2023.04.27
職場で「気を使いすぎる人」を蝕む恐怖心の正体|人からの評価が気になったり、働きづらい理由
職場で気を使いすぎていませんか?(写真: takeuchi masato / PIXTA)
何かと気を使う場面が多い、社会人。しかし、気を使いすぎて身動きが取れなくなってしまう人、仕事でもパフォーマンスが低下したり、気を使っているのに「気を使えない」と正反対の評価をくだされて苦しんでいる人は実は少なくありません。こうした症状は専門的には「過緊張」「過剰適応」と呼ばれます。『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』を上梓した公認心理師のみきいちたろう氏が解説します。
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気を使いすぎることは、従来は、個人の能力や性格として考えられていたり、重い場合は大人の発達障害では?と捉えられることがありましたが、最近はトラウマが原因ではないかと考えられるようになってきました。本記事では、身近な症状である過緊張、過剰適応についてご紹介したいと思います。
人前に立つと頭が真っ白になる
営業課長の40代の剛さんは、緊張しやすいことに悩んでいます。例えば、会社の朝礼でいつも手や背中に汗をかきながら話をしています。頭が真っ白になって何を言っているかわからなくなることもしばしば。
一方、同僚や上司は涼しい顔で最近あったことをユーモアも交えて伝えています。自分も同じように話そうとしますが、なかなかうまくいきません。特に今は部下もいることから、余計に意識してしまいます。期初の方針発表会で発表をしないといけないのですが、いつもなんとか乗り越えてヘトヘトになります。
最近、疲れもあって整体に行ったところ、「剛さん、自然体ってわかりますか?」「いつも力が入っていますよ」と言われたそうです。そのことがきっかけで、自分は自然体やリラックスがわからない、ということに気がついたといいます。
社会人の美里さんも、人に気を使いすぎることで悩んでいる1人です。他人の気持ちを考えすぎてしまい、「相手にどう思われたかな」とか、「申し訳ない」という気持ちが強く、あくせくと気を回してしまうと言います。会議や飲み会でも不機嫌そうな人がいると気になってしまって落ち着かないそうです。先日大きな会合があり、美里さんは気使う対象が多すぎてどうしていいかわからなくなって固まってしまい、上司から注意されてしまいました。
先輩からは「もっと、自分らしく堂々としていればいい」とアドバイスされるのですが、自分を出すと自分勝手になりそうでうまくできません。マイペースということがよくわからないそうです。
2つの事例をご紹介しましたが、実はそれぞれがトラウマ(発達性トラウマ)によると考えられる過緊張と過剰適応が疑われるケースです(子ども時代のトラウマのことを特に「発達性トラウマ」と呼びます)。
「トラウマ」と聞くと、どのようなイメージを抱くでしょうか。災害やレイプなど特別なできごとに遭遇した人がなる特殊な問題と考える人もいるのではないでしょうか。
トラウマは、遠い世界の存在ではありません。日常の不調や悩み、生きづらさ、今回取り上げる過緊張や過剰適応などふだん感じる症状としても現れています。トラウマとは私たちにとって、とても身近な存在なのです。
つねに不安感を抱いている
トラウマとは、「ストレス障害」のことを指します。程度はそれほどでなくても慢性的に続くストレスによっても生じます。
トラウマを負うと、つねに危機に備えるような状態になるため、脳では恐怖心や不快感といった感情に深く関わっている扁桃体が過活動を起こします。また自律神経でも、交感神経が優位となります。
これらは無意識レベルで生じるため、いくら意識で落ち着こうとしても自然体がわからず、リラックスすることができなくなります。
パソコンでいえば、つねにバックグラウンドでプログラムが動いているような状態です。緊張度が高いというのは、パソコンの各パーツを制御し、演算を行うCPU(中央演算処理装置)が働き続けて、余力がないような状態です。
CPUに負荷がかかるとパソコンが重くなるように、本来は能力がある人でも仕事や人間関係にうまく対応することができなくなり、結果として「なぜか仕事ができない」「気を使いすぎてへとへとになる」「気を回しているのに評価されない」といったような状態に陥ってしまうのです。
この背景には、しばしば「見捨てられ不安」もみられます。
たとえば子どものころに、親との関わりが希薄だったことなどが影響して、世界(≒対人関係)が安心安全であるという信頼感を持つことができなくなります。
他人が不意に怒り出すのではないか?悪く評価されるのではないか?見捨てられるのではないか? といった不安を抱えているために、過剰に他人の感情を忖度し、先回りしてしまうことで生じるのです。
“気を使う”とは本来、信頼とリスペクトからくるものですが、この場合は、不安から生じているために適度さがなく、よりよい関係をもたらすものにはなりません。
過剰に努力をし、身体を壊すほど働く場合も
健康な世界は有限の循環で成り立っています。やりすぎれば疲れる、飽きる。休息して回復するという自然な流れがあります。人間関係においても、役割の範囲、貸し借り(ギブ・アンド・テイク)があります。他人の役割と自分の責任との区別を認識し、過剰に他人に関わる必要はないと私は考えています。
一方、トラウマの世界はその反対です。自分の周囲に対して、“無限”に捉えることが特徴です。例えば、“無限”に義理堅く、“無限”に責任感や罪悪感を持ちます。他人の問題を自分の責任であるかのように感じます。見捨てられ不安も相まって、“無限”に関係を維持しようとします。
また、疲れを知らないかのように過剰に努力をしたり、身体を壊すほど一生懸命働いたりする人もいます。飽きずにやる気が続くことは良い部分もある反面、脳や身体が過覚醒、過活動を起こしているために休息と活動のリズムを自然に取ることができません。
ビジネスマン、経営者などでもバリバリと活躍しているように見えて、じつは発達性トラウマによって過剰な不安に陥っていたり、ワーカホリック(仕事中毒)に陥ってしまっている人も少なくないのです。
トラウマを負った多くの人の場合、さまざまな症状や生きづらさに悩んだり、年齢が上がるにつれて環境の変化にも直面します。濃淡はありますが、よくよく考えれば”自分がない”ということに気づくようになります。
私はそうした状況を、「ログインしていないスマホみたい」と表現します。物理的には動くけれども、自分のIDではログインしていない。自分の身体はあるし、行動はしているけれど、そこに自分がない、自分のものではない。
本当の意味で自分の身体で動いていないし、自分で経験していない。そのため、重いケースでは、何かを経験しても積み上がる感覚がなく、自分の身になる感覚がありません。それがいっそう、自信を失わせることにつながります。
あるいは自己の喪失感を埋めるために、過剰に成果や報酬、名声を求めるといったことも生じます。
誰もがトラウマを負っている
うつ病やパニック障害なども、実はトラウマが原因であることは珍しくありません。
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「トラウマとは身近なものである」と書きましたが、近年、臨床心理や精神医学の世界では「誰もがトラウマを負っている」と捉えることに違和感がなくなってきています。
職場やビジネスの現場において、これまではさまざまな概念で説明されてきた悩みや困った事象について、”トラウマ”という視点で捉えるとまったく違う様相が見えてきます。
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提供元:職場で「気を使いすぎる人」を蝕む恐怖心の正体|東洋経済オンライン