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2022.09.08

寅さんが「何度でも失敗が許される」本当の理由|渡る世間には「ケアと就労」2つの原理が必要だ


寅さんは2つの原理を行ったり来たりしながら生きていく人でした(写真:キャプテンフック/PIXTA)

寅さんは2つの原理を行ったり来たりしながら生きていく人でした(写真:キャプテンフック/PIXTA)

新型コロナウイルス感染予防のため、「不要不急の外出の自粛」が叫ばれたことは記憶に新しいでしょう。なんとなく食べてみたい、なんとなく会って話したい、なんとなくいつもと違う道で帰りたい。「不要不急」とはこの「なんとなく」のことなのだと、自粛という名の事実上の禁止令が出たことで改めて気が付きました。そして「なんとなく」という個人的で直感的な感覚こそ、ぼくたちそれぞれの生活の豊かさを支えていたことも。

とても息苦しく窮屈な「1つの原理」

しかし本来ぼくたちが大切にしなければならないこのような感覚は、新型コロナウイルス感染予防という「万人にとって必要なこと」にいとも簡単にとって代わられてしまったのです。

「万人」というバーチャルな存在は、実態がないだけに強い刺激となって社会に影響を与えました。そもそも人は友人、家族、同僚、遠い親戚から近くの他人まで、さまざまな人たちとの関わり合いのなかで生きています。このような関わり合いは、ぼくたちの身に「万人」という強い直射日光が降り注ぐのを防いでくれる、オゾン層のようなものだったのです。

しかし「不要不急の自粛」の号令は関わり合うことを難しくし、「万人」という原理によって社会を統一してしまいました。1つの原理による社会の統一は、ぼくたちの生活をとても息苦しく、窮屈なものにしました。

この経験から、ぼくは生きていくうえで「2つの原理」を併せ持つことの重要性を痛感したのでした。もちろん「2つの原理」の間には、個人と万人の間にさまざまな中間的集団があるように、ゆるやかな連続性が存在しています。生と死、公と私、男と女、親と息子、資本主義と社会主義、都市と村なども、つねに2つのうちのどちらかを選ばねばならないわけではありません。生活の場面場面で「2つの原理」を想定することで、ぼくたちの生きる選択肢がより具体的になり、自由度を上げてくれるのです。

普段ぼくは障害者の就労支援に従事しています。社会では健常者と障害者という区別が存在しますが、もちろんこの間にも連続性は存在しています。健常者と言われる人も社会と軋轢を生んでしまう「障害」を持っていますし、障害者でも社会が変われば「障害」を感じずに済む場合があります。つまり「障害」は人と社会の関係によって発生するのです。そういう意味で就労支援とは、人が社会と折り合いをつけるサポートをする仕事だと思っています。

本人はあるがままでよく、社会の側が100%悪いのだから本人は何もしなくてもいいというわけではありません。一方で、就職するために性格を大きく矯正しなければならなかったり、本人だけが「障害」を乗り越えなくてはならない状況が発生しているとしたら、それは根本的に社会が間違っています。

人は誰しも、限定された時代、国、地域、家族のなかを生きているし、社会はつねに未完成です。特定の時代、特定の場所で生きている以上、なんらかの制約は誰もが受け入れざるをえません。同時に、できるだけ多くの人が「障害」を感じないで済むよう、制度や文化を変えていく努力も不可欠です。

社会生活を営むうえで重要な「2つの原理」

ぼくが携わっている就労移行支援という福祉サービスは、利用できる期限が2年間と決まっています。この間にサービス利用者が企業などに就労できるよう、パソコンスキル、手作業や農作業能力、コミュニケーションスキルの習得、自己理解の促進、面接練習などのサポートを行います。この期間をぼくは「ケア期」と「就労期」というふうに大きく2つに分けています。もちろんこの間にも連続性はあるし、1年ずつ明確に分かれているわけではありません。どうしても就労移行支援では「ケア期」が前期で、「就労期」が後期という立て付けになってしまいますが、別に就労支援分野だけでなく、ひいては人間が生きていくうえで「ケア」と「就労」という2つの原理を行ったり来たりしながら社会生活を営むことはとても重要です。

まず「ケア期」とは、その人の存在が絶対的に認められる時期です。就労移行支援では、最初は「失敗をしても排除・否定されない経験」ができる場を提供することが大切です。障害を抱える方々は、人付き合いがうまくいかなかったり、仕事でミスばかりしてしまったり、家族の中でも居場所がなかったりして、社会や集団から排除される「負の経験」を積み重ねている場合がとても多くあります。そういう意味で、「失敗をしても排除・否定されない経験」をより多くする必要があります。この全人的に存在が認められる時期が「ケア期」です。

人が社会を生きていくうえで「ケア期」はとても大切です。失敗しても成功しても、役に立とうが立つまいが、本来はその人が存在する理由とはまったく関係がありません。このような地平にまず立たないと、人はできるかできないかわからないことにチャレンジしようとは思わない。しかし現代社会では、役に立たないと生きていてはいけないという言説が飛び交っています。特にデフレが長く続き、社会全体が貧しくなってきたことが影響し、経済活動に参加できない人に対しての風当たりがとても強くなってきています。これは本当に良くない風潮です。

「ケア期」を経て心身が安定し、社会関係のなかで「危険」を感じなくなって初めて「就労期」に入ることができます。「就労期」では、自らの労働力によって社会とつながる方法を模索することになります。つまり「戦力になる方法」を身につけていくのです。そのためには自分が好きなことよりも、向いていることに意識を向ける必要があります。もちろん好きなことと向いていることが同じであればよいのですが、そうではないことのほうが多いのはご存じのとおりです。その場合「就労期」においては、向いていることつまり適性があることを選択し「無理せず続けること」を目指します。賃金を稼いだり、生産物を生み出すことは1回だけできればよいわけではありません。生きていくためには継続することが大切です。

そもそも生きることに理由など必要ない

このように就労移行支援は、「ケア」と「就労」という「2つの原理」によって成り立っています。人間は理由などなくても存在してよいという「ケア的な部分」と、社会のなかで役に立つことで自分の存在をより明確にできる「就労的な部分」。どちらかだけでも人は苦しくなってしまいます。ただぼくが思うのは、健常者と言われる人は知らずしらず「就労的な部分」だけで生きていることに気がついているのかということ。いつのまにかぼくたちは、この世界に存在するための理由を求められている。だから就職活動に失敗したり、仕事を退職してしまうと、自分は無意味なのではないか、生きている意味などないのではないかと思ってしまう。しかし、そもそも生きることに理由など必要ありません。「2つの原理」で生きていると、この地平に立ち返ることができます。

「2つの原理」を行ったり来たりすることのヒントは、映画『男はつらいよ』に学ぶことができます。主人公の車寅次郎(以下、寅さん)は、中学校のときに家を飛び出したきり戻らず、映画第1作において約20年ぶりに故郷・葛飾柴又に帰ってきます。寅さんは家に帰らなかった間、日本の各地で「売」をするテキ屋稼業を営んでいたのです。第50作まで続く映画『男はつらいよ』シリーズは、寅さんが家に帰ってきては家庭内で喧嘩をし、旅立った先の各地で「売」をしながらさまざまな人と出会い、また故郷に帰ってくることが骨子の物語です。そんな寅さんの有名なせりふに、「そこが渡世人のつらいところよ」というものがあります。「渡世人」とは何でしょうか。かつて東京大学史料編纂所に勤めた歴史学者・山本博文氏は、以下のように述べています。

通常の商売などに従事しないで生活を送る者ということで、「無宿渡世人」は各地の博徒の親分のもとを渡り歩き、博打をしたり小遣い銭をもらったりして生活した博徒を指すが、実は、こうした使い方は江戸時代にはなかった。博徒は多くが無宿であり、「無宿」は誇るべきことでもなかったから、わざわざ自分から「無宿渡世人」ということもなかったのである。(「時代劇用語指南」『imidas』より)

「渡世人」とは、「通常の商売などに従事しないで生活を送る者」という意味だといいます。確かに寅さんは、生活のために各地で「売」をする露天商・テキ屋という意味合いで渡世人という言葉を使っています。さらに「渡世」には「生活」という意味もあり、「生きていく」というようにも使われたそうです。このように「渡世」にはさまざまな意味が込められていますが、さらにぼくはもうひとつの意味を付与したいと思っています。それが「2つの原理を行ったり来たりしながら生きていく」という意味です。

寅さんが「何度でも失敗が許されている」理由

寅さんは日本全国で「売」をしている間、困っている人を助けたり、食事をご馳走してあげたり、最終的には「困ったことがあったら、いつでもおいで」と、東京の実家の団子屋さんの名を告げて別れます。テキヤ稼業を営む寅さんは、自分の手で賃金を稼ぎ、働いて生きています(たまに無銭飲食や宿泊をして、妹のさくらが旅先に呼び出されるのですが)。寅さんは自分の労働力によって社会とつながっている、つまり就労している実感があるからこそ「困ったことがあったら、いつでもおいで」とケア的振る舞いができるのです。寅さんが生き生きと「売」ができるのは、彼自身のなかでケアと就労の「2つの原理」がうまく噛み合って作動しているからなのです。

しかし葛飾柴又の実家ではどうでしょう。旅先で寅さんと出会い、東京にやってきた客人たちは、旅先の寅さんとはまるで違うグータラでトンチンカンな「三枚目」と出会うことになります。これは日本の各地ではケアと就労の「2つの原理」がうまく作動していた寅さんが、実家に帰ってきた途端、ケアの原理だけに適応していることを意味します。寅さんはおいちゃんと喧嘩をしてどんなに激怒しても、二度と家に入れなくなることはありません。また妹のさくらが寅さんを完全に見捨てることはないでしょう。つまり「何度でも失敗が許されている」のです。寅さんが旅先で自らの労働力によって社会とつながり、困っている人を救う「ケア力」を発揮できるのは、そもそも実家でケア的空気を胸いっぱい吸い込んでいるからだともいえます。

渡世人も楽しく生きられる社会

例えばぼくの場合、ルチャ・リブロの活動を行いながら、社会福祉法人に勤務しています。この関係はケアと就労という「2つの原理」に対応しています。自宅を図書館として開くというルチャ・リブロ活動は、別に誰かのためにやっているわけではないですし、ニーズがあったから始めたわけでもありません。言い方を換えれば、ルチャ・リブロ活動をやろうとやるまいと、そんなことはこちらの勝手です。「ルチャ・リブロは社会実験です」という言い方をしますが、そういう意味ではルチャ・リブロは、ぼくたちにとって「何度でも失敗が許されている」場なのです。このようにルチャ・リブロ活動は、なによりぼくたち自身にとっての「ケア的な部分」を担っています。

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ルチャ・リブロという場がぼくたちの存在を認めてくれるからこそ、ぼくは社会福祉法人で戦力となって働くことができます。ぼくがルチャ・リブロ活動と法人職員を往復している関係は、ケア的な部分と就労的な部分を「行ったり来たりしながら」生きている状態に似ていると言ったのは、こういう意味です。大前提として、人は存在するだけで価値があるのだけれども、同時に労働力という形で集団に貢献することで、また違った価値を創出することができます。価値の基準は1つではない。その価値を規定する原理を2つ持っておくこと。それが現代の渡世人です。

寅さんにとって渡世人がつらかったのは家族がいなかったり、定職に就いていなかったり、家を持っていなかったりするなど、わが国において近世以降続く、定まった場所を持たない人へのケアが足りない社会だったからです。むしろ定まった場所がない人たちが、思わず「そこが渡世人の楽しいところよ」と口にしてしまうような社会なら、誰にとっても安全が確保され、安心して生きていけるでしょう。目指すべきは、渡世人も楽しく生きられる社会なのです。

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提供元:寅さんが「何度でも失敗が許される」本当の理由|東洋経済オンライン

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