戦い自らの生存を担保していくためには、何より、他者との結びつきが必要だった。敵を倒すために共に戦う。食べ物を共に確保し、分け合う。そのつながりから放り出され、孤立することはすなわち「死」を意味していた。「孤独」という「社会的な痛み」は、のどの渇きや空腹、身体的な痛みと同じ脳の回路によって処理され、同等、もしくはそれ以上の苦痛をもたらす。
孤独な人に「孤独に耐えろ」というのは残酷
そのつらさを避けようと、水を飲んだり、食べ物を口にするように、孤独な人も「苦痛」から逃れるために、自らつながりを求めるようになる。これが人を孤独から遠ざけようとする、本能的なディフェンスメカニズム(防御機能)の基本的な仕組みだ。
つまり、孤独な人に「孤独に耐え続けろ」というのは、水を求める人に「水を飲まずに我慢しろ」というぐらいに残酷なことでもある。社会性を持った動物は、身体的な痛みと孤立、どちらを選ぶのか、という選択を迫られたとき、身体的な痛みを選ぶのだという。
刑務所において「独房監禁」が最も残酷な罰の1つであることを考えれば、納得がいく。孤独が常態化すると、その「苦痛」につねにさらされることとなり、心身に「拷問」のような負荷を与えてしまう。身体のストレス反応を過剰に刺激し、ストレスホルモンであるコルチゾールを増加させる。
高血圧や白血球の生成などにも影響を与え、心臓発作などを起こしやすくする。遺伝子レベルでも変化が現れ、孤独な人ほど、炎症を起こす遺伝子が活発化し、炎症を抑える遺伝子の動きが抑制される。そのため、免疫システムが弱くなり、感染症や喘息などへの抵抗力が低下し、病気を悪化させる。
また、いったん孤独になると、再び、人とつながることを極端に恐れるようになる。一度拒絶された「群れ」に戻ろうとすることは、再び、拒まれ、命の危険にさらされるリスクを伴うからだ。
それよりは、何とか1人で生きていくほうが安全だ、と考えて、閉じこもりがちになる。また、慢性的な孤独下に置かれた人は、ほかの人のネガティブな言動に対して、極度に過敏になったり、ストレスのある環境に対する耐性が低くなる。さらにアンチソーシャル(非社交的)、自己中心的になり、孤独を深めていく、という悪循環に陥りやすい。
人間関係はとかく面倒くさい。そうした関係性そのものがストレスの原因、という考え方も理解できる。前述のショーペンハウアーの寓話として有名なものに「ヤマアラシのジレンマ」というものがある。ヤマアラシが互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、針が刺さるので近づけないという状態の中で、「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマに悩まされるというものだ。
「人間は考える葦(あし)である」との言葉を残したフランスの数学者パスカルは「すべての人間のみじめさは、1人、静かな部屋でじっと座っていることが出来ないことに起因する」という言葉を残したが、まさに人間は、「1人、自由にはなりたいが、孤独にはなりたくない」という厄介な選択に悩まされる存在ということなのだ。
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提供元:孤独な人に「耐え続けろ」というのは残酷だ│東洋経済オンライン