2020.09.14
アベノミクス失敗の本質と新政権がすべきこと|元日銀審議委員の木内登英氏の語るポスト安倍
木内登英(きうち・たかひで)/1963年生まれ。1987年早稲田大学政治経済学部を卒業、同年野村総合研究所入社。一貫して経済調査畑を歩む。1990年野村総合研究所ドイツ(フランクフルト)、1996年野村総合研究所アメリカ(ニューヨーク)で欧米の経済分析を担当。2004年野村證券に転籍し、2007年経済調査部長。2012年7月~2017年7月、日本銀行政策委員会審議委員。現在、野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミスト。著書に『決定版 リブラ―世界を震撼させるデジタル通貨革命』(2019年、東洋経済新報社)、『金融政策の全論点』(2018年、東洋経済新報社)、『異次元緩和の真実』(2017年、日本経済新聞出版社)など著作多数。
9月14日、自民党総裁選が行われ、安倍晋三首相(自民党総裁)の後を継ぐ首相が決まる。2012年7月から2017年7月まで日本銀行審議委員を務め、アベノミクスをつぶさに見てきた野村総合研究所の木内登英・エグゼクティブ・エコノミストに、アベノミクスの評価と次期首相の経済政策における課題を聞いた。
――木内さんは2012年7月~2017年7月まで日本銀行審議委員で、たびたび黒田東彦総裁の提案に反対意見を述べていらっしゃいました。今、改めてアベノミクスを総括していただけますか。
アベノミクスに明確な政策効果はなかった。雇用を増やしたと言う人が多いが、雇用の回復は世界経済が長期に回復してきたことに支えられた。世界経済の回復によって金融市場もリスクテイクをする局面となり、円安株高が進み、それがまた経済に追い風になった。アベノミクスの経済政策で国内経済が大きく改善したとは言えない。多くの人が過大評価していると思う。
世界経済の回復による恩恵を長期に受けたことが長期政権を生んだといえる。2019年からすでに経済は減速しており、コロナショックがそこにぶつかった。このことが、政権を終わらせる底流にあったとも思う。
アベノミクスの3本の矢のうち、1番目の金融政策と2番目の財政政策は弊害が大きかった。3番目の成長戦略は本来やるべきことだったが、効果を出せなかった。
問題は「デフレ」ではなく「潜在成長率」
アベノミクスの特徴は「デフレ克服」を柱に据えたことで、これが間違いだった。真正デフレなら問題だが、日本のリーマンショック以降の物価下落は平均して0.2~0.3%とわずか。物価には統計上のゆがみがある。とくに家賃統計は住宅の劣化を考慮していないので、物価に下方バイアスがかかる。これを考慮すれば、実態として物価はほぼゼロだった。
「デフレ脱却」を政策の中心に据えたことで、「需要創出」が必要だということになり、日本銀行はインフレ率2%の目標を掲げて金融緩和を続けた。政策金利がゼロ金利制約にぶつかっている中で、国債を大量に買い続け532兆円、株も33兆円積み上げて日銀のバランスシートは膨張した。
金融政策の弊害は、今ではなくこれから出てくる。金利の引き上げが必要になったら、債務超過になるリスクがある。株価が下がった場合もそうだ。日銀が公的資金を受けるようなことになれば、独立性は失われ、通貨の安定を損なうことにつながる。金融機関の体力を必要以上に削いでいることも金融システム不安の引き金になりうる。最も大きな弊害は財政規律の弛緩だ。政府が安心して国債を発行できる環境を作ってしまった。そうした中で、将来世代へのツケ回しが続いた。
景気の良いときに財政健全化を行わず、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化は先送りになっている。財政政策はつねにやっていたわけではなく、赤字幅は縮小したという主張があるが、これは間違いだ。景気の悪いときには財政拡張が必要になるので、景気の良いときに財政健全化を進めておかないと、景気の1サイクルごとに財政が悪化していく。デフォルトしないから問題ないという意見があるが、デフォルトしないということは、誰かが必ず返し続けることを意味する。将来世代が使いたいときに使えない。
――結局、「デフレ脱却」もできないのに、こだわり続けました。
「デフレ脱却」という目標を設定したこと自体がずれていた。日本経済の問題点は経済の実力が落ちていること、すなわち潜在成長率が下がっていることだ。潜在成長率が落ちると、インフレ期待も下がってくる。やるべきことは構造改革を行って労働生産性を上げるという供給サイドの改革だった。成長率が高まるという期待が持てれば、企業は設備投資や賃金の引き上げを行うので、インフレ率も上がってくる。
アベノミクスでは大本である潜在成長率の引き上げを目標にせず、結果であるインフレ率のほうを目標に設定し、財政赤字を積み上げて将来に負の遺産を作ってしまった。そうすると、将来の成長に期待が持てず、民間需要が弱くなる。企業は必要なR&Dや設備投資をせず、最低限必要な能力増強しかしないので、イノベーションが落ちて労働装備率が下がり、労働生産性が落ちてくる。賃金も上げられない。経済の潜在力をより落とすことになってしまう。実際、日本の潜在成長率は下がり続けている。
つねに政治的で、「やってる感」だけに終始した
第3の矢の構造改革による成長戦略は潜在成長率の引き上げを狙ったものだが、ここでの問題点は、焦点が定まらなかったことだ。
構造改革は効果を出すまでに時間がかかるのに、必要なテーマに絞り込んでじっくり取り組むことをせずに、毎年毎年テーマを変えた。地方創生、働き方改革、教育改革と。経済政策の効果よりも政治的なウケを狙ったからだろう。これだけの長期政権であり、テーマを絞り込んでいればもう少し成果を出せたのではないか。
それぞれの政策においても、目標が定まらなかった。例えば、働き方改革で残業削減や同一労働同一賃金が掲げられた。これは働く人の環境改善や正社員と非正規の平等を目指すリベラルな政策だったのか、それともこれによって生産性を上げることを目標にする保守的な政策だったのか。両方からの政治的要求に対し「やっています」と言えるようにしていたため、企業からすると、何を目標にしているのかが見えなかった。
安倍政権の政策はつねに政治色が濃く、「やってる感」を出すことが優先された。経済政策だけではない。アグレッシブに次々政策を打ち出すが、いずれも効果の根付くものだったのか疑問だ。
グローバルにみても歴史的にみても潜在成長率が高ければ、賃金も上がり物価も上がる。物価だけ、賃金だけを政府が介入して引き上げようとするのは無理だ。成長期待が持てれば、企業の投資も増えて、賃金も上がって、結果的に物価も上がる。物価は経済の実力に見合ったものにしかならない。
デジタル化、一極集中の解消、サービスの生産性向上
――次期首相にはどのような政策を求めますか。
コロナショックの経験を将来に生かすことだ。コロナショックの経験が人々の意識に残っている間にやるべきことが3つ挙げられる。
第1に、デジタル化の推進だ。コロナショックでリモートワークなど個人がよりデジタルを使うようになっているので、ここで一気に加速させるべきだ。決済を担うe-バンキングは重要で、スマホ決済やデジタル通貨の機運が高まっている。日本銀行は中央銀行デジタル通貨の研究を進めるとしているが、中国への対抗上言っているだけにとどまっている。本気で公的なデジタル通貨を導入すれば、キャッシュレス化は大きく進む。
また、OECD(経済協力開発機構)各国の中で、日本が最下位にあるのが、e-ガバメントだ。クラウドの利用やe-ラーニングも遅れている。政府がデジタル化を進めていく必要がある。
第2に東京一極集中をどう緩和するか。足元で少し流入が減っているが一時的だと思う。今後とも人口密度高いと感染症の拡大リスクは高まる。かつては東京に集まることで効率がよくなるというメリットがあった。しかし、デジタル化が進めば、政府は東京に集中する必要もない。計画倒れになっていた省庁移転を進められる。
企業同士も近くにいる必要もない。また、よく知っている企業同士が組むという時代でもない。それでは、もう煮詰まってしまって知恵が出なくなっている面がある。フェースシールドの設計図を大学が公開して、企業がそれを作るという話があったが、ネット上で大学とつながるとか、知らない企業同士が結びつくという形でビジネスが成立している。
OECDの分析研究でも都市でいうと700万人までは効率が良くなるが、これが臨界で、それを超えると集中のデメリットが出て実質賃金が下がってくる。地方に埋もれているインフラ、土地、人材などを有効に使うことができれば、経済効率を高められるのではないか。
3つ目はサービス産業の生産性向上だ。コロナで大きな被害を受けたのは、小売り、飲食、観光関連、宿泊などで、長らく生産性が低いと指摘されていた業種だ。平均するとその生産性はアメリカの半分以下だ。日本はクオリティが高く、それが反映されていないという議論がよくあるが、その部分を調整しても、差は1、2割しか縮まらない。
今回のことで人々の消費行動が変わってしまい、感染リスクが下がっても100%元には戻らない。今年は持続化給付金、雇用調整助成金など政府が資金をつけざるをえないが、感染が収まった後も国民の税金で助け続けるのは非効率で、構造改革を進める必要がある。一部は業種の転換と雇用の転換が求められる。これを通じて、低かったサービス産業の生産性も改善されることになる。
労働生産性は、アメリカとのギャップを半分埋めると4.9%ポイント改善する。日本の労働生産性の上昇率はゼロに近づいているので貴重だ。今は、企業内のOJTやOff-JTなどの機会が減り、投資も少ない。労働者の教育、職業訓練などにお金を使っていく必要がある。
ただ、これは理想論で、従来の金融・財政政策を脱しきれない懸念もある。金融政策への期待は下がっているが、日銀に金利を低く抑えてもらうことで、財政拡張がしやすくなってしまっている。コロナ禍の下で、必要な財政出動はあるが、通常の60年の国債償還となると、コロナ問題を知らない後の世代にツケを回すことになる。今回のコロナ対応の緊急財政出動については、財源の償還を10年で行うといった工夫が必要だ。
FRBもECBも有効な手立てを失っている
――FRB(米連邦準備制度理事会)のパウエル議長は「ある期間の物価上昇率が平均して2%になればよい」という平均2%目標を新方針として打ち出しました。
私は物価目標にこだわるのはリスクが高いと思っているが、世界の中央銀行はインフレ期待の安定が重要だという意識が強い。アメリカは、PCEコアインフレ率(個人消費支出に関連するインフレ率)が平均で1.4%、CPIコアインフレ率(消費者物価指数のインフレ率)で1.6%とそれなりにあるので、FRBもまだ2%を達成したいし、できると思っているだろう。
ただ、そのための思い切った政策があるかといえば、最終的には方針を示すだけで、具体的な手段は出てこなかった。マイナス金利政策やイールドカーブコントロール政策など、いろいろ議論したけど、出てこなかったのは、有効な政策は残されていないということの表れだ。
ゼロ金利制約の下では物価の目標を変えないとどんどんインフレ期待が下がるという恐怖感がある。武器が限られている中で、2%を割り込むことは容認しないという意思を示した。ECBも似たような方針を示すのだろう。効果は薄いと思うのだが。
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