2022.01.21
恨み・怒りは「持つだけ無駄」と言える納得の理由|不満をぶちまけるのは「一種の快感」だが…
なぜかいつも心が満たされない場合、まずは“ネガティブな感情”を手放すべきかもしれません(写真:ペイレスイメージズ1(モデル)/PIXTA)
衣食住には困らず、娯楽もあふれている現代の世の中で、なぜかいつも心が満たされない。まじめに頑張っているのに、なぜかうまくいかない。なんだか疲れるばかりで、前に進めない……。
そう感じているなら、まずは、自分自身を解放するために“ネガティブな感情”を手放すべきだというのは、アップル、グーグルほか名だたる企業のコンサルティングを行うグレッグ・マキューン氏です。「不足思考」から「充足思考」へと変えるべき理由や心のあり方についてお伝えします。
※本稿は『エフォートレス思考』より一部抜粋・再編集してお届けします。
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フランス文学でも描写される「不足思考」
フランスの作家モーパッサンの作品に「紐(ひも)」という短編がある。
まじめな実業家がひょんなことから、無実の罪を着せられる。道ばたで紐を拾っただけなのに、誰かの財布を盗んだという噂が立ってしまったのだ。なんとか無実を証明しようとしたが、噂はとどまるところを知らず、誰もが彼を泥棒だと信じ込んでしまう。町中の人が彼から距離を置き、村八分の状態になる。
放っておけば、そのうちみんな忘れたかもしれない。噂が立つのは仕方のないことだし、気にせずいつもどおりに過ごしていれば、人々も普通に接してくれるようになったかもしれない。
だが、彼はあきらめられなかった。意地でも真実を認めさせようと奮闘し、誰にも聞き入れられないせいで心身を病んでしまった。体はどんどん衰弱するが、彼はどうしても町の人が許せない。
死ぬ直前まで「紐だ。ただの紐だ」と、うわ言のようにつぶやいていた。
不運な出来事が起こったとき、それをあきらめて受け流すのは難しい。どうしても不満や怒りが湧いてくる。
不満を言うのは簡単だ。あまりに簡単なので、多くの人は不平不満を言うのが日常になっている。誰かが待ち合わせに遅れた、隣人がうるさい、急いでいるときに限って駐車スペースが空いていない。
不満をぶちまけるのは、一種の快感だ。
ソーシャルメディアを見れば、ありとあらゆる不満が並んでいる。みんなが攻撃的になっている。巻き込まれまいとしても、知らず知らずに影響を受けてしまう。
他人の愚痴を見るうちに、心が少しずつむしばまれ、世の中の悪いところばかりが目につくようになる。
不満というものが、脳にどっかりと居座ってしまうのだ。
不平不満を口にするうちに、あるいは他人の不平不満を見聞きするうちに、どんどん不満が増えてきた経験はないだろうか。
一方、感謝しようと努めるうちに、感謝すべきことが以前よりたくさん見えてきた経験はないだろうか?
不平不満は、簡単で価値のないものごとの典型だ。
不満を言うだけなら誰にでもできる。そして不満に身をまかせるうちに、頭の中に無価値なゴミがたまり、自由に使えるスペースがどんどん減っていく。
一方、感謝に目を向けると…
不満ではなく、感謝に注意を向ければ、世界の見え方はがらりと変わる。
「不足思考」(後悔、ねたみ、将来への不安)がいっぺんに消え、「充足思考」(順調だ、恵まれている、将来が楽しみだ)へとシフトする。自分がすでに持っているリソースや資産やスキルを正しく評価し、存分に活用できるようになる。
この図を見てほしい。
出典:『エフォートレス思考』
足りないものに目を向けると、足りないことばかりが増えていく。逆に、すでにあるものに目を向ければ、心はどんどん満ち足りていく。
感謝は強力な触媒だ。感謝の心は、ネガティブな感情から力を奪う。そして、ポジティブな感情が広がりやすい環境をつくってくれる。
「拡張─形成理論」という心理学の理論によれば、ポジティブな感情はよい影響をどんどん広げる性質がある。
ポジティブな気分が高まると、視野が広がり、新たな可能性に目を向けやすくなる。心が開放的になり、創造性が高まり、社会性が増す。
すると私たちの心身は成長し、知的にも肉体的にもより高いパフォーマンスが出せるようになる。「正のスパイラル」が生まれ、ものごとがうまくいく確率が高まる。
恩恵を受けるのは自分だけではない。
感謝の心は他者に向かい、周りの人たちの心を明るくする。心の重荷が軽くなり、新たな可能性が見えてくる。ポジティブなサイクルが、自分をも他人をも成長させるのだ。
一方、不平不満をため込むと、「負のスパイラル」が生まれる。
ものごとがうまくいくのではなく、どんどん困難になっていく。ネガティブな気分が高まると、視野が狭まり、新たなアイデアや他者に対して心を開くことができなくなる。心身が縮こまり、使えるリソースがどんどん少なくなる。
その結果、そもそも不満の原因だった状況を変える力さえなくなってしまう。そしてまた不満が増えていく。
このように、動きだしたら止まらない現象を、ジム・コリンズは、「弾み車の法則」と呼ぶ。
「一度回転がつくと、それ以上力を入れなくても、弾み車はどんどん速く回りだす」とコリンズは言う。「2回転、4回転、8回転。弾み車に勢いがつく。16回転、32回転。どんどん動きが速くなる。1000回転、1万回転、10万回転。そして、ブレイクスルーがやってくる。もう止められない速さで、弾み車は勝手に回りつづける」。
要するに、ポジティブな態度はどんどんポジティブな効果を生む。最初の勢いさえつけてしまえば、成果を出すのはどんどん簡単になり、やがてはエフォートレスになるのだ。
交通事故で家族を失ったある人の話
クリス・ウィリアムズは、人生の最優先事項を知っていた。家族だ。彼にとって家族とは、何ものにも代えがたい価値のあるものだった。
ところが2007年のある冬の日、悲劇が起こった。家族を乗せて車を運転していたときに、若者の運転する車が全速力で横から突っ込んできたのだ。ウィリアムズの妻と、お腹にいた赤ちゃんと、9歳の娘と、11歳の息子が亡くなった。
6歳の息子はかろうじて生き延びた。14歳の息子は、そのとき友人の家にいて事故には遭わなかったが、ショックでふさぎ込んでしまった。
そんなことがあったら、打ちのめされるのも無理はない。理不尽な出来事への怒りと悲しみに、普通は圧倒されるだろう。事故の加害者への恨みを何十年も抱きつづけたとしても仕方ない。ところが、ウィリアムズはそうしなかった。
事故の数分後、大破した車の中で、彼の意識は奇妙に明瞭だった。その瞬間、悲劇のど真ん中で、彼は2種類の未来をまざまざと想像した。
ひとつは、その瞬間に生まれた怒りと苦しみを背負いつづける未来だ。その未来を選べば、一生のあいだ、ネガティブな感情にさいなまれるだろう。苦しみは生き残った息子たちにも伝わり、心に癒えない傷を残すことだろう。
もうひとつは、そうした重荷から解き放たれた未来だ。生き残った息子たちの心身の傷が治ったとき、彼らに向き合い、そばにいてやれる父親になる未来だ。そこにあるのは後悔や恨みではなく、意味と目的に満ちた人生だ。
この道を選びとるのは簡単ではない。それでも、選びとる価値のある未来だと思えた。
その瞬間に、彼は許すことを決意した。
怒りや苦しみがなかったわけではない。だが、その苦しみに流されて、加害者への恨みを抱えつづけるべきではないと思った。
エネルギーを過去に向けるのではなく、未来のために、手放すことを選んだのだ。
怒りを持ちつづけることにメリットはない
人に傷つけられて、怒りを抱えつづけた経験はないだろうか。心の貴重なエネルギーを、恨みや不満に費やしてしまったことはないだろうか。その傷はどれだけの期間つづいただろう。数週間、数カ月、数年、それとも数十年?
ウィリアムズの話は、別の可能性を示してくれる。
彼のような悲劇の中でさえ、怒りや恨みを手放すことは可能なのだ。本当に大切なもののために、困難な道を選びとることができるのだ。
そのために、ちょっと変わった質問をしてみよう。
「この怒りを、なんの仕事のために雇用したのか?」
これはハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授の考え方だ。マネジメント論の権威であるクリステンセンによれば、人は商品やサービスをただ購入するのではない。特定のジョブを達成するために「雇用」しているのだ。
感情についても、同様に考えることができる。
怒りの感情を雇用する目的は、たとえば満たされないニーズを満たすためだ。すっきりしない気持ちを、怒りが解決してくれるのではないかと期待する。
ところが、業績を評価してみると、怒りはあまりいい仕事をしていないことに気づく。リソースを食うばかりで、投資に見合った効果が得られないのだ。その場合、怒りを解雇したほうがいい。
自分が優位に立ちたいために、怒りを雇用することもある。自分が正しく、間違っているのは他人だと思うためだ。他人に責任をなすりつければ、自分はまっとうで強い人間だと感じるかもしれない。
だがそれは、かりそめの満足感だ。怒りはまるで『ロード・オブ・ザ・リング』の登場人物グリマ(蛇の舌)のように、あたかも忠実な部下のごとく振る舞いながら、主人の座を奪うことを虎視眈々と狙っている。怒りに支配されてしまえば、私たちはずっと他責と自己正当化と自己嫌悪から逃れられない。
他人の関心を引きたくて、怒りを雇用することもある。自分が不当な目に遭った話をすれば、周りの人は同情し、慰めてくれるだろう。やさしくされるのは気持ちがいいから、私たちは何度も何度もその話をしてしまう。
だがそうするうちに、聞くほうも疲れてきて、以前のように同情してくれなくなる。あなたは周りの人に失望し、話を聞いてくれる人を求めてさまよう羽目になる。
自分を守るために、怒りを雇用することもある。自分を傷つけたことのある人に敵意を抱き、距離を置けば、もう傷つけられなくてすむからだ。怒りを持ちつづけることで、心をガードする戦略だ。
だがこれも、結局はうまくいかない。自分を守っているつもりでも、実際は傷つきやすく、不安だらけになってしまう。人を信じることができなくなり、孤立する。
「雨の日にできる最善のこと」とは
詩人のヘンリー・ワーズワース・ロングフェローも言っている。
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「雨の日にできる最善のことは、雨を降らせておくことだ」
自分を傷つけた人に対するネガティブな感情を、手放してみよう。
相手を自由にするためではない。自分自身を解放するためだ。
怒りや不満を、感謝と思いやりに変えてみよう。
それはただの交換ではない。革命的な変化だ。
これを1つひとつ積み重ねるたびに、私たちは少しずつ、エフォートレスな精神に近づくことができる。
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提供元:恨み・怒りは「持つだけ無駄」と言える納得の理由|東洋経済オンライン