2022.08.26
サイダーの値段「ラムネの10倍だった」意外な歴史|中身の本質的な違いはなかったのに何故??
ラムネとサイダーの売れ行きに違いがでた理由とは?(写真: チリーズ /PIXTA)
日本の夏の風物詩でもあるサイダー。実はもともとイギリスにおいて「シャンペンサイダー」と呼ばれていた飲料です。日本でいつのまにかシャンペンが省略され、「サイダー」となったのです。
立石勝規著『なぜ三ツ矢サイダーは生き残れたのか』によると、日本最古のサイダーの記録は、1884(明治17)年以前にイギリス人経営のノース&レー商会が販売していた清涼飲料「シャンペンサイダー」。お得意先は日本に寄港したイギリス東洋艦隊だったそうです。
1892年のイギリスの料理百科事典、Theodore Francis Garrett著『THE ENCYCLOPAEDIA OF PRACTICAL COOKERY』第2巻によると、イギリスのシャンペンサイダーとは、リンゴと洋梨のエッセンスにカラメルで色付けしたレモネードシロップのこと。
(『THE ENCYCLOPAEDIA OF PRACTICAL COOKERY』第2巻のChampagne Cider)
シャンペンサイダーとは、このイギリスの「シャンペンサイダー」という名のレモネードシロップを使った清涼飲料だったのです(ノース&レー商会のシャンペンサイダーはアメリカ産のリンゴエッセンスとイギリス産のパイナップルエッセンスを使用)。
そしてそもそもレモネードシロップとは何かというと、生のレモンを使った本物のレモネードのかわりに、水や炭酸水に溶かして即席レモネードを作るシロップのこと(1894年のイギリスの料理書、Lizzie Heritage著『CASSELL'S NEW UNIVERSAL COOKERY BOOK』より)。
ラムネの10倍という高額商品だったサイダー
日本のラムネは香料を炭酸水に溶かした即席レモネードのことですから、ラムネとサイダーはもともと同じ由来(即席レモネード)を持つ清涼飲料だったのです。
三ツ矢シャンペンサイダーの製造販売元であった朝日麦酒(現アサヒビール)元社長山本為三郎によると、1907年発売当初の三ツ矢シャンペンサイダーの値段は、ラムネの約10倍というとんでもない高値でした。
”そのころ、びん詰飲料水としては、御承知のラムネがありました。これはサイダーの半分の量で、一本一錢か二錢で賣られていた。そこへ濃緑色のびんに詰めたサイダーを、一本十四、五錢 という値段で賣出したのですから、實に冒險だったと思うのです”(『上方今と昔』)
発売当時14歳だった作家獅子文六によると、“私は、ラムネの方が、ウマいと思った。家の者も、同様のことをいっていた”(『好食つれづれ草』)。
つまりサイダーの味が値段相応にとびぬけておいしかった、というわけではなかったそうです。
実際のところ、メーカーごと、製品ごとに香料が違う程度で、ラムネとサイダーの中身に本質的な違いはなかったのです。
ところがサイダーはヒット商品となり定着しました。なぜサイダーは、ラムネの10倍の値段がするのに売れたのでしょうか?
びんの封印方法とマーケットで差が出た
中身がほぼ同じラムネとサイダーの本質的な違いは、びんの封印方法と、販売先のマーケットにあります。
ラムネは当初さまざまな形式のびんで売られていましたが、最終的にビー玉で栓をする玉瓶の形式に落ち着きました。
再利用が簡単で安価な玉瓶は、中身だけを安く売るのに適したパッケージ。その場で飲んで再利用のためにびんは回収、中身だけのお代を取るというのが、玉瓶のラムネの売り方となりました。
一方で、玉瓶には欠点もありました。長期間保存、長距離輸送ができないということです。
玉瓶は炭酸ガスの圧力でビー玉をゴムに押し付けて封印しますが、炭酸ガスが隙間から徐々に抜けてしまうので、長期間は保存できませんし、輸送時の振動にも弱いのです。
長期間保存、長距離輸送ができないラムネは、工場周辺にしか売れませんでした。
一方のサイダーは、明治30年代後半から王冠で密封するようになりました。使い捨ての王冠の分値段が高くなりますが、玉瓶と異なり長期間保存/長距離輸送にも耐えることができました。
サイダーは長期間保存/長距離輸送可能という特性を活かして、ラムネには進出不可能だった新しいマーケットを開拓したのです。
ラムネは工場周辺にしか売れないので、どうしても人口密度の高い都市部でしか製造販売ができません。
一方、長期間保存/長距離輸送が可能なサイダーは、人口密度の低い地方農村にも売ることができました。
“ラムネの販路は瓶の回収の必要上その製造家の周囲に限られ、あまり地方農村には拡がらなかったが、サイダーは遠方への輸送もきき、高価のため主として上流家庭に飲用せられた。”(開国百年記念文化事業会編『明治文化史 第十二巻』)
作家の吉村昭によると、戦前の東京下町の中元や歳暮の定番の品は、砂糖、海苔、味噌漬、酒、サイダー、カルピスだったそうです(『東京の下町』)。
長期間保存/長距離輸送可能なサイダーは、贈答品に最適だったのです。サイダーの値段の高さは、贈答品の場合は欠点ではなく、プレミア感を増す長所となったのです。
高価だからプレミア感を味わえた
大正時代、三ツ矢シャンペンサイダーの帝国鉱泉株式会社はビール会社と合併します。三ツ矢サイダーは現在もアサヒグループホールディングス傘下のアサヒ飲料が販売しており、サイダーはビールビジネスとシナジー効果の高い飲料であったことがわかります。
なぜサイダーとビールはビジネス的に相性が良いのか。それはサイダーが開拓した新市場が、ビールと同じ宴席、酒席だったからです。
1893(明治26)年生まれの獅子文六の証言。
“しかし、サイダーは、今のジュースのように、たちまちハヤリモノになって、宴会なぞにも、ビールと列んで、必ず、顔を出す世の中となった。”(『好食つれづれ草』)
1903(明治36)年生まれのコメディアン古川緑波の証言。
”その頃、洋食屋でも、料理屋でも、酒の飲めない者には必ず「サイダーを」と言って、ポンと抜かれたものである。”(『ロッパ食談完全版』)
サイダーが開拓した最大の市場は、宴席、酒席におけるノンアルコールドリンクだったのです。
サイダーの登場までは、お酒が飲めない人は水やお茶を飲んでいました。宴会や食事会において、それはとても侘しいことだったと思います。
ところがサイダーは、ビールと同じように栓を開け、ビールと同じようにコップに注いで乾杯し、ビールと同じように芸者からお酌をうけることができたのです。
ラムネは宴席には適していなかった
これがラムネですと、ビー玉がふさがるのでスムーズにコップに注げません。また、子供が小遣いで飲む安価なラムネでは、宴席で寂寥感が漂います。高価なサイダーだからこそ、ビールと同程度のプレミア感を感じることができたのです。
しかもその名前は、ノンアルコール飲料にもかかわらず「シャンペンサイダー」という、お酒由来の名前。
こうしてサイダーは、今日のノンアルコールビールの先輩として、新しい市場を築いたのです。
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提供元:サイダーの値段「ラムネの10倍だった」意外な歴史|東洋経済オンライン