2023.05.12
妻の認知症に気づけなかった刑事の深い後悔|家事をテキパキとこなしていた妻に起きた異変
(写真:msv/PIXTA)
「認知症は自分の家族にはまだ関係ない」と感じていても、ある日突然やってくることがあります。いきなり介護をすることになって戸惑わないために、事前に備えておくことが重要です。理学療法士の川畑智さんが認知症ケアの現場で経験したエピソードをまとめた『さようならがくるまえに 認知症ケアの現場から』より、一部抜粋してお届けします。
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靴が雨に濡れたから
優しい人ほど、責任感が強い人ほど、大切な家族が認知症になったときに自分を責めてしまう。認知症になる前にもっとこう接していたら、なんであのときあんなことを言ってしまったのだろう、そんな後悔をする人がなんと多いことか。
福岡県警の捜査一課に所属する佐久間さんは、もうすぐ定年を迎えるが、未だに張り込みをする現場主義の刑事だった。同い年の妻・聡美さんは、朝から晩まで仕事に奔走し、ほとんど家にいない佐久間さんに対して、愚痴一つこぼすことなく、ずっと寄り添ってきた優しい妻である。旦那のあとを妻が二、三歩下がってついていく、そんな二人であった。
明日から12月という、寒さも忙しさも徐々に増してくる頃だった。
今夜もいつものごとく帰りが遅くなってしまったのだが、それに加えて朝からずっと降り続いた雨のせいで、革靴がびしょ濡れになってしまった。濡れると足枷のように重たくなる革靴。慎ましやかな生活をしている佐久間家に替えの靴などあるはずもない。一刻も早く乾かしたい、と佐久間さんは家路を急いだ。
インターホンを押すと、聡美さんが出迎えてくれた。
「お帰りなさい、あなた。雨の中お仕事大変だったでしょう」と、帰宅した佐久間さんに労いの言葉をかけることが、聡美さんにとっての日課になっていた。
「今日の雨は本当にまいったよ。悪いけど革靴を乾かしておいてくれないか。俺は風呂に入ってくるから」と言い残して、佐久間さんは風呂場に直行した。大雨の中、無事に帰って来ることができてホッとしているのだろう。
しかし、そんな佐久間さんとは対照的に、聡美さんはなかなかその場から動くことができなかった。
お風呂から上がった佐久間さんは、寝る前にニュースを見ようと居間に向かったが、玄関を通りかかったとき、ふと違和感を感じた。何かおかしい。刑事の勘とでも言うのだろうか。
玄関をしばし眺めると、そこにあるべきはずの革靴が消えていることに気づいた。いつもなら革靴に新聞紙が詰め込まれているのに、今夜は玄関のどこを探しても見当たらなかった。ドライヤーは洗面所に置かれたままであったし、一体革靴をどうやって乾かしているのだろう。
結婚してからというもの、すべての家事をテキパキとこなしていた聡美さんに、何か異変が起きているのではないだろうか、佐久間さんはこのとき初めて、そんなえも言われぬ不安を抱いたのだった。
食器乾燥機の中に革靴
まだ寝ずに居間にいた聡美さんに、「ねえ、革靴はどこにあるんだい?」と、佐久間さんはなるべく自分の心の動揺を悟られないように、優しく話しかけた。「あら、心配しなくても、大丈夫ですよ。あそこで乾かしていますからね」と、聡美さんが指さした方向は、どういうわけか台所だった。
そして、そちらに視線を向けた佐久間さんは、目に映った光景に言葉を失ってしまった。なぜなら食器乾燥機の中に、革靴が放り込まれていたからだ。
「川畑さん、聡美はまだ60歳を過ぎたばかりなんです。やはり若年性認知症なんでしょうか」と、佐久間さんは先程起きた出来事の顚末を一通り話し終えた。夜遅くに泣きそうな声で連絡してきたので、私はびっくりしてしまった。
佐久間さんは「俺が、仕事に明け暮れて家にいなかったから、それがストレスで認知症になってしまったのでしょうか。愚痴を言わなかったから、てっきり大丈夫だと思っていたけど、言わなかったんじゃなくて、言いたくても言えなかったのでしょうか?」と、頭に思い浮かんだ言葉を矢継ぎ早にぶつけてきた。
「聡美が認知症になったのは、全部俺のせいだ。どうして、もっと話を聞かなかったんだろう」と、電話越しでもひどく落ち込んでいる様子が伝わってきた。
「もちろん、ストレスが認知症を進める一因になることはありますが、ただそれだけで認知症になるわけではありません。今回のケースも、奥さんは手段こそ間違えてしまいましたが、乾かすということは理解できているんです。おそらく奥さんは認知症の兆候が出ているかと思いますが、今は一生懸命頑張っていらっしゃるんですよ。佐久間さんが、そんな奥さんに対して取るべき行動は、たった一つです」と、その後に続いた私の言葉を聞いて、電話の向こうで佐久間さんがハッとしたのがわかった。
電話を切った佐久間さんはすぐに寝室に向かい、「聡美、靴を乾かしてくれて、ありがとうな」と、今にも眠りそうな聡美さんにお礼の言葉を伝えた。
「なんですか? 改まって。お安いご用ですよ」と、にっこり微笑む聡美さんの顔を見て、佐久間さんは涙がこぼれ落ちそうになるのを必死に堪えた。そこから聡美さんの症状は徐々に進行した。
グループホームへ入れる決心
しばらくして警察を定年退職した佐久間さんは、つきっきりで聡美さんの面倒をみた。何をするにも、どこへ行くのも一緒。それは、まるでこれまでの結婚生活で、聡美さんを放ったらかしにしていたことに対する贖罪であるかのようだった。
認知症という未知の世界へ、聡美さんを一人で飛び出させてしまったことをとても後悔した佐久間さんは、その穴埋めをするために懸命に介護した。
けれど、やはり限界はくる。洋服を着てくれない、お風呂に入ってくれない、もう佐久間さん一人の力ではどうにもならない状況にまでなってしまった。
そして佐久間さんは、ついに聡美さんをグループホームへ入れることを決めた。
数カ月後、私は佐久間さんを訪ねた。
「聡美がね、怒るんですよ。どうして私を監視するの、どうして私の自由にさせてくれないのって。あんなに優しかった聡美が、俺がそばにいるとずっと怒っているんです。俺は、本当はグループホームになんて入れたくなかった。ただ笑っていてほしいだけだった。俺はもう聡美に嫌われてしまったんでしょうか」と、佐久間さんはこの数ヶ月で起きたことを話してくれた。
グループホームでの聡美さんの様子は、私の耳にも入っていた。
「佐久間さん、グループホームでの奥さんの口癖をご存知ですか?」と尋ねると、佐久間さんは首を横に振った。
「お父さんがいない、私を置いてどこに行ったんだろう? と言いながら、奥さんは佐久間さんのことをずっと探しているんです。だからね、奥さんが佐久間さんのことを嫌うなんてことはないですよ」と伝えると、佐久間さんはその場で泣き崩れてしまった。
自分を責め続けていた立場からの転換
その後、佐久間さんは、福岡県の認知症家族の会の役員になった。
妻の認知症に気づけなかった自分の不甲斐なさを責め続けたが、それでは何も変わらないということを、佐久間さんはとっくに理解していた。
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もう誰にも自分のような後悔をしてほしくない、自分の体験を無駄にはしたくない、そのような思いで、自分たち夫婦のことを講演会で話すようになった。
当事者としてとことん向き合ってきたからこそ、自分には伝える役目があるのだという自負を持った佐久間さん。自分を責め続けていた立場から、今度は同じ悩みを持つ方を励ます側へ180度変わったのだ。
聡美さんが若年性認知症を発症してしまったことは、二人にとっては確かに辛く悲しい出来事である。けれど、そのことが佐久間さんに、第二の人生を切り拓いてくれたこともまた、紛れもない事実なのである。
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提供元:妻の認知症に気づけなかった刑事の深い後悔|東洋経済オンライン