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2021.10.01

到来!「第2次スイーツブーム」流行るのは何か|「自由が丘スイーツフォレスト休園」のその後


9月26日に休園となった東京・自由が丘の「自由が丘スイーツフォレスト」は、スイーツの好きの聖地だった(編集部撮影)

9月26日に休園となった東京・自由が丘の「自由が丘スイーツフォレスト」は、スイーツの好きの聖地だった(編集部撮影)

1990年代から2000年代にかけて盛り上がったスイーツブームを象徴する、自由が丘スイーツフォレストが9月26日に休園した。アジアなどの菓子も含めた甘いものの総称として「スイーツ」という呼び名が根づいたのは、同園が大きな話題を呼んだからだ。ラーメンやギョウザなどのフードテーマパークが次々とでき、人気だった頃。同園は2003年11月のオープンからの初年度で230万人を集客し、長い行列が絶えなかった。

やがて、ほかのフードテーマパークは次々と閉園していったが、自由が丘スイーツフォレストは生き残った。17年も続いたのは、有名シェフや新進気鋭のシェフを次々と抜擢し、イベントを仕掛けるなどの工夫を行ったからだ。パティシェの鎧塚俊彦氏も店を持った最初はここだった。

スイーツでさまざまなトライアルを行ってきた自由が丘スイーツフォレスト。休園直前まで趣向を凝らしたスイーツを提供していた(編集部撮影)

スイーツでさまざまなトライアルを行ってきた自由が丘スイーツフォレスト。休園直前まで趣向を凝らしたスイーツを提供していた(編集部撮影)

今話題のデザートコースも、いち早く2010年から企画している。同年、運営会社のナムコがバンダイとの合併に際し撤退した折、オーナー会社の岡田不動産がスタッフごと丸抱えし経営を引き継いだことも大きい。

同園が次にどんな形で再開するにせよ、これで1つの時代が終わった感がある。そこで、これまでに起こったスイーツブームと、今後どんなスイーツがブームを担っていくかを考えてみたい。

元祖は社会現象になった「ティラミス」

最初のブームは何と言ってもティラミス。当時社会現象となるほど人気だった『Hanako』が1990年4月12日号で特集を組み、流行に火がついた。あっという間に全国でティラミスを売る店ができた。原料のマスカルポーネチーズが払底し、ティラミス味のアイスやチョコなどさまざまな展開があったなど、社会現象となったスイーツでもある。

日本でのスイーツブームの火付け役となったティラミス(写真:Roxiller/PIXTA)

日本でのスイーツブームの火付け役となったティラミス(写真:Roxiller/PIXTA)

当時ティラミスが目新しかったのは、コーヒーを染み込ませたスポンジとマスカルポーネチーズのクリームという、特徴あるフレーバーを組み合わせた濃厚な味だったこと、フワフワではなくクリーミーな食感が新鮮だったことだった。

バブルの絶頂期でもあり、イタリアンブランドが愛されたあの時代を象徴するスイーツに。新しいものにどん欲な時代で、まだ知らない外国の味がたくさんあったことが大きなブームに結びついたと考えられる。

スイーツ・飲食業界はその後、ポスト・ティラミスの開拓に乗り出し、消費者も新しい味を求めた。1990年代には、カヌレやベルギーワッフル、ナタデココなど、未知の食感や味わいのスイーツがいくつも流行る。目まぐるしく入れ替わるブームの中、パティシエもフィーチャーするフランス式の生ケーキのブームが訪れた。

フランス式の生ケーキは、タルトやスポンジ、パイの台にムースなどの層を重ね、中にチョコレートやフルーツを入れる複雑な構造をしている。見た目も断面も美しく、そして濃厚で複雑な味わいである。

1990年代には、1993~1999年に『料理の鉄人』(フジテレビ系)が放送されて人気となったことから、料理人やパティシエも注目され始めた。パティシエ人気の中心にいたのが辻口博啓氏。

1997年にお菓子のワールドカップと言われる「クープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスイー」で日本人チームとして3位、個人として優勝する快挙を成し遂げ、1998年に自由が丘に自店を開業した。1999年に同番組でパティシエとして初めて鉄人に勝ったことで、時代の寵児となっている。辻口氏は、パティシエという菓子職人の呼び名を根づかせた立役者でもある。

次にやってきたのはマカロンブーム

スイーツブームがパティシエへの注目を伴ったのは、先の番組の影響でデパ地下が積極的に有名店の誘致を図ったからでもある。その頃からデパ地下ブームも始まり、2000年の東急フードショーの東急東横店開業で大きく盛り上がった。そして、ますますデパ地下スイーツの人気が高まっていった。そのブームに乗る形で、自由が丘スイーツフォレストは誕生している。

スイーツブームの入り口がティラミスだったとすれば、その頂点にあり次の時代を招いたのが2000年代半ばのマカロンブームである。立役者はフランスから上陸した2つのブランド。

1つは、コーヒー味やバニラ味など定番しかなかったマカロンに、ピスタチオ味、ローズ味などの新しいフレーバーを採り入れてカラフルなものにした、ピエール・エルメだ。1998年に日本へ進出、2005年に青山で旗艦店を開業している。

もう1つが、1982年に自由が丘を皮切りに日本へ進出、フランスを代表する食の高級ブランドのダロワイヨだ。

マカロンブームを担ったダロワイヨ(編集部撮影)

マカロンブームを担ったダロワイヨ(編集部撮影)

本社からの要請で2002年頃からマカロンの売込みに力を入れ、2004年に『家庭画報』に広告を出したところ、銀座店に1日100件以上も問い合わせが殺到した。マカロンブームは、六本木ヒルズなどの新しい商業ビルが次々とでき、ITバブルと言われた、実は景気がよかった時期に起こっている。

同じ頃流行していたのが、鋳物ホーロー鍋のル・クルーゼ。どちらもフランス発で、ビビッドで濃厚なカラーバリエーションが売りだ。ポジティブな雰囲気になった時代に、今までの日本にないような色合いの商品が出てきた新鮮さも、ヒットの要因だったと考えられる。ユニクロのフリースがヒットした時代でもあり、カラフルなものが好まれるようになってきていた。

濃厚な色や味のスイーツが次々と人気に

その後、アメリカから上陸したカラフルなトッピングのドーナツ、カップケーキ、ポップコーンなども流行。甘さが強く濃厚で、カラフルなスイーツが次々とヒットする。濃厚な色や味が、この2000年代半ばを分岐点として、人気になっていくのだ。

嗜好の変化は、料理に目を転じるとよくわかる。リーマンショック後にホルモン、2010年代に赤身肉、熟成肉、羊肉などの肉ブームが次々と起こる。2010年代半ばから本格化するアジア飯ブーム、2016年をピークとするパクチーブームもあった。世界各国のクセが強い濃い味を求めるようになっていくのだ。

2021年にスプレッド、アイスなどが次々と発売され、盛り上がるピスタチオブームはそうした2つの流れにある。日本人にとっては珍しいスモーキーグリーンのビジュアル、そしてナッティなクセのある味わいだ。

中東発祥のこのナッツは、ヨーロッパでは人気になっていた。フランス式の生ケーキでも定番の食材だ。ヨーロッパと中東は隣接した地域のため、経済・文化の交流が古くから盛んで戦争もくり返し起こっている。

エキゾチックな印象はあるがあまり知られていなかった中東の料理も近年、ハリッサやコロッケのファラフェルが流行るなど、身近になりつつある。ピスタチオには、そんな中東のエキゾチックな香りを持ちつつ、ヨーロピアンなエレガントさが加わっている。両方の文化への憧れを見せてくれるナッツなのである。

2010年代には、かき氷もブームになっている。2000年代から天然氷を使い、トッピングに凝ったかき氷専門店ができていた。食べても頭がキーンとなりにくいこともあり、マニアを産んだそれらの店は通年営業で、冬も暖房を利かせた中かき氷を楽しむ人たちが集う。2011年に女優の蒼井優氏が『今日もかき氷』を出し、ブームに火がついた。

2010年代は台湾ブームの影響で、マンゴーなどの果汁ごと凍らせる、トッピングを選べて食事にもなる台湾かき氷が話題となって、2015年から台湾のかき氷ブランドが上陸。その頃から始まった第3次韓流ブームの影響で、韓国からもかき氷ブランドがやってきた。こちらはパフェのようなおしゃれなトッピングで話題を呼ぶ。

劇的なブームとなった「タピオカ」

アジアンスイーツの最初のブームは、1993年頃をピークとするナタデココだが、その後杏仁豆腐、マンゴープリンなどが人気となっている。いずれも1990年代のエスニック料理ブームの中にある。その頃ココナッツミルクと合わせたデザートとして、日本人が出合ったのがタピオカ。その最初のブームから四半世紀後、2019年にブームのピークとなったのが、タピオカミルクティーである。

「タピる」という言葉も生まれて、原宿や自由が丘などタピオカミルクティーの専門店が集まる街では、店をはしごする若い女性たちまで現れた。中年世代やビジネスマンも行列に並ぶほどで、テイクアウトが中心で目立ったこともあり社会現象化した。

「タピる」という言葉を生むほどのブームになったタピオカ(写真:PIXTA)

「タピる」という言葉を生むほどのブームになったタピオカ(写真:PIXTA)

タピオカミルクティーの発祥は台湾で、チェーン展開したのも台湾からのブランドが中核を占める。台湾ファンの人たちがブームに火をつけた後、味やインスタ映えするビジュアルが要因でヒットした。

お茶自体がおいしい、とリピーターの中にはタピオカ抜きでお茶を注文する人もいるなど、お茶文化の共通性と新鮮さを併せ持つ点も注目したい。日本も台湾と同じくお茶文化圏にあるが、紅茶やウーロン茶のおいしさを知らない人は多かった。ウーロン茶はサントリーのウーロン茶しか知らない人が多いし、紅茶は上手に淹れるのが難しいからである。

こうしてここ30年のスイーツブーム変遷史を見ていくと、洋菓子とアジアのスイーツばかりであることに、改めて気づかされる。

約40年前に始まったグルメブームも、流行の大半が外国料理であり、私たちは外国の食文化を一生懸命取り込んできたと言える。スパイスやハーブ、油っこさ、濃厚な味わいと、食べ慣れなかった味や香りに最初は驚きを持ち、やがてクセになっていく様子が、くり返されるブームから読み取れる。

異なる食文化の許容度が高くなっているのは、日本人のグルメ化が進んだからだろう。スイーツブームと言われた時期が過ぎてからも、くり返しスイーツの流行は起こっている。このほかパンケーキ、チョコミント、高級チョコレート、チーズケーキ、焼き菓子、なめらかプリン・固めプリンなど、挙げていけばキリがない。

キーワードは「グルメ化」「世代交代」

そうした中、第2次スイーツブームが始まりつつある。

1つは冒頭でも触れたが、デザートコースを出す店があちこちに出現していること。最初から最後までスイーツを出す店が成立するのは、テイクアウトできないデザートならではのパティシエの技の瞬間芸を楽しみたい人がいるからだ。それはさまざまな味と食感、温度帯を楽しませるパフェの高級バージョンとも言える。パフェも、2017年頃からブームになっている。スイーツの楽しみ方が、グルメ化しているのだ。

「ヌン活」と呼ばれるアフタヌーンティーも、スイーツが主役と見なされている。濃厚なバターを利かせたスイーツも人気となっている。王道の洋菓子の技に改めて注目させる流行は、かつての生ケーキのブームを思い起こさせる。

和菓子も今回は注目されている。さまざまなフレーバーのおはぎ、和洋折衷のネオ和菓子、琥珀糖や錦玉羹といった透明和菓子なども人気が高まっている。

和菓子界でも見た目が鮮やかなおはぎなど、さまざまな新星が現れている。写真は「OHAGI3(おはぎさん)」(撮影:今井康一)

和菓子界でも見た目が鮮やかなおはぎなど、さまざまな新星が現れている。写真は「OHAGI3(おはぎさん)」(撮影:今井康一)

旧来の洋菓子店や和菓子店が世代交代できずに閉店する一方で、新しいコンセプトで開くスイーツ店が次々と誕生している。自由が丘スイーツフォレストの休園が示すように、スイーツの世界も世代交代の時期が来ているのではないか。

もしかすると、より濃厚な洋菓子と、現代的に進化したことで再発見される和菓子の2つが、洗練された第2次スイーツブームを盛り上げていくのかもしれない。

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提供元:到来!「第2次スイーツブーム」流行るのは何か|東洋経済オンライン

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