2022.10.15
食中毒の元凶「アニサキスと戦う男」の壮絶な実験|アジの加工品を作る水産加工会社の試行錯誤
写真左から、熊本大学産業ナノマテリアル研究所の浪平隆男准教授、ジャパンシーフーズの井上陽一代表取締役(写真:浪平さん提供)
食中毒の原因となる寄生虫、アニサキス。近年、一般の消費者によく知られるようになったが、生魚を扱う水産加工業界にとっても大きな悩みの種だ。
消費者に安心して生の魚を食べてもらうためにも、確実にアニサキスを殺せる方法を見つけなければ――。水産加工場を営むジャパンシーフーズ(福岡市)の井上陽一代表取締役が目を付けたのは、熊本大学産業ナノマテリアル研究所(熊本市)の浪平隆男准教授が研究する電気エネルギー「パルスパワー」だった。
立ち上がった、アジの加工会社
「創業当初から我々にとってはアキレス腱でしかない」と井上さんが話すアニサキス。体長2~3cmほどの細長く白っぽい幼虫で、主に魚の内臓に寄生する。寄生した魚を生で食べると、その数時間後に腹痛などを起こすことがある。それがいわゆる「アニサキス症」という食中毒だ(関連記事)。
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寄生する魚はサバやイワシ、アジ、サンマなど。その多くは刺身で食べると美味しい魚たちだが、見方を変えると、魚を刺身などに加工する水産加工業界にとって、アニサキスは厄介者以外のなにものでもない。
この厄介者と長年にわたって闘ってきたのが、井上さんが代表取締役を務めるジャパンシーフーズだ。創業35年ほどになる同社は、主にアジの加工品を大手スーパーに卸している。
アニサキス事故を起こすと、卸先との取引を停止されることもある。過去に同社はアニサキス事件を複数件出した月があり、そのときは月間の取引額が20%、金額にして5000万円が減ったという。
アニサキスはほかの食中毒の原因である細菌などと違い、魚の内臓や筋肉に棲みついている。
「O157などやウイルスなどは衛生環境を徹底的に整えれば防げる。しかし、アニサキスは原料の魚の搬入時点で身に潜ってしまっていたら、どうしようもない」(井上さん)
アニサキス退治へ、同社はこれまで壮絶な努力を繰り返してきた。最初に、先代の代表取締役が編み出したのが、紫外線を魚に照射して、アニサキスを見つけるという方法だ。
「アニサキスの角皮(クチクラ)に含まれるタンパクは紫外線に反応して光るんです。ですので、目視で見つけて取っていきます」(井上さん)
紫外線でアニサキスを見つけている(写真:浪平さん提供)
これは今でも続けている対策だが、身に潜っているものは見つけるのが難しく、完全に駆除することはできない。
井上さんの8年にも及ぶ戦いの中身
100%アニサキスのリスクを取り除いて、安全な商品を提供するためにはどうしたらいいか。井上さんの挑戦は8年あまりも続いた。その内容は次の通りだ。
【挑戦1】X線では見えないということを知っていた井上さん。複数の波長のX線を照射する装置や、より強力なX線を照射する最新の装置を試すも、虫体と魚体のたんぱく質の原子組成がほぼ一緒だったため、画像に映らず失敗。
【挑戦2】近赤外線やテラヘルツ波を出す装置で再チャレンジ。しかし、こちらもアニサキスを撮影できず、失敗。これにより透視画像でアニサキスを見つけることを断念。
【挑戦3】アニサキスが死ぬ薬剤の開発を目指す。しかし食品添加物の認可を取るのに数年単位、1000万円以上の費用がかかるとわかり諦める。そもそも「身に潜ってしまったアニサキスは薬品では殺せない」ことに気づく。
【挑戦4】超音波装置を使って、アニサキスを物理的に殺そうと思い立つ。洗濯機ほどの大きさの業務用の超音波装置をレンタルして実験したが、アニサキスは死なず、アニサキスを入れた水が温まってお湯になるだけだった。
【挑戦5】圧力を使ってアニサキスを殺そうと、アジの身ごと超高圧装置にかける。アニサキスは圧死したが、当然、アジの身もつぶれてせんべいのようになってしまった。
【挑戦6】国内で販売が規制されているような超高電圧のスタンガンを購入。アニサキスに当てたところアニサキスが動かなくなる。しかし、数日後に蘇生してしまったため、失敗。だが、このときに電気に活路を見いだす。
【挑戦7】養殖マグロを陸に揚げるとき、気絶させるために使う電気ショックをアジに当ててみる。養殖場のスタッフの厚意でマグロに当てる数倍の量の電気を当てたが、中まで電気がとどいていなかったようで、アニサキスはピンピンしていた。
【挑戦8】電気ショックより強い電力を当てればよいのではないかと考え、某大学の協力で人工の雷を使った実験を行う。しかし、水槽に入ったアジに雷の電気が流れず、水槽の上に雷が走っただけだった。
大まかに紹介しただけで8連敗。アニサキスは井上さんが考える以上に手強い相手だった。
井上さんは過去の挑戦を振り返り、「人工雷については、協力いただいた研究室の教授に、『アジに人工雷が流れたら、アジが爆発するよ』といわれていたので、まぁ、しょうがないかという感じでした」と苦笑する。
だが、こうした努力を惜しまない姿勢が、熊本大学の浪平さんの研究する特殊な電気エネルギー、パルスパワーに結びついた。人工雷の実験に関わった1人から、「電気でアニサキスを殺せる人がいる」と浪平さんを紹介されたのだ。井上さんはすぐに浪平さんに電話をかけ、こう話した。「パルスパワーで(アニサキスを)解決できませんか?」。
パルスパワーとはいったい?
ところで、パルスパワーとはどんなものか。浪平さんの説明によるとこうだ。
電子レンジやドライヤーなどで使う電力は、一定の大きさを一定時間流している。対して、パルスパワーは短時間に大きな電力を流す。これにより1億ワットというような信じられないくらいの電力が生まれる。弱い力で岩を押してもびくともしないが、一瞬だけグッと力を入れると岩は動く、という原理だ。
パルスパワーとは(グラフ:浪平さん提供)
「もともとパルスパワーはレールガンなど軍事技術として使われていたものです。それを熊本大が産業向けに応用できないかと研究を進めてきました。現在は排ガスや排水の浄化やリチウムイオン電池のリサイクルなどに用いられています」
パルスパワーの特徴は3つ。1つめは大きな電力であること、2つめは短時間なので必要最小限のエネルギーで終わらせられること、そして3つめはパルスとパルスの間に緩衝する時間があるため、温度が上がりにくいこと、だ。
寄生虫とはいえ生物にパルスパワーを用いるのは初めてだったが、これがまさにアニサキス対策にマッチした。
「パルスの電力はものすごいパワーなので、魚の身に守られたアニサキスでも感電死させることができます。また、短時間でかつ緩衝時間があることで温度が上がりにくいため、商品であるアジの身のダメージを最小限にできる。井上社長から話があったときには、”パルスパワーならできる”と思いました」(浪平さん)
初の面会で、いきなり実験
2017年10月、井上さんは浪平さんのゼミ室に向かった。カバンの中にしのばせていたのは、数十匹の同行者、アニサキスが入った小瓶だった。「現物を持っていったら、今日、この場で実験してくれるかもしれない。藁にもすがる思いでした」という。
小瓶に入ったアニサキス(写真:浪平さん提供)
一方で、そんなこととはつゆ知らず、今日は話を聞くだけだと思っていた浪平さん。井上さんのアニサキス退治にかける思いに強く共感するも、いきなり生きたアニサキスを見せられ、「まさか今日、実験!?」と不安がよぎる。
「浪平先生、いまから始めましょう」
井上さんの勢いに押されるように、2人は200m先の研究室へ。部屋の中に設置された装置の電極間に数匹のアニサキスを乗せると、浪平さんはパルスパワー装置の電源を入れた。
パン! パルスが発生した音がして、そこには弓状になったアニサキスがいた。井上さんがいくらつついても動かない。感電死したようだった。
感電死したアニサキス(写真:浪平さん提供) 引用:Fish Sci 88, 337–344 (2022).
Fish Sci 88, 337–344 (2022). ※外部サイトに遷移します
「アニサキスは生きているときはとぐろを巻いているんですが、死ぬと弓状になることが多い。これを見て、月並みな表現ですが、暗闇の中に一筋の光が差したという心境でした」
と井上さんは振り返る。
以降、アニサキス殺虫装置の開発に全力を注ぐことになったジャパンシーフーズと浪平さん。最初に取りかかったのは、必要最小限のエネルギーの量を求めるというものだった。アニサキスを確実に殺し、かつ魚の身のダメージを防ぐ、そのバランスをみる必要があった。
研究室にはジャパンシーフーズから2名の研究員が常駐し、殺虫実験を繰り返した。使ったアニサキスは5万匹。研究員らはアニサキスが本当に感電死したか、この5万匹をひたすらピンセットでつついて確認していった。
対して、浪平さんが課題と考えていたのは、水を使う場で電気を使うという点だ。水は電気を通すので、万が一、人に感電してしまったらアニサキスだけでなく作業員の命も危ない。
「どうやったら安全性を確保できるのか、その辺が苦労しました」
いろいろと考えた結果、電気を流すところを金属板で覆うなどで、解決した。
魚の味に影響が出ないかも慎重にチェック
残る課題は味。せっかくパルスパワーを用いてアニサキスを殺虫しても、魚の味に影響が出てしまえば、商品として販売することは難しい。そこで、人が食べてどう感じるのか、官能テストを実施。
実際に食べてもらって、外観、食感、匂い、みずみずしさ、弾力、魚臭さ、うまみなどを生のアジと比較した。すると幸いなことに遜色なく、冷凍を解凍した製品よりも状態がよいことがわかった。微生物やヒスタミンなどの安全性に関する指標もすべて陰性だった。
2人が出会ってから1年半あまり。ようやくアニサキス殺虫装置の原型が完成した。
大きな冷塩水が入った大きなバケツのような容器 (フィーレ処理槽)のなかに、3枚におろされたアジのフィレ(切り身)が入った樹脂製のカゴを入れ、その上下に金属板を設置。パルスパワーを通すと、アニサキスが感電死する――簡単に説明すると、こんな装置だ。
アニサキス殺虫装置(写真:浪平さん提供)
この装置の仕様に基づいて作られたプロトタイプができたのは、2021年の1月。福岡にあるジャパンシーフーズの工場に運ばれた。装置全体は高さ2m、幅は6m×4mとなった。重さは数100kg。これをフォークリフトで工場の2階(高さ6m)まで持ち上げて設置。微調整を行ったうえ、その半年後から安定した試験稼働を始めている。
将来的には「馬刺し」にも挑戦したい
同社では現在、毎日約4トンのアジ加工品を出荷する。そのうちアニサキス殺虫装置でまかなえるのは、たったの300kg。残りについては今までと同じ紫外線を使った対策を行っている。
たくさんの処理を行えないのは、現在は作業員が手作業で、アジの入ったカゴの出し入れを行っているためだ。「これを改善し、いずれはベルトコンベアで順次、製品を流しながら処理をする装置にしたい。そのために今も開発を進めています」と浪平さん。そのうえでこうも話す。
「ゆくゆくは、アジだけでなくほかの魚や、肉にも応用していきたい。例えば、熊本は馬肉が有名ですが、現在は寄生虫の問題があって馬刺しは冷凍したものしか食べられない。そこを変えていきたい」
この装置を多くの工場へというのは、井上さんも思いは同じだ。
「アニサキスは弊社のみならず、水産業界では長らく苦しめられている問題。この装置で水産業界をアニサキスから解放したい」
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提供元:食中毒の元凶「アニサキスと戦う男」の壮絶な実験|東洋経済オンライン