2024.07.20
「無趣味は不幸」と思う人は幸せな老後を送れない|認知症専門医が進言する「本当に幸せな老後」
老後の生活を幸せに過ごすためのポイントをご紹介します(写真:マハロ/PIXTA)
脳神経内科が専門の医学博士で、老人医療・認知症問題にも取り組む米山公啓氏による連載「健康寿命を延ばす『無理しない思考法』」。エンターテインメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボによりお届けする。
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長生きしても充実した人生とは思えない
私の診療所に通院している、とある高齢者の患者さんがよく言う口癖に、「こんなに長生きしてもねえ、何もいいことないですよ」というのがあります。
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90歳を過ぎて、1人で歩いて外来診療に来られており、そのこと自体、驚異的なことだと思うのですが、本人はそんな愚痴しかこぼさないのです。
この方以外にも、長生きしている方には愚痴が多く、「いやー、今日も充実した日ですね」と言う人はまずいません。
多くが、身体や家族の不満を私に漏らしていくのです。
医師として若くして亡くなった人をたくさん見てきました。そのため、90歳を過ぎて歩けることがどれほど素晴らしいか、実感を持ってわかるのですが、当人たちはなかなか自覚できないようです。
逆に言えば、これまで健康状態に大きな問題がなかったからこそ、現状に感謝をすることが難しいのかもしれません。
そう考えると、心身ともに健康で長生きするということは、なんとも難しいものに思えてきます。
何をしていいのかわからない
朝起きて、なんとも元気が出ない。そうして無理やり起き上がるも、ひざが痛くてたまらない。それでもなんとか起き上がってはみたが、別にやることもないので、しばらくぼんやりと庭を眺めている。
朝からいきいきと「今日何を楽しもうか」なんて考えられる高齢者はまずいないでしょう。多くの場合「今日は何をすればいいのだろう」、そこから毎日が始まるのです。
このように、生きる目的がはっきりしない高齢者の生活を見て、あなたはどう思うでしょうか。
おそらく、否定的に捉えてしまうでしょう。
しかし、「何をすればいいのかわからない」と考えられる余裕があるだけ、じつは幸福だとも言えます。
いくつかの病気を抱えた高齢者は、痛みで動けず、1人で外出することもできません。家にいるしかないということになります。
認知症が進行した患者さんなら、朝、デイサービスの迎えの車が来ます。それに乗って通所施設へ行き、あとはみんなと一緒に体を動かしたり、頭の体操をしたりしなければいけないのです。
つまり、「何をしていいのかわからない」という人は、選択の自由を持っているということです。
昼食を食べたくなければ、食べなくてもいい。いつ食べてもいいし、何を食べるか自分で決めていい。こうした選択の自由は、じつは非常に大切なものです。
介護を受けている人は、時間が来れば食事が出てくるので、食べないという選択肢がほとんどありません。
自分で毎日何もかも決めていかねばならないというのは、面倒に感じますが、最高の自由であり、非常に幸福なことなのです。
「趣味がない」=「孤独」ではない
「充実した老後」というのはよく耳にしますが、それらはすべて幻想です。メディアが作りだしたイメージです。
老後を迎え、現役時代にはできなかったたくさんの趣味に手を出して「充実した人生を送ってますよ」という人を、私はほとんど見たことがありません。
もちろん、趣味を楽しんでいる人もいるでしょう。しかしそれによって、本当に充実して満足した老後を過ごしているかといえばそうではないでしょう。無理しているだけかもしれません。
その一方で、「無趣味なので何をしていいのかわからない」という言い方をする人もいます。
ですが、むしろそのほうが自然でしょう。実際に、無趣味で何もしていない人のほうが多いのです。
あるいは、無趣味というほどではないにしても、趣味に入れ込むようなことはなく、ただ普通に日常を過ごしているだけという人がほとんどではないでしょうか。
つまり、趣味を楽しむわけでもなく、淡々と日常を生きているというのが、多くの人にとっての老後なのです。
趣味も持たない高齢者がたった1人で住んでいると、「それは孤独で寂しいことだ」と決めつけられてしまいがちです。
しかし、そんなこともないのです。何もしない1人の時間を自由に謳歌できる、逆にそれこそが充実した老後の人生の送り方なのです。
趣味などなくても、日々、普通に過ぎていきます。
周囲からやたらに「何か特別な趣味をしなさい」と言われても気にしないことです。
「認知症」の予防にいいこと
人は外に出かけて移動することで、新しい体験をしていきます。移動距離が長いほど幸福度が高いという研究もあるそうです。
しかし高齢になると、外出がおっくうになってきます。
身体的に大変だから出かけないということもあるでしょうが、それより出かける目的がないということもあります。
私の外来に通っている患者さんで、90歳を過ぎていますが、毎日炎天下であっても電動自転車ででかけている人がいます。
とくに出かける目的はないのですが、電動自転車に乗って移動することが楽しいし、生きがいのようです。
このように目的なく移動するというのはちょっと難しいかもしれませんが、意識的に移動を増やすのは簡単にできます。それなりに距離のある移動でなくとも、すぐそこまで程度のもの、たとえばコンビニに行くということだけでも、十分充実感を得ることができるでしょう。
とにかく歩く、移動する、これは認知症の予防になります。
それに加えて、移動することで新しい発見ができるものです。頭の中だけで考えているのと、実際に体験するのとではやはり大きく違います。こうした違いを、常に意識していくべきです。
高齢になってくれば、なんでもやったことがあるように感じてしまうものです。そして、行動する前に、その結果が見てしまうような気がしてしまうのです。
ですがこれは、非常に危険なことです。
まず動いてみる。これだけです。これができれば、高齢になっても、趣味がなくても、日常を楽しんでいけます。
いま住んでいる家を大切にする
ある高齢者の方の話です。その方は有料老人ホームに入っているのですが、食事がまずくてたまらないそうです。
通りの反対側にファミレスがあるのですが、そこに出かけて食事をとるには、外出の申請をしなければなりません。そのため、面倒なのでそこまではしたくないと言うのです。
このように、介護施設へ入所するとなると、ただ外に行くだけでも、いろいろな制約や周囲への気遣いが必要になります。
とはいえ、家族に負担をかけないで済む、生活をするうえでいろいろなサポートが受けられる、などのメリットがあります。また、新しい人間関係ができるかもしれません。
介護施設への入所が必ずしもダメというのではありません。
自分でできることは、最後まで自分でするように守ることです。それが、入所しても自由を手放さないための、最後の砦になります。
そのように自由を確保するために、老後において意識しておくべき重要なことが1つあります。
それは、自分の居場所の確保です。
つまり、いま住んでいる家を大切にするのです。
施設への入所だけでなく、子供との同居、二世帯住宅なども、結局うまくいかないことがあります。
何が起きてもいいように、可能な限り、いま住んでいる住環境を維持するように努力すべきです。
最後は1人で家に住むという自由だけあれば、老後は十分楽しめるのです。
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提供元:「無趣味は不幸」と思う人は幸せな老後を送れない|東洋経済オンライン