2022.02.07
自分の成長にブレーキかける人が陥る3つの思考|何歳になっても成長し、自己実現の為に大切な事
現状維持で他人を妄信し、自分への言い訳に終始していたらそれを疑ってみることが必要です(写真:Fast&Slow/PIXTA)
「人生100年時代」と言われる中、ビジネスパーソンにとって、学び続けること、成長し続けることは不可欠です。しかし、ある程度、経験を積み成功体験を重ねていくと、ある「思考のパターン」が、新しいことへの挑戦を妨げてしまうといいます。
ここでは、成長を妨げてしまいがちな3つの思考パターンについて、柳川範之さん(東京大学経済学部教授)と為末大さん(400メートルハードル日本記録保持者)の共著『Unlearn(アンラーン) 人生100年時代の新しい「学び」』から、一部抜粋して紹介します。
『Unlearn(アンラーン) 人生100年時代の新しい「学び」』 クリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします
前回:いつもと同じ選択を好む人の伸びしろが小さい訳(1月27日配信) ※外部サイトに遷移します
前々回:30代で伸び悩む人が知らずとかかる「呪い」の正体(1月20日配信) ※外部サイトに遷移します
陥りがちな「成長の落とし穴」
人生100年時代と言われる今、何歳になっても学び続けること、成長し続けることは、誰にとっても不可欠です。しかし、ある思考パターンの強い人は、学びや成長のチャンスを見逃してしまったり、受け入れられなかったりすることが多いといいます。
そこでここでは、持っていたら要注意の、ビジネスパーソンの成長や学びを阻む3つの思考パターンと、そこから脱却するための「アンラーン」という考え方について紹介します。
(1)「このままでいいんじゃないか」(現状維持)
現状に100%満足しているわけではないけれど、でも、それなりにうまくいっている。ここまで何とかやってきたことに自分なりの誇りも持っている。世の中での新しい動きや変化を知らないわけではないし、少しは興味もあるものの、今までにつくりあげてきた形を崩してまで、新しいものを取りにいこうとは思わない。
こういう気持ちは、歳を重ねるほど強くなります。培ってきたものが大きい分、身軽に動けなくなってしまうのは仕方のないことだと思います。
たとえば今から三十数年前、オフィスに初めてコンピュータが登場したとき、使い方を覚えるのは新入社員を含め若手の役割でした。多くの上司は「今さら覚えたくない」と高みの見物で、若手社員に任せっきりという態度でいたように思います。
今のように、パソコンでの仕事が当たり前の世界から見ると呆れてしまうような笑い話ですが、それを現代に置き換えて、パソコンではなくプログラミングへの態度、あるいはデジタル化への態度で考えたとき、さっきまで他人事として笑っていた人たちは、変わらず笑っていられるでしょうか。
「プログラミングや新しいデジタル技術なんて、今さら覚えられない。若者に任せる」
と考えている人は、50代以上だとかなりの数に上るのではないでしょうか。
もちろん、すべての人がプログラミングを習得すべきだ、新しい技術に対応すべきだなどというつもりはありません。仕事上、まったく必要のない方も多いですし、役割分担ができている場合には必ずしも自らが使えるようになる必要はありません。
これは、1つの典型的なたとえ話です。誰の心の中にも「今さらそれは自分には無理だし、このままでいいだろう」「自分は変わらなくても、誰かが何とかしてくれるだろう」という壁があり、その壁はキャリアの形成とともに、より強固になっていくことに気づいていただけたでしょうか。
「目に見えない形で」「いつのまにか」「少しずつ」
新型コロナウイルスで従来の生活がいったん停止したような、強制リセットのような外的な圧力が強く働いた場合には、ルールチェンジが誰の目にも明らかです。その場合は、新しいルールに合わせるしかないので、文句を言いつつも何とかその方向に向かって努力をすることになります。
そこには「ルールが変わったのだから、自分自身も変わらざるをえない」という納得感があります。
「新型コロナウイルスが流行しているから、ソーシャルディスタンスをとるしかない」
といった具合です。
ところが、自分自身については、そういう外圧は基本的にはありません。もちろん、職場の上司や仲間から、あるいは家族などから、
「もっと変わったほうがいいよ」
「考え方が古いよ」
などと言われることはあるでしょう。それは、素直に耳を傾けられるのなら、1つの大きなきっかけになります。
だけど、もっと大切なことは、自分自身で常に変化の機会に気づき、それを習慣づけて何度でも繰り返し行うこと――それがアンラーンです。
「このままでいいんじゃないか」
「このままでもなんとかやっていけるんじゃないか」
という現状維持への固執が起こったときに、その固執を認め、客観的にとらえ直す。このアンラーンの姿勢が、この変化の時代に成長し続けるためには不可欠です。
(2)「あの人の言うことなら間違いない」(他人への盲信)
ある他人に対して「あの人の言うことなら間違いない」と思ったり、「この人のアドバイスは聞くけど、あの人のアドバイスは聞かない」と選り好みをしたりしているとしたら、それもまた変化や成長を阻む思考パターンの一つです。
日本には、「できる人は何でもできる(何をやらせてもうまくできる)」し、「できない人は何にもできない(何をやらせてもうまくできない)」という思い込みのある方が少なからずいるように感じます。
人には誰でも得意・不得意がある
入れる学校が偏差値で半ば決まってしまうような環境で学生時代を過ごしたせいなのか、単純な上下関係や表面上のわかりやすい優劣の判断基準で物事をくくりがちなのです。
実際には、誰かの能力が他の誰かに比べて、すべてにおいて勝っているということはありえません。得意があり、不得意がある。向き不向きもある。好き嫌いもある。能力を構成している要素を分解していけば、「私はこれが得意だ」「苦手だ」ということが必ずあるはずです。
それなのに誰か特定の人を常に目印にして、それに従うべきだと考えているとすれば、それはまぎれもない「思考のクセ」です。特定の人に従うことで感じられる安心感も、クセが感じさせている幻想でしょう。
このときのアンラーンの合言葉はこうです。
「誰だって間違うことがある」
──だから、ときには疑ってみることがとても大切です。
(3)「だって、これが好きなんだもん」(自分への言い訳)
人生100年時代をどうキャリアチェンジしていくかというようなテーマの講演後、こんな相談を受けることがあります。
「今が好きで、十分満足しているので、変わりたくないんですけど。変わらなければいけませんか?」
どんなに「変化」が叫ばれていても、「今の状態が好きだから何も変えたくない」というのです。それは、一見とても素晴らしいことのように思えます。「今が好き」と言えるのは、恵まれた人生です。
単に慣れているから気持ちいいだけかもしれない
ただ、僕には1つ、気になることがあります。
その「好き」は、本物の「好き」でしょうか?
好きに嘘も本物もないでしょう、と驚かれるかもしれません。なにも、本人が自分を偽っていると言いたいわけではありません。確認したいのは「好き」と「慣れているから心地いい」ことの線引きがしっかりできているかどうかということです。この2つの感情はとても似ているようで、実際には大きく異なるものです。
「このお店が好き」「この土地が好き」というのが、実は単に「すっかりなじんでいて快適だから」という理由であることは、結構な確率で起こっているような気がします。
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「日本が好き」「やっぱり朝はごはんと納豆とおみそ汁がいちばん」「買い物をするなら銀座がいいよね」など、自分の「好き」をたくさん持っている人はとても楽しそうで素敵なのですが、少しだけ不安も感じます。「他を知らないだけじゃないの?」と。
とはいえ、わざわざ「心地よくないものを選ぶ」というのは、なかなかできることではありません。Aという親しんだ心地よいものと、Bという見知らぬものが並んでいるときに、あえてBを選ぶというのは心理的ハードルが高そうです。
そこで、ぜひやってみてもらいたいのは「無条件にAを選ばない」というアンラーンの技術です。慣れていることから少し距離を置いてみる、決まったパターンで当然のように選んでいたものからしばらく離れてみる。どうしてもそれを選びたいなら、その理由を具体的に言語化してみる。
そうすることで、ほんとうの「好き」かどうかがはっきりします。
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提供元:自分の成長にブレーキかける人が陥る3つの思考|東洋経済オンライン