2024.06.13
「迷ったり悩んだりしたときは」"禅の力"に頼ろう|ちょっとした不満も心の持ちようで何とかなる
人生を前向きに生きるのに役立つ、禅の教えをご紹介します(写真:Fast&Slow/PIXTA)
怒り、焦り、嫉妬、不安、後悔……マイナス感情というのは、自然と湧いてくるものであり、それを止めることはできない。けれどもその感情をいつまでも「引きずる」のはよくない――。
新著『仕事も人間関係もうまくいく引きずらない力』では、禅僧であり、世界的な庭園デザイナーであり、ベストセラー作家でもある枡野俊明さんが、禅には、「引きずらない力」を磨き、日々を明るく、たくましく生きるためのヒントがたくさんある、と説きます。
本稿では、同書から一部を抜粋してお届けします。
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頭に血が上ったときの対処法
「且坐喫茶(しゃざきっさ)」――「まあ、座ってお茶でも飲んで」という禅の教え
「頭に血がのぼる」という表現があります。怒ったり、興奮したりすると、頭がカッカとして、わけがわからなくなることを意味します。
そんな状態のままでは、何をしてもうまくいくわけがありません。頭を一度クールダウンして、仕切り直す必要があります。
この禅語はそのための1つの方法として、「お茶を飲んで、ひと息入れてはどうですか」と教えてくれます。
とくに怒りっぽい人や、パニックに陥りやすい人は、「上手にひと息入れる」ことを覚えたほうがいいでしょう。心に余裕がないまま行動してしまうと、さらに余裕がなくなるという悪循環に陥ってしまうからです。
休む時間を惜しまず、ゆっくりお茶でも飲みながら、態勢を立て直す。それが、仕事を進めるうえで、一番効率的といえます。
まさにお茶は、「頭の切り替えをうながす妙薬」なのです。
うまくいかないときの対処法
「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」――「失うものなんて、何もない」という禅の教え
禅語に「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」というものがあります。
人はみんな、何も持たずに生まれてきます。まさに「無一物」だったのです。死んでゆくときも同じ。生前得たすべての物をこの世に置いて、「無一物」のままあの世に旅立ちます。
そう考えると、いまのポジションも、年収も、仕事の成果も、家も、洋服も、何もかもに対する執着が消えていくのではないでしょうか。「すべてを失ったところで、人間の本来の姿に戻るだけ」と割り切ることができます。
もっとうれしいのは、「無一物中無尽蔵」という禅語。
「何もない」とはつまり、この先に無限の可能性が広がっていることだ、というのです。
みなさんも何かうまくいかないことがあっても、悩む必要はありません。「裸一貫に戻るだけ。その先は何者にでもなれる可能性が開けている」と心を切り替えましょう。前を向いて、力強い一歩を踏み出すことができます。
「大道在目前(だいどうもくぜんにあり)」――「進むべき道は一つではない」という禅の教え
趙州(じょうしゅう)禅師はあるとき、弟子から「どの道を行けば、長安に辿り着けますか」と尋ねられました。
禅師は1つの道を指し示すかと思いきや、「どの道を通っても、長安に着きますよ」と答えられたといいます。
このエピソードを通して禅師は、「迷いを去って大悟するのに、この修行のしかたでなければいけないというものはない。どの道を行っても、しっかり修行して、真実を見る目を養えば、必ず大悟の境地に達する」と説いているのです。
何かに行き詰まり、自らの進むべき道がわからなくなったようなときは、まず「この道しかない」という思い込みを捨てましょう。
そうすると視野が広がり、ほかにもさまざまな道があることに気づきます。1つの道がダメなら、ほかの道を行ってみればいいだけのこと。ゴールさえ見失わなければ、大丈夫です。
富士山にもいろんな登山口があるように、何事を成すにも1つの入り口にこだわることはありません。行き詰まったら、多様なアプローチを試みてください。
変化を恐れてはいけない
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」――「いいことも悪いこともいつか終わる」という禅の教え
「諸行無常」は、仏教の根本思想の1つ。「この世で起こることは一切合切が、片時もとどまっていない」という教えです。
たとえば生まれた命は、日々刻々と変化しながら、やがて死を迎えます。自分を取り巻く環境も、毎日の出来事も、常に変化しています。
ところが人間というのは、なぜか「変化」を受け入れるのが苦手です。うまくいっているときも、うまくいっていないときも「この状況がずっと続く」ように思い込みがち。「無常」に逆らう考え方をしてしまうのです。
しかし逆らおうと、どんなにジタバタしても、「無常」の流れを変えることはできません。それは真理だからです。ですからまずは「無常」を受け入れましょう。その流れのままに身を任せるのです。
そうして「諸行無常。いいことも、悪いことも、いつまでも続かない」と考えを切り替えた瞬間、物事はいい方向に向かっていきます。と同時に、いいこと続きで有頂天になることも、不運続きで落ち込むこともなくなります。心が穏やかになるのです。
「真玉泥中異(しんぎょくでいちゅうにいなり)」――「落ち込むのは後回しにせよ」という禅の教え
「本物の宝石は、たとえ泥のなかにあっても、その輝きは失われない」と説くこの禅語から受け取るべきメッセージは、「私たち1人ひとりが持っている本来の輝きは、どんな状況でも色褪せることはない」ということです。
いま置かれている状況に不満がある人は少なくないでしょう。わが身の不運・不遇を嘆く人もおられるかと思います。
けれども、それによって「自分はダメ人間だ」などと落ち込む必要は、まったくありません。
誰もが内包している「仏性(ぶっしょう)」は、どんな状況でも常に輝いているのです。落ち込むのは後回しにして、いまこの瞬間、自分には何ができるのかを考えましょう。
そういう姿勢で目の前のことに力を尽くせば、やがて状況が好転し、自分本来の輝きが“目に見える形”で蘇ってきます。自己嫌悪に陥りそうになったら、ぜひこのことを思い出してください。
自分は唯一無二の存在
「山是山 水是水(やまはこれやま みずはこれみず)」――「あなたは誰とも比べようがない」という禅の教え
山は水になれないし、逆に水が山になることはできません。山が山としてあり、水が水としてあるからこそ、自然は調和が取れているのです。
人間もそう。自分に本来備わっている個性に従って、自分がやるべきこと・やりたいことをする。それが、自然と調和して生きることにつながるのです。
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そういった観点に立つと、ほかの人と自分を比べてうらやんだり、妬んだり、自己嫌悪に陥ったりするのは自然の摂理に反しているといえます。
高尾山が富士山を見て「いいなあ、背が高くて、姿が美しくて」と妬んだりしないでしょう?
人の優れているところばかりに目がいくと、自分にしかない長所や、自分にしかできないことを見いだす目が曇ります。結果、自分らしい生き方を見失うのです。
もう比較するのはやめましょう。妬みが消えたとき、自分は何が得意で、何が苦手なのかがはっきり見えてきます。
あとは、自分の得意にフォーカスするのみ。
苦手なことは得意な人に任せればいいのです。そうすれば、自分の持つ“山は山、水は水”的な個性を際立たせて生きていけます。
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提供元:「迷ったり悩んだりしたときは」"禅の力"に頼ろう|東洋経済オンライン