2022.10.03
「家族に感謝されたい」と語る中年男の残念な思考|仕事に打ち込めるのは誰のおかげか考える必要
家族に感謝されたい、会社から感謝されたい。こうしたマインドを変える必要があります(写真: mits /PIXTA)
あと数年で定年を迎える60歳手前の者です。会社員として働き、大きな結果こそ残していないのかもしれませんが長年にわたって勤務し、今は定年を迎えるにあたって、どうやって大きな成果=軌跡、を残せるかをやはり考えます。そして定年時に会社と家族から感謝される姿をよく考えるのですが、そのためにもどんなことに挑戦したり、どんな成果を狙うのがよいか、そしてどんな心構えでいればよいと思われますか。
MT 会社員
何か奇跡が起きることを期待したり、または奇跡を起こそうと考えないこと、そして根本的に今までの考え方である、自分中心、会社中心、仕事中心のマインドからの大幅なシフトを考えましょう。
頂戴した相談を拝見するに、MTさんは定年を迎えるにあたって、「今までと違う何か」を過度に期待してしまっているように思えます。
しかしながら現在とは過去の積み重ねですから、定年という至極個人的な事情を持って、過去の実績や積み重ね以上の特殊な何かは起こりません。
定年で何かが大きく変わるわけでもない
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すなわち、定年を迎えるからといって、その事実のみで何かがいきなり変わるわけではなく、今までの経験・スキルの積み重ね、人間関係の積み重ね、といった現実的な生活の延長が待っているということです。
したがって、定年を迎えるからといって、いきなりご自身がスーパーマンに変身できるわけではありませんし、いきなり周囲のMTさんへの期待が変化、とくに良化するわけではありません。
まずMTさんはこれまでの社会人生活で、ご自身で書かれているように、「大きな結果は残しておらず」「長年にわたって勤務をしてきた」という状態です。そのような状況の中、定年を迎えるからといって、大きな仕事や成果を期待しても、やや無理があるように思えます。
定年を迎える、というのはあくまでも個人的な事情であり、その事実によって大きな仕事がいきなりできるようになったり、いきなり職業上の能力が向上するわけではありません。
ご自身の持っている職業上のスキルというのは、あくまでも今までの積み重ねのうえに成り立っているものであり、定年までのタイムリミットが決まった瞬間に飛躍的に何かが変わるわけではありません。
したがって、ここは変に大きな成果を残す、という考え方をするのではなく、「長年勤務してきた」ということ自体が大きな実績である、という事実にまずは目を向けましょう。
長期間勤務をしていれば、つらいことも悲しいことも、逃げ出したくなったこともあるとは思います。それにも負けずに、成し遂げた、ということは大きな成果であると誇ってよいことです。したがって、ここから下手に大きな仕事上の成果を狙うよりも、「確実に勤め上げる」ことを優先し、そのことに価値を見出しましょう。
「家族から感謝されたい」は正しいのか
そして、もっと大切なことをもう1つ。
MTさんのコメントに、「家族から感謝されたい」とありますが、そのマインドをそもそも変える必要があります。
といいますのも、定年後は仕事中心ではなく、家庭中心となる可能性が高いですから、よりよい人間関係を家庭内において築くことが求められます。
本来は、現役の時代からそういった定年後マネジメントや定年後への布石をするべきなのですが、恐らくそういった行為がおざなりになっている方は多いものと思われます。
そのうえで申し上げますが、「家族から感謝されたい」だけではなく、「家族に感謝したい」というように、自分中心マインドからの脱却をお勧めします。
何故ならば、「家族から感謝されたい」の背景は、「長期間仕事をこなし、凄いことをやってきた自分は価値があるから、感謝してほしい」というマインドで、自己中心的のようにも見えます。
そうではなく、なぜ自分が長期間にわたって仕事に注力してこられたのか、を真摯に考える必要があります。ご自身が仕事中心でこられたのは、家族の支えがあったからこそだと思います。
仕事で不在がちなMTさんの代わりに、家事や育児・教育、近所や親戚関係を含め、一手に担ってきたのはどなたでしょうか?
先ほど申し上げたとおり、長年の勤務によってMTさんご自身もつらいことなど多々あったかと思います。
でも、同様にご家族の方たちもそういった、つらいことや悲しいこと、我慢してきたことや逃げ出したかったことなど、沢山あるハズです。
場合によっては、むしろ日常生活というリアルな場面につねにいることが求められるご家族のほうが、「仕事という逃げ場」のあったMTさんよりも大変であった可能性もあります。
そういった、自分を支えてくれている存在に気がつき、感謝できるか否か、つまりそういった方に対して「今までありがとう」という感謝の気持ちを伝えられるか否かは、自分中心マインドからの脱却の第一歩です。
感謝されたい、ではなく、感謝する。
そうすることで、決して自分1人で生きてきたわけでもなく、自分が家族を支えてきたわけでもなかったことに気がつくはずです。
長年勤め上げてこられたのは、自分1人の頑張りでもなく、ましてや自分1人が偉いわけではない。支えてくれる存在がいたからこそ、ほかのすべてをやってくれていた方がいたから、自分がなんとかやってこられたのであり、自分1人が家族を支えてきたのではない、と気がつく必要があります。
そうではなく、家族でお互いを支えあって生きてきたのだ。そのことに気がつき、そのことに感謝し、そのことに幸せを感じる。そういった方向にご自身のマインドを軌道修正してみてはいかがでしょうか。
少なくとも、そのほうにマインドをシフトすることで、定年後の人間関係を少しは円滑にすることができるはずです。
「俺がやった、俺が偉い」ではなく、「家族で成し遂げた。本当にありがとう」です。そして勤務先にも、「場所と機会を提供してくれてありがとう」、です。
自分1人が人生の主人公ではない
自分1人が人生の主人公だと考えているようではいけません。家族という単位、社会という単位で、支えあいながら生きて、生活しているのが人間です。会社という組織そのものも、決して1人では成し遂げられない大きな仕事を皆で集まって、皆で協力して成し遂げる場です。
自分1人が主人公ではなく、ヒトの数だけ主人公がいるのです。そしてそのことに気がつけるか否か、そのことに感謝できるか。それがこれからの円滑な人間関係の構築に大切です。
そのような考え方で、定年後MTさんが新たな、そしてよりよい人生の幕開けを迎えるであろうことを応援しております。
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提供元:「家族に感謝されたい」と語る中年男の残念な思考|東洋経済オンライン