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2022.07.29

徳川家康、知られざる健康オタクぶりが凄すぎた|麦めしを好み、健康のために自ら薬を調合


徳川家康はどんな食事をしていたのでしょうか(写真:freehand/PIXTA)

徳川家康はどんな食事をしていたのでしょうか(写真:freehand/PIXTA)

歴史に名を刻む偉人たちはどんな食事をしていたのか。調べてみると、興味深い事実が次々と浮かび上がってきます。その中から、今回は江戸幕府の「将軍メシ」について、東洋経済オンラインで『近代日本を創造したリアリスト 大久保利通の正体』を連載中の真山知幸氏が解説します。

※本稿は真山氏の新著『偉人メシ伝 「天才」は何を食べて「成功」したのか?』から一部抜粋・再構成したものです。

『近代日本を創造したリアリスト 大久保利通の正体』 ※外部サイトに遷移します

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真夏でも温かいうどんを食べていた徳川家康

古代から日本の指導者は健康管理に気を配っていたようだ。江戸幕府を開いた初代征夷大将軍の徳川家康にいたっては「健康オタク」の域に達していた。

真夏でも温かいうどんを食べて胃腸を守り、届いた果物ですら、季節外れだと判断すると、自分は食べずに家臣に分け与えるという慎重ぶり。普段は粗食を心がけ麦めしばかりを好んで食べた。そのうえ、健康のため自ら薬の調合まで行っていたという。

晩年は鯛の揚げ物を食べて腹痛を起こしたことがあった。このときも家康は持病の「寸白(すばく)」(条虫などによる病)だと自己診断して、「万病円」という自家製の腹痛薬を飲み続けた。

ところが、これに対してドクターストップがかかる。侍医の片山宗哲は家康の腹のしこりを癪(さしこみ)と診立てて、「万病円の服用を少しお控えなさっては」と進言した。

だが、健康オタクほど信じる道を否定されることを嫌うもの。哀れ片山は家康から怒りを買い、信濃高島(長野県諏訪市)に配流されてしまう。その結果、家康はどんどんやせてゆき、ついに元和2年4月(1616年6月)に75年の生涯を閉じた。

最後は健康意識が高すぎるがゆえの弊害が出たが、慎重な家康だからこそ、約260年間にわたり天下泰平の世をもたらすことができたのだろう。

第11代将軍の徳川家斉も健康意識が高かった。古代の天皇たちと同じく乳製品を重視したという。

そもそも、牛や山羊などを飼育して乳や乳製品を生産する酪農は、日本のどこで始まったのか。北海道だと思われがちだが、意外にも、酪農のルーツは千葉県にある。

酪農を始めたとされる徳川吉宗

1728(享保14)年、8代将軍の徳川吉宗は、外国産馬を輸入する際にインド産の白牛も輸入した。3頭の白牛を嶺岡牧(現・千葉県南房総市・鴨川市)で飼育したことが、最初の酪農だとされている。

家斉が将軍になったころには、白牛は繁殖によって70頭にまで増加。この白牛に着目した家斉は、牛乳からチーズのような「白牛酪(はくぎゅうらく)」を製造することに成功している。

家斉はこの白牛酪がよほど好きだったらしく、大奥で働いている者たちや、本丸と西丸で働く管理職の全員に振る舞っている。健康によいものを探すのが好きな人は、他人にも勧めたがる傾向がある。このころも同じだったようだ。

家斉はそのほかにミョウガタケやミョウガノコなど1日も欠かさずミョウガを食べた。あの独特の爽やかな香りが好きだという人も多いはずだ。香りのもととなるのはαピネン。食欲や血行促進効果があるほか、集中力も増すといわれている。まさに「リーダー食」にぴったりな食材だ。

また、家斉が健康のために取っていた、極め付きのものがある。それは「オットセイの陰茎と睾丸(こうがん)を粉末にした漢方薬」だ。家斉が、この不気味な薬の服用を欠かさなかった理由はただ1つ。「精力をつけるため」である。

その効果もあってか、家斉は40〜50人の側室を持ち、50人以上の子どもを残しているのだから、すさまじい。家斉はこのオットセイの精力剤もやはり家臣たちに分け与えている。もらったほうも戸惑いそうだが、断るわけにもいかなかっただろう。

69歳で亡くなるまで実権を握った

「生涯現役」のシンボルのような家斉は、なかなか息子に将軍の座を譲らなかった。嫡男の家慶は45歳にして、ようやく将軍の座を家斉から引き継いでいる。家慶としても「ようやく退いてくれたか……」とほっとしたに違いない。

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ところが、家斉は将軍を退いた後も大御所として権勢を振るい、69歳で亡くなるまで実権を握り続けた。チーズやミョウガの効果か、家斉の在位は50年にも及び、歴代将軍最長となった。

ただし、世界に目を向ければ、そのように健康を意識して、食事に気を配るリーダーばかりではない。朝一から64皿食べたフランスのルイ14世や、処刑の前にもカツレツ5枚を食べたルイ16世、そして古くは1日で約1億円分食べたローマ皇帝アウルス・ウィテッリウスなど、大食漢の権力者も多くいる。

農政家の二宮金次郎はこんな言葉を残している。

「凡人は小欲なり。聖人は大欲なり」

大欲とは万民の衣食住を充足して、幸福にしようと欲することを指す。一時の快楽に身をゆだねる大食いのグルマンより、権力を握り続けようとする幕府の将軍たちのほうが、案外腹の底に「大欲」を持っていたのではないだろうか。

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提供元:徳川家康、知られざる健康オタクぶりが凄すぎた|東洋経済オンライン

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