2017.08.23
残業代ゼロは年収4000万円超からでよいのか│若者は「働かないオジさん」に搾取されるな
「働かないオジさん」に多額の残業代が支払われているとなれば、そのシワ寄せが誰にくるのかを考えなければいけません(写真 : プラナ / PIXTA)
フリーランスで働いている人にとっては、「働いた時間ではなく、成果で報酬を決める」という考え方は、当たり前のような話です。しかし、日本の労働法はそのような立て付けになっていません。労働法上の大原則は、「働いた時間に応じて割増賃金(残業代)」を支払うことになっていることは周知の事実でしょう。
「高プロ」導入理由の建前と本音
昨今、「高度プロフェッショナル制度」(以下、「高プロ法案」)の議論が盛んになっています。この制度は、年収1075万円以上の高所得層で、特定の高度専門業務(たとえば、金融商品の開発、ディーリング業務、アナリスト業務、コンサルタント業務、研究開発業務など)の人に対し、労働時間規制を外すものです。なぜ、いまこのような制度の導入が検討されているのでしょうか。
政府や経団連などの主張を見ると、導入理由としては、「時間ではなく成果による働き方を制度としても後押しすべき」「通常の労働時間に拘束されない仕事のやり方を求めている」「特にホワイトカラーにおいては、考えることが仕事なので、通常の労働時間管理になじまない」といった理由が述べられていますが、正直に申し上げて、これは建前です。では、本音は何か。少なくとも当面の目標は、年功序列賃金の下、高くなりすぎた「働かないオジさん」の処遇を下げることです。日本の労働法では解雇規制と賃下げ規制が厳しく「働かないおじさん」であっても、なかなか解雇や賃下げをすることができません。大企業を中心に、このような方は多数みられます。つまり、待遇と成果が見合っていない、部下を持たないベテラン社員などの賃金を抑制したいというもくろみがあるのです。
反対派の方々はとにかく「残業代ゼロ法案」というネーミングをつけて批判を展開するわけですが、この議論は表面的なレベルで終わらせてはなりません。これは、20~30代と、40代以降との、世代間不平等の是正につながる問題でもあるのです。
問題点をクリアにするために、まずは高プロ法案反対派の主張を見ていきましょう。反対派の主張の主なものは、①年収1075万円という基準が将来的に引き下げられる、②残業代ゼロの対象労働者が無限定に拡大される、③長時間労働による健康被害を生じるというものです。
まず、①の1075万円という基準について、「導入時は高く見積もっておき、後に省令で下げる腹づもりなのだろう」と基準の引き下げを警戒する向きがあります。しかし、高プロ法案は、厚生労働省の統計による「基準年間平均給与額」の「3倍の額を相当程度上回る」という条件がついています。これは法技術的な話になりますが、水準の引き下げは省令では不可能で、法改正が必要になります。つまり、民意を無視して勝手に変えることはできませんので、その批判は当たらないでしょう。
ブルーワーカーとホワイトカラーを区別すべき
②対象労働者の議論については、工場労働者などブルーワーカーと、知的労働を行うホワイトカラーをきちんと区別して論じるべきです。工場労働者の仕事は、働いた分だけ比例的に生産が行われます。そのため、時間比例的に賃金を払うというのは合理的なのです。
一方で、知的労働が主なホワイトカラーについては時間と成果が見合っていないケースがあるのもまた事実でしょう。たとえば「顧客へのよりよい提案を考える」という業務の場合、よいアイデアが3時間で思いつくこともあるでしょうし、10時間考え続けても思いつかない場合もあります。3時間でよいアイデアが思いついたケースと10時間でアイデアを思いつかなかったケースでは、現状の法律ですと、残業代がもらえるのは10時間会社で考え続けていたほうになります。
つまり、成果と時間比例の報酬が見合っていないことになります。このような業務であれば、時間ではなく、成果によって賃金を支払うほうが合理的といえます。そして、対象業務の点も法律で明記されていますので、対象拡大にはさらなる法改正が必要となるため、①と同じ議論になります。
③長時間労働による健康被害という点は、確かに労働者の健康確保を図ることは当然です。しかし、これは大前提すぎる議論で、別に高プロ制度に限った話ではありません。正社員でもパートでもアルバイトでも、健康確保が大事なことは当然だからです。
健康確保の論点と高プロ導入の是非は別の問題です。現に高プロ制度でも年間104日の休日取得を義務づけたり、産業医面談を条件とすることが検討されています。重要なことは、高プロ対象者の「健康確保をどうすべきか」という議論であって、導入否定の理由になるものではありません。
さて、一方で、導入すべき本当の理由は何か?について考えてみましょう。まず出発点は「賃金原資の総額は限られている」という当たり前の点から出発する必要があります。高年収にもかかわらず管理監督者ではないため、残業代が発生する「働かないオジさん」に多額の残業代が支払われるとなれば、パイが限られている以上、そのシワ寄せはどこかに行くことになります。
おそらく、いちばんワリを食っているのは「頑張っている若者」でしょう。その意味では、経団連や政府が主張する「時間ではなく成果による貢献」に応じた賃金支払いをするのであれば、若くて頑張っている人にはむしろ有利になる事態が生じます。これを脊髄反射的に「残業代ゼロ法案反対!」と言っていると、結果的に既得権を得ている「働かないオジさん」だけが守られるという、歪んだ状態が起きかねません。
成果を適切に評価する仕組みへと変化が求められる
さらに、高プロ導入議論の本当の論点は「働かないおじさん」議論の次にあります。そもそも、これまでの昭和的働き方である「長時間残業をして頑張っている人」が評価される仕組みから、現代では役割・成果を適切に評価する仕組みへの変化が求められています。今の法律では、成果にかかわらず、長い時間働いたほうが賃金が多くなる仕組みになっているが、これ成果によって賃金を支払うようにを変えようということです。
ただし、成果によって賃金を払うという法律はブラック企業に濫用されやすく、残業代不払いの口実に使われる可能性があります。そこで、高プロの対象は自律的に自らの働き方をコントロールするだけの一定水準の給与を得ている場合に限るべきでしょう。そもそも一定水準の給与を得ている場合、本当に時間比例で賃金を支払うことが合理的なのでしょうか?
労働法の業界では有名な裁判例として、年収4000万円超のプロフェッショナル社員が早朝ミーティングに出席していたときの残業代請求をした「モルガンスタンレー事件」というものがあります。この社員は、外国為替等の営業職だったのですが、管理職の立場でもなければ、裁量労働をしていたわけでもなかったため、労基法を形式的に解釈すると会社は残業代を支払わなければならないことになります。
しかし、東京地裁は労働者の請求を棄却しました。「一定の水準を超える賃金をもらっている人は自律的な働き方をしており、成果が求められるため、時間給をベースにした残業代支給をすることは妥当でない」という考え方を採用したのです。すると、高プロ制度の真の論点が浮かび上がってきます。これは、「時間で成果を測れない仕事」の年収ラインをどこに設定するのかという問題なのです。そのラインは4000万円でしょうか、1000万円でしょうか、それ以外でしょうか。
もちろん大前提として知的労働など、対象は限るべきですし、健康確保措置を講ずることも当然です。しかし、安易に「残業代ゼロ法案反対!」などと思考停止していると、損をする人がいるということや、本当の問題はどこにあるのかという議論は置き去りにされてしまうのです。
専門職で年収1075万円以上の人を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」を盛り込んだ労働基準法改正案が議論されています。時間に縛られない「自律した働き方」と認められる年収水準は、どのラインが妥当でしょうか。ぜひ、アンケートへの投票をお願いいたします。
— 東洋経済オンライン (@Toyokeizai) 2017年8月22日 ※外部サイトに遷移します
倉重 公太朗 :安西法律事務所 弁護士
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提供元:残業代ゼロは年収4000万円超からでよいのか│東洋経済オンライン