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2023.02.20

「悩みは人に話すとラクになる」が大誤解な理由|善意の「共感」が実は危険な「共同反芻」を招く


話を聞いてあげるという善意の行動が、かえってネガティブな感情を強めてしまうことがあります(写真:mits/PIXTA)

話を聞いてあげるという善意の行動が、かえってネガティブな感情を強めてしまうことがあります(写真:mits/PIXTA)

「明日のプレゼンはうまくいくだろうか」「昨日はあんなことを言ってしまった」など、私たちは日々、頭の中で話をしている。

このような「頭の中のひとりごと」(チャッター)はしばしば暴走し、あなたの脳を支配し、さまざまな問題を引き起こしてしまう。

一方、この「チャッター」をコントロールすることができれば、あなたは本来持っている能力を最大限に発揮できるという。

賢い人ほど陥りがちな「考えすぎ」から抜け出す方法とは何か? 今回、2022年11月に日本語版が刊行された、40カ国以上で刊行の世界的ベストセラー、『Chatter(チャッター):「頭の中のひとりごと」をコントロールし、最良の行動を導くための26の方法』より、一部抜粋・編集のうえ、お届けする。

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ストレスを感じると支えやケアを求める

動揺して、無力感を覚えたり、傷ついたり、圧倒されたりすると、私たちは感情を吐き出して、慰められたり、正しいと太鼓判を押してもらったり、理解してもらいたいと思ったりする。これですぐに、安心して、つながっていると感じられ、どこかに帰属したいという基本的な欲求が満たされる。

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結果として、内なる声がネガティブな思考に飲み込まれてしまったとき、私たちがたいてい他人に真っ先に求めるのは、「感情的な欲求」の充足である。

人間が脅威に直面したときに頼る中心的な防御反応は、「闘争・逃走反応」だと考えられることが多い。私たちはストレスにさらされると、差し迫った闘いを前に、逃げるか戦闘モードに入るかする。

この反応は、人間の普遍的な傾向を特徴づけてはいるが、研究者は別のストレス反応についても報告している。それは、多くの人が脅威にさらされたときにとる「思いやりと絆」反応だ。人びとは支えとケアを他人に求めるのである。

進化上の観点からすると、このアプローチに価値があるのは、一人よりも二人のほうが捕食者を追い払いやすいからだ。

困っているときに団結すれば、揺るぎない強みとなる。この考え方は、ストレスを感じているときに他人と手を携えると、安心感や連帯感が得られるという研究結果によるものだ。

こうした感情は、ストレスを和らげる一連の生化学的反応――自然に作られるオピオイドとオキシトシン(いわゆる抱擁ホルモン)が関係している――を引き起こし、帰属するところを求める人間の基本的な欲求を満たす。

そしてもちろん、これを実行する中心的な方法は「話をする行為」だ。アクティブ・リスニングを行い、共感を示して、チャッターについて助言を与える人びとが、これらの欲求に対応できる。

こうした欲求が満たされると、その瞬間はいい気分になり、ある種の安心感も得られる。だが、これは等式の半分にすぎない。私たちは「認知的な欲求」も満たさなければならないからだ。

「距離を置いて考える」ことの重要性

チャッターに対処していると、私たちは解決しなければならない問題に直面する。暴れ回る内なる声に抑圧されつつも、当面の問題に取り組み、視野を広げ、最も建設的な行動方針を決定するために、ときには外部の助けが必要になる。

これらはいずれも、支援してくれる人が優しくしてくれたり話を聞いてくれたりするだけでは対処できない。

私たちがしばしば他人を必要とするのは、自分の経験についての考え方から距離を置き、それを一般化し、変えるためだ。そうすることによって、行き詰まった反芻から抜け出し、言葉の流れを変え、気持ちを落ち着けられるのだ。

だがこれは、気持ちについて語ることが大きな助けになる可能性を持っているにもかかわらず、往々にして逆効果になってしまう理由でもある。
心がチャッターでいっぱいだと、認知的な欲求よりも感情的な欲求を満たすことを優先させようとする強いバイアスが働く。つまり、動揺しているとき、私たちは実際的な解決策を探すよりも共感してもらうことに集中しすぎる傾向があるのだ。

このジレンマは、支える側における同様の問題によってさらに複雑になる。助けてもらおうと私たちが手を伸ばす相手も、同じように反応し、私たちの認知的な欲求よりも感情的な欲求を優先させようとする。彼らは私たちの苦痛を見て、何よりも愛と受容で包もうと努める。これは自然なことで、世話をするという意思表示であり、短期的にはときに有益ですらある。

だが、もっと認知的な支援がほしいと私たちがシグナルを送っても、対話者はこの合図を見逃しがちだと研究で実証されている。

ある一連の実験によれば、支える側は、認知的な欲求に対応するアドバイスを与えるようはっきり求められていても、依然として相手の感情的な欲求に対処することが大事だと考えているという。

しかも、そうした感情的欲求を満たそうとすると、往々にして裏目に出て、友人が気分を害してしまうことがわかっている。

では、話すことはどうやって間違った方向に進んでしまうのだろうか。

善意がもたらす「共同反芻」という罠

人びとは、自分が感情的な支えとなるためにそこにいることを示そうと、私たちが動揺したときに何が起こったのかを正確に突き止めようとする――「誰が、何を、いつ、どこで、なぜ」起こしたのか、と。

彼らは私たちに、何を感じたのか、何があったのかを詳しく話すよう求める。私たちが起こったことについて話しているあいだ、彼らは頷いて共感を示すかもしれない。

だが、それによって私たちは、支えを求めるよう最初に私たちを突き動かしたまさにその感情と経験を追体験するのが普通だ。この現象は「共同反芻」と呼ばれている。

共同反芻は、支援が扇動へと微妙に変化する重要な分岐点だ。私たちのことを心にかけてくれる人びとは、否定的な経験についてもっと話をするよう私たちを促す。すると、私たちはさらに動揺し、彼らはさらに質問する。

こうして悪循環が続いていく。そこに簡単に飲み込まれてしまうのは、この循環が善意に突き動かされているからにほかならない。

実際には、共同反芻は、すでに燃え上がっている内なる声の炎に新しい薪を投げ込むのと同じことだ。語りを繰り返すと、不快な感情が蘇り、鬱屈とした気分が続くことになる。

こうした形で私たちに関わる人びとのせいで、つながりや支援をいっそう感じる一方、計画を立てたり、当面の問題を創造的に組み立て直したりすることはできない。その代わりに、ネガティブな感情や生物学的脅威反応が強まるのだ。

(翻訳:鬼澤忍)

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提供元:「悩みは人に話すとラクになる」が大誤解な理由|東洋経済オンライン

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