2023.07.05
"死亡事故"が警鐘を鳴らす「日本のサウナ」の未来|「より熱くより冷たい」を追求する現状の違和感
サウナブームでもありますが、過度な入浴法をしてしまうリスクについて考えなければなりません(写真:sasaki106/PIXTA)
2023年6月上旬に日本の某サウナ施設で、サウナ浴とともに水深の深い池での冷水浴を楽しんでいた客が溺死するという、痛ましい死亡事故がついに起こってしまった。
死因は究明中であるため、いわゆる水難事故だったのか、究極の温冷交代浴としてのサウナ浴が身体に異変を来した結果なのか、現時点ではまだわからない。
だが、この報を聞いて、「いつか、こういうことが起きてもおかしくなかった」と身につまされた人は、サウナ愛好家の中にも施設運営者の中にも、意外と少なくなかったのではないだろうか。
話題の新刊『「最新医学エビデンス」と「最高の入浴法」がいっきにわかる!究極の「サウナフルネス」世界最高の教科書』の日本語オリジナル版翻訳を手がけた、フィンランド在住のサウナ文化研究家・こばやし あやな氏が、日本人のサウナ浴の行き過ぎた「アトラクション化」に警鐘を鳴らすとともに、サウナ本場の国フィンランドでの先例(手本と反省点のどちらも)を示す。
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「度を超えた温冷交代浴」はリスク増大!?
正直に言えば、筆者も昨今の日本でのサウナブームを嬉しく思いながらも、日本人が日に日に「体験のエクストリームさ」を求めすぎるあまり、健康効果よりもリスクのほうが高い入浴法となってしまっていないか、心配になる面もあった。
現代の日本人の典型的なサウナ浴法は、まず熱々のサウナ室内でじっと耐え、我慢の限界がきたところでキンキンに冷えた水風呂へと身を沈め、締めに外気浴で「ととのう」という、究極の温冷交代浴法だ。
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「この温度差が極端なほど気持ちよくなれる……」と信じている人も少なくないようで、施設側もそのニーズに応え、より熱いサウナ室とより冷えた水風呂を提供しようと躍起になる傾向が依然としてあるようだ。
確かに、激しい温冷交代浴で得られる快感はより大きく魅惑的なのかもしれない。
だが、誰もが薄々気づいているように、それは薬物依存症者が快感に慣れてはより強い快感を求めてしまう現象と変わらないのだ。
実際のところ、医学的には「(適度な)温冷交代浴」が身体によいのか、リスクのほうが大きいのか……という検証すら、まだ十分になされていないという。
新刊『究極の「サウナフルネス」世界最高の教科書』で医学監修を務めた、サウナ医学の権威であるヤリ・ラウッカネン教授によれば、「サウナ浴の熱刺激」と「冷浴の冷刺激」のそれぞれが単独で、健全な人の身体にさらにプラスの効果をもたらすことは、ある程度、医学的根拠を示せる。
しかし、それぞれ何度くらいの温度帯で最も健康学的な効果があるか、どこまで行くと危険かについては、検証不十分だし、双方を間髪入れず行き来する行為の健康効果とリスクについても、信頼できる研究結果はまだ存在しないそうだ。
科学的根拠が不十分だからこそ、我慢や限界への挑戦に走れば、リスクの可能性もつきまとうことを誰しもつねに心に留めておくべきだ、と同書でも注意を喚起する。
「フィンランド人は、たいしてはしゃいでいない」
以前の記事「『水風呂にこだわる"サウナ好き"』の超残念な盲点」でも触れたように、フィンランド人は、激しい温冷交代浴による刺激ではなく、サウナ浴での蒸気のもたらすリラクセーションや、じんわりと身に染みる快感のほうを大事にする。
「『水風呂にこだわる"サウナ好き"』の超残念な盲点」 ※外部サイトに遷移します
だからこそ、サウナ室内もあまり高温にはしないし、サウナ浴直後の水風呂(冷水浴)もマストではない。外気で穏やかにクールダウンができれば十分と考えている。
本場フィランドでは、水風呂よりも外気浴を重視する(写真提供:こばやし あやなさん)
一方で、もちろん、真冬の凍った海や湖に穴を開けて入水する究極的なアイスホールスイミング「アヴァント」もメジャーな娯楽・健康法だ。
ただ、筆者が現地で日常的に彼らの冷水浴のスタイルを見ていて、「決定的に日本人のそれと違うな」と感じることがあるのだ。
それは、「フィンランド人はサウナ浴(や冷水浴)の間に、たいしてはしゃいでいない」ことだ。
本場フィランドのサウナでは、日本のように「騒いでいる人」が少ない(写真提供:こばやし あやなさん)
たとえば、日本の強冷水風呂をウリにした施設や自然の清流などに身を沈めるとき、多くの日本人が雄叫びを上げ、必要以上に全身をバタつかせ、冷水から逃げるように駆け出していくのを見かける。
とりわけ、大自然の中で楽しむテントサウナなどのアウトドア・サウナでは、出口を飛び出した瞬間、つい開放感からハイになり、絶叫しながら一目散に水流の中に疾走したり、施設の水風呂では絶対にやらないダイブをしてしまう人が多いのではないか。
「凍った湖」でも動じないフィンランド人
他方、フィンランドの湖畔サウナやアヴァントでは、とにかく皆「淡々と」入水していくのだ。
真冬の凍った湖へと伸びる桟橋や階段でさえ、無言でてくてく歩いてするっと入水し、叫び声ひとつあげず数十秒じっと身を沈めたりひと泳ぎしたりして、再び涼しい顔で陸に上がってゆっくりベンチに腰を下ろす。
日本からやってきた筆者の知人は、あまりに淡々と続くフィンランド人たちの冷水浴の光景を見て、「まるで荷物がベルトコンベアで運ばれているようだ」と逆に驚嘆していた。
これは、「冷水浴の際に興奮状態に陥ると、かえって危険だ」ということを、フィンランド人が経験的に理解しているからこそのふるまいだ。
身体がいきなり冷却されると、一時的には呼吸や心拍数が上がって血圧も上昇する。
だが、その刺激的な環境下でも決してハイやパニックにならず、心身を落ち着けて水中にとどまることができれば、呼吸や心拍さえも落ち着きはじめるものなのだ。
そもそもフィンランドの湖は、水際でも水深2メートル以上の場所も珍しくないため、学校の水泳の授業では、早くから足のつかない水深のプールでの訓練を受ける。その特殊環境に慣れるうち、過度にはしゃぐことの危険性も自然と身につく。
また、泳ぎや冷水浴が苦手な人は、決して無理はしない。フィンランド・サウナから湖へと続く桟橋には、必ずはしごや階段が固定されており、すぐにそれを握れる距離で軽く入水する限りは、溺れることもない。
フィランドでは、湖へと続く桟橋には、はしごや階段が固定されている(写真提供:こばやし あやなさん)
自信がない人や子どもは、単独で入水しないことを徹底することで、万が一の事故を防ぐべきだと教えられる。
水辺の公衆サウナでも、監視員が常駐しているとは限らないので、いざというときの共助の精神や、そのための心身の余裕が不可欠なのだ。
「身体や自然を過信しない」ための判断力
じつは、普段はさほどサウナでハメを外すこともないフィンランド人でも、明らかに気が緩んだせいで重大な事故を招くタイミングが存在する。特に悪名高いのが、6月下旬の「夏至前夜祭」の夜だ。
最も日照時間が長くなるこの日は、長く暗い冬を越さねばならない北欧フィンランドに暮らす人々にとって、一年のハイライトとも言うべき一夜だ。
ところが、つい浮かれて普段以上に飲んだ状態でサウナと湖を往復したり、船で湖上に繰り出したりして、全国的に水難事故の件数が跳ね上がる一夜でもあるのだ。
警察情報では、この日を筆頭に、年間で100〜150人のフィンランド人が水難事故(おもにモーターボートからの転落)で溺死しているそうだ。ちょっとした気の緩みが重大な事故につながるのは、サウナでも同じだろう。
極端な温冷交代浴にせよ、大自然の「天然の水風呂」への入水にせよ、結局のところ「過信をしない」謙虚な自己判断力こそが、最も重要だと言えるだろう。
すなわち、前者の敵は自分自身の健康状態に対する過信であり、後者の敵は、大自然の脅威に対する過信だ。
『究極の「サウナフルネス」世界最高の教科書』内で、著者のカリタ・ハルユ氏は何度も繰り返し、「サウナとは自分の身体の声に耳を傾けるための場所」だと主張している。
サウナも冷水も、決して「アトラクション」ではない
サウナも冷水も、決して「アトラクション」ではない。
より強い快感を求めたくなる衝動、大自然がもたらす開放感、周りではしゃぐ仲間たち……そういった外部の刺激や誘惑に流されず、冷静に心身の状態を分析してリスクヘッジを行い、自分自身に合った楽しみ方で心穏やかにリラックスする。サウナとは、本来そういう場所なのだ。
逆に言えば、個々人が冷静な判断力を保ちながら謙虚に楽しむ、成熟した土壌さえできれば、過度に「禁止ルール」を増設する必要性もないはずだ。
今回の初のサウナ水難事故を受けて、日本では今後ますますサウナについての法制度やルールに関する議論が盛んになり、これまでの楽しみ方を抑圧する禁止事項も増えてくるのかもしれない。
だが、まずは施設側と愛好家それぞれが正しい判断力で現状の改善に取り組み、自発的にリスクを回避・低減していく姿勢のほうが、サウナ本来の魅力を未来へつなぐために大事なことだと、筆者は強く感じている。
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提供元:"死亡事故"が警鐘を鳴らす「日本のサウナ」の未来|東洋経済オンライン