2023.04.12
「病は気から」は、癌という病でも当てはまるのか|「落ち込む→免疫力低下→病気が進む」の真偽
「病は気から」とよくいいます。これはがんでも当てはまるのでしょうか。(写真:nonpii/PIXTA)
病気になる。しかも、それががんのような重い病気だったとしたら――。病気や治療に対する不安な気持ちや、うつうつとしたやりきれなさを抱える、そんながん患者に寄り添ってくれるのが、精神腫瘍医という存在です。
これまで4000人を超えるがん患者や家族と向き合ってきたがんと心の専門家が、“病気やがんと向き合う心の作り方”を教えます。今回のテーマは「がんにおける“病は気から”の真偽」です。
私の外来に、進行した胃がんの治療を受けている梶原由美子さん(仮名、 57歳)と、夫の昇さん(同、54歳)がいらっしゃいました。3カ月前に病気がわかり、深刻な病状であることを伝えられたそうです。そして、これから先のことを考えると、今はご夫妻ともに暗澹たる気持ちだと述べられました。
がんになると5人に1人ぐらいの方がうつ状態になるというデータもあるので、私は「病気がわかった後、気持ちが沈み込むことは無理もないこと」だとお伝えしました。
しかし、由美子さんの固い表情は変わらず、次のように言葉を続けました。
「でも先生、気持ちが沈んでいると免疫力が下がって、病気が進行しちゃうでしょ。夫も、『そんなに落ち込んでいたらだめだよ。由美子さんは病気が喜んじゃうことをしてしまっているよ」なんていつも言うんです。なので、前向きにならなきゃ、気持ちを切り替えなきゃって自分に言い聞かせるんですが、なかなかそうはならない。そして、ますます焦ってしまうんです」
昇さんも次のように言います。
「毎日、いっしょに頑張ろうって励ましているんですが、なかなか妻の気持ちは変わりません。それで、専門の先生に相談しようと妻に提案して、こちらに伺ったのです」
研究から導き出された結果は?
昔から「病は気から」という言葉があります。多くの方がこの言葉を信じ、病気に打ち勝つためには、気持ちを前向きに強く持っていなければならないと思われています。
しかし、この「病は気から」という考え方は、がんという病気にはあてはまるのでしょうか?
私が専門とするサイコオンコロジー(精神腫瘍学)という分野は、がんと心の関係について扱うもので、世界中でさまざまな研究が行われています。“がんに罹患すると、心がどう変化するのか”という研究が多いのですが、そのほかにもさまざまなテーマがあり、20~30年ぐらい前には、「がんにおける『病は気から』の真偽」について、関心が持たれていました。
心の状態ががんの発症や、がんの進行などに影響を与えるのか否か、という疑問について活発に議論されていたのです。
東北大学の中谷直樹先生はこのテーマの第一人者で、20年ほど前に国立がんセンターで机を隣に並べて研究をしていた、長年の友人です。
当時の彼は、日本人の大規模かつ精密なデータベースを用いて、うつ状態の人のがんは進行しやすいか(*1)、神経質な人はがんが進行しやすいか、がんになりやすいか(*2)、という疑問を解決すべく、日夜研究に励んでおられました。
発症や進行に関連は認めない
中谷先生が手掛けていた研究は、いずれも国際的に高く評価される質の高いものでしたが、その結果は「心の在り方と、がんの発症やがんの進行との間に関連は認めない」というものでした。
当時海外でも、サポートグループなどケアを受けるとがんの進行を遅らせることができるか、というテーマに興味が持たれていました。これも、「心のケアを受けることでつらさは和らぐが、がんの進行とは関連しない」という結果が得られています(*3)。
本稿を書くにあたって、がんの「病は気から」について、あらためて中谷先生に尋ねてみたら、次のように教えてくれました。
「今までの多くの研究を振り返っていえることは、気持ちが落ち込んでいることでがんが進行するのではないかということについては、心配しなくても大丈夫だと考えられています」
「多くの研究をメタ分析という方法で検討すると、わずかな関連は認めるかもしれません。ただそれは、落ち込んでいて、必要な治療を受けなくなってしまうことや、好ましくない生活習慣が続くことなどの行動を介して、影響が生じている可能性があるようです。なので、無理に前向きにならなくて大丈夫ですよ」
世界中の研究者も、中谷先生が言うような結論が出たと考えているためか、このような研究を最近は目にしなくなりました。中谷先生の言う“好ましくない生活習慣”に関しても、がんの場合はそれほど神経質になる必要はなく、よっぽど極端なことがなければ大丈夫だと考えています。
最近では、笑っていると免疫力が上がる(ナチュラルキラー細胞が増える)といった研究結果を取り上げる記事を、ときどき目にします。しかし、細胞レベルの変化の研究結果は再現性が保たれているのか?(つまり、たまたまだったのではないか?)という疑問が残ります。
たとえ本当に細胞レベルではそうだとしても、それをもってして笑っていることが大切だというのは、論理的な飛躍があります。がんの進行といった大勢に影響を与えるようなものではないからです。
診察場面に戻ります。私は梶原さんご夫妻に次のように声をかけました。
「落ち込んでいること自体も苦痛を伴いますが、梶原さんは気持ちの落ち込みががんの進行をもたらすのではないかと心配され、二重の苦しみを感じてらっしゃるのですね。しかし、そのことは心配しなくて大丈夫ですよ」
そして、これは過去のさまざまな科学的な研究から導き出された結論であることを、詳しく説明しました。私の説明を聞いたお二人ですが、最初は拍子抜けしたような顔をされ、その後に安心した様子が表情から見て取れました。
さらに私は言葉を続けました。
「がんは梶原さんの心に大きな喪失体験をもたらしたと思います。今まで思い描いていた未来の見通しが、がんに罹患したことで大きく形を変えてしまったように感じているとしたら、悲しんだり怒ったり、落ち込んだり、負の感情が生じることは当たり前のことです」
「ただ、これらの感情は悪いものではありません。なぜなら負の感情は心の傷をいやす働きがあるのです。悲しくもないのに無理に泣く必要はないですが、負の感情が湧いてきているのにそれを押し込めるのは心に負担が生じます」
悲しみも前を向くためのプロセス
つらいときに、心の感じるままに負の感情を表して、泣いたり、怒りの感情を話せたりする場があるのは、とても大切なことです。そして、心がおもむくままに過ごしているうちに、だんだんと「起きてしまったことはしょうがない」という考えが浮かんできます。
これは、気持ちが“その出来事を受け止められるようになった”サインです。そうすると、自然と前を向こうという気持ちが出てくるものです。
ですので、悲しみや怒りは前を向くための大切なプロセスの1つだと思ったほうがいい、という話をしました。
昇さんは由美子さんに「今まで無理に励まして悪かったね。これからはグチを言ったり、泣いたりしてもいいからね」と声をかけ、由美子さんはほっとしたのか、笑顔をみせながら涙を流していました(「がんと告げられたら」心を守るために大切な事)。
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今回書いたように、がんの場合は「病は気から」という考え方は当てはまらない、ということを講演などで話すと、みなさん驚いた顔をされます。
そして多くの方が、「落ち込んだら病気に負けちゃうから前を向きなさい」といった言葉を周囲の人からかけられて苦しかった、ということを話してくれます。
よかれと思って励ます人を責めるのも酷かもしれませんが、このような誤解から苦しんでいる人は少なくありません。中谷先生のような研究者が明らかにしてくれた大切な事実がもっと広く社会に知られ、誤解がなくなることを願ってやみません。
1. Negative psychological aspects and survival in lung cancer patients
Nakaya N, Saito-Nakaya K, Akechi T, Kuriyama S, Inagaki M, Kikuchi N, Nagai K, Tsugane S, Nishiwaki Y, Tsuji I, Uchitomi Y
2. Personality and the risk of cancer
Nakaya N, Tsubono Y, Hosokawa T, Nishino Y, Ohkubo T, Hozawa A, Shibuya D, Fukudo S, Fukao A, Tsuji I, Hisamichi S.J Natl Cancer Inst. 2003 Jun 4;95(11):799-805. doi: 10.1093/jnci/95.11.799.
3. The effect of group psychosocial support on survival in metastatic breast cancer
Goodwin PJ, Leszcz M, Ennis M, Koopmans J, Vincent L, Guther H, Drysdale E, Hundleby M, Chochinov HM, Navarro M, Speca M, Hunter J.N Engl J Med. 2001 Dec 13;345(24):1719-26. doi: 10.1056/NEJMoa011871.
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提供元:「病は気から」は、癌という病でも当てはまるのか|東洋経済オンライン