2018.07.03
満足した人生には「幸せの感じ方」が重要だ|人生の後半では「芯」を決め軌道修正をしよう
100歳まで生きることが、夢物語ではなくなってきています(写真:Fast&Slow / PIXTA)
人生100年時代。人類がいまだ経験したことのない超長寿時代を私たちは生きています。働き盛りの40代、50代はまだ人生の折り返し地点に過ぎません。齋藤孝氏の著書『人生後半の幸福論 50のチェックリストで自分を見直す』をもとに、「幸せの感じ方」や50あるチェックリストの中から一例を紹介します。
『人生後半の幸福論 50のチェックリストで自分を見直す』 ※外部サイトに遷移します
「老後」より「余生」より大事なのは「幸せの感じ方」
人類がいまだ経験したことのない長寿社会の到来──。なかでも日本はその先頭を走っています。お手本にすべき「先例」のない新たな時代を迎えているのです。
働き方にもパラダイム変化が生じています。
60~65歳で定年を迎えても、そこからの人生が30~40年ほどもあります。「定年を迎えたら、後はのんびり過ごす」という生き方は、もはや現実にそぐわなくなりました。60代からを「老後」と呼ぶには早すぎますし、「余生」と言うには長すぎます。
人生が100年近くも続くということを前提にして生きていなかった時代から、明らかにそれを意識しなければいけない時代へと変わりました。
本来、「人生をどう生きるか」というのは思春期から青春期の若者たちがテーマとする問いでしたが、成熟した大人たちの間であらためて「人生をどう生きるか」ということを考え直さざるを得なくなったのです。
雑誌やネットでよく「老後資金としていくら必要か」といった記事を見かけます。もちろんおカネの問題は避けては通れないことですが、はたしてそれがいちばん大事な問題でしょうか。
それ以前に大事なのは、「自分はどういう生き方をすることで幸せを感じられるか」という価値観の再確認ではないかと私は思っています。
老後のためのおカネがたくさんあれば絶対に幸せだというものでもないですし、ただ長く生きればいいというものでもありません。肝心なことは、自分は何があれば幸せなのか、何を大切にして生きていきたいのか──そこです。
価値観は、年齢的なものでも変わってきます。40代くらいまでは、仕事や子育てに追われて忙しい毎日を過ごしています。その時期には、仕事で何を成すかとか、家族をいかに守り養うかということに価値を置くことになります。
しかし50歳前後になると、仕事における自分の立ち位置も変わってくる、子どもが成長して家族のかたちも変わる、健康問題が生じるなど、さまざまな面で変化が起きてきます。価値を感じるものもおのずと変わってきます。
拙著『人生後半の幸福論 50のチェックリストで自分を見直す』で私が提案するのは、人生の折り返し地点である50歳前後になったら、自分の生き方を見つめ直してみよう、ということです。
『人生後半の幸福論 50のチェックリストで自分を見直す』 ※外部サイトに遷移します
100年生きるという新たな可能性を踏まえつつ、あらためて「人生後半に自分が求めるものは何か」を考えてみる。自分の人生後半の「芯」になるものを確かめ、軌道修正をするのです。
それには、現在の自分と、これから自分が目指していくところ、両方がクリアになっていなければなりません。
人生の軌道修正というものは、短いスパンで一気にできてしまうものではないでしょう。50年の年月をかけて今の自分があるわけですから、シフトするのにも時間を要するのは当たり前です。アラフィフでまず自分を見直し、「自分はどうなっていきたいのか」「どう生きたいのか」を見据えたら、そこからじっくりそういう自分になっていけばいいのです。
大事なのは、自分が価値を感じるものをいかに大事にして暮らしていけるかです。それが、人生後半を幸せに導く最大要素だと私は思います。
50代以降のいいところは、ほかの人との比較競争によって幸せが左右されることがだんだんなくなり、自分自身の価値観でいくらでも幸せを得られる領域に入っていくことです。そういう意味では、自分を主体にして本当に人生を味わえるようになるのは、まさにここからかもしれません。
私は現在57歳です。私もまた、人生後半の見直しと軌道修正のただ中にいます。
楽しく、笑顔で、充実した人生後半を生きていくために、今から何をしたらいいのか。一緒に考えていきましょう。
人生後半のチェックリスト
CHECK!(1) 最近、感動していますか?
感動するというのは、「心が動く」ことです。
イキイキと活動しつづけるためには、心が動かなくなっていくことがいちばんよくないと私は考えています。
「感動しやすいか、しにくいかなんて、個人の性格の問題」
なんて思っていませんか。いいえ、これは感性をさびつかせないでおけるかどうか、その人自身の意識の問題です。
寄る年波とともに、身体がだんだん硬くなっていき、可動域が狭まっていきます。
しかし、前屈も開脚もびっくりするほど見事にできてしまう身体の柔らかなご年配の方もたくさんいます。それは、可動域を狭めないよう日々意識して身体を動かしつづけているからです。
心も同じです。動かしつづけることを心がけたほうがいい。いろいろなことに心を動かせられる自分でいること──意識して、そう仕向けていきましょう。それには、「自分の体験にしていく」ことが大事です。
たとえば、オリンピックで誰がメダルを獲ったというニュースに接しても、それだけでは感動はしません。「へえ、そうか……」と思うくらいです。でも、その選手の背景を知り、その試合を身を入れて観ることで「おお、すごい!」「なんて頑張ったんだ!」と感動する。 小説や映画も、あらすじを知っただけでは感動しません。実際に読んだり観たりすることで、感動が湧く。
感動は、エネルギーを省力化して、結果だけを知るところには起こりません。
自分をかかわらせていかないと味わえないものなのです。自分が感動を味わう機会を減らしていないか、考えてみてください。また、心が動くことがあっても、それを意識化せずにそのまま埋もれさせ、忘れてしまっていないか、考えてみてほしいと思います。
手帳に感動したことを書きとめる
CHECK!(2) 心が動いたことを、何かに書きとめていますか?
ツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどSNS全盛の世の中です。おそらくこの流れは今後も続くことでしょう。私はSNSには、心が動いたこと、感動したことを書くのがいいのではないかと思います。
私は、それを手帳に書き込んでいます。心が動いたことを手短に記しておくのです。
たとえば、バドミントンの世界選手権で奥原希望さんがシングルスで優勝したときは、手帳に「奥原希望さん、祝金メダル!」と書きました。何の所縁もなく、お会いしたこともありませんが、「こんなすごい試合を見せてくれてありがとう」という気持ちで書きとめたのです。スポーツ好きなので、そういう記録はとても多いです。
観た映画は、タイトルと主演俳優の名前をメモしておきます。タイトルだけではどんな映画か思い出しにくいこともありますが、俳優さんまで書いておくと、すっと思い出せます。心に残るセリフがあったら、それを書いておくこともあります。本の中の印象に残る言葉だとか、テレビで見聞きした秀逸なエピソードなどを書くことも。
その他、「ちょっと気分が上がったこと」があったら、手帳にニコニコマークを書き入れます。たとえば、初めてお会いして対談をした方と意気投合して話がはずんだら、ニコニコマーク。疲れぎみだったのでマッサージを受けに行ったら、施術をしてくれた人がとてもうまくてすっきり爽快になった。これもニコニコマーク。
食事に行ったら、初めての店がすごくおいしくて、「いい店見つけた」という気分になった。これもニコニコです。「これが一個あったから、今日はいい日だった」と考えると、その日の終わりを気持ちよく迎えることができます。
手帳は、日々何度も見るものです。並んでいる小さなニコニコマークは、「この日もいいことがあった」という証、ささやかな幸せの蓄積なので、それが目に入るだけでも、日々の幸福感が上がっていきます。
私にとって手帳は「予定」を書くためだけのものでなく、「今」を記録するもの、自分の時間に小さな幸せを増やしていくものでもあります。
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提供元:満足した人生には「幸せの感じ方」が重要だ|東洋経済オンライン