2021.09.30
「常識にうるさい人」ほど精神不安定に陥る理由|過剰な「べき論」はやがて自身を窮地に追いやる
なぜ「常識にうるさい人」ほど、精神が安定しないのか(写真:PonyWang/iStock)
社会の常識に外れた行動をしたくない――そんな生き方を望む人ほど、激しいストレスを感じたり、うつに陥りやすい理由とは? 精神科医の和田秀樹氏による新書『ストレスの9割は「脳の錯覚」』より一部抜粋・再構成してお届けします。
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メディアによる刷り込みを疑わない日本人。それは、常識を重んじる一方で、異端をゆるさない態度にもつながっているようです。
例えば、SNSやネット掲示板の使い方に、それは表れています。SNSやネット掲示板は本来、異なる意見が交わされるのが当然の場所なのに、日本人は「みんなと違う意見を潰す」ということを平気でやる。
そこには、ひとつの“正しそうな”意見には、みんなで「右にならえ」しなければならないという心理がみてとれます。それは「みんなと同じでないと不安」という心理でもあり、また「みんなと意見をそろえるべき」という同調意識の強さの表れでもあります。
日本人を取り巻く「息苦しさ」の正体
しかし本来、全員が同じ意見を持つことなど、ありえないこと。それなのに、「右へならえ」を押しつけられては、ストレスがたまるばかりです。「こうあるべき」と押しつけてくる人たちにかぎって、なんだか苦しそうに見えないでしょうか。
私自身は「右へならえ」が大嫌いな性格です。子どもの頃から私は「自分は人と合わせるのが苦手な人間だ」と自覚して、ひねくれ者として人生を歩んできました。医者という職業を選んだのも、会社員と比べて、人と合わせる必要がなさそうだったからです。
こうした性格のこともありますが、精神科医という立場からも、「みんなと同じ」を疑わない日本人には警鐘を鳴らす必要があると私は考えています。それは、あまりに強い同調への圧力がストレスのもとになり、うつ病などの精神疾患につながりかねないからです。もっとみんなが本音を隠さず、それぞれの意見を自由に発言できる社会になってほしいと願っています。
介護の世界も、メディアによる刷り込みにより、誤解が生まれています。高齢者虐待に関するニュースでよく話題になるのは、多くの場合、介護施設などで起こる事件です。そのニュースによって「介護施設は怖いところだ」「親を施設に入れるなんてかわいそう」という刷り込みがなされます。
しかし、統計値でみれば介護施設で働く職員ではなく、自宅介護における家族・親族による虐待件数の方が、圧倒的に多くなっています。在宅介護をしている家族の35%が「虐待をしたことがある」と報告した調査もあります。
自分の仕事や育児も抱えた家族が、さらに介護をすることは、たいへんな労力です。介護負担を抱えこみ、ストレスから「うつ状態」になるご家族も、たくさんいます。そうしたストレスが虐待につながる。
ただ、在宅介護のこうした問題がニュースとして報じられることは多くありません。実際には、介護施設の職員による虐待のほうが、「珍しいので」ニュースになるのです。そしてこうしたニュースを見て、「家族による在宅介護が理想。親を施設に入れるなんて人でなし」とした、日本人に昔からしみついた刷り込みが強化されるのです。
現実には、在宅介護に比べてみると、プロフェッショナルである介護施設のほうが圧倒的に質の高い介護をしています。今、高齢者の介護にあたっている世代は、おもに、50代か60代世代です。インターネットを通じて、大量の介護サービスの情報を収集できるはずなのに、いまだに「在宅介護が理想」と信じている。刷り込みの根深さ、厄介さが、よく表れている問題です。
「お金」の価値も刷り込みにすぎない
極端なことを言えば、今の経済社会の中心をになっている「お金」の価値でさえも、刷り込みで成り立っています。
貨幣は、人と人とが価値があると「信じる」ことで成立しているのです。もし現代に原始人がやってきたら、数字を刷った紙と交換するだけで何でも手に入るなんて、とても信じてはもらえないでしょう。
しかし私たちは、通帳に記載されている数字を見るだけで「自分にはお金がある」と信じられます。全財産を直接、札束で見る機会がなくとも、通帳に並んだ数字を、リアルなお金に替えられるものと信じています。
「小森のおばちゃま」の愛称で親しまれた映画評論家の小森和子さんは、「振り込み」を信用せず、テレビ出演のギャラも現金でないと受け取らなかったそうです。小森のおばちゃまは、通帳に並んだ数字を信用していなかったのですね。
お金への信用が崩れると、大きな問題が起こります。たとえば、1927年、衆議院予算委員会で大蔵大臣・片岡直温が「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と間違った情報を発言したため、全国各地で「銀行が危ない」という噂が広がり、取り付け騒ぎが起こり、このことが引き金となり金融恐慌が発生します。このように、信用が少しでも揺らげば、お金の価値などは大きく変わってしまうのです。
このように、さまざまな刷り込み、思い込みを信じることで動いているのが、私たちが暮らしている社会というものです。こうした刷り込みをいちいち疑っていたら、現代人として暮らしていくことは難しい。刷り込みの世界で生きるのは、ラクなことでもあるのです。
しかし「お金への信用」のように、刷り込みというものは、社会のなかで共有された「一種の幻想」であることも忘れてはならないでしょう。
リストラを機にうつになる人の特徴
繰り返しになりますが、通常の日常生活では、刷り込みを疑わずにいても、そうそう困ることはないでしょう。
しかし、生きていれば刷り込み通りにはいかない現実に、しばしば直面させられます。
たとえば、「男性というものは、会社員として一生懸命働いて、妻子を養っていくべきだ」という思い込みが強すぎる人が、ひとたびリストラにあうと「自分は人生の落伍者だ、生きていく資格がない」と一気に悲観し、うつ病になってしまう。こんなとき、「こんな生き方もある、あんな生き方もある」と頭を切り替えられたら、また前向きに生きられるのですが、「こうあるべき」思考が強いと、立ち直れなくなってしまいます。
この男性は、自分が抱えている刷り込みをまず疑い、別の生き方もあるということを模索するべきなのですが、疑うことを学んでいない日本人は、これが苦手です。
こういう思考をするタイプだと、リストラを恐れるあまり、ブラック企業でどんなきつい労働条件でも、黙って耐えたりするのです。「なんかおかしいぞ?」と思っても、「こうあるべき」の思考が勝って、ストレスフルな環境でも頑張り続けようとする。「こうあるべき」の刷り込みを疑う姿勢がないと、守らなければならないルールや習慣は、どんどん増えていくばかりです。
「コレステロール値が高いとよくない」と刷り込まれると、体調に全く問題なくても、「コレステロールを下げないとまずい」と、食事のたびに心配するようになります。「メタボは健康に悪い」と言われると、太ってもいないのに節制しないではいられなくなります「高齢ドライバーは危険だ」と思うと、のんびり安全運転の高齢者まで許せなくなります。
こうして、私たちの生活はがんじがらめになり、ストレスだらけになるのです。それでは、なぜ日本人は、「こうあるべき」という刷り込みを疑う習慣を持たないのでしょうか?
それは前回もお話ししたように、高等教育で、「刷り込みを疑う」教育をされずに、大学教授ですら「私の言うことを信じろ」という態度だからだと、私は考えています。
私が強く言いたいのは、日本人は「こうあるべき」を疑うトレーニングをしましょう、ということです。このようなトレーニングを受けていないからです。
「常識」は時代や環境によって変わるもの
私たちを取り囲む情報社会は、新しい思考フレームを次々に刷り込もうとしてきます。
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たとえば、コロナ以前のことを、思い出してみてください。夏場にマスクをつけたら、「オタクみたい」だとか「芸能人ぶっている」だとか、変人扱いをされかねませんでしたか? 上司への報告でマスクをしていたら「失礼だ」と叱られませんでしたか? お店でレジを打つ店員がマスクをしていたら、それにキレたお客さんのことがニュースになっていましたよね?
それが今では、マスクなしで人前に出ようものなら“マスク警察”の人たちに「どういうつもりだ」と詰め寄られてしまいます。
かように、時代の価値観、思考フレームなどは、すぐに移り変わるものなのです。「こうあるべき」も、時代によって移り変わるもの。だから1つの「こうあるべき」を絶対視なんてできません。
だからやはり、何事もまず、疑ったほうがいいのです。疑い続けることは、世界を前進させる力そのもの、人類が進化する力そのものだといっていいぐらいです。
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提供元:「常識にうるさい人」ほど精神不安定に陥る理由|東洋経済オンライン