2021.10.06
なぜか「失敗しても動揺しない人」のスゴイ考え方|人生は「偶然のゲーム」論理的に考えれば想定内
「ツイている」「ツイていない」と一喜一憂する必要はないようです(写真:metamorworks/iStock)
100万人がABEMAで視聴する麻雀プロリーグ「Mリーグ」の雀士・小林剛氏は、サイバーエージェントの藤田晋社長が「鋼のメンタル」と評するほどのメンタルの持ち主。「メンタルの強さは、“思考法”次第。どんなに繊細で、傷つきやすい人であっても、論理的なものの考え方を身につけることさえできれば、今この瞬間から心は強くなる」と言います。小林氏が上梓した『なぜロジカルな人はメンタルが強いのか? 現代最強雀士が教える確率思考』より一部抜粋・再構成してお届けします。
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人生は「偶然のゲーム」
私は麻雀プロの中でも「とくにメンタルが強い」と言われています。サイバーエージェント社長で、Mリーグ「渋谷ABEMAS」監督の藤田晋さんは、私のことを「鋼のメンタル」と評しました。強いか弱いかと問われれば、強いほうでしょう。自分でもそう思います。
しかし、本当に私のメンタルが強いのでしょうか? 何か少し悪いことが起こっただけで、「もうダメだ」と落ち込んで、投げやりになってしまう。そういう人が多い印象です。
それは麻雀プロの中でも、例外ではありません。麻雀は「いい偶然」と「悪い偶然」が起こり続けるゲームです。なのに、なぜか悪いことが起こると「あの一手で心が揺れてしまった」とか、そういう表現をする人がとても多いのです。
先日、ある企業で営業マンをやっている友人と昼にばったり会ったので、ランチを共にしました。ランチの間、彼は自分のスマホ画面を見ながら、「あー今日はツイてないなぁ、早めに切り上げて会社に戻ろう」とぼやきました。聞いてみると、取引先から少々ガッカリするメールが届いたとのこと。なぜ会社に戻るのか尋ねると、「こういう日は次に回っても、うまくいかないことが多いんだよね」と話していました。
反対に、いいことが続いた場合に、「今日はツイてるから、なんでもうまくいくぞ!」などと言う人もよく見かけます。こういう考えを、私は不思議だと思います。人生も、そして麻雀も「いいこと」と「悪いこと」が偶然起こり続けるゲームです。ゲームの構造をわかっていれば、何が起ころうとも、その後の判断や行動を変える必要はないのです。
麻雀プロのおそらく9割以上が、運・不運で感情を揺さぶられていると思います。感情が揺れて、いいことは1つもありません。強気で勝負すべきところで逃げてしまったり、逆に強気で行きすぎたりしてしまいます。冷静さを失っているとき、当人はなかなか気づきにくいものです。
メンタルが揺れてしまう原因としては、大きく2つあります。
・偶然起こった悪いことを、必要以上に気にしてしまうこと
・ミスをしてしまったとき、それを気にすること
たとえば、ひどく負けがこんでいて、それを取り戻そうとするあまり、無理をして傷を広げてしまう。反対に、大勝ちしていて気がゆるみ、足元をすくわれる。いずれもよくあることです。何かいつもと違うことが起こると、普段どおりにできなくなる人が大半ではないでしょうか?
「普段どおりにできない」とは、どういうことか。次の最適解を導き出せなかったり、選択できなくなってしまうことです。いつもなら、あなたなりの最適解を選ぶことができたでしょう。しかしメンタルが揺れてしまったせいで、強気になりすぎたり、弱気になりすぎたりして、いつもと違う選択をしてしまうのです。
また、単純に視野が狭くなって、正しい判断ができなくなる人も多いです。1つのことしか考えられなくなり、よりベターな他の可能性に気づかないで、チャンスを素通りしてしまう。メンタルが弱っているとき、緊張しているときこそ、そうした大事なものを見落としがちな気がします。そこからさらにミスを重ねてしまえば、さらに動揺してしまい、よりいっそう正しい判断ができなくなる。そんな悪循環に陥ってしまうのです。
「鋼のメンタル」と言われる私ですが、感情がまったく揺さぶられないわけではありません。でも、つねに最適解を選び続けているという自信はあります。それはメンタルの差というよりは、思考法の差だと、私は思うのです。
悪い結果を引きずるのは「論理的」ではない
いいことが偶然起こったときは「ツイている」、反対に悪いことが偶然起こったときは「ツイてない」と表現することがあります。たしかに、そういう局面が現れるのは事実です。人生も、そして麻雀も偶然のゲームなのですから。
ただ、よく考えてみてください。これらの「ツイている」「ツイていない」の評価は、過去に起こった偶然を評価しているにすぎません。この先、何が起こるかには、まったく影響しないのです。
「ツイている」=未来にも幸運な偶然が起こる
「ツイていない」=未来にも不幸な偶然が起こる
つまり、このようにはなりえないわけです。1つたとえ話をします。
中身の見えない袋の中に、白い石と黒い石が1枚ずつ入っています。ここから無作為に1枚だけ取り出します。ちなみに、白と黒が選ばれる確率はまったく同じです。これを戻して引くという作業を10回行ったとして、10回連続で黒が出たとしましょう。そのとき、次に黒が出る確率は何%でしょうか?
答えは当然50%です。黒の碁石が10回連続で選ばれる確率は、2分の1の10乗ですから非常にまれです。だからといって、次も黒が選ばれる確率は2分の1でしかありません。
「ギャンブラーの誤謬」に惑わされるな
ある事象が続いたとき、「次も同じ事象が続くのではないか?」と錯覚してしまう心理のことを、心理学の世界では「ギャンブラーの誤謬」といいます。そもそも「ツイている」「ツイていない」という現在進行形の表現がそもそもおかしいのです。過去のことなのですから、「ツイていた」「ツイていなかった」が正しいのではないでしょうか。
「ツイていた」からといって、次の結果がよいものになるとは限りません。同様に、「ツイてなかった」からといって、次も悪い結果になるとは限らないのです。未来の結果は、過去の結果とは関係ありません。独立した因果関係によって、未来に起こるべきことが一定の確率で起こるだけです。
ビジネスやプライベートでも、まったく同じことが言えます。今週の競合コンペで負けたからといって、来週のコンペで負ける確率が高まるわけではありません。同様に、今週のお見合いでフラれても、来週のお見合いでもフラれる確率が高まるわけではありません。
どちらも、今週と来週とでは別の因果関係で結果が出る、別のゲームだからです(ただし、意気消沈してあなたのパフォーマンスや魅力が下がることで、うまくいく確率が下がることもあるかもしれませんが、そもそも意気消沈する必要もありませんし、それはここでは考慮しません)。
私たちはつねに、一瞬一瞬でベストを尽くしていくしかないのです。
2つの道の分岐点に立ったとき、どちらを選択すべきか? その選択次第で、人生が大きく変わる。そういう場面は誰でも緊張しますし、身の引き締まる思いだと思います。
仕事やプライベートでも、こういう場面に出くわすことでしょう。転職や起業をするべきか、今の職場にとどまるべきか。重要なビジネスパートナーに、伝統と安心の大企業を選ぶのか。イノベーティブなベンチャー企業と組むのか。
世に名を残す優秀なビジネスマンや経営者は、多かれ少なかれこうした決断を果敢に行っています。「持ち帰って検討します」では、チャンスを失ってしまうかもしれません。
麻雀も人生も、決断と選択の連続です。運の要素もありますが、よりベストな選択をし続けた者が最終的には勝者になります。ですから、「リスクとリターンを天秤にかけて、より勝利に近づく確率の高い決断を繰り返していく」というのが、勝負事に対する真摯でロジカルな態度といえます。
たまに「安全牌がなくなり、対戦相手が待っているかもしれない牌を切るときって、不安ですか? どんな気持ちで決断しているのですか?」という質問を受けます。安全牌でないならば、振り込んでしまう確率は必ずあります。私はつねに「当たるかもしれない」と覚悟して勝負しているので、不安に思うことはありません。つまり、望ましくない事態であっても、想定の範囲内なのです。
たとえば天和(テンホー、最初の配牌がすでにアガリの形になっている役満)でアガられたとしても、そのことで大騒ぎしても仕方がないでしょう。麻雀とは構造上、そういうことが起こりうるゲームなのですから。
最悪の事態でも予定どおりに行動
手牌に、白と中の字牌が1つずつあったとします。場の状況的にどちらも簡単にそろいそうにないので、どちらかを捨てようとして迷った挙句、白を捨てたとしましょう。その直後にツモった牌が白だったら、あなたはどう思いますか? 一般的には「失敗した! 中を切ればよかった……」と後悔する人が多いでしょう。
でもこれはおかしな思考なのです。最初の白を捨てた時点で、「もし新たに白をツモってきたら捨てる」という次の手も、一定の確率で予定されます。再び白が来ることは想定内であり、同時に「白を捨てる」ことも予定どおりの行動といえます。想定された現象、予定された行動なのに、後悔したり動揺したりすることはまったくの無駄です。
一般社会でも、低確率であれ、考えられる悪い結果というものはあります。偶然それが起こったからといって、ショックを受けたり、いつまでもそれを引きずるのは得策ではありません。
どんなに認めたくない結果でも、それはあくまでも想定内です。どのような結果が起きようとも、それが起こったときに次にどうするか、これを事前にいくつも考えておきましょう。あとは予定どおりに淡々と行動するだけです。
麻雀という不確実なゲームは、人生やビジネスと同じで、たとえベストな判断をしても、結果的に悪い状況に進んでしまうこともありえます。そういう「ゲーム」だと受け入れて、冷静な判断をし続けていきたいものです。
ピンチに動じない思考訓練の方法
麻雀は確率のゲームなので、正解がわかりづらいところがあります。なので、「小林さんならどっちを切りますか?」などと尋ねられたときに「どっちでもいいよ」と答えることは結構あります。
アドバイスするときには、私は「こっちを切ったほうがよい」という答えを出すよりも、「どっちもありうるので、両方のよいところ悪いところを考えてみなさい」と促すようにしています。つまり、それぞれパターンで、根拠の説明を求めるのです。
このとき、考えうる限りの根拠を見つけるのがよいでしょう。メリットとデメリットの根拠をできるだけたくさん考え、両方ありうることを知ったうえでとったアクションならば、デメリットのほうの結果が現れたとしても、それは想定内なので動揺することはありません。
野球にたとえてみましょう。キャッチャーがピッチャーに対し、次に内角高めか、外角低めか、どちらのコースに投げさせるか迷ったとします。内角高めなら、長打のリスクを承知で三振を取りにいくのでしょう。外角低めなら、長打のリスクを避けつつも、ゴロでランナーが進むことは許容する、といった考え方になります。三振狙いで内角高めに投げさせて、長打を打たれたのなら、それは想定の範囲内です。
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メリットとデメリットを把握したうえで選択した配球で打たれたら、それはもう仕方ありません。嘆く必要は、まったくないのです(私は麻雀以外に詳しいものが少ないので、野球の例が多くなることをお許しください)。
渋川難波や勝又健志など、理論的な解説で人気のプロ雀士がいます。彼らは「こういうふうに考えて、こう打ったんですね」という説明の仕方をつねにしています。なぜこうした解説ができるかというと、彼らが常日頃から、打牌の選択肢すべてについてのメリット・デメリットを広く考えているからだと思います。
このように、考えうる選択肢すべてのメリット、デメリットを事前にいくつも考えておく作業は、ピンチにも動じない思考訓練になります。選択肢と根拠をたくさん持っていればいるほど、あなたは強くなれるでしょう。
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提供元:なぜか「失敗しても動揺しない人」のスゴイ考え方|東洋経済オンライン