2021.09.15
「スッキリ」を完璧に叶えてしまう「ある方法」とは|「発酵」は買わなきゃもれなくついてくるもの
勢い余って納豆まで家で作ってみた! ワラとビワの葉だけで立派に発酵して感動しきり。なんでも自分で作れるもんだな(写真:筆者提供)
疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第24回をお届けします。
「漬物」「味噌汁」が快便を支える理由
前回書いた「出す」自慢の記事が思いのほか好評で、ニヤニヤしながら「読みました!」と声をかけられること多数。なるほどウンコの話はみんな大好きなんですネ。私も大好き。というわけで調子に乗って第2弾であります。
稲垣えみ子氏による連載24回目です。
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最強の快便食は玄米と申し上げたが、さらにわが快便生活を支える重要なワキ役が、「漬物」そして「味噌汁」。すなわち発酵食である。
なぜ発酵食が快便を支えるのか?
発酵食品の中にはいわゆる「善玉菌」がたくさん住んでおりまして、それが腸内の善玉菌を増やして健康な消化を大いに助ける……ということらしい。昨今では、発酵食がいわゆる「免疫力」を強化することが注目されておりまして、コロナ騒ぎが勃発した頃、スーパーの棚から納豆が姿を消したことは記憶に新しいところであります。
ま、いずれにせよ一言でいえば「健康にいい」んである。ということで昨今はちょっとした発酵ブームになっておりまして、発酵博士とか、発酵食専門店とか、発酵カフェなども現れた。サプリより医者より薬より健康はまずは食事から! という考え方は私も大いに賛同するところで、発酵に注目が集まるのは誠に喜ばしいことであると心から思う。
だが。
今の私から見れば、この発酵というものが「商売のタネ」になっているということが、今ひとつ解せない。
といいますのも、今の私の日々の食卓は、紛れもなく「発酵食まみれ」でありまして、何しろ繰り返しになって恐縮だが毎食のおかずは漬物と味噌汁。漬物はもちろん発酵しておりますし、念のためですが味噌もわが国が誇る最強の発酵食品ですぞ。
これからの寒い季節は味噌汁に酒粕を入れるんだがこれも最強の発酵食品。そして晩酌には欠かせない熱燗も当然発酵食品であります。つまりは今やワタクシ発酵食でない食事を食べることなどほとんどない。となれば、どうやったって腸内環境はサイコーにならざるをえない。
ちなみにですね、自分の腸内環境が知りたければ、トイレを見れば一目瞭然である。水を勢いよく流しても便器にウンコがくっついてゴシゴシこすらなきゃ流れないとしたら、あなたの腸もそのようになっていると考えたほうがいい。
また排便後にクサイ匂いがするとしたら、それもあなたの腸の中がそのようにクサいガスが充満した状態になっていると考えたほうがいい。もちろん、私のトイレは何もこすらずともいつもピカピカであり、嫌な臭いもまったくなしであります! ってことで、ついにトイレブラシも手放してしまいました。
いやートイレブラシのいらない人生なんてものがあったんですよ! すごくないですか? それだけじゃない。ブラシがいらないほどの美しいウンコが常態化すると、今やトイレが「不浄」であるという感覚そのものもほとんどなくなってしまった。
この調子だと、もし将来刑務所に入って独房でむき出しのトイレとともに暮らすことになったとしても、惨めで暗い気持ちになることなんてまったくないんじゃないだろうかと妄想してみたり。いやー、ますます怖いものが世の中から消えていく私であります!
「買わない生活」=「発酵生活」
……いや、話が脇にそれた。
私が今回自慢したかったのは、トイレのことではない。
私が声を大にして言いたいのは、このような腸をピカピカにする食生活は、「買わない生活」によって簡単に手に入る、つまりはタダで手に入るということだ。
もちろん、お金を払って手に入れることもできるとは思うが、タダの方が圧倒的に有利である。お金を払うと、非常にややこしく、手間がかかり、持続可能性も低くなってしまうのだ。
どういうことか。
正確に言うと「買わない生活」を極めれば、結果的に発酵生活がもれなくついてくるんである……ということを、私は身をもって体験した。
狙ってそうなったわけではない。やってみたら、いつの間にかそうなっていたのだ。
で、そうなってみれば料理はめちゃくちゃ簡単だし美味しいし、まったく奇跡のように言うことなし。いやー人生って、健康って、幸せって、こんなにカンタンなことだったのか! と、今日も嬉しい驚きにグフフとほくそえまずにはいられないんである。
そう思い返せば、すべての始まりは、ただ「冷蔵庫をやめたこと」であった。
いやもちろん、「ただ」やめたなんていう簡単なもんじゃなかったっすよ! 原発事故を機にいろいろあってまさかのそんなことになっちゃったわけなんだが、いわば決死の覚悟と言いますか、そんなことして本当に生きていけるのかとドキドキしながら電源をエイと抜いてみたわけです。
で、どーするんだどーするんだどうやって毎日食べていけばいいんだ食材はどうやって保存すればいいんだとアタフタしていた私の眼の前に救世主のごとく現れたのが、「菌」でありました。
「ぬか床」は冷蔵庫のない時代の必需品
その存在に気づいたのは、ワラをも掴む思いで、冷蔵庫のない時代の食生活を調査研究して目ざとく発見したのである……っていうか、テレビの時代劇の貧乏長屋の食事シーンをじっと見ていてナルホドそうかと膝を打ったのだ。彼らのおかずは日々、汁と漬物。確かにこれなら冷蔵庫なんぞなくとも毎日ちゃっちゃと作れるし、ぬか床があれば食材の保存にもなる。
で、早速やってみた。そうしたら、いやーこれはめちゃくちゃよくできてる! と瞠目するばかりであった。
ぬか床があれば、余った食材をうまいこと回していけることに加え、非常に効率的なのだ。だって、使い切れなかった野菜の切れっ端はとりあえずぬか床にGO! すると翌日には立派な「ぬか漬け」というおかずに変身しているんである。取り出してカットするだけで一品完成! 冷蔵庫などという大層な装置の出る幕など一切なし! カンタン便利とはまったくこのことだ。
実を言えば、私はそれまでずっと、ぬか漬けとは、いわゆる「ていねいな暮らし」をする人の中でも、それを極めた、雑誌とかに登場するようなスーパーな人だけがやる崇高な台所仕事のように思っていた。
でも全然そういうことではなかったんである。それは冷蔵庫のない時代の、生きていくうえでなくてはならない、そして非常にうまくできた極めて実用的な食材の保存方法だったのだ。
要するにぬか漬けとは、自然の循環の仕組みをちゃっかりと利用することである。ぬか床という菌のおうちを作って「良い菌様」を飼いならし、余ったものは菌様に預けておく。するとその菌様が、食材を腐らせることなく、逆に美味しく調理までしてくださるのだ。まったく人生に欠かせぬバディとは菌様のことである。
で、このような良い菌様はもちろん、食べて人の体の中に入ってもちゃんと生きているわけで、その美しく勤勉な働きはどこにいようと変わらない。つまりは腸の中でも食べ物をキレイに分解してくださるのである。なので健康にも良いのは当然である。
つまりはですね、自然の循環とは実に「あんじょう」できているのだ。我らのご先祖様は試行錯誤を繰り返しながら、その自然の大いなる流れの中に、人も自然の一部として身を置いて生き延びる方法を編み出してきたんである。だからゴミも出ないし余計なエネルギーもいらないしお金もいらない、ただそこにぬか床があれば、すべてがくるくると循環していたのである。
「冷蔵庫」が人間と菌との付き合い方を変えた
ところがですね、冷蔵庫ってものが登場すると、我らは菌の力じゃなくて、エレクトリックパワーで食材を保存しようってことになったんですね。
良い菌を生かすんじゃなくて、菌全般をおしなべて凍えさせ動けなくなるようにしたのが冷蔵庫である。ぬか床とは真逆の発想ですな。かくして人は自然の循環から自らを切り離し、自然から超越した存在となった。
菌の世話をする(ぬか床をかき回す)なんていう面倒でクサイことから解放された人々は、ああよかったよかったと、かつてはどの家庭にだって当たり前に飼っていたバディたちを次々に家の中から追い出してしまった。そして気づけば、人はかつてのバディであった菌を腐敗の元として敵視し、菌と無縁にセーケツに暮らすようになったんである。
……っていう壮大なストーリーをですね、ぬか漬けを日々ボリボリ食べながら、ナルホド我らが「豊かさ」とは要するにそーいうことだったかと日々うなずいている私である。
で、これは人にとって良いことだったのか?
もちろん、良いこともあったろう。でも私は、このことの、つまりは人間が自然から超越した存在になったことで払わなきゃいけなかった代償も、実に実に大きかったと思う。
何しろかつての私もそうだけど、そもそも今や、漬物が菌の力でできてるなんてことを知っている人がどれほどいるだろう? ふと気づけば、本当の漬物なんてものはこの世の中からほぼ姿を消してしまった。
え、そんなことないって? スーパーに行けば山ほど売ってるよって? 確かに売ってますな。でも、試しに漬物が入ったビニール袋の裏の成分表示を見てほしい。そのほとんどに、驚くほど多くの添加物が入っていることに気づくであろう。一体何で? 漬物って保存食なのでは? つまりは塩さえあれば何も添加せずとも発酵の力で立派に完成するはずなのでは……? ナゾである。
つまりは、そのような商品は正確に言えば、本当の意味での漬物ではないのだ。さまざまな添加物によって、漬物風の味付けやら保存の処理やらがなされた何かなのだ。つまり、しっかりと発酵してないんである。
いや、わかりますよ。誰が悪いわけでもない。発酵は何しろ製造責任者が菌だから、人の思う通りに働いてくれるってわけにはいかない。短時間に安く大量生産なんてそうそうできないんである。
しかも今やスーパーだろうが家庭だろうが絶対に冷蔵庫ってものがあるわけで、別に漬物じゃなくても「漬物風」の何かでも、そこそこ日持ちするのだ。ならば本物の漬物なんて、別になくてもいいんじゃね?
……というのが現代社会なのであります。
「発酵の知恵」を捨てて、「発酵食品」を買う?
つまりは我らは便利社会を享受することによって、発酵という歴史的な知恵と、健康的な食事を、ほんの半世紀ほどで、身近な暮らしの中からあっさりと捨て去ってしまったのだ。
ってことで、発酵ってものが今や「商売」になっておるわけです。発酵は特別なもの、お金を出して買わなきゃ手に入らないものになってしまったというわけ。
いやーすごいね。これを一言で言えばマッチポンプってことになるのではないでしょうか。壮大すぎて誰もそのことに気づいてないけど、私はちゃんと気づいたよ!
何しろ「買わない生活」により、一人勝手に歴史を遡って暮らすことになってしまい、でもやってみたら、そこにそもそもすべてあったじゃん! ってことを身を持って知ってしまったわけですから、どうやったって気づかざるをえなかったんである。
もちろん、繰り返しますが、発酵食品が注目されているのはとても良いことだし、是非とも暮らしに発酵食を取り入れて、その素晴らしさを実感していただければと思う。先人の素晴らしい知恵と工夫を体感する大きなきっかけになるはずだ。
でももしできるなら、買ってくるだけじゃなくて、ちっちゃなぬか床のタッパーひとつでも家に備えてみてはどうだろうか。
さすれば、社会の進歩とは何か、便利とは、お金とは、健康とは何かということについて、つまりはこのどうにもがんじがらめになって閉塞感しかないような世の中が一体どうして出来上がってしまったのか、そしてどうやったらそこから抜け出せるのかということについて、案外突破口は身近なところになるのだということを知る、とてもよいきっかけになるのではないかと私は思うわけであります。
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提供元:「スッキリ」を完璧に叶えてしまう「ある方法」とは|東洋経済オンライン