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2019.06.20

仕事相手を「怒らせてしまった」ときの処方箋|「怒りをなだめる」のは逆効果でしかない


相手を怒らせていないかと不安になってしまうのは、日本人独自の文化的背景が関係しています(写真:Audtakorn/PIXTA)

相手を怒らせていないかと不安になってしまうのは、日本人独自の文化的背景が関係しています(写真:Audtakorn/PIXTA)

臨床に携わる一方、TVやラジオ番組でのコメンテーターや映画評論、漫画分析など、さまざまな分野で活躍する精神科医・名越康文氏による連載「一生折れないビジネスメンタルのつくり方」。エンターテインメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボにより一部をお届けする。

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「相手を怒らせてしまわないか」という恐怖心や不安が、仕事の成果を妨げてしまうということはよくあります。

「このまま相手の感情がこじれて、交渉が決裂したらどうしよう」という不安のために、不利な条件で契約してしまった。あるいは、上司の説明がよく理解できなかったのに、「あまりしつこく確認して、上司の機嫌を損ねてしまったらどうしよう」と考えて確認を怠り、後になって大きな問題になってしまった、などなど。

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アルファポリスビジネス(運営:アルファポリス)の提供記事です ※外部サイトに遷移します

誰しも、似たような経験があるのではないでしょうか。本当だったら、相手を怒らせてしまうかもしれないリスクがあったとしても、ギリギリのところまで1歩踏み込んで交渉したり、よく話し合って条件をすり合わせたりしたほうがいいのに、「相手を怒らせたらどうしよう」という不安が先に立ってしまい、うやむやにしてしまう。

こうした、仕事の内実よりも、相手との情緒的なやりとりに重きを置く傾向は、日本人独特の文化的背景があると私は考えています。

相手の気持ちを「推し量る」のが日本文化

打ち合わせの途中で相手の表情が曇ったり、こちらの問いかけに相手が腕組みをして沈黙したりすると、私たちはほとんど自動的に相手の感情を推し量ろうとします。「知らないうちに、自分が空気を読まない言動をしてしまったのではないか」「相手の気に障ることを口にしてしまったのではないか」と相手の感情の動きを想像して、不安が頭をもたげます。

これは、私たち日本人にとってはかなり一般的なコミュニケーションのあり方ですが、おそらく、欧米のビジネスマンの視線から見れば、奇妙なものに映ることでしょう。というのも、打ち合わせの目的は「条件交渉」であって、相手と情緒的に「仲良くする」ことではないからです。

昔、病院の勤務医をしていた頃、そういう日本的コミュニケーションを十分に理解していなかった僕は、製薬会社のMR(医薬情報担当者)さんがなぜ、毎日のように医局に通ってきて、インスタントコーヒーを差し入れておられるのかが不思議で仕方ありませんでした。「この人はいったい、何をしにきているのだろう? そんなにコーヒーが好きなのかな?」と思っていたのです(笑)。

言うまでもないことですが、製薬会社のMRさんは、医者である僕に、薬を買ってもらう「営業」のために日参されていたわけです。インスタントコーヒーを差し入れるのも、雑談をするのもそのためです。

でも、当時の僕は、それが「営業」だということがなかなか理解できなかった。なぜなら「こういう薬が新しくできて、こういうときに使えて、おいくらで」という具体的な話をほとんどされなかったからです。

互いに要求を出し合ってすり合わせるだけであれば、内容だけなら10分もあれば済む話なのに、私たちは残りの50分を使って、互いの腹の探り合いをしたり、情緒的なやりとりをしようとする。

ビジネスの場において少し過剰なぐらい相手の感情を推し測り、情緒レベルでコミュニケーションしようとする。こうしたコミュニケーションの背景にあるのは、日本人の「上下」を中心とした人間関係の文化だと私は考えています。

「上下関係」がもたらすもの

ビジネスの交渉の場で相手が怒り始めると、私たちは動揺します。おそらく、プライベートの場面で友人が怒っているときよりもうろたえ、冷静に対応できなくなる人が多いのではないかと思います。それはなぜかといえば、ビジネスの現場における人間関係の多くが「上下」の関係にあるからです。

もしも「上下」ではなく「対等」の関係性であれば、相手が怒ったとしても、そう慌てる必要はありません。相手の言い分に耳を傾け、こちらに非があれば謝り、必要があれば穴埋めをする。しかし、ビジネスの現場で相手が怒り始めたときには、私たちはなかなかそんなふうに冷静に対応することができません。そこには無意識のうちに心の中に根付いた上下関係が影響しています。

日本の企業社会においてとくに顕著なことですが、会社の中であれ会社同士の付き合いであれ、私たちは非常に強い「上下」の関係性の中でコミュニケーションをしています。上司と部下の関係性は言うまでもなく、本来であれば対等であってもおかしくないはずの「店員」と「お客さん」の関係性も多くの場合、無意識のうちに「上下」の関係性になりがちです。

ではなぜ、上下の関係の中にいると、相手を怒らせることへの恐怖心が高まるのか。それは、上下の関係というのは往々にして「長期的な関係性」だからです。

学生時代の部活動で先輩=後輩の関係にあった人は、大人になってもその関係性を引きずることが多いようです。ビジネスの現場においても、私たちは(実際はどうあれ)目の前の相手との関係性(上下関係)が、これから先もずっと続くということを無意識のうちに感じ取っている。相手の怒りを買い、嫌われてしまうと将来までその悪影響が続くという固い信念が出来上がっているのです。

だからこそ、私たちは「目上の人」の怒りを買うことを恐れるのです。

日本の企業社会に「上下」の関係性が目立つのは、日本人がドメスティックな関係性、すなわち「家族」というものをほとんど無意識に人間関係の基本に置き、それをスライドさせてとらえているからだと考えられます。上司と部下、店員とお客さんの関係性は、親子の関係性がそのままスライドしている。これはほとんど無意識のうちに、いわば刷り込まれた関係性です。

相手を怒らせてしまったときに強い恐怖や不安が生じるのは、「この人と今後も長く(それこそ家族のように)付き合っていかなければいけない」と、無意識のうちに感じているからこそです。

日本の企業社会がいかにドメスティックかは、組織の構造をみてもよくわかります。例えば、日本企業のトップである「社長」と、欧米の企業のトップであるCEO(最高経営責任者、Chief Executive Officer)は、ニュアンスが大きく異なります。

欧米の企業では、会社の所有権(いわゆる「オーナー」ですね)は株主であって、CEOは株主に「雇われ」て経営のトップに立っているケースが多いと思います。簡単に言えばCEOというのは、株主の判断によって、いつでも「クビになる可能性がある存在」だということです。たとえ年間10億円の報酬をもらっていたとしても、CEOはいつでも解雇される可能性がある。

これに対して、日本企業の場合、一般的には「株主が社長をクビにする」という発想がありません。もちろん、日本の「社長」も、制度としてはクビになる可能性はあります。しかし、現実には、年齢などで社長が代替わりすることはあっても、よほどのことがない限り、社長は社長です。

子どもが成人しても、父親が父親として振る舞うのと似ています。日本の「社長」は、限りなく「お父さん」に近い存在なのです。

一般的には、欧米的な企業のあり方のほうが合理的で近代的だと考えられているきらいがありますが、僕はここで両者のどちらがよい、という話をするつもりはありません。世界の企業の中で100年以上続いている会社の多くは日本企業だという話もありますが、ドメスティックな関係性には、メリットもあると思います。

ただ、こうした企業のあり方がビジネスの人間関係を「上下」に固定化してしまい、「怒られる」ことへの恐怖心を生んでいることを知っておくことには意味があると思うのです。

相手が怒っていたら「ラッキー」

日本で仕事をしている以上、ある程度、相手の感情を推し量ったり、情緒的なコミュニケーションを行うことは必要です。情緒的な部分を完全になくしてビジネスの交渉を行うのは、日本では難しい。ただ、あまりにも情緒的なことばかりにとらわれていたら、仕事は前に進まなくなります。

僕は、もしも交渉の相手が「怒っている」ということに気づいたら、その時点で「ラッキー」だと自分に言い聞かせることにしています。最悪なのは、相手が怒っていたり不愉快に感じているのに、そのことに「気づかない」こと。そのほうが、問題は大きくなります。そういう意味では、自分の立場が「上」にあるときのほうが、相手の怒りに気づきにくいので、要注意だとも言えるでしょう。

いずれにしても、相手が「怒っている」ということがはっきりしたら、やるべきことは「失点を少しでも挽回しておく」ことです。そしてこのとき、大切なのは「失ったものをすべて取り戻そう!」とは考えないこと。失点を挽回するのはせいぜい15点、場合によっては5点程度でも十分なのです。

というのも、先程も述べたように、ビジネスのコミュニケーションにおける本題は「情緒のやりとり」ではなく、具体的な「条件交渉」だからです。こちらのミスで、相手の感情が80点から40点程度まで落ち込んでしまったとき、私たちは無意識のうちに元の80点、ことによると100点まで、相手の感情を回復させようと焦ってしまう。しかし、そんな必要はないし、相手もおそらくそこまでは求めていません。

もしも、自分のミスで相手の感情を40点ほどに落ち込ませてしまったとしたら、まずは「55点」ぐらいを目標に失点を挽回するように試みる。そこまで失点を挽回したら、条件交渉自体は不可能ではないはずです。

相手を「なだめよう」としてはいけない

では最後に、「相手が怒っているときに、具体的にどう対応をすればよいか」ということについても、述べておきましょう。

最初に覚えておいてほしいのは「相手の怒りをなだめようとしてはいけない」ということです。

そもそも「怒りをなだめる」というのは、簡単なことではありません。ましてや、怒らせた当人が相手の怒りをなだめるのは無理があるというのは、ちょっと考えれば誰にでも想像がつくことでしょう。

ところが、「相手を怒らせること」への恐怖心が強い人ほど、必死に相手の怒りをなだめようと右往左往します。その結果、さらに相手の怒りを買ってしまう、ということが起こります。

相手が怒ってしまったときの対応としていちばん大切なこと。それは「謝罪の定型」を守る、ということです。丁寧に頭を下げる。謝罪の言葉を述べる。相手が求めているものに耳を傾け、答えられることには答え、必要な行動をとる。これが、謝罪の定型です。

「嫌われたくない」という気持ちが強い人ほど、相手の感情に振り回されて、謝罪の定型を崩してしまいがちです。

怒っている相手というのは、「私の感情をなだめよ」というサインを出してきます。でも、それに引っ張られてしまうと、謝罪でいちばん大切な「謙虚で誠実な態度で対応する」ことができなくなってしまいます。きちんとした「所作」を守ること、それをきちんと、丁寧にやること。下手に「相手の気持ちを慮(おもんぱか)る」ことよりも、それはずっと大事なことなのです。

また、問題が長期化してしまったとき、あるいは謝罪の対応のタイミングを逸してしまったときには、相談できる相手が身近にいるということも大切です。すごくキレのいいアドバイスをもらえなくても構いません。とにかく常識的で落ち着いて話を理解してくれる人に、話を聞いてもらう。そうすると、自分が相手との情緒的な感情のやり取りにどの程度巻き込まれているかが自ずとわかってくるものです。

とくにこちらに非がある場合には、この作業は有益です。なぜならば相手とのやり取りを振り返るときに、ある一時点に集中することなく、その後の時間経過の中で、相手がどう感じてきているだろうかということを部分的にでも追体験でき、実のある謝罪につながることがあるからです。

長期化した場合にはここも重要なポイントです。相手はその瞬間の迷惑だけではなく、その感情的な思いをずっと抱えて生活してきた可能性があり、それに思いを致すことができるからです。

これも、相手を怒らせてしまったときに正しく対応するためには、大切なポイントだと思います。

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提供元:仕事相手を「怒らせてしまった」ときの処方箋|東洋経済オンライン

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