2019.01.15
野村克也「メモを取る習慣が弱者を強くする」|長く結果を出し続けるには勘では足りない
野村克也氏が周囲から「メモ魔」と呼ばれるようになったいきさつとは?(写真:アフロ)
野球界で現役、監督時代を通じ輝かしい戦歴を誇る野村克也氏は、周囲から「メモ魔」と呼ばれていたそうです。試行錯誤した新人時代や弱小球団を率いたときも、毎日欠かすことのなかったメモによって自らを高め、チームをまとめ、強者に勝利してきました。メモをどのように役立てたのか、野村氏が語ります。
メモによって一軍定着
かつて私が著した『野村ノート』(小学館)は、50年にわたる野球界での生活の中で蓄積してきた私なりの考えを1冊にまとめたものだ。実はこの本のベースとなったのが、現役時代から私が毎日のようにつけてきたいくつもの「メモ」である。
京都の峰山高校から契約金なしのテスト生として南海ホークスに入団したのが1954(昭和29)年のこと。プロ1年目は代打などで9試合に出場したものの11打席ノーヒットに終わり、2年目も一軍に上がれないままファーム暮らしで終わってしまった。
「来年こそクビになるのでは?」そんな不安をつねに抱えていたが、努力だけは怠らなかった。試行錯誤を続けながらほかの選手の3倍、いや4倍は努力していたと思う。その結果、私はプロ3年目にしてようやく一軍に定着することができた。
私がメモを取るようになったのはちょうどこの頃のことだ。
メモを取るようになったのは誰かの助言などがあったからではなく、あくまでも自主的に始めたものだった。私は頭が悪いうえに、人一倍不器用である。そんな私が相手チームの打者や投手の情報を頭に入れ、攻略の糸口を見つけていくにはメモを取るしか方法がなかった。そんなわけで、生きていくうえで必要だったから、私は自然とメモを取るようになったのである。
ロッカールームなどで私が始終メモをつけているものだから、周囲の人たちは私を「メモ魔」と呼んだ。メモしていたのは、主に相手打者の特徴(長所・短所)である。試合のあった日はロッカールームや帰りの移動バスの中で、その日対戦した打者の対戦結果をひもときながら、その打者の長所(好きな球種、コースなど)や短所(苦手な球種、コースなど)を記していった。なぜヒットを打たれたのか、あるいは抑えることができたのかを考え、それらを克明にメモし、家に帰ってからそれらをノートにまとめた。
人間とは不思議なもので、1晩経つと前の日にあった細かいことのほとんどは忘れてしまっている。私の場合、1試合マスクを被れば、どんなに少なくても約30回は相手打者と対戦するわけで、その1打席1打席、1球1球を毎日脳に記憶し続けることなど到底不可能である。だから私は、その日あったことはその日のうちに必ずメモするようにしていた。夜中、メモを書き記しているうちにゲーム中の興奮がよみがえって眠れなくなってしまい、気がつけば夜が白々と明けていたなどということもしょっちゅうだった。
毎日毎日、ちょっとずつメモを取っていく。これは実に地道な作業であり、根気を要することだ。でも、こういった小さな積み重ねがあったからこそ、私は後に選手として3017試合に出場することができ(日本プロ野球史上2位)、さらに監督として通算1565勝(同5位)という成績を収めることができた。
メモは学びの宝庫だ
3年目に一軍に定着してからというもの、私はシーズン中はメモを取り続け、就寝前にノートにまとめ、その積み重ねによって正捕手の座を獲得することができた。しばらく経ってから以前書いたメモを読み返してみると、「あ、こんなことがあったのか」とか「この時の自分はこんなことを考えていたのか」などと改めて気づくこと、反省することが出てきたりするから、そういった意味でもメモは「学びの宝庫」であるといえるだろう。
思えば学生時代、授業中に取っていたノートこそ、学びの原点である。私はそれほど優秀な生徒ではなかったので、ノートをこまめに取るようなタイプでは決してなかった。でも、大人になり、プロの世界に入ってから始めた「メモを取る」という作業はさほど苦ではなかったし、メモを取れば取るほどその大切さを思い知った。
メモが学びの宝庫であることは、キリスト教の『新約聖書』や儒家の祖である孔子の残した『論語』といった、先人たちが残してきた偉大な書物を見ても明らかである。『新約聖書』は、イエス・キリストが布教活動の中で発した言葉を弟子たちが一冊の本にまとめたものであるし、『論語』も孔子がその弟子たちと交わした問答が記録されている。『新約聖書』は2000年、『論語』は2500年の歳月を経てもなお、人々の間で読み継がれているのだから、私はその事実を目の前にして、メモの大切さを改めて思い知るとともに、メモが学びとなり、人を育てるのだと確信している。
現役時代、ほぼ毎日メモを取り続けていた私だが、ではいったいどのようなメモを取っていたのか、ここで具体的にご紹介したいと思う。
先述したように私がメモしていたのは主に相手打者の長所、短所、そして投手のクセといったものである。とくに「投手のクセ」は短期間で変わる(その投手がクセを見破られていることを察し、フォームを変える)ことが多く、メモを見直してはその都度、変更点を書き込むようにしていた。
ある投手のクセとして当時の私はこんなことを書いている。
ワインドアップで帽子のマークが見えないとストレート、見えるとカーブ。
ワインドアップとは、投手が投球動作に入る前に両腕を頭の上に掲げるフォームのことで、この時、ボールの握り方によって両腕の開き具合にちょっとした差が出る。私はそういった投手のクセに気づくたび、メモを取るようにしていた。ちなみにその投手に関しては後日、メモに赤字で「ワインドアップでのクセは修正されている」と記している。このように私は投手のクセの変化を見逃さないよう、つねに細心の注意を払って観察し、新しい情報を得るとすぐに書き直していた。
投手のクセはフォーム以外にも、捕手の出したサインにうなずくときの「うなずき方」などにも表れた。元読売巨人軍の西本聖投手は切れ味鋭いシュートで打者を打ち取る好投手だったが、その球種に人一倍自信があるものだから捕手がシュートのサインを出すといつも以上に深くうなずくことが多かった。
プロセスを大事にする人はメモを残す
投手によっては自分が不得意な球種、あるいはその日の調子がイマイチな球種を要求された際に「自信のなさそうなうなずき方(あいまいなうなずき方)」をする投手もいた。私は肉体的な変化に加え、そういった「投手の性格」も把握しながらクセを見抜くようにし、それを毎日メモしていた。
手前みそだが、私は投手のこうしたさまざまなクセを見破るすべに長けていたのだと思う。だからこそ、戦後初の三冠王や通算本塁打657本、通算安打数2901本(ともに歴代2位)という好成績を収めることができたのだろう。
ヤクルトスワローズで監督をしていた時の正捕手の古田敦也、さらに楽天イーグルス時代の正捕手・嶋基宏、この2人に私はいつもベンチで語りかけていた。守備から帰ってきた彼らに対し、「あの時投げさせた球種、コースの根拠は何や?」と。
捕手が配球を考えるとき、選択肢は大きく分けると次の形になる。
・インコースか? アウトコース?
・高めか? 低めか?
・ストレートか? 変化球か?
・ストライクか? ボールか?
捕手が「投手に何を投げさせるか?」を考えるのは、これらを組み合わせた16種である。ゲームはいま何イニング目か? 点差は? ボールカウントは? アウトカウントは? さらにその打者は前の打席でどのような対応をしたか? あるいは前の投球にどのように対応したか? ベンチからのサインは? 捕手はそういったことをすべて考慮したうえで、投手に「次はこのボール」とサインを出すわけで、そこには確かな根拠がなければならない。
だから私が古田や嶋にその根拠を問うたとき、彼らが「直感で……」とか「何となく……」というような返答をしてきたときには「何を言っとるんだ!」と叱りつけることもたびたびあった。
結果よりもプロセスが大事
私は現役時代から捕手としてつねに「結果よりもプロセスが大事」と思ってやってきた。適当に出したサインで相手打者を抑えたとしても、次に生かすことのできない根拠なき配球では何の意味も持たない。根拠のある配球なら、たとえ打たれたとしてもその失敗を次に生かすことができる。
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これは野球に限らず、いろいろな仕事においても同じことが言えるのではないだろうか。「結果を出せば何をしてもいい」とばかりに仕事をしていても、そのような適当なやり方では長く結果を残し続けることは決してできない。
プロセスを大切にしたいなら、常日頃から「〇〇とは?」と問題意識を持って考え、自分なりの答えをメモし続けることが重要である。
毎日、何でもいい。「この仕事の意味は?」「利益を上げるには?」「どうやったら相手に喜んでもらえるか?」そういったことを問い続け、自分なりの答えをメモしてみたらどうだろう。同じ質問でも、時が経てば答えが変わることもある。その変化を「自分の成長」として確認できるのも、メモの大きな利点といえよう。
長く結果を出し続けている人、あるいは社会から評価される成功者たちは皆つねに「〇〇とは?」と根拠を問い続けている。皆さんにもぜひ、そんな「プロセスを大切にする生き方」をしてほしい。
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提供元:野村克也「メモを取る習慣が弱者を強くする」|東洋経済オンライン