2023.01.14
「開脚できる102歳」勇気をもらえる"その人生"|中国地方の有名人「哲代おばあちゃん」の人生訓
柔軟体操を日課にしている哲代さん。前屈すると頭が脚に着くことが自慢(写真:書籍『102歳、一人暮らし。』より)
「人生100年時代」と言われていますが、その半分にすら満たなくても、不況や先行き不安の今、どうやって生きていけばいいのか心配は尽きません。
石井哲代さんは102歳。夫に先立たれ、高齢での一人暮らしですが、身体だけでなく、心も穏やかに幸せな日々を送っています。本記事は、哲代さんの暮らしをルポした中国新聞の連載記事をまとめた書籍『102歳、一人暮らし。』を抜粋編集してお送りします。
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はじめまして。ただいま102歳、石井哲代と申します。100歳なんて、子どもの頃はおとぎ話に出てくるおばあさんのことだと思っていたのに、自分がその年を超えたということに驚いております。
広島県尾道市の山あいの町で暮らしています。26歳で嫁いで参りました。家の田んぼを手伝いながら、56歳まで小学校の先生をしておりました。子どもは授かりませんでしたので、20年前に夫が亡くなってからはずーっと一人暮らしです。小さな畑の守りをしながら、ご近所さんとのおしゃべりに精を出す日々でございます。
一年中、21種類の野菜を育てているという哲代さん。晴れた日は毎日草取りに行く(写真:書籍『102歳、一人暮らし。』より)
もう1回、「20歳になれ」と言われてもなりたくない
そんな毎日が、ちいとせわしなくなったのは100歳になってから。地元の中国新聞で、私の日常が連載記事で紹介されるようになりました。畑の大根がええ出来じゃとか、正月に雑煮の餅を3個食べたとか、まあ何でもないことばかり書いてるんでございます。それが感想や励ましのお手紙がたくさん届くようになって。そりゃあうれしかったんです。
そうしたらさらに驚くことに、本にしてくださるというんです。わおー、わおーでございます。天に昇るというか、降りるというか。この年で生きとるだけでも幸せなのに、まあどうしましょう。
老いるとできないことは増えるし、心がふさぐ日もあります。でもね、嘆いてもしょうがない。私は自分を励ます名人になって、心をご機嫌にしておくんです。人を変えることはできませんが、自分のことは操作できますけえな。そんなおばあさんのひとり言を集めたような本でございます。あの世で夫も大笑いして読んでくれとることでしょう。
2022年も仲よしクラブのみんなと花見ができました。仲よしクラブは私が50代の頃に始めたの。自分ではあの頃と何も変わっちゃおらん気がしとるけど、4月29日で102歳になりました。できるだけ人に迷惑掛けずに自分でやれることをやっていきたいですね。
この前、布団に入ってふと、こんなに長う生きさせてもろうてありがたいねえと思いながら寝たん。もう一回、20歳になれって言われてもなりたくないですね。若いことに価値があるという考え方もあるかもしれんけど、私は年相応に生きさせてもらうのがいいなと思うとります。
毎日、あれやこれやと動いております。やるべきことをいくつもつくって、一つずつこなしていくの。そうやって自分を励ましたり、健康のバロメーターにしてみたり。
それが最近、冬布団の上げ下ろしがこたえるようになってきました。「これができるうちは大丈夫」と思うてやってきたんですが、年相応に体はガタついております。だから押し入れに収めるのはやめて、畳むだけにしたんです。このやり方もええですな。無理してけがしちゃいけんからなあ。
でもね、毎日の味噌汁は作れます。きょうも朝起きて、味噌汁の支度ができて、ええねとしみじみ思いよるん。自分でこしらえると感動的においしいの。できなくなったことを追わない、くよくよしない。できることをいとおしんで、自分を褒めて、まだまだやれるという自信に変えるんですね。
100歳を超えて介護ベッドで眠るようになったが、毎朝起きたら掛け布団を畳んで廊下にある押し入れに収めているという(写真:書籍『102歳、一人暮らし。』より)
「うらやましい」の心にふたをして、人を褒める
80歳を過ぎたあたりからかなあ、考えても仕方のないことを受け流すのがうまくなった。降参するのが早くなったんでございます。悪口言われても、この人は気の毒な人じゃなと思うし、自慢話ばかりする人も容認してあげるん。自分の「うらやましい、うらやましい」の心にふたをして人を褒めるんです。人は人、自分は自分。違っていて当たり前。私は元気で生きとるだけで上等と思えるようになりました。
気張らず飾らず、あるがままを受け入れる。自分を大きく見せんことです。煩悩やねたみといった、しんどいことは手放すに限ります。その代わり、うれしいこと、楽しいことは存分に味わうの。感情の足し算、引き算をうまいことやっていくしかありません。元気でいるためには、まずは「心」ですから。心が体を引っ張ってくれる。心がしんどくならんようにするんが大切じゃと思います。
生きとる間は楽しまんと損ですね。「ああ、おなかすいた」とか「ああ、ご飯がおいしい」とか。一つ一つ、大げさに声に出してその瞬間を喜びます。そんなことをしていると、一日なんてあっという間に過ぎてしまうんでございます。
最近はようやく自分をご機嫌にさせるこつをつかめた気がしとりますが、若い頃は悩みや葛藤を抱えて、そりゃあ、とがっとりました。人生の場数を踏み、いろんな感情に折り合いをつけながら心の角をなくし、人間が円くなっていったんでしょうな。そんな私が、自分らしくいるために大切にしていることをおさらいしてみます。
【哲代おばあちゃん流 私らしくいるための五カ条】
一、自分を丸ごと好きになる
二、自分のテンポを守る
三、ひとり時間も大切
四、口癖は「上等、上等」
五、何げないことをいとおしむ
いつもへらへら笑ろうて悩みもなさそうに見えるかも分からんですが、若い頃にはえっと(たくさん)えっと頭を打ってきたんです。
26歳で良英さんと結婚して石井の家に入ったけど、子どもを授からなんだのが一番です。
しゅうとは古武士みたいな人で美ノ郷村だった時代の村長でした。代々続く農家の嫁なわけですよ。子だくさんが当たり前の時代でしょう。子どもが持てんのなら、この家におるべきではないと自分では思っていました。
ばかにされる、という言葉が適切かどうかは分からんけど、何をするにも「あの家には子どもがおらんけん」と陰口を言われたくないという思いが強かった。負けん気っていうんかな。教員の仕事も炊事も田畑の仕事も一生懸命でした。勤め先の学校からも一目散に帰ってすぐ畑に出るんです。思い悩む暇をつくらんように、その日その日を忙しく働くことばかり考えとりました。
でもね、私には教員の仕事があったからずいぶん救われたんです。嫁という立場だけならこの家にはようおらなんだ。学校では子どもたちを存分にかわいがって、自分らしくいられました。子どもたちの親とも親しゅうなってね。自分が生きる場所がちゃんとあったから家でも頑張れたんかもしれません。
新聞チラシに載っている脳トレで漢字の書き取りをするのが日課。だいたい100点だという(写真:書籍『102歳、一人暮らし。』より)
痛い思い、切ない思いをして、ようやく行き着いた
まあ、良英さんは、仕事は真面目でほんと人から慕われとったんですけど、豪快で毎晩人を連れてきては大酒を飲むんでございます。自分の給料は人付き合いと飲み代に消えてしまうの。じゃから私が稼ぐしかなかったんかもしれんけどね、ふふふ。
仕事があるというんは、そういう意味でも自分の存在意義というんか、心を守ってくれました。
振り返れば、私もいじらしいです。義理の両親をみとって、教員を退職してから、ようやく肩の荷が下りた気がしました。それまでは隙をつくらないよう鎧を着けたようなものでしたから。
でも、それも無駄ではなかったと思います。痛い思い、切ない思いをしてようやく行き着いたのが今の私です。とがっとった過去の自分も嫌いじゃあない。あれも正真正銘の私です。丸ごと好きよと認めてやりたいです。
そうそう、良英さんが亡くなる前にこう言うてくれたの。「子どものことは気に病まんでもええ」って。嫁の私一人がしんどいと思うとったけれど、あの人も一緒に背負うてくれとったんかもしれん。あの最期の言葉のおかげで、心を切り替えることができました。しんどい時があったからこそ、肩が軽うなった今の暮らしが喜びに満ちてるんかもしれんなあ。自分で自分を褒めてやらんといけんです。
若い頃のようにちゃっちゃと動けんようになりました。畑に出るにしてもご飯の支度をするにしても、休憩を挟んでちょっとずつエンジンをかけるんです。きのうも昼ご飯を済ませて、さあ畑に出ようと思っていたのに、ようやく腰を上げたのは日が暮れようかという頃じゃったん。へへへ。台所の椅子に座ったまま何をするでもないんじゃけどなあ。自分のテンポってものがあるんです。
気の向くままでございます。
『102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方』(文藝春秋) クリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします
近所の人たちとおしゃべりしたり、仲よしクラブでわいわいやったりするのが好きなんですが、一人で過ごすのも必要な時間です。本を見たり新聞を読んだりしてね、あとは大方、ぼーっとしとるんですけどね。エンジンかけるための充電とでも言いましょうか。その時間がね、なけにゃいけんの。それが自分のテンポで動く力になっとります。
何ごとも、いいように受けとると気持ちが高揚しますね。102歳になると今まで通りにはできんことも増えてきました。でもできたことを喜ぶ。出来栄えは不細工でも「これで上等、上等」ってなもんです。
近所の人がよく顔を見せに来てくれる。健康で笑っておしゃべりして、畑にも行ける。特別なことのない毎日でも、まめで暮らさせてもらえる一日一日が自分にとっては上等です。
子どもたちが学校から帰る姿を見ると必ず「おかえり」と声を掛けるん。きょうも学校に行って一日勉強したんじゃなと思うとかわいくて。何げない風景に妙に見入ってしまう。
こうやって年を重ねると、残りどれだけ生きられるかなあって何となく思うんです。命には限りがありますもんね。だからなのかなあ。一つ一つが上等でいとおしい時間です。
2023年の抱負を書き初めする哲代さん。今年の目標は…(写真:書籍『102歳、一人暮らし。』より)
103歳、さあ、どう生きる?
さあ、2023年です。私も春には103歳。今年も絶好調でございます。
今年をどんなふうに生きたいかって? 高望みはいたしません。「無事」が一番です。何の変哲もない、平凡な毎日の中に喜びを見つけていきたいです。
残りの時間を考えると、この一瞬一瞬がとてもいとおしいの。じゃからね、もうちいと一人暮らしを頑張ります。最後に、「ああ、生きた。ええ人生じゃった」と思えるように。
どうか、皆さんも無事に過ごしてください。戦争のない平和な世界になりますように。どの国の子どもも安心して暮らせますように。おばあさんの心からの願いです。
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提供元:「開脚できる102歳」勇気をもらえる"その人生"|東洋経済オンライン