2021.07.27
聖火最終ランナー「大坂なおみ」だった必然的理由|開会式から見えた今回の東京五輪のメッセージ
世界中の注目を浴びた聖火最終ランナーは大坂なおみ選手だった(写真:長田洋平/アフロスポーツ)
東京オリンピックの開会式は、無観客という異例のスタイルで行なわれた。
開催直前にそれぞれの過去の言動が要因となって作曲担当者が辞任し、演出担当者が解任されるという大混乱に見舞われ、はたして開会式が無事に行われるのだろうかというムードの中、セレモニーは定刻通りスタート。大幅に時間をオーバーしたものの無事に終了した。
コロナ禍による1年の延期に伴い「華美なお祭り騒ぎにしない」として簡素化されたという内容は、過去の大会に比べれば確かに華やかさとスケール感においてやや物足りなかったのも事実だろう。
その中でも、木の間伐材で作られた「木の五輪」は、自然と共生してきた日本の伝統を表していた。
また、選手団入場の場面で演奏されたのは「ドラゴンクエスト」に始まり「ファイナルファンタジー」「モンスターハンター」など日本が世界に誇るゲームソフトの音楽だった。
「日本らしさ」「環境への配慮」「多様性」の演出意図
随所に「日本らしさ」と「環境への配慮」「多様性」を織り込もうとする演出意図は理解できた。上手くいった部分もあれば「これはどういう意図なのか?」と思う箇所も見受けられた。賞賛もあれば厳しい声も数多くあるだろう。
それで良いのだ。すべての視聴者が「満足」する内容などは、どのみち不可能なのである。
そして迎えた入場行進。
無観客でも各国選手は堂々と入場をしていた。会場は無観客でも中継画面を通じて自国と世界に映像が伝わっていることを理解しているのだろう。
それ以上に、この1年間、同じ苦悩や葛藤を抱えてきた「同志」として、世界中のアスリートと共に開会式を迎えられたことに喜びを感じているように見えた。
テレビで入場行進を見ていた視聴者も、選手たちの姿にここまでのゴタゴタをしばし忘れて見入っていたのではないだろうか。
最後に登場した日本選手団も、緊張しながらも晴れがましそうな表情が印象的だった。行進をしながら魅せる笑顔には、やはりここまでの苦難をひとまず乗り越えたという思いが滲み出ていた。
橋本聖子大会組織委員会会長と、冗長なIOCバッハ会長のスピーチを経て、天皇陛下による厳かにして簡潔な「開会宣言」が行われた。
その後、大会ピクトグラムの形態模写パフォーマンスによる紹介や市川海老蔵さんと上原ひろみさんの「和洋コラボ」を経て、ようやくクライマックスの「聖火点灯」を迎えた。
はたして聖火最終ランナーは誰なのか?
オリンピックの聖火最終ランナーには、その大会が目指すメッセージが投影される。
1964年東京大会は坂井義則さん
1964年の東京大会で最終ランナーを務めたのは、広島に原爆が投下された日に、広島県で生まれた坂井義則さんだった。敗戦からわずか19年で奇跡的な復興を遂げた日本の「象徴」でもあった。
1996年アトランタ大会はモハメド・アリ氏だった。彼は1960年ローマ大会のボクシングで金メダルを獲ったものの、帰国後は黒人であるがゆえにリスペクトされず、怒りのままに金メダルを川に投げ込み捨てたという「悲しみの歴史」があった。その彼が、長い年月の後に黒人差別が激しい州として知られたジョージア州のアトランタで、聖火の最終ランナーを務めたことには「強いメッセージ」が込められていた。
2000年シドニー大会では出場選手でもあるキャシー・フリーマン選手が務めた。彼女はオーストラリアの先住民族アボリジニであり、国内で虐げられてきたアボリジニとオーストラリアの多数派「白人」との融和のシンボルとされた。彼女が陸上女子400mで見事に優勝して金メダルを獲ったシーンは、シドニー五輪の象徴的なシーンとなっている。
2012年ロンドン大会は「7人のティーンエイジャー」が務めた。未来に繋ぐ、というイギリスの思いがそこには託されていた。
前回2016年のリオ大会で最終ランナーを務めたのは、バンデルレイ・デ・リマ氏。アテネ大会男子マラソンで、途中までトップを走り金メダル確実かに思えたが、乱入者の妨害によって銅メダルとなってしまった。しかし明るく笑顔でゴールした姿は世界に感動を巻き起こし「金メダリストよりも輝いた銅メダリスト」と賞賛された。厳しい経済状況にあえぐブラジルにとって「困難の中でも明るく前を向く」デ・リマ選手は勇気を奮い立たせてくれる存在だった。
一方、2008年の北京大会では、それまで中国で「もっとも多くのメダルを獲得した」選手である李寧氏が最終ランナーを務めた。ここには“国威発揚”というその後の中国を暗示するかのような意図も感じられたのである。
そして今回の東京オリンピックである。
開会式の制作チームと組織委員会はどのような人選をするのか。私はスタジアムに登場するランナーたちから「意図」を汲むつもりで中継を見ていた。
今回、組織委員会が「3つの基本コンセプト」として掲げているのは、
「全員が自己ベスト」「多様性と調和」「未来への継承」である。
そして招致の際に強調された東日本大震災からの「復興五輪」という側面もある。
開会式直前に制作陣から去ることになった、小山田圭吾氏と小林賢太郎氏は「多様性と調和」に相反する過去の言動が問題視された。森喜朗・前東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の「女性蔑視発言」による辞任騒動もあった。
特に今回クローズアップされる「多様性と調和」を象徴した人物でなければ「2020東京オリンピックの聖火最終ランナー」は務まらない。
レジェンドが続々と登場
スタジアムにまず登場したのは、吉田沙保里さん、野村忠宏さんという3大会連続金メダルの五輪レジェンドだった。オリンピアンとして誰からも文句は出ないだろう。
しかしこの時点で、最終ランナーは「ゴールドメダリストではない」ことがまずわかった。
仮に過去の金メダリストを最終ランナーに起用するのであれば、この2人を上回る実績の選手はいない。
愛される元選手ということでいえば高橋尚子さんも有力な候補なのだが、すでに「国旗」の持ち手として登場ずみである。
続いて、長嶋茂雄さん・王貞治さんというプロ野球界のスーパースターが登場した。日本人にとって高度経済成長の時代に夢を与えてくれた「ON」である。長嶋さんの補助役には松井秀喜さんが付いた。野球がない国の人々にとっては少々ピンと来なかったかもしれないが、日本の「ON世代」には感慨もひとしおだったのではないか。
思えば前回の東京オリンピック、1964年はONの全盛期でもあったのだ。
現在80代となったONに聖火ランナーに登場いただくことで、組織委員会は「過去から現在」を繋ぐイメージを託したのだろう。
次にコロナ禍の日本を支えた医療従事者の2人と、パラリンピックの夏冬大会での金メダリスト土田和歌子さんに聖火は渡った。
土田さんが笑顔で進み、会場のセンター付近で待っていたのは岩手県・宮城県・福島県の東日本大震災の被災地から来た少年少女たちだった。「震災からの復興」と「未来への継承」を託された人選と言えるだろう。
そして、このオリンピックの開会式という世界中が注目する舞台において、聖火台の下で、被災地の子供から最後にトーチを受け取ったのは、大坂なおみ選手だった。
日本人の母とハイチ系アメリカ人の父を持つ彼女は、女子テニスでメジャー大会を何度も制している「世界的アスリート」である。
最近の「記者会見拒否発言」などもあり、注目度は非常に高い存在である。年齢も24歳と若く、未来へつなぐ世代であり、今大会で「金メダル」も狙える現役選手でもある。世界的に「発信する力」もあり、これ以上の適任者はそうはいない。
大坂なおみ選手によって聖火台に火がともされた(写真:PA Images/アフロ)
想像になるが、白血病から奇跡の復帰を遂げた、競泳の池江璃花子選手も最終ランナーの候補の1人だった可能性はあり、選出されていてもまるで不思議はなかった。ただ、池江選手は1年前に東京五輪が延期された際に、聖火の入ったランタンを掲げ、国立競技場に登場して世界にメッセージを送っており、この東京五輪開催に向けた一連のセレモニーにおいて役割をすでに果たしていた。
ひとまず開会式は、いつもながら入場行進とバッハ会長のスピーチで時間が「押した」ものの無事に終了した。
7月24日からは、アスリートたちによる競技が本格的にスタートする。
五輪モードは高まるが厳しい視線も続く
いったん競技が始まれば、開幕前に不安と不満を煽っていたテレビのワイドショーも、「感動の金メダル!」などと五輪モードに変わっていくだろう。これまで開催に疑義を唱えていたテレビ局や番組は、「バランス」に腐心することになる。
一方で、増え続ける新型コロナの感染者数は、オリンピックに影を落とし続けるだろう。
「開会式で感染」「チーム内の複数者感染、クラスター発生で辞退」という事案があれば「ほら、やっぱり」と言われるのは間違いない。
開会式はひとまず無難に終えた東京オリンピックだが、組織委員会の不透明で隙間だらけの運営は、大会期間中にも「各種の問題」が取り上げられる可能性は高い。引き続き厳しい視線を向けられることになるだろう。
そして開会式に関わった人物の「人選」などについても組織委員会には説明と総括が求められる。それができないのであれば、最終ランナーに大坂なおみ選手という「多様性と調和」をアピールした人選も、結局は「やっぱりポーズだったのか」と指弾されることになってしまいかねない。
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提供元:聖火最終ランナー「大坂なおみ」だった必然的理由|東洋経済オンライン