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2021.09.21

「疲れが取れない人」が知らない脳疲労の正体|精神科医の僧侶が教える「心を整える」技術


頭痛や肩こり、だるさなど、私たちが感じる不調の原因には、気がつかない「脳の疲れ」があるのかもしれません(写真: Fast&Slow /PIXTA)

頭痛や肩こり、だるさなど、私たちが感じる不調の原因には、気がつかない「脳の疲れ」があるのかもしれません(写真: Fast&Slow /PIXTA)

私たち現代人は、かつてないほど多くの情報に接し、日々プレッシャーやストレスにさらされている。その結果、多くの人たちが、疲労感や、原因不明の体調不良に苦しんでいる。

4000万人ものSNSフォロワーを誇る作家、ポッドキャスターのジェイ・シェティは、僧侶となるべく修行を重ねた経験をもとに、自分らしく生きるためのメソッドを紹介し、世界中から熱狂的な支持を得ている。

世界30カ国以上で刊行され、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー1位ともなり、8月に日本語版が刊行されたシェティの著書、『モンク思考』。

今回、禅宗の僧侶(住職)であり、精神科医でもある川野泰周氏に、現代人にとってなぜ本書が重要なのか、話を聞いた。その前編をお届けする。

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心が疲れていることに気づけない現代人

『モンク思考』にはスマートフォンの弊害が書かれていますが、世界が急速に変化し、情報が増えすぎた現代には、自分の心や体が疲労していることさえわからなくなっている方が、かなりいらっしゃいます。

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アウェアネスの低下と言いますが、心のあり方、ストレスに気づく能力が低下してしまい、体に症状が出て、それが慢性的になってから、ようやく「自分は疲れているかもしれない」と感じるのです。

頭痛やお腹の不調が続いたり、めまい、生理周期の乱れなど、いろいろな体の症状に悩まされますが、検査を受けても異常が見つからない。

これを自律神経失調症と総称していますが、要するに、人間の体の組織などの器質的な異常ではなく、機能的な異常が起きているということです。そして、機能的な異常の背景には、必ずストレスがあるというのが心療内科の大原則です。

特にこの1年半は、コロナ禍の影響もあります。最初は緊張感が高まり、アドレナリン、ノルアドレナリンや、ストレスホルモンのコルチゾールといった物質の分泌が増えるなどして、一時的には交感神経が活性化され、やる気が出たり、ハードに動けたりしていました。

しかし、1年以上が経過し、交感神経の頑張りも限界を迎え、逆に今度は副交感神経が立ち上がってきていると考えられます。緊張感の連続には耐えられなくなり、バーンアウト(燃え尽き)する時期に入ってきているのです。

女性の自殺者数は、近年で最も多くなってしまいました。男性もその傾向が想定されています。そしてこれからさらに自殺者が増えると懸念されています。先が見通せないという社会不安そのものも、多くの方の心に影を落としてしまいます。

ストレスが色濃くなり、情報過多で脳疲労が起きている状態。それが現代人特有の問題と言えるでしょう。

「脳疲労」の正体は自律神経の乱れ

脳疲労とは、正式な医学用語ではありませんが、メンタルヘルスの専門家の多くがその存在を想定しています。脳の機能が失調していることをもって推定される状態で、主に、自律神経の調整作用に影響が見られます。

川野泰周(かわの・たいしゅう)/臨済宗建長寺派林香寺住職、精神科・心療内科医。1980年横浜市生まれ。2005年慶應義塾大学医学部医学科卒業。慶應義塾大学病院精神神経科、国立病院機構久里浜医療センターなどで精神科医として診療に従事。禅やマインドフルネスの実践による心理療法を積極的に導入している。また、2011年より建長寺専門道場にて3年半にわたる禅修行を経て、2014年末より横浜にある臨済宗建長寺派林香寺住職となる。現在は檀務とともに、坐禅会や社員研修、講演やメディア出演など、マインドフルネス普及活動にも取り組む。『精神科医がすすめる 疲れにくい生き方』『「精神科医の禅僧」が教える 心と身体の正しい休め方』『ずぼら瞑想』ほか著書多数(写真:筆者提供)

川野泰周(かわの・たいしゅう)/臨済宗建長寺派林香寺住職、精神科・心療内科医。1980年横浜市生まれ。2005年慶應義塾大学医学部医学科卒業。慶應義塾大学病院精神神経科、国立病院機構久里浜医療センターなどで精神科医として診療に従事。禅やマインドフルネスの実践による心理療法を積極的に導入している。また、2011年より建長寺専門道場にて3年半にわたる禅修行を経て、2014年末より横浜にある臨済宗建長寺派林香寺住職となる。現在は檀務とともに、坐禅会や社員研修、講演やメディア出演など、マインドフルネス普及活動にも取り組む。『精神科医がすすめる 疲れにくい生き方』『「精神科医の禅僧」が教える 心と身体の正しい休め方』『ずぼら瞑想』ほか著書多数(写真:筆者提供)

脳には、前頭葉と視床下部、そして海馬や扁桃体などの重要な部位があります。

視床下部は、脳の奥のほうにある自律神経のコントロールセンターにあたる部分です。そこに密接に関わっているのが、理性の中枢と言われる前頭葉です。中でも、おでこの真ん中あたりの内側前頭前野という部分は、雑念が増えると、働きすぎて疲れてしまいます。

海馬と扁桃体は、大脳の奥のほうにある、大脳辺縁系と言われる場所にあります。海馬は、記憶の中枢。過去のつらい記憶がひもづけられている部分です。扁桃体は、感情の中枢で、恐れや不安や恐怖、イライラなど、ネガティブな感情が湧き出す部分です。

理性の中枢である内側前頭前野と、記憶と感情の中枢である海馬と扁桃体。両者は神経線維でつながっており、密接に関与し合っています。ネガティブな感情が扁桃体で生じると、私たちはそれを理性の力でコントロールしようとして内側前頭前野を活発に働かせます。

これは人間という高等生物が社会生活を営むうえで大切なことですが、あまりにも内側前頭前野を活動させすぎると疲れてしまうため、時には瞑想をして休ませてあげるといいということが脳科学(神経科学)でわかってきています。

内側前頭前野と扁桃体の摩擦が大きくなればなるほど、ストレスが生まれます。するとその影響は視床下部にまで及び、自律神経のコントロール機能を乱れさせてしまうのです。

そして、これが体調不良として表れます。こういった脳の複数の箇所における衝突や乱れが、脳疲労の正体と考えられています。

食事中にスマートフォンを見ない、1日5分でも瞑想して脳を休ませるということをしていけば、少しずつではありますが着実に、自律神経の乱れも改善していくでしょう。

瞑想のすばらしいところはそれだけではありません。『モンク思考』のジェイ・シェティさんのように、瞑想を習慣にしていると、「今日は脳の働きが悪いな」とか「思考力が落ちてきたな」というように、体の症状が出る以前の、脳疲労の段階で察知できるようになるのです。

本書には、呼吸瞑想がとても大事だと書かれています。吸った息、吐いた息の両方を意識するという、呼吸に対する細かい気づきを得るトレーニングです。

瞑想によって微細な感覚に意識を向ける能力を鍛えると、普通の人には自覚できないような脳のアンバランスにも気づけるようになります。そして、「今日はデジタル・デトックスをしよう」とか「運動をして気分転換をしよう」とか、状態に合わせて早めにケアをすることができ、未病で防ぐことができるようになるわけです。

「繊細すぎる人」にこそ効果的

マインドフルネスには、2つの要素があります。1つ目は、「気づき」です。先ほど述べましたように、細かなことに気づく能力、アウェアネスです。

ただ、これだけでは、HSP(Highly Sensitive Person:感受性が非常に敏感な性質を生まれながらに持っている人)のように、繊細すぎることによって日々の生活に支障が出てしまうように思われます。

でも、マインドフルネスとHSPとの大きな違いは、「受容性」です。これが2つ目の要素で、アクセプタンスと言います。

受容性が高まっていくと、気づいたものを、あるがままに受け入れていくという心の寛容性が生まれます。実は意外なようですが、HSPの方にこそ、マインドフルネスが効果的です。

つまり、すでに十分持っておられる気づきの能力はそのままに、受容性が養われてゆくために、ご自身の敏感さというものが決して欠点ではなく、生まれながらにして与えられた能力として認識できるようになるのです。

一方、気づきの能力が足りないタイプの方はアウェアネスのほうが育まれます。そしてもちろん、両方が足りない方は両方が向上することが期待されます。このように、さまざまなタイプの方に対して、マインドフルネスはとてもうまく機能します。

マインドフルネスは、最近になって導き出された新しい技法ではなく、人類が智恵をつけ、理性というものを持った瞬間から、もともと備わっていた自己調整能力だと私は考えています。

「科学」と「禅や仏教」の関係

私は、科学的な精神科医としての役割をしながら、精神世界の僧侶としての役割も担っています。一見、相反することと思われますが、面白いことに、これが矛盾しないのです。

医学部を出て精神科専門医になり、30歳になったとき、実家である臨済宗のお寺を継ぐために、最短で3年間の修行に行くことが必要となりました。

まったく違う世界に入って、坐禅の修行をやるわけですから、きっと医学の知識もすべて抜けてしまうだろうとも思いました。もう診療に復帰することもできないだろうから、精神科医としてはこれまでの経験に感謝をして、身を引くつもりでいました。

ところが、修行を終えて帰ってきた頃、以前働いていたクリニックの院長先生から、週に1度でいいから戻ってきてくれませんかとお声がけをいただいたのです。お役に立てずご迷惑をおかけするのではないかと思いながらも、お世話になった院長先生のお手伝いが少しでもできればと、私は診療に戻りました。

最初のうちは、やはり患者さんとうまくお話しできなかったのですが、しばらく診療しているうちに、急に見方がわかり、自分が修行してきた禅や仏教と、精神医学がまったく同じだということに気がついたんです。

修行前の精神科医時代には、患者さんの心の状態を、薬(向精神薬)で人為的に調整するという治療が主流でした。薬物療法は現在でも日本の精神医療のスタンダードですし、それによって救われる患者さんも大勢いらっしゃいます。

ただ私の中では、薬だけでは根本的な解決にならないのではないかという思いを拭い去ることができず、それ以外の何も患者さんに提供できない自分自身に嫌気がさしていたのも事実です。

ところが、修行後の診療では、禅やマインドフルネスに基づいたアドバイスをおこなうことで、患者さん自らが、自分自身の心のあり方、物事の向き合い方を変えてゆくお手伝いができるようになりました。

学生の頃、私が描いていた医師としての理想像は、人の心を明るく、すこやかにする精神科医でした。もしかしたらこんな自分にもそれができるんじゃないかと。修行が終わった今だからこそ、精神科医として診療を続けようと思うようになったのです。

それから7年になりますが、医療と仏教の教えの乖離に悩んだことは一度もありません。

脳科学によるエビデンス

ダライ・ラマ法王14世も、「仏教は科学である」とおっしゃっています。これからの仏教は、科学と対話することによって、平和に貢献するのだと。仏教と科学は非常に相性がよく、むしろ両者は同一のものであると私は思っています。

修行を通して、私自身が心の変容を体験しているだけでなく、実際に脳科学のエビデンスが出てきましたから、患者さんにも伝えやすいのです。

たとえば、背外側前頭前野という部分が活性化されると、アスリートが言う「フロー状態」「ゾーンに入る」という状態を誘導できる可能性が示されています。瞑想している人の脳の血流の状態を、MRIで解析したことで判明したわけです(ただし瞑想とフロー状態が同一のものかについては議論があり、まだはっきりとはわかっていません)。

ブッダは、瞑想が人の心の苦しみや迷いを払う効果があると実感して、人々に伝えようとしたわけですが、それから2500年経ち、脳血流を測定できるようになったことで、それが科学的にも医学的にも正しかったということが明らかになったのです。

欧米では仏教ブームが起きています。アメリカには仏教徒は1~2パーセントしかいませんが、「仏教の教えに人生を変えるような影響を受けた」という人は10%以上もいることがわかっています。

信仰や契約というものではなく、人生の学びとして仏教が受け入れられている。これは、まさしくブッタの教えようとしたことではないかと思います。ブッダは、仏教という宗教を広めたかったのではなく、幸せに生きていくための智恵を広めたかった方なのです。

ですから、本書が欧米でベストセラーになっていることは、とても歓迎できる状況だと感じますし、実際、私が思っていたとおりのことが言語化されており、ここまで明快に語ってくれる人が現れたということに心底嬉しくなりました。

日本のマインドフルネスが10年遅れた訳

本来、マインドフルネスは日本からブームになってよいようなものですが、日本の禅は、どうしても、お寺の坐禅会でベテランの方たちが難しい顔をして坐禅を組んでいて、近寄りがたいというイメージがあり、若い人に受け入れられづらいのです。

1980~1990年代頃にかけては、社員教育という名目で、若い新入社員を無理やり禅の道場に行かせ、「1週間、根性をたたき直してこい!」という根性試しのようなことがよく行われていました。これがきっかけでまだ職場に配属もされていないのに退職してしまった人もいたそうです。同様のことは学校教育の中でも課外学習と称しておこなわれていました。

このために、今の50~60代の人のなかでも、「若い頃むりやり坐禅をやらされた」「しごかれた」というようにネガティブに捉えられている向きもあります。

さらに、1995年にはオウム真理教事件が起きました。瞑想のような修行によって信者はマインド・コントロールされ、毒物を散布して多くの人の命を奪ったという凄惨な事件です。実際には教団が信者にしたことは瞑想ではなく、洗脳だったわけですが、結果的に、瞑想も坐禅もヨガもすべて洗脳に結び付けられてしまったのです。

結果、10年前、海外でいわゆる「マインドフルネス・ブーム」になっていたときに、日本では、瞑想は、「あやしいもの」のレッテルを貼られ、敬遠されていました。ですから日本のマインドフルネスは10年以上も遅れています。

私は、なんとかみなさんに再認識していただくために、入り口は何でもよいと考えています。ですから、「坐禅」ではなく、あえて「マインドフルネス」というなじみのない外来語を使い、クリエイティブな新しいことだと理解してもらうことも悪くない。そう考えて活動しています。

やり方も簡便にして、最初は数分でいいですよともお伝えします。でも、やっていることの源流にあるのは仏教の坐禅ですから、続けるうちに、実は、禅もマインドフルネスも、そして、ヨガも太極拳も、すべて同じマインドフルな行為だったんだとみなさん気づくようになるのです。

技術革新の時代から、心の時代へ

伝統を伝えるためには、形と心の両方が継承されていかなければなりませんが、形が残って、心が失われるということが、多方面で起きています。相撲も、本当の礼節や様式美に対する心が失われ、「最近の力士は人格から教育しなければならない」という声も聞かれます。

日本の禅や仏教も、「葬式仏教」と揶揄されて久しくなります。その理由には、お寺を維持していく仕組みが、檀家制度に偏っていることがあるでしょう。

かつてのお寺は戸籍を管理する機能と、地域で教育を行う寺子屋の機能を担っていました。しかし、戸籍は役所に、教育は学校に移譲され、とうとうお墓を管理して、決められたお経を読み、儀式をやるという機能が残ったのです。

しかし時代は刻一刻と変化しています。これまでは技術革新の時代でしたが、2020年以降は、心の時代に入っていると私は考えています。お寺の存在も、その「心」が問われる時代を迎えているのではないでしょうか。

本当の心に立ち返ってみたとき、とりわけ現代の若い世代の方々に対しては、禅や仏教の世界のいろいろな言葉よりも、単刀直入に表現した「マインドフルネス」というもののほうが、ブッダが見出した智恵をダイレクトに伝えることができるという側面があるのではないかと、私は考えています。

法事やお葬式などの催事も大切ですが、亡くなった人の魂だけでなく、今を生きる人たちをどう救えるのか。マインドフルネスは、形だけでなく、心を見つめるべきときを迎えた日本の禅や仏教において、本来伝えてきたはずの智恵を再認識させてくれる一助になるのではないかと思います。

(構成:泉美木蘭、後編へ続く)

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提供元:「疲れが取れない人」が知らない脳疲労の正体|東洋経済オンライン

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