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2023.11.15

300年前の健康書が今さらながら心に刺さる理由|著者は平均寿命40歳の江戸時代に83歳の大往生


300年も語り継がれてきた健康書から現代の私たちが学ぶことも多い(写真:Luce/PIXTA)

300年も語り継がれてきた健康書から現代の私たちが学ぶことも多い(写真:Luce/PIXTA)

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1713年に出版されて以来、日本で最も広く・長く読み継がれてきた健康書の古典『養生訓』。著者の貝原益軒(かいばら・えきけん)が儒学や仏教、武士道の精神を踏まえながら、よりよい養生術を模索して書き上げたもので、当時ベストセラーになったのみならず、その後も解説書や現代語への編訳が続いています。

300年も前の健康書がなぜ語り継がれているのか、その理由を内科医の奥田昌子さんが現代医学の観点も踏まえて編訳した『病気にならない体をつくる 超訳 養生訓』から一部を抜粋、編集してお伝えします。

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元祖・日本人のための健康書

『養生訓(ようじょうくん)』は、江戸時代前期から中期に差しかかる1713(正徳3)年に出版されて以来、日本で最も広く、最も長く読み継がれてきた健康書の古典である。

著者の貝原益軒は医師であり、現在の薬学にあたる本草学をはじめ多くの分野に通じた大学者であるが、『養生訓』に小難しさはない。

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バランスよく食べ、腹八分目にとどめ、体を動かし、過不足なく眠り、楽しみを見つけ、心穏やかに健康で過ごすことの大切さと、そのための方法が説得力を持って書かれている。いわば健康になるためのノウハウ書である。

『〔精選版〕日本国語大辞典』(小学館)は、養生を「生命を養うこと。健康を維持し、その増進に努めること」と定義している。養生の概念ならびにその方法は、8〜9世紀に中国大陸から伝わり、長らく一部の知識階級のためのものだった。

鴨長明(かもの・ちょうめい)が1212年に執筆した『方丈記』には、「つねに歩き、つねに働くは、養性なるべし。なんぞ、いたづらに休み居らん(よく歩き、よく働くことは養生に役立つ。なぜ、休むなどという無益なことをするのか)」という記載がある。

「養生」よりも「健康」という言葉が多用されるようになるのは、明治政府が西洋医学を重視する政策を取って以降のことである。

『養生訓』は出版されるやたちまち評判になり、幕末にあたる1864年までの約150年間に12回も重版された。明治時代以降も解説書を含めて繰り返し出版され、例えば1982年発行の講談社学術文庫『養生訓』(貝原益軒著、伊藤友信訳)は、2022年までの40年間に65回増刷されるロングセラーになっている。

『養生訓』は非科学的?時代遅れ?

その一方、現代では『養生訓』に対する批判もある。西洋医学が主流になる前に盛んだった中国大陸の伝統的な医学薬学が基礎になっているため、非科学的な記述が多く、時代遅れで役に立たないというのである。

けれども、これは表面的な見方である。『養生訓』は実用的な作りになってはいるが、『養生訓』の『養生訓』たる所以は、健康になり、健康でいるための心がまえを強調していることだ。健康に対する考え方、心の持ち方に関する助言は、時がたっても色褪せることはない。

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また、益軒は医薬の専門知識を有しながらも、同時に儒学者であった。冒頭で、「健康こそ人生最高の幸福である」と述べ、「幸福になるために人はどう生きるべきか」を解き明かしていく。

体と心の両面から全人的な健康を目指す『養生訓』の思想は養生哲学と呼ぶべきものであり、これこそが『養生訓』の肝である。

『養生訓』で益軒は、「人として生まれたからには良心に従って生き、幸福になり、長生きして、喜びと楽しみの多い一生を送りたい」と述べている。

一例を挙げれば、食事をするときは誰のおかげかを考え、感謝の心を忘れず、農家の人の苦労に思いを馳せ、こんな自分でも食事ができていること、世の中には自分より困窮している人がいること、昔の人は十分に食べられなかったことを思い出せという。武士であり、すでに世に聞こえた大学者であった益軒の謙虚さと、すべての人に向ける優しい眼差しが印象的である。

思想面では、益軒は晩年になって朱子学に批判的な立場を取り、若い時期に親しんだ陽明学の中の知行合一(ちこうごういつ)という概念を重んじるようになる。知行合一とは、煎じ詰めれば、「知っていても実行しなければ知っているとはいえない」という実践重視の考え方である。

『養生訓』を出版した翌年の1714(正徳4)年、最晩年に刊行された『慎思録(しんしろく)』には、よく知られる一節、「学ぶだけで人の道を知らなければ学んだとはいえない。人の道を知っていても、実践しなければ知っているとはいえない」がある。

栄養過多が問題視され始めた時代に書かれた

死去する前年においても体力気力ともに充実し、自ら筆を執って『養生訓』8巻を書き上げた益軒は、83歳で見事に天寿をまっとうした。その姿は、生涯をかけて追求した養生の道が正しかったことを雄弁に物語っている。

『養生訓』は我々に何を教えてくれるであろうか。

益軒の時代には、食べる目的がそれまでの「生きること」から「楽しむこと」に変化し、栄養不足ではなく栄養過多を原因とする病気に注目が集まっていた。飽食の時代といわれて久しく、生活習慣病やメタボリック症候群が蔓延する現代と重なる。

初版から300年を超えた今日でも、当時の食材や献立、調理法、摂取法のほとんどが馴染み深いものであるため、実用書として大いに参考になる。

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また、誰もがストレスに喘ぐ現代人からみると江戸の暮らしにはのんびりしたイメージがあるが、礼節と忠孝に縛られた社会の中で、人付き合いには細やかな配慮が求められていた。『養生訓』は「心の養生」としてストレス管理の大切さを強調し、その軽減法を具体的に教えてくれている。

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そして益軒の養生哲学は現代の健康思想を先取りするものであった。世界保健機関(WHO)は、1946年にWHO憲章で健康をこう定義している。

「肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」

はっきりした病気がなければよいわけではなく、ただ長生きすればよいわけでもない。生活の質の向上や健康寿命の延伸に象徴される、質の高さを伴う健康こそが重要ということだ。

『養生訓』は健康書があふれる現代にこそ手に取りたい、本物の健康書だといえる。

現代人の心にも響く『養生訓』のメッセージ

本書に収録したメッセージの一部を紹介する。

怠惰なキリギリスより勤勉なアリであれ

養生は若くて体力があるうちから始めるとよい。若さにまかせて不摂生をしていた人が高齢になって初めて養生するのは、贅沢三昧していた金持ちが破産して、慌てて倹約に努めるのに似ている。高齢になってからでも養生するのに越したことはないが、効果は劣る(巻第二 総論下)。

一日単位で腹八分目にすればよい

昼になっても朝食が腹に残っていたら昼食を抜き、おやつも食べないのが正解だ。消化不良のときは3食にこだわることなく、次の食事を抜くことだ。半分残すとか、酒や肉をやめるのでもよいだろう。場合によっては2、3日抜いたって構わない。軽い胃もたれなら、薬を飲まなくてもこれだけで治る。一日単位、一週間単位で腹八分目にすればよいのだ。養生を知らない人は、「食べなければ元気になれない」と考えるから、かえって症状が悪化する(巻第三 飲食上)。

人生は手放すことも必要だ

高齢になったら、やることを減らしていくとよい。手を広げすぎてはならぬ。趣味も多いと疲れて、楽しめなくなってしまう(巻第八 養老)。

限りある生命力を大切にせよ

今日は生命力をどのくらい蓄え、どのくらいすり減らしただろうか。一日の終わりに、蓄えた量から失った量を引き算してみるとよい。生命力を養って、黒字が大きくなればなるほど長生きできる。逆に赤字の日が長年続くと病気になり、命を失う。生命力には限りがあるのに、限りない欲求に振り回されて浪費するのは論外だ(巻第二 総論下)。

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提供元:300年前の健康書が今さらながら心に刺さる理由|東洋経済オンライン

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