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2020.11.25

五輪125年の歴史、「デザイン」から見えた本質|資本主義、商業主義、都市文化の変遷を映す


近代オリンピック史からはさまざまなことが読み取れる(撮影:鈴木 紳平)

近代オリンピック史からはさまざまなことが読み取れる(撮影:鈴木 紳平)

コロナ禍により、史上初の開催延期となった、2020年東京オリンピック。大々的な招致活動に始まり、大会会場の選定、競技場の建設、インフラの整備、サービス業界の活況など、さまざまに紆余曲折を経て準備万端整ったなか、7月開催を目前として変更を迫られた。
近代オリンピックの発祥は、1896年に開催された、第1回アテネ大会にさかのぼる。フランスの教育者である、ピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱によって、IOC(国際オリンピック委員会)が組織され、古代オリンピックの復興として創立された。その後125年間、全世界52カ所、52回のオリンピックが開催されてきた。
2020年12月1日、125年間のオリンピックデザインを網羅した本が発売される。その名も『オリンピックデザイン全史 1896-2020』、元文化庁長官の青柳正規氏も「誰もこれほどの規模でデザインのすごさを眺めたことはないはずだ」と称賛の声を寄せる、1560ページの大著である。オリンピックデザインから読み解く、近現代の資本主義と商業主義の変遷、メディア史とテクノロジーの成熟について、考察する。

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デザインは予兆をめぐる表現の技芸

デザインは予兆をめぐる表現の技芸である。デザインは単なる記号を超えた予兆を伝えることを目指す表現である点で、予感や予想や予期をもたらすことがある。いずれにしても、未来に希望を与えられるように、人々の知覚を特別な状態にするのだ。『オリンピックデザイン全史』は全2巻1500ページ超にわたって、近代オリンピックのために駆使されてきた招致活動や本大会で用いられた各種ポスター、シンボルマーク、プログラム、メダル、ピクトグラム、入場券など、デザインという予兆の技芸を網羅的に紹介している。その網羅性たるや、驚異というほかない。

驚異の大著であるだけに、いろいろな読み方が考えられる。もちろん通読も可能だけど、やはりサンプリングして乱読するほうが楽しいだろう。自分の生まれた年のあたりのオリンピックのデザインを知るもよし、覚えている大会のロゴやデザインを懐かしむもよし、メダルに刻まれた文様を深読みするもよし、デザイナーの人となりを深掘りするもよし。もちろん手元にもう1冊、デザイン史や現代政治史などを置いて参照しながら通読してみるのも一計である。まさに多様な読み方が可能である。

各大会別にデザインされたアイテムが正確で詳細なキャプションが付されて説明されているだけでなく、コラムが折に触れて設けられて関連するデザインやアイテムが生まれた背景や経緯などが詳細に説明されている

さらには、各大会の主だったデザイナーたちの生の声がリード文として掲載されていて、それによって各大会のデザインコンセプトがはっきり示され、細かいアイテムのひとつひとつのデザインを通じて、その大会がどういう大会であったかが理解できる。

たいていの全史や通史は、資料の少なさも手伝って、黎明期はそれほど密度の濃い記述が期待できないものだが、『オリンピックデザイン全史』は第1回のアテネ大会から詳細なデザインへの探究を怠っていない。

初期の大会で際立った視覚的な表象

初期の大会のデザインからは強く古代ギリシャのオリンピアードを意識した視覚的な表象が際立っている。アテネは古代ギリシャの聖域だ、とヨーロッパ人たちが強調するとき、近代ヨーロッパ人たちは定住する土地でそれを守ることの厳しさや深さの感覚とともに、古代ギリシャが時間と空間とを用意しておいてくれた歴史へのよろこびに満ち満ちていた。

その実、クーベルタンがオリンピックを構想していた頃のヨーロッパには、古代ギリシャを近代の文脈で再評価しようとする動きが盛り上がっていた。オリンピアの遺跡がドイツ人の手によって発掘され、画家たちによるギリシャ再考もひとつのトレンドとなっていた時期である。

ルネサンスに位置づけられた古代ギリシャの位置づけを、産業革命や市民革命を経た近代にもう一度埋め込むことで、ヨーロッパの優位性を確認しようとする時代であったとも言える。ギリシャという古典はヨーロッパの文化芸術にとって、崇高さを引き出す最高の演出である。本書で紹介されている黎明期の大会のデザインでも、ギリシャの神話をモチーフにした視覚的な表象がふんだんに盛り込まれている。

そんなギリシャ再考のプームもあってか、4年に1回の開催や聖火の採用など、クーベルタンは古代オリンピックを理想化して、オリンピックを復活させた。この古代ギリシャの理想化からは、古代ギリシャを近代ヨーロッパという自己に関連づけ、自らの身体に取り込むような、文化混淆を反映させた世界観のあり方が見て取れる。古代のギリシャ人たちをも自らの存在に抱え込んで、「世界」という大きな全体をつくりだそうという思想。それが「オリンピック」という名前で象徴される、クーベルタンが抱いていた壮大な理想なのである。

ところが、そんなクーベルタンの理想主義的なオリンピックも長くは続かなかった。20世紀が幸か不幸か、資本主義の爛熟期にあったからだ。IOC(国際オリンピック委員会)が世界を意識すればするほど、オリンピックはクーベルタンの理想主義を逸脱し国威発揚と商業主義への利用が加速するというジレンマに陥ることになる。

オリンピックの「国威発揚」と言うと、しばしばヒトラーが政治利用した1936年のベルリン大会のことが取り沙汰されるが、本書で紹介されているデザインを見ていくと、ベルリン大会に限らずオリンピックが単なるスポーツイベントではなく、国民国家による開発独裁の成果発表となっていることを思い知る。当然ながら、デザインも開発独裁のシンボルとしての記号消費のトリガーにほかならない。

しばしば批判されるオリンピックの商業主義

オリンピックの商業主義は繰り返し批判される。実際、1984年ロサンゼルスオリンピック以降の大会がプロ選手の参加を認めるようになったことなども含めて、商業主義を疾走していることはどうしても否めない。その是非はともかくとして、オリンピックが行きすぎた国家による開発独裁やIOCへの権力集中を招くことになったのは間違いなさそうだ。しかし本書でデザインとその背景をたどってみると、その商業主義がかなり黎明期のオリンピックにも深く浸透していることがわかる。

なぜかオリンピックを語るときに触れられることはないが、第2回パリ大会(1900年)が万国博覧会、第4回ロンドン大会(1908年)が仏英博覧会の一部として開催された。単独での開催が財政的に厳しかったこともあるかもしれないが、結果的に産業振興や国際貿易促進を大義とする博覧会というイベントと手を携えたことがその後のオリンピックの運命を決めてしまったのかもしれない。

その頃から、黎明期にあったギリシャの神話的な表象は姿を消し、国家や都市の表象をデザインしようとする意図がはっきりと表れている。つまり、都市文化と消費社会が一体化することがオリンピックという大会のコンセプトのようになっていった。それがオリンピックの商業主義と開発独裁に道筋を与えたのだとも言える。

各デザインの洗練度は大会を追うごとに上がっていくのだが、そのデザインの詳細をたどっていると、どうしてもメディア史という観点は考慮せざるをえない気がしてくる。とりわけ20世紀の近代オリンピックにとって、テレビというメディアがもたらした生放送というフォーマットは避けて通れない存在である。近年でもハイビジョン、デジタル放送、4K、インターネット配信といったライヴでの放送あるいは配信の仕様はオリンピックのたびに格段に向上してきた。

オリンピックはテレビ放送を中心としたメディアイベントとなったのだ。東京オリンピックがテレビ放送のオリンピックを決定的にしたことは言うまでないが、そこで使われたピクトグラムなどのデザインはその後のテレビ放送でも重要な補完要素としての役割を果たした。1960年には日本でもカラー放送がスタートし、1964年の東京オリンピックでは、開会式をはじめとして人気競技がカラー放送でテレビ中継された。

1968年のメキシコ大会あたりからはテレビ放送のカラー化を十分意識したカラースキーム(色彩計画)が展開されている。1994年からは実用化試験放送が開始され、1996年のアトランタオリンピックで始まったハイビジョン放送も、カラースキームだけでなくさまざまなマスコットの定着など、大きくデザインワークに影響を与えていることは間違いない。

メディアテクノロジーの技術革新を考慮しながら本書を読んでいくと、オリンピックがメディアイベントとして洗練度を高めていったことも実感できるであろう。

1984年ロス五輪が商業主義に大きく舵を切る契機に

1984年のロサンゼルス大会は商業主義に大きく舵を切る契機となった大会であることが知られているが、その商業主義は放映権のビジネスモデルを基礎としたものである。ロサンゼルス大会で、アメリカ合衆国のシンボルであるハクトウワシをモチーフにしたロバート・ムーアがオリンピック・マスコットとして採用されたことは、いま振り返るとオリンピックのメディアイベント化が宣言されている気もしてくる。 ロバート・ムーアがウォルト・ディズニー・カンパニーの製作であるからだ。

ロサンゼルス大会以降、オリンピックのグローバルなメディアイベント化はますます加速していった。また再現性と拡張性の高いコンピューターによるデザインは明らかにオリンピック関連グッズを数多く市場に送り出すことにもなる。イベントに関連する2次的なグッズのマーケットが拡大して、ますます商業主義の色は濃くなっていった。

テレビの影響力に加えて、コンピューターを用いたデザイン、例えばDTPやCADなどのテクノロジーが導入されることによって、オリンピックのデザインはそのディテールも格段に精細さを増した。

とりわけ1992年のバルセロナ(夏季・スペイン)・アルベールヴィル(冬季・フランス)大会あたりから、コンピューター上のデザインが格段と進化しグリッドシステムによるレイアウトもより精密に表現できるようになり、テレビ放送の高解像度化するに従ってグラフィックの整合性は一層の洗練度を増したように思う。もちろんインターネットの登場によって、中継などのメディアも多様化している。そのため広告の余地は拡大するばかりだ。

科学や技術とは違うやり方で都市文化の神話を更新

オリンピックというメディアイベントに投入されたデザインワークにおいて、素朴に驚くべきこととして、それが科学や技術とは違うやり方で、都市文化の神話を更新しているという事実である。デザインは明らかにその一端を担っている。デザインワークを通じて、近代人は自らの身体と都市との間に、適切な予兆を残してきたのである。

『オリンピックデザイン全史 1896-2020』(河出書房新社)

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コロナ渦での東京オリンピックの延期だけでなく、絶えないドーピング、行きすぎたプロ化による選手の商品化など、商業主義を加速させてきたIOCの組織としてのあり方など、オリンピックの将来は必ずしも明るいわけではない。

クーベルタンがもともと啓蒙家であり、教育者であったことを考えると、国威発揚や商業主義はクーベルタンの理想、つまりオリンピック憲章とは真逆の方向性である。クーベルタンの理想が「国際平和」をもたらすような平和教育だったことを思い起こしてもう一度オリンピックを再興することができるかと問い直してみても、それはすぐさま妄想でしかないことに気づくだろう。

ただここでは、人々の知覚を特別な状態にする予兆を作り出すことがデザインの役割だとすると、『オリンピックデザイン全史』は予兆の集大成である。その過去の予兆を丹念にたどっていくと、そこから人々の知覚を特別な状態にしてきた20世紀に希望を与えてきた都市開発の歴史、メディアテクノロジーの進化、都市文化の変遷あるいはビジネスモデルの洗練度や成熟をじっくりと読み解くことができるだろう。

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提供元:五輪125年の歴史、「デザイン」から見えた本質|東洋経済オンライン

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