2024.09.27
60代半ば、都心から郊外へ「美学ある」団地暮らし|人生のアップダウンを経てたどり着いた「部屋」
66歳のときに購入したリノベーション済みの団地(撮影:梅谷秀司)
ひとり暮らしが増えた背景には、若者の未婚率の上昇とともに、65歳以上の単身世帯の増加がある。熟年層のひとり暮らしを楽しむ秘訣とは?
現代の「ひとり暮らし」をリアルに可視化しながら、それぞれの生活の多様性と、その背景にある社会的、経済的要因を透かし見ていく本連載(※)。第5回は東京郊外のリノベーション団地で暮らす、68歳の重松久惠さんを取材した。
若いころからキャリアを積み重ね、今も中小企業診断士の資格を活かして多方面で活躍する重松さん。築58年の団地と聞いて驚く、その美しく白い部屋でこれまでの歩み、そしてこれからについて語ってもらった。
本連載(※) ※外部サイトに遷移します
現在築58年の団地は「私より10歳年若い」
重松さんが現在住まう団地の一部屋を購入したのは、コロナ禍の最中。「とにかく都会を脱出したかった」という気持ちで、池袋の賃貸物件から移り住んだ。購入したとき工事は途中だったが、材料の手配はほとんど済んでいた。
「壁の色だけは選べたので、塗り壁風の白で統一しました。リノベーション時に自分の好みを反映させたのは、その点ぐらいですね。購入当時この団地は築56年でしたが『家のほうが、私よりも10歳若いのだから、一生住むことができるだろう』と前向きに考えました。
購入するにあたって気にしたのは、築年数よりも現在の団地全体が『生きているか』ということ。団地のなかには過疎化が進んでいるところもあって、そうなると管理が行き届かなかったり、防犯上危険だったりするそうです。
だから部屋だけでなく敷地や建物のメンテナンス状況を確認しましたし、夜に訪れて灯の数もチェックしました。その結果この団地はちゃんと人が住んでいる『生きている団地』だと確認できたので、購入を決めたんです」(重松さん 以下の発言全て)
重松久惠さん/商品開発アドバイザー、中小企業診断士、東洋大学大学院非常勤講師。文化出版局で編集者、アパレル開発などを経て59歳で中小企業診断士の資格を取得後、現職(撮影:梅谷秀司)
1960年代から70年代の高度経済成長期、日本各地で多くの団地が建設された。2024年現在、これらの団地は築50年以上を経ている。
メンテナンスの状況次第では老朽化が進んでいる建物も多い現状にあって、重松さんの団地は外壁が塗り直され、庭には野の花が咲いていた。各棟の間隔が広く、敷地内には公園もあるなど、ゆったりとした住環境だ。
「家に帰ってきて、土の匂いがするとほっとします。この街は私の育った場所で、13歳から26歳まで住んでいました。その後は港区の北青山や六本木にも長く住み、イタリアのミラノに住んだこともあります。いろいろな場所に住みましたが、60代後半になって地元に戻ってきたわけです」
窓からは木々のそよぐ様が。敷地が広いので隣棟からの視線を感じない(撮影:梅谷秀司)
スチールラックに並んだ籠や食器は、旅行で求めたものが多い(撮影:梅谷秀司)
重松さんは大学を卒業し、1980年代を社会人として生きた。バブルの好景気に恵まれ、充実したキャリアを重ねている。ここに住む前は家を購入することに興味がなく、ずっと賃貸で暮らしてきたという。
「かつて会社を経営していたこともあり、今でも商品開発アドバイザー、中小企業診断士、大学院講師など複数の肩書を持っています。そうしたキャリアのせいか、あるいはいつも旅をしたり、人を招いたりして楽しんでいるからか、順風満帆な人生だと思われがちですが、そんなことはないんです。実は50代で全てを失って、ゼロから再スタートしたことがあります」
バブル期以降のアップダウンを経て
重松さんの人生は波乱万丈だ。最初のキャリアは文化出版局、雑誌『ハイファッション』の編集者として。1カ月の残業時間が100時間を超える程のハードワークだったそうだが、バブルの時代ならではの、好景気のただ中でもあった。
「当時は仕事の合間に一流レストランで食事を取ったりもしたけれど、そこにいる誰かが払ってくれるような環境で、経費のことなんて気にしたこともなかったのです」
その後デザイン会社に転職し、新規事業開発に携わった。しかし婚姻関係にあったパートナーがデザイン提供などのファッション関連事業を起業し、その海外展開をサポートすることになる。
「夫に『会社を作るから、イタリアに行ってくれないか』といわれて。私もイタリアが好きだったので、彼をサポートするために3年ぐらいミラノに住んで、経営に携わっていました。
日本に戻ってから一瞬、デザイン会社に戻ったのですが、結局夫の会社が忙しくなってしまって、20年ぐらいその会社のマネジメントをしていましたね」
転機が訪れたのは2000年代、重松さんが50歳の頃だ。
「50歳のときに会社経営の失敗、そして離婚。仕事も家もお金も失って、それ以降はずっとひとり暮らしです。
働きながら53歳から中小企業診断士の勉強を始めて、大学院にも通い、59歳で中小企業診断士とMBAの資格を取得。今は商品開発アドバイザーの仕事や中小企業診断士として、さまざまな会社のコンサルタントの仕事をしながら、大学院で中小企業診断士の養成課程の講師をしています。
いろいろなことがありましたが、過去の失敗経験が、中小企業診断士としての仕事に役立っています」
商品開発アドバイザーとして働く企業のスタッフからもらった、引っ越し祝いのコンテナとスタンド。「グリーンの水やりの時、周囲が濡れない優れもの」(撮影:梅谷秀司)
日本のバブル期はビジネスチャンスに満ちた時代だった。その経験によって得たノウハウは、不況によって経験値を上げる機会が得がたい現代において、貴重な資産でもあるだろう。
「そうかもしれません。でもチャンスは探せばどんな時代にもあると思っていますし、後輩やアドバイスする人たちにもそう伝えています。
私自身も70歳になったら、また別のことにチャレンジしたいんです。手先を使う仕事をしたいので、1年間織物の学校に通うつもりです」
重松さんの話し方はテンポが速く明晰(めいせき)だ。「新しい挑戦をしていると、未来への不安なんて感じる暇がない」とのこと。明確な目標を持ち、年齢を重ねても進むべき道を確実に歩んでいることが、その語り口にも滲み出ている。
自分らしさが映える、白い部屋
68歳になっても仕事に旅にとアクティブに活動する重松さん。自宅で寛ぐときにどのような過ごし方をしているのだろう。
「料理を作ったり裁縫をしたりしているときが、一番楽しいですね。手仕事をするのが好きなんです。
昔から定期的に人を招く『ご飯会』をしていて、料理をふるまうのが楽しみ。裁縫に関しては特に機織りに凝ってます。仕事でもテキスタイルのバイイングなどをしているので、さらにその分野の技術や知見を深めたいと思っています。
この家はリビングに広さがあるのが私向き。食事にゲストを数人呼んでも余裕があります。ひとりのときはこの場所で布を裁断したり、ミシンを使ったりも。広い部屋がひとつあることで、暮らしに幅を持たせることができます」
部屋にぐるりとレールをまわして、白いカーテンをかける。棚を目隠しして統一感を出すアイデア(撮影:梅谷秀司)
キッチンとダイニングの間にはカウンターがあるだけで、仕切りがない。その分調理スペースが広く、ゲストと料理をつくることもできる(撮影:梅谷秀司)
重松さんと話していると、非常に社交的な人だという印象を受ける。今後ひとりではなく、誰かと暮らしたいという気持ちにはならないのだろうか。
「暮らすのはひとりがいいですね。結婚も、もうしたくない。ひとり暮らしなら家にいる間は全部自分の時間で、自分の空間でしょう? 誰かの食事を用意するために作業を中断する必要もないし、自分のテイストと違うアイテムが生活に混入してくることもない。そんな暮らしに満足しているんです」
部屋の壁や床、建具などは白で統一され、目隠しにもなるカーテンも白。アートギャラリーの白い内装をホワイトキューブというが、それに近い雰囲気だ。
そのなかに旅で買い求めた器や、アートピース、自作のファブリックなどが映える。ファッションやデザインに精通している重松さんの美意識が行き届いた住まいは、ひとりで暮らしているからこそ実現できる贅沢な空間でもある。
小さくとも、誰もが自立できる社会に
最後に現在の重松さんの暮らし方の礎になった書籍を教えてもらった。
「私自身がひとりでどうやって暮らしていこうかと考えたときに、影響を受けたのが『ひとりで暮らす、ひとりを支える』*という本です。
これはフィンランドの高齢化社会について書かれている本。フィンランドも日本と同じく高齢化が進んでいます。一方で高齢者もひとり暮らしをする人の割合が日本よりも多い。
本にはその方々の暮らし方が描かれていて、『未来は日本も、そのようになるんだろうな』と腑に落ちました」(*『ひとりで暮らす、ひとりを支える――フィンランド高齢者ケアのエスノグラフィー』髙橋絵里香/青土社)
陶作家、中野真紀子さんの作品。飾っている台は自作した(撮影:梅谷秀司)
その書籍は、著者の髙橋絵里香さんがフィンランドの「群島町」という小さな町に住む高齢者と、彼らを取り囲む福祉環境を文化人類学的視点から観測した記録だ。
そこで取り上げられる人々の多くは、年齢を経ても自らの意思でひとり暮らしをしており、そのライフスタイルには、それぞれの人生で培われた矜持が宿っている。
「自分のことは自分でなんとかするという考え方が、素敵だと思ったんです。だから、『稼ぐ』ということに関しても、自分自身を支えるだけの収入を得る術を、誰もがもてるといいですよね。
それは私の中小企業診断士としてのミッションにつながっています。
中小企業、個人事業主、そんな人が増えていくことをサポートしたい。ひとつの会社で働くことが全てではなくて、自分の能力をいろいろな場所で提供してお金をいただくことで、人生の自由度が増すのではないでしょうか。特に50歳を過ぎた頃に、そういう道を選べる人を増やしていく必要があると思っています」
積み重ねてきた経験と未来への希望
年金の受給開始年齢が段階的に引き上げられている今、シニアも働き続けることが求められている。企業の雇用制度も変化すべきだが、重松さんのいうように、年齢を経ている人がその経験を活かしながら、個人事業主として活躍できる土壌も必要だろう。
68歳の今も中小企業診断士の資格を活かして多方面で活躍する重松さんは、まさに個人事業主としてのロールモデル。
そんな重松さんが羽を休め、エネルギーをチャージするのは、これまで積み重ねてきた経験と未来への希望が同居する、豊かで清潔な部屋だった。
「70歳になったら機織りを専門的に学んで、手仕事を生業にしたいと思っています」(撮影:梅谷秀司)
ファッションは昔から好きで、今は布地に興味がある。「テキスタイルを使った商品開発に携わったり、自分でも布を織ったりしています」(撮影:梅谷秀司)
旅先で集めた食器類は、食事会のゲストのことまで考えて数を揃える「ベトナム料理ならバッチャン焼のお皿を…というように料理とあわせます」(撮影:梅谷秀司)
古い柿渋染めの布を購入し自らパッチワークしたクッション。異なった風合いを出した同系色の生地をつなぎあわせて(撮影:梅谷秀司)
専有面積は約60㎡。26畳のリビングに対して寝室は6畳とコンパクト(撮影:梅谷秀司)
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提供元:60代半ば、都心から郊外へ「美学ある」団地暮らし|東洋経済オンライン