2021.11.18
現在56歳以下の老後「3000万円超必要」の驚愕試算|1965年以降出生者9割が老後生活資金を賄えない
2000万円ですら全然足りないかもしれない(写真:sh240/PIXTA)
老後生活資金に2000万円必要という金融庁の報告が、2019年に関心を集めた。しかし、「どれだけの貯蓄が必要か?」という疑問は、うやむやのままにされ、忘れられている。マクロ経済スライドによる年金額の削減や、支給開始年齢が70歳に引き上げられる可能性を考えると、必要貯蓄額はこれよりかなり多くなる。
昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第56回。
老後生活資金2000万円問題
2019年6月に「老後生活に2000万円の貯蓄が必要」という金融庁・金融審議会の報告書が発表されて、大きな関心を集めた。
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ところで、報告書は極めて奇妙な経過をたどった。
まず野党が「年金だけで老後生活を送れると思っていたが、100年安心年金というのはウソだったのか?」と、政府を追及した。
ところが、この追及は見当違いである。なぜなら、政府は、「年金だけで老後生活を送れる」とは約束していないからだ。
政府が約束してきたのは、つぎのことだ。
厚生年金については、モデル世帯の所得代替率を、ほぼ50%に維持する(注)。2025年までに支給開始年齢を65歳に引き上げる。年金保険料率は、現在以上の引き上げは行わない。
「100年安心」とは、「このような内容の年金制度を100年維持できる」ということだ。
このことと、「老後に備えて一定の蓄えが必要」ということは、なんら矛盾しない。
だから政府は、野党の追及に対して、「それは見当違いだ」と言えばよかったのだ。
(注)「所得代替率」とは、年金を受け取り始める時点(65歳)での年金額が、現役モデル世帯の手取り収入額(ボーナス込み)と比較して、どのくらいの割合かを示す指標。
ところが、麻生太郎財務大臣(当時)は、「あたかも公的年金だけでは足りないかのような誤解、不安を与えた」として、報告書の受け取りを拒否するという挙に及んだのである。
これに対して、野党は「逃げ工作、隠蔽工作だ」と批判した。
それ以来、この問題は深く議論されることがなく、うやむやのままで放置されている。
先般の総選挙でも、この問題が議論されることはなかった。
したがって、「老後生活に向けてどのような準備をすべきか?」という指針は、いまだにうやむやのままになっている。
しかし、これから老後を迎える人々にとって、これは大変重要な問題だ。うやむやのままにしておくことはできない。
政府は何を恐れたのか?
いったい、政府は、何を恐れて報告書の受け取りを拒否したのだろうか?
私は次のようなことだと思う。
前記報告書は、
・必要生活費(実支出)=月26.4万円(年316.8万円)
・実収入=月20.9万円(年250.8万円)
・不足額=5.5万円(年66万円)
という厚生労働省の資料を援用して、必要年数=30年として必要額=1980万円としている。なお、実収入のうち、社会保障給付が月19.2万円(年約230万円)だ。
これは、「老後の生活費のうち7割強を年金が保障する」としているように読める(もちろん生活費も年金も、人によって異なる。これは、標準的な世帯に関するものだ。具体的な数字が人によって異なることは言うまでもない)。
しかし実は、これは政府が約束していることとは異なる。
あとで詳しく述べるように、年金の実際の支給額が生活費の7割より少なくなることは、政府が約束している範囲内でも、十分ありうることなのである。
しかし、報告書を受け取れば、「生活費の約7割を年金が保障する」という約束に縛られてしまうことになる。
政府が受け取りを拒否したのは、これに関する言質を与えたくなかったからだと思う。
本来、野党が追及すべきだったのは、「(標準世帯の場合に)老後生活費の約7割を年金が保障してくれるのですね」ということだったのだ。「2000万円必要とはけしからん」と追及するのでなく、「2000万円準備すれば、それで十分なのですね」と確認すればよかったのである。
「マクロ経済スライド」で年金が減る
以上で述べたことを言いかえれば、「老後生活における大きな不確実性は、年金額そのものにもある」ということだ。これについて、以下に説明しよう。
まず第1に、政府が約束している範囲でも、年金額が老後生活費の約7割にならない可能性がある。
これは、マクロ経済スライドという仕組みによる。
「マクロ経済スライド」とは、現役人口の減少や平均余命の延びに合わせて、年金の給付水準を自動的に調整する仕組みだ。
毎年の切り下げ率は、公的年金の被保険者の減少率(およそ0.6%)と平均余命の延びを考慮した一定率(およそ0.3%)の合計である0.9%とされている。
「所得代替率5割が確保される」と言われると、すべての受給者の代替率が5割であるように受け止める人が多いだろう。しかし、財政検証でいう所得代替率とは、新規裁定される受給者についてのものである。
マクロ経済スライドが実行されれば、裁定後時間がたった受給者の代替率は、これより低くなる。毎年実行されれば、10年で約9%、20年で17%ほど減らされることになる。
ところで、実際には、マクロ経済スライドの発動に制約が加えられている。
すなわち、「適用すると年金名目額が減少してしまう場合には、調整は年金額の伸びがゼロになるまでにとどめる」という限定化がなされているのだ。
つまり、年金の名目額を引き下げることはない。だから、物価上昇率が0.9%以上にならなければ発動されない。
実際、マクロ経済スライドは、2004年に導入されたにもかかわらず、2015年までの期間に、一度も発動されなかった。
ただし、調整できなかった分を、賃金・物価が上昇したときに調整する仕組み(キャリーオーバー)が2018年4月から導入された。
この措置は、すでに実施されている。今後も、キャリーオーバーによって年金が減額される可能性が十分ある。
また、名目年金額を減らさないという制約が、外される可能性もありえなくはない。そうなれば、実際に受給できる年金額はかなり減る。
あまりに楽観的な財政検証
第2の、より重大な問題は、政府が言う意味での「100年安心年金」でさえ実現できる保障はないことだ。なぜなら、財政見通しが甘すぎるからだ。
2019年の財政検証では、実質賃金の上昇率が実質GDPの成長率より高いという、何とも奇妙な仮定が置かれている。
実質賃金が上昇すれば、保険料率を一定としても、保険料収入は増加する。他方で、年金給付は、その年度に新規裁定される分は増えるが、既裁定の年金は増えない。既裁定年金は、インフレ率に対してだけスライドする。
だから、年金財政は好転するのだ。
年金財政が維持できるとする大きな理由は、実質賃金上昇率として非現実的に高い値を仮定しているからだ。しかし、こんな都合のよいことが起こるはずがない。
したがって、将来何らかの対処が必要になることは明らかだ。政府が「行わない」としている措置が必要になることもありうる。
保険料引き上げや基礎年金に対する国庫負担率の引き上げなどが考えられるが、難しいだろう。政治的に抵抗が少ないのは、マクロ経済スライドの強化と支給開始年齢の引き上げだ。
支給開始年齢を70歳にまで引き上げる措置が取られる可能性は、十分ある。2年で1歳ずつ引き上げ、10年間かけて行うだろう。仮に、65歳への引上げが完了する2025年から開始するなら、2035年に完了する。
これは、老後に向けての必要資金に大きな影響を与える。
上記金融庁の試算で、収入のうち、社会保障給付は月19.2万円(230万円)だ。5年間では約1150万円だ。
1960年に生まれた人は、2025年に65歳となり、年金を受けられる。したがって、1960年以前に生まれた人は、上記措置の影響を受けず、65歳から年金を受給する。
2035年で70歳となる人は、1965年に生まれた人だ。70歳支給開始になるのが2035年であるとすれば、1965年以降に生まれた人は、70歳にならないと年金を受給できないことになる。
このように、70歳支給開始の影響をフルに受けるのは、1965年以降に生まれた人々だ。今年56歳以下だ。
それらの人々は、単純に考えれば、5年間分の年金額に相当する額を2000万円に加えて、自分で用意しなければならない。
65歳時点で約3150万円の蓄積が必要
したがって、標準的な場合には、65歳の時点で、約3150万円の蓄積が必要ということになる。
高齢者世帯の貯蓄保有額を参照すると、これはきわめて厳しい状況だ。
厚生労働省、2019年国民生活基礎調査によれば、貯蓄額が3000万円を超えている世帯は、全世帯で8.9%、高齢者世帯で10.8%でしかない。
したがって、実に約9割の人々が老後生活資金を賄えないことになる。生活保護の支えが必要な人も出てくるだろう。
以上で述べた問題がありうることを考えて、将来に向かう年金制度を用意するのは、現在世代の責任だ。われわれは未来の世代に対する責任を果たしているとはいえない。
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提供元:現在56歳以下の老後「3000万円超必要」の驚愕試算|東洋経済オンライン