2022.08.24
調べる習慣が「ある人」「ない人」につく決定的な差|「スマホで検索」すらしない人たちが増加中だ
情報を調べる環境が整っている現代でも、多くの人はその手間を怠っていると筆者は指摘します(写真:miya227/Getty Images Plus)
正しい情報にアクセスする能力が重要になっている現代。しかし、ネット環境が普及し、情報を調べる環境が整っている現代でも、調べる手間を怠る人は少なくないようです。その結果、齋藤孝氏は「時間が経てば経つほど、「調べる人」と「調べない人」の間に決定的な差が付きます」と断言します。
齋藤氏の新著『頭の良い人がやっている「調べ方」究極のコツ 仕事も人生もうまくいく! 大人の探究学習』から一部抜粋・再構成してお届けします。
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「思考、判断、表現」はあなたの武器になる
「調べ方」を知っている人は、なぜ仕事も人生もうまくいくのか。先述したとおり、その背景にあるのは時代の大きな変化です。
現代社会は猛烈なスピードで進化しています。ビジネスにおいては、新しい商品やサービスが投入されてもすぐに陳腐化します。次々とアイデアを発想し、イノベーションを生み出さなければ、あっという間に取り残されかねない状況です。
また、AIの導入がますます進むと、さまざまな職業がAIに置き換わると予想されます。かつては、三代続けて同じ職業に就く人も珍しくはありませんでしたが、今では二代前の職業自体がなくなっている、あるいは一代前の仕事すら衰退している時代です。
このような状況にあって、私たち大人は、まず時代の流れを的確につかみ、思考して判断して、商品やサービスに結実させていく能力を身に付ける必要があります。
時代の流れをつかむ際には、「最近景気が悪い」などと思い込みのレベルで状況を把握せず、きちんとしたデータを調べ、ファクト(事実)を知らなければなりません。
2017・2018年3月に改訂された学習指導要領では、育成すべき資質・能力の3つの柱を次のように整理しています。
(1)学びに向かう力、人間性等
(2)思考力・判断力・表現力等
(3)知識・技能
思考力・判断力・表現力がセットになっているところに注目してください。ひと昔前は、たくさんの知識を覚えて、答案用紙に忠実に再現できる子が「頭の良い子」とされていました。しかし、現在では自分自身で主体的に調べた情報をもとに考え、発表・行動していく探究学習が大きな柱となりつつあります。これはまさしく、先述した「思考して判断して、商品やサービスにつなげる(表現する)」を想定したものにほかなりません。
斬新な発想をしてイノベーションを起こすには「思考、判断、表現」を同時に行う必要があり、その土台となるのが「調べる力」なのです。
「調べられる人」と「調べられない人」の違いとは?
近頃は、ビジネスの場で「エビデンス」という言葉が頻繁に使われるようになってきました。
エビデンスは、もともと医療や学術分野で「根拠」という意味で使われてきた言葉であり、会議などで「その売り上げ予測にエビデンスはあるの?」「効果を証明するエビデンスを用意してください」というように使われています。
要するに、根拠となる客観的な事実を調べることの重要性が高まっているわけです。
一方、私たちはちょっとでも疑問に思ったことがあれば、すぐに手元のスマートフォン(スマホ)で検索することができます。
法律でも情報公開に関する制度が整えられ、手続きを踏めば政治や行政の決定プロセスを開示してもらえるようになっています。情報を調べるハードルは、時代とともにどんどん低くなっています。
調べることが重要になっていて、すぐに調べられる環境が整っている。
にもかかわらず、実は多くの人が調べる手間を怠っています。私は大学生や出版業界の方と接する機会が多いのですが、「どうして、みんなもっと調べないのだろう」と思う機会が多々あります。
確かに、家族や友人と食事に行くときに熱心にグルメサイトなどを調べる人はいます。
ですから、調べる手段や基本的なスキルは持っているのに、なぜか仕事や勉強のことになると、スマホを一度検索すればわかるようなことでも案外調べないのです。
普通の生活をしている限り、調べる習慣を持たなくても支障がないように思えるかもしれません。しかし、すぐ調べる人は信頼できる情報を手に入れ、問題を解決する力が身に付きます。時間が経てば経つほど、「調べる人」と「調べない人」の間に決定的な差が付きます。
今や調べる習慣を持つ人だけが生き残る時代ともいえます。まずは、それを肝に銘じておきましょう。
正しい情報を調べられる人は信用できる人
職場の会議などで自分の意見を発言するとき、人を説得するときに、裏付けとなる情報を調べて提示できる人は信用できる人といえます。
「自分の意見なのだから、いちいち調べなくても、何を言ってもいいのでは?」と思われるかもしれません。しかし、人を説得して動かそうという場合、自分の意見だけでは材料として不十分です。
思い込みから発する意見は間違っている可能性もあり、説得力に欠けるからです。好ましくないのは、確証のない情報を、いかにも正確な情報であるかのように堂々と口にすることです。
間違った情報を信じた人が行動した結果、相手に迷惑をかける恐れもあります。職場の場合、間違った意思決定を行ってしまうかもしれません。
信用を得たかったら、きちんと正しい情報を調べて提示すべきです。
なぜ私がここまで調べて発言することの重要性を説くのかというと、人間の記憶に基づく発言はあやふやであることを身にしみて理解しているからです。
私は新聞社や雑誌社の取材を受ける機会が多いのですが、私が記者の目の前で直接話した内容が、文章にまとめられると、まったく違う趣旨になるということが結構な頻度で起こります。
考えてみれば、それは大学の授業でたびたび経験していることでもあります。私が授業で話したあと、学生に「今聞いた内容を話してみてください」というと、かなり違う内容になるパターンが多いのです。
要するに、人の要約再生能力は、まったく当てになりません。単純に能力に限界があるだけでなく、自分に都合よく情報をねじ曲げてしまうこともあります。
自分で調べたうえで正しい情報を発言することを習慣付ければ、信用が積み重なります。
信用されれば、重要な仕事も任せられるようになるでしょう。つまり、調べて得をすることはあっても損をすることはないのです。
調べないとリスクを抱えることになる
きちんと調べずに情報を発信することには大きなリスクがあります。特に、SNSによる発信のように、情報を目にする人の数が大きくなればなるほどリスクも増大します。
インターネット上では、気軽に情報発信できる反面、誹謗中傷による被害も多発しています。これまでネット上の誹謗中傷については、実質、野放しに近い状態が続いてきました。かつては被害者が名誉毀損で訴えようとしても、手続きに費用と労力が掛かりすぎるため、泣き寝入りするしかなかったのです。
しかし、ようやくこの状況を改善するための動きが見られるようになりました。手続きの簡略化につながる「プロバイダ責任制限法」の改正が行われるなど、誹謗中傷を書き込んだ人に損害賠償や厳罰を求める動きが加速しています。
そういった状況では、何を根拠に情報を発信しているのかが重要になります。
「誰かが○○と言っていたような気がする」
情報を発したあとで、こんな言い訳をしても通用しません。曖昧な根拠で情報を発信した人はもちろん、よく調べずに鵜呑みにし、さらにそれをまた発信した人も責任が問われるのです。
間違った発信はクレームを受ける時代
私は20年にわたってテレビの情報・報道番組でコメンテーターを務めています。テレビで話すときには「数百万人の人が聞いている」という前提でコメントを発します。
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事実と違うことを話した場合は少なからず社会の混乱を招きますし、罪のない人を傷付ける可能性もあります。すぐにクレームが来て、謝罪を迫られるでしょう。
また、仮に事実を話したとしても、引用元にとって不都合な情報だった場合には、当事者からクレームが付く可能性もあります。
世の中にはあらゆる物事にクレームを付けようと考える人もいるため、すべてのクレームに真正面から対応していたら、何も発言できないことになります。そのように極端な人は除外するとしても、情報発信の前に、その情報が及ぼす影響を考慮することは必須です。
無防備な発信は批判にさらされやすいということを認識しておくべきでしょう。
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提供元:調べる習慣が「ある人」「ない人」につく決定的な差|東洋経済オンライン