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2024.08.01

強い精神力に必要不可欠な「心のコントロール法」|「自分の感情を客観視できるか」が重要ポイント


感情を克服するポイントはやはり、感情で心が高ぶっている最中でも「本当の自分」を強く意識できるかどうかです(写真:ペイレスイメージズ1(モデル)/PIXTA)

感情を克服するポイントはやはり、感情で心が高ぶっている最中でも「本当の自分」を強く意識できるかどうかです(写真:ペイレスイメージズ1(モデル)/PIXTA)

緊張や不安、喜怒哀楽に振り回される日々はもう終わり。人間関係、周囲の雑音などの環境に左右されない。「自分基準」の“絶対的”な生き方へ――。

「人生終ったかも……」防衛大入学直後に心が折れかけた「のちの陸将」は、どうやって自分のメンタルを鍛えたのか? 2016年熊本地震の災害派遣を指揮した元陸将、小川清史さんが教える一生使える心のトレーニング法『どんな逆境でも、最高のパフォーマンスを発揮する 心を「道具化」する技術』から、一部抜粋してご紹介します。

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「自分の心=自分自身」なのか?

最初にひとつ質問があります。

「自分の心=自分自身」だと思いますか?

いきなりヘンなことを聞いてくるなと思われるかもしれませんが、ご自身のことをよく考えてみてください。

これは別に哲学や科学に関する話ではなく、あくまでもみなさんが「自分」というものをどう認識しているかという確認です。なので、「最新の科学ではこれが正しい」「哲学的にはこう考えるのが正解だ」という意味の問いではありません。

ただ、私のこれまでの経験上、自分のメンタル面の弱さ(心の弱さ、精神的な弱さ)に悩んでいる人(自分の感情・欲望に振り回されている人も含む)の多くは、どうやら「自分の心=自分自身」だと考える傾向が見られます。

かく言う私も、感情・欲望に振り回されていた時には、心の状態に必要以上に振り回されている自分がいたので、この傾向の存在は身に沁みて感じています。

では、本当に「自分の心=自分自身」なのでしょうか?

何かに腹を立てて我を忘れるほど怒ってしまった時や、物事がうまくいかなくて落ち込んだ時などに、「あそこまで感情的に怒る必要はなかったかな」「こんなことでクヨクヨ悩んでいる自分が嫌だ」と後悔したり反省したりしたことが、誰でも一度くらいはあると思います。

怒りや悲しみを感じているのは「自分の心」です。

では、その怒りや悲しみでいっぱいになった「自分の心」を客観的に観察し、後悔・反省しているのはいったい誰なのでしょうか?

私が思うに、それこそが「本当の自分」です。

つまり、「自分の心」と「自分自身」はまったくの別物です。

むしろ「心」は、喜怒哀楽などを通じて「本当の自分」を意識するための「道具」であり、「本当の自分」がそれを意識的にコントロールすることで、人生をより良く、楽しく生きることができるようになると私は考えています。

その意味で言うと、「心を道具化する」という表現は、実は正しくありません。もともと心は「道具」なのですから。あえて言葉にしたのは、心が「道具」であることを意識して生きることを強調したかったからです。

ただ、メンタル面で悩みを抱えている人にとっては、心は「道具」ではなく「自分自身」になってしまっています。

だから、しっかりとこれまでの「自分の心」に対する認識を改めて、心のトレーニングを通じて「道具化」する必要があるのです。

感情と心が一体化する、とは?

人間は感情(あるいは欲望)に振り回されると文字通り「我を忘れ」、まるでその感情と一体化したかのような感覚になってしまいます。

それは言葉にも象徴的に表されています。

「私(自分)は怒っている(私=怒っている)」

「私は悲しい(私=悲しい)」

「私はお金が欲しい(私=お金が欲しい)」

「私は出世したい(私=出世したい)」

その感情を抱いているのは「自分の心」なので、まさに「自分の心=自分自身」の状態です。

一方、そんな「自分の心」とは別に「本当の自分」が存在しているという認識に立つならば、これらは次のように表すことができます。

「私の心は怒りを感じている」

「私の心は悲しみを感じている」

「私の心はお金を欲しがっている」

「私の心は出世することを望んでいる」

言葉の上でも、前者より後者のほうがコントロールしやすい(コントロールできそうな)印象を受けるのではないでしょうか。

後者の表現は「本当の自分」の視点による言葉であり、感情と自分の間に“距離”があります。「心=自分」ではないので、心が怒っていても、悲しんでいても、どこか他人事です。

実際、「心」が怒りでいっぱいになっても、「本当の自分」が第三者的な目線(他人事の感覚)でその様子を観察すれば、実はそれだけである程度怒りは収まります。

みなさんも、何かにすごく腹を立てていた場面で、自分以上に腹を立てている他人の姿を見たことで、落ち着きを取り戻したことはないでしょうか。

それと似たようなものです。

強い精神力=心をコントロールできる力

このように「自分の心」が自分自身ではなく、「本当の自分」によってコントロールされるべき「道具」だと認識するだけで、心のコントロールに対する意識が高まります。

今では「本当の意味で強い精神力とは心をコントロールする力が強いことである」と思います。すぐにカーッとなり勢いよく怒る人は決して強い精神の持ち主であるとは言えないと思います。

まずは「本当の自分」が「自分の心」を意識することから始めていただくのがよいと思います。

そして、トレーニングを積むことで、より強く「本当の自分」によって「自分の心」を意識できるようになり、「心」が感情でいっぱいになっている最中でさえ、「本当の自分」によって「心」を冷静に観察できるようになります。

その時、「本当の自分」は、例えばこんなことを考えます(表現上、自分以外の誰かが自分の頭の中で考えてくれているような印象を与えてしまいますが、「本当の自分」といっても「自分」なので、自分で考えるという意味です)。

「ここでイライラして相手に感情をぶつけても、後悔するだけだからやめておこう」

「悩んでクヨクヨしているけど、結局時が経てば何をそんなに悩んでいたんだろうって思うんだよな。いつもこんな気持ちになったことをあとで後悔するのだから、悩むだけ無駄だ」

「今は緊張しているけど、あとから振り返ればこの緊張感も結局大したことないんだよな。やらなければ絶対に後悔するから、どれだけ緊張してもこれだけはやってしまおう」

「後悔先に立たず」ということわざがありますが、「本当の自分」を強く意識することで「後悔を先に立たせる」ことができるようになるのです。

客観的に捉えることができるか

もちろん、こうした気持ち自体は、特に心のコントロール力を鍛えなくても、日常生活でふと頭に浮かぶことはあると思います。

例えば頭に血が上ってカーッとなっている時でも「ここでイライラしても仕方がない」と考える自分はどこかにいるはずです。

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しかし、結局「わかっちゃいるけどやめられない(できない)」になってはいないでしょうか。

普通は、時間の経過とともに「本当の自分」が現れ、感情に振り回された過去の自分を後悔します(こうやって書いていると、心と格闘して悶絶していた過去の自分が明瞭に頭に浮かんできます。これを克服したいと本当に強く思ったものです)。

こうした感情を克服するポイントはやはり、感情で心が高ぶっている最中でも「本当の自分」を強く意識できるかどうかです。

意識できれば「わかっているからやめられる(できる)」ようになります。

後悔している未来の自分を明確に、臨場感をもって認識しているから、今この時に「後悔を先に立たせる」ことができるのです。

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提供元:強い精神力に必要不可欠な「心のコントロール法」|東洋経済オンライン

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