2022.10.07
和田秀樹「みんなでボケれば何も怖いことはない」|認知症を恐れすぎず、飼い慣らしながら老いる
「認知症になったらどうしよう」と心配しすぎはNG(写真:topic_36 /PIXTA)
老いに対する正しい知識がないため過度に不安になる人が少なくありません。高齢者専門の精神科医として6000人以上の患者を診てきた和田秀樹さんの著書『老人入門 - いまさら聞けない必須知識20講』より一部抜粋し、認知症に対する向き合い方を紹介します。
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認知症は老化現象のひとつで病気ではない
「認知症にだけはなりたくない」と考えている人は多いと思います。
「歳を取るのも身体が弱ってくるのも仕方ない。でも認知症になって何もできなくなるのだけは厭だ」
「家族にも迷惑をかけるし誰からも相手にされなくなる。晩年が認知症じゃ、幸せな人生とは思えない」
そういう不安に捕まってしまうと、ますます高齢になっていくことへの心細さが膨らんでくるでしょう。そこでまず、持たなくていい不安に振り回されないためにも、認知症についての正しい知識をいまのうちにしっかりと身につけておきましょう。ポイントはふたつです。
(1)認知症は老化現象の一つである
(2)老化だからゆっくり進み、個人差も大きい
認知症を恐れる人は徘徊したり妄想がひどくなって暴れるような高齢者を想像してしまいます。あるいは何もわからなくなって身のまわりのこともできないような状態です。「ああいうふうになったらおしまいだな」と思えば、どんなによぼよぼになっても認知症にだけはなりたくないと考えてしまいます。
でも認知症は病気ではないとするのが私の考え方です。症状は現れるけど、あくまで老化現象のひとつであって、高齢になれば筋肉が落ちて足腰が弱るとか、視力や聴力が衰えるのと同じです。病気なら薬で改善したり進行を止めることもできますが、老化現象となれば薬では治せません。
徘徊や妄想は認知症の周辺症状と呼ばれます。認知症になれば全員に徘徊や妄想が現れるのでなく、まったく現れない人もいれば現れてもすぐに収まる人もいます。置かれている環境や周囲の接し方、あるいは本人の受け止め方によっても違ってくるのです。
そのかわり老化現象ですから、高齢になればほとんどの人が認知症になります。ざっくばらんに言ってしまうと、テストをすると、80代後半でおよそ4割、90歳を超えると6割の人は認知症と診断されてしまいます。
私は高齢者専門の病院に長く勤務して数多くの解剖結果を見てきましたが、85歳以上の高齢者で脳にアルツハイマー型認知症の変性(神経原線維変化や老人斑)がない人はいませんでした。つまり老化現象として脳の変性は避けられません。あとは症状が現れるか、現れないかの違いだけです。
「いずれはボケるとしても、85歳までは逃げ切りたいものだな」
逃げ切りましょう。ボケても少しぐらいなら自分で気がつかないときもありますから、90代でもニコニコしていれば周囲は気がつきません。「覚えてないの」と言われたら「認知症かな?」ととぼけ、覚えていることは「わかった、わかった」と言われるまで説明してあげましょう。結局、認知症なのか正常なのかウヤムヤのままに逃げ切ることができます。
「なったらどうしよう」という不安が認知症の大敵
たとえ認知症の症状が現れたとしても、いきなり家族の顔もわからなくなるようなことはありません。よく「キャッシュカードも使えなくなる」と心配する人がいますが、暗証番号を忘れるようなことはかなり症状が進んだ状態でなければ起こりません。
もちろんもの忘れは認知症の初期のころでも起こります。同時にもの忘れは誰にでもあります。
認知症のテストで最初に「桜、電車、鉛筆」とか3つの言葉を言われて「あとで質問しますから答えてください」というのがありますね。その後いろいろ質問されて、しばらく経ってから「3つの言葉は何でしたか」と聞かれれば「えーと」と答えたきり考え込む経験はたいていの人にあるはずです。ひとつは思い出せても残りが出てこないなんてザラにあることです。
それで日常生活に不便を感じたり支障があるかと言えばとくにありません。「さっき何か頼まれたけど何だっけ?」と思ったら「もう一回言ってくれ」で済むのです。
学者や弁護士のような知的な職業に就いている人でも、じつは認知症だったということがあります。自分の専門領域のことや過去から積み重ねて学習してきたことは忘れないからです。
政治家でも認知症だったと後でわかったケースがあります。たとえばロナルド・レーガン元アメリカ大統領は退任して5年後に自らのアルツハイマー病を告白しましたが、そのときのとんちんかんな症状を見る限り、大統領在任中にすでに記憶障害くらいは発症していたと思われます。初期のころならアルツハイマー病でも大統領が務まるのです。「記憶にございません」を連発する日本の政治家だって、あとで認知症がわかって「ああ、やっぱり」ということになるかもしれません。
つまり認知症というのは、初期のころならそれがただのもの忘れなのか記憶障害の症状なのか、本人も周囲も判別できない程度の軽い症状にすぎず、しかもそういう状態が長く続きながらゆっくりと進行していくものだと受け止めてください。恐れたり慌てることはありません。
むしろ「認知症だったらどうしよう」と不安になって、思い出せないことや忘れてしまうことだけを気にしていると、前頭葉の老化が加速されたり不安に包まれて感情の老化も進んでしまいます。
最悪、気持ちが落ち込んでうつ状態になりかねません。高齢になると認知症よりうつ病のほうが怖いのです。
ボケを飼い慣らしながら老いていこう
「やはりおかしい」と自分でも不安になったり、家族にも勧められて医者に診てもらい、はっきり認知症と診断されたとしても落ち込まなくて大丈夫です。
「私もとうとう」とショックを受けるかもしれませんが、認知症で寝込んだり体調が悪くなることはありません。急にできないことが増えるわけでもないし、相手の話を理解できなくなるわけでもないのです。
初期のうちはせいぜい、直近のことを忘れるという程度です。何年も前のことは覚えていても、ちょっと前のことを思い出せなくなります。細部を思い出せないのでなく、全体の記憶がスポッと抜けてしまいます。よく例に出されるのが昨日の夕食です。
「昨日の夕食には何を食べたか」と聞かれて思い出せないことは誰にでもあります。「何食べたっけ?」と必死で考えて「ああ、昨夜は自宅で久しぶりに妻の手作りの餃子を食べたんだ」と納得します。
ところが認知症がある程度進んだ後のもの忘れでは夕食を食べたことを忘れています。全体の記憶がなくなっているのです。「オレ、昨日晩ご飯食べたっけ?」となります。「何言ってんの、私が餃子を手作りしたでしょ」と妻は機嫌悪くなりますが、「そうだった、美味しかったなあ」と思い出せなくても頷いていればいいのです。
道がわからなくなってもスマホのナビがあります。待ち合わせの約束を忘れても相手が電話をかけてきます。壁やカレンダーに予定を書き込んでおけばたいていのことは思い出します。買い物に出るときにリストを作るのは誰でもやっていることです。初期の認知症で困ることは何もないし、ふつうの人と同じように生活できるのです。
そして認知症はゆっくり進行していきます。いつ発症したか周囲の人にも気がつかないくらいゆっくり始まり、「ほんとに認知症なの?」と疑う人がいるくらいしっかりした論理性や思考力を保ちながらも本人だけは「やっぱり以前とは違うな」と気がつきます。その程度です。
つまり認知症とはっきりわかっても慌てることはないし、悲観することもありません。むしろ老いれば誰にでも訪れる症状のひとつにすぎないのですから、老いを受け入れるつもりで認知症も受け入れてしまっていいと思います。悠然と構えて、ボケを飼い慣らしながら老いを楽しんでみる。嫌なことや都合の悪いことはとぼけてしまう。そういう割り切った暮らし方を心がけてください。
覚えておきたいMCI(軽度認知障害)の知識
認知症は病気ではなく、老化によって誰にでも現れる連続性を伴った症状のひとつだということはまずはっきりと認識しておきましょう。連続性を伴うということは、ある日を境に認知症になるということではなく、長いグレーゾーンがあってゆっくりと症状が進み、医者の検査を受けて認知症と診断されます。
じつはその段階でも、まだ軽度の認知症もあれば中程度まで症状が進行している場合もあるのです。
そしてグレーゾーン、まだ認知症ではないけれど、そのまま症状が進めば認知症と診断される状態がMCIです。
どういう状態かと言えば、「固有名詞が出てこない」「同じ質問を何度も口にする」「部屋の鍵やメガネをどこに置いたのか思い出せない」「いま何をやろうとしていたのか忘れてしまう」……などなどです。
たぶんここで、「それならいまの私がそうだ」という人がいると思います。「ほら、あれだよ、アレ」「スマホはどこに置いたっけ」「さっきも聞いたでしょ」……思い当たるやり取りばかりではないでしょうか。
MCIのレベルでしたら、日常生活にとくに困ることはありません。ただ、脳の機能低下が若いころより進んでいることは確かです。でも脳の機能低下を防ぐ生き方や暮らし方があります。MCIの段階でしたら機能低下を抑えることは可能なのです。
ただ私は、MCIの段階で「ああ、このまま認知症になってしまうのか」という悲観的な考え方や不安に捕まってしまうことがいちばんまずいと思っています。気持ちまで落ち込んでしまったら、どんな意欲もわいてこないからです。
たとえばちょっとしたもの忘れを繰り返すと、家族に「大丈夫なの?」とか「検査受けたほうがいいんじゃないの」と心配されます。すると腹が立ってきます。「ただのもの忘れぐらいでうるさい」とか「ボケ扱いするな」という気になります。
すると今度は無口になってきます。うっかり何かしゃべって「さっきも話したでしょ」とか「もう忘れたの」とバカにされるくらいなら黙っていようという気持ちになるからです。
不安に捕まって無口になったら、脳はもう何の刺激も受けないし、周囲への興味も好奇心も失ってしまいます。感情が動かされることもないのですから、前頭葉の老化はますます進んでしまいます。つまりMCIというのは、それを本人がどう受け止めるかで認知症に進んでしまう可能性が一気に高まってしまうのです。
老いて大切なのは愉快な人間関係
歳を取れば認知症は避けられない。でもゆっくりとしか進行しない。
このふたつの原則を受け入れれば、MCIへの向き合い方もわかってきます。「なったらそのときのこと」と開き直るしかありません。開き直って同世代のMCI、つまり家族からボケ扱いされている老人同士で遠慮も気遣いも要らない大らかな人間関係を作っていくことです。
名前が出てこない、同じ話を繰り返す、「ほら、アレだよアレ」「ああ、そうかアレだったな」でも会話は進み、お互いにあきれて笑い合う、名前なんか出てこなくても言いたいことはわかるのですから会話は進みます。
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そういう屈託のない同世代の人間関係を楽しんでください。大事なのは気持ちを朗らかにしておしゃべりを楽しむことです。昔話ならいくらでも出てきます。
会話は相手の話を受け止め、自分の感情や考えを言葉にするやり取りですから、記憶の掘り起こしと表現のトレーニングになります。トレーニングなんて面倒なことですが、要は気分が浮き立って感情発散できればいいのです。
でもそれだけのことでも前頭葉は刺激されます。笑い声を上げながら認知症予防ができるならありがたいことです。たとえいつものおしゃべり仲間がそのまま全員、認知症になってもお互いに気がつきません。
みんなでボケれば何も怖いことはありませんし、萎縮することもありません。朗らかな認知症、愛されるボケという高齢期はそれなりに穏やかな人生の締めくくりになってくると思います。
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提供元:和田秀樹「みんなでボケれば何も怖いことはない」|東洋経済オンライン