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2021.07.06

「島耕作」作者が説く50代から人生を楽しむ方法|「小欲」は楽しく生きるための"万能薬"となる


50代からの後半生を楽しみ尽くすにはどうすればよいでしょうか(写真はイメージ、プラナ/PIXTA)

50代からの後半生を楽しみ尽くすにはどうすればよいでしょうか(写真はイメージ、プラナ/PIXTA)

仕事、人間関係、お金、生きがい……40代までの未練を捨てて、50代からの後半生を楽しみ尽くすにはどうすればよいか。
『課長 島耕作』の作者で、生き方に関するエッセイも多く手がける弘兼憲史氏の新著『弘兼流 50代からの人生を楽しむ法』では、「身軽に生きるための6つの心得」が紹介されています。
本稿では、同書から一部を抜粋しお届けします。

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「カネさえあれば」という次元でものを考えない

楽しく生きるために必要な心得の第一に、「小欲」を挙げたい。

「小欲」とは文字どおり、欲少なく生きることだ。「小欲」を貫くことは気分爽快に生きるための、ある意味で万能薬となる。人生の悩みの多くがおカネにまつわることだとしたら、「小欲」はその悩みを癒す効能があるからだ。

それに、思い立ったその日から実行できるところがうれしい。

ただし、仕事や家族や老後といった現実を忘れることはできないし、そこから逃れることもできないのだから、カネはどこまでもつきまとう。

食うためのカネ、家族が楽しく健康に暮らせるだけのカネ、男がフラリと好きな場所に出かけるだけのカネ、そういうカネはないよりあったほうがいい。というより、なければ困る。

「せきをしても一人」という句を残した俳人・尾崎放哉は、東大法学部卒のエリートだったから大企業に就職してたちまち出世した。

けれども放哉は自由を求めて会社を捨て、孤独を求めて妻を捨てた。それによって放哉は漂泊の人生を手に入れたが、現実には食うや食わずの生活だった。

結核に栄養失調がたたってガリガリにやせ、孤独のままに41歳で死んだ。

カネも食べ物もない生活を受け入れる気になれば、人間は一切のものを捨ててしまって放哉のような漂泊の人生を送ることができる。

でも、そういう人生はかなり恐ろしい。放哉に憧れる男は大勢いるが、誰も放哉のように生きられないのは、カネも住処も食べ物もない暮らしが恐ろしいからだ。仕事を辞めて家族を捨てればいいだけなのだから、実行はたやすい。ただし、憧れと実行の間には超せそうもない暗渠がある。

無欲になれば「無数の楽しみ」を見いだせる

晩年の放哉は、「すき焼きで一杯やって死にたい」と願った。ぼくから見れば「小欲」だが、物乞いで生きる放哉にとっては自力ではかなえられない夢だ。

けれども、放哉の生き方を考えたとき、人間というのはすべて捨ててしまえば「小欲」を無上の楽しみとして生きることができるんだなあとわかってくる。

自分がどこまで無欲になれるかで、何気ない日々の営みに無数の楽しみを見いだせるかどうかが決まってくる。

ぼくらは放哉のように生きることはできないが、せめてどんな現実の中にも諦めや無念や不快さではなく、楽しさを見いだせる男でありたい。

不遇なら不遇で、それに埋もれてくすぶるような男ではなく、カラカラと笑って身の回りを楽しめる男でありたい。

そのときまず大切なのは、「カネさえあれば」という次元でものごとを考えないということだろう。「カネさえあれば」と考えるとき、自分が向き合う現実は色あせたものになる。カネがないのだから、さまざまなことを我慢するしかないとはわかっていても、弾んでくる気持ちにはとてもなれない。

ではカネがあれば、何が可能になるのか。

答えはさまざまだと思うが、ひと言で言うならこうなるはずだ。

「いまよりもうちょっとまともな暮らしができる」

家、車、食事、スーツ、小遣い、酒場、旅行……とにかく暮らしの中のさまざまなシーンがいまよりもう少し贅沢になる。それはそれでうれしいことだ。

ではいまの暮らしがみすぼらしくて我慢できないのだろうか。そんなことはないはずで、住処もなく飯も食えないサラリーマンはいない。

それぞれの世代が、家族や収入に合わせてそれぞれのスタイルで暮らしているはずだ。不満はあっても「こんなもんだろう」という気持ちがどこかにある。

すると後は、何を楽しみに生きるかという問題になってくる。

それに答えるためには、自分自身の気持ちを家族や世間から切り離して真っ直ぐに見つめるしかないはずだ。

「楽しみといっても、家族のためにはまだやらなければいけないことがある」とか、「不景気でいつリストラされるかわからないのだから、楽しみどころではない」といった答えは、少しも正直ではない。

「着膨れる」人生とはおさらばしよう

本音の本音を口にするならば、「わが人生」を取り戻すこと。それに尽きるのではないか。これからの楽しみは会社や家庭なんかじゃなくて、久しく思い描くことのなかった「わが人生」の中にある。

放哉は10年余りのサラリーマン生活の後、「わが人生」を歩き出した。最初に断ったように、ぼくらには放哉のまねなどできないし、する必要もない。

しかしこれ以上、着膨れる人生とはおさらばしてもいい。身の回りには暮らすに十分なものがそろっているのだから、これ以上のものはもういらない。

「カネがあれば」と嘆くより、とりあえずいま手元にあるカネで自分の楽しみを味わうのが「わが人生」ではないか。

さらに言えば、カネがなくてできる楽しみを味わう生き方だってある。夕日を眺めるのが無上の楽しみという男がいた。夕日に輝くのは彼の顔ばかりではない。心も明るい光彩を発している。

放哉は無一文・無一物で、食べ物を乞いながら生きた。何も持たないのだから、恵んでもらったものは、「入れ物がない両手で受ける」しかなかった。

ひとつの極限として、そういう生き方を選んだ男がいたということを、ぼくらは覚えておいていい。 それに比べれば「わが人生」には、こざっぱりとした姿で楽しめる無数の小欲が残されているからだ。

10代の頃は、漠然とした中に「わが人生」が広がっていた。将来にはっきりしたイメージは浮かばなくても、好きなことに熱中できる毎日がそのまま「わが人生」だった。

社会に出ると仕事が大きな比重を占めてくる。結婚して家族ができれば家庭の比重も大きくなる。「わが人生」は具体的で現実的なものになり、その中に目標が生まれてくる。

それを「楽しみ」と言ってよいのかどうかはわからないが、ほとんどの男は仕事や家庭の中に自分の理想を描いてみる。これが30代から40代にかけての男ではないだろうか。

具体的で現実的な目標というのは、わかりやすく言えば「もっとよい暮らし」のことだ。

よい会社に勤め、出世して給料が上がればもっとよい暮らしができる。ローンで家を買い、子どもを塾に行かせて有名校に入学させる。夏休みには家族で海外に出かけ、豪華なホテルでおいしい食事を楽しむ。

そういう暮らしを目標にし、堅実に財産を増やしていく。経済が右肩上がりの時代には、個人差はあっても日本のサラリーマンがだんだん豊かになったのは本当のことだ。

けれどもそこに「わが人生」があったかどうか。50代を迎える頃に、たいていの男はそんな疑問を持つのではないだろうか。

40代まで「土台」を作るのに費やしたが…

確かに形となって残ったものはある。

形はなくても自信やプライドとなって備わったものもある。

しかし、「わが人生」とはそういうもので満ち足りてしまう人生なのだろうか。

別にGDPを押し上げるために働いてきたのではない。自分をひとりの男として見つめ直せば、家なんか広すぎるし、子どもがどんな学校に入ろうが関係ない。「わが人生」を会社や家庭とぴったり重ね合わせて納得する男はいないはずだ。

30代から40代にかけての人生というのは、しっかりした土台を作るのに費やした人生と言えるかもしれない。組織の中にあっては安定した自分のポストやポジション。上司や部下との関係。家庭の中にあっては家そのものや落ち着いた家族の関係。そういう土台や人間関係を作ることが、これからの人生のためには必要だと思い込んでいた。

ところが盤石に構えたつもりの土台に何ひとつ築けるものがなかった。肝心の「わが人生」は、どうやらそんな土台とは無関係なところにあるらしいと気がついてしまった。

それが、40代から50代にかけての男たちではないだろうか。

ぼくはそのことを不幸とか淋しいことだとは思わない。

「わが人生」の空疎さに気づかないほうが不幸であって、かつてのサラリーマンには定年後も「○○会社の社長でした」と職歴をひけらかすしか能のない男が大勢いた。

同世代の男に対して、どんな会社のどんなポストまで上り詰めたかを評価のものさしにする男たちというのは、すでに死んだも同然の男たちではなかったか。

ヨーロッパ・ツアーに参加した男の話である。ツアーの中に70になる男性がいた。この人はことあるごとに自分が何々会社の重役であったことをほのめかし、周りの男性(全員リタイア組だが)の元いた会社名や職歴を聞きたがっていたそうだ。ツアーの鼻つまみ者となっていることに、当人は気がつかなかったらしい。

こういうのは、いまや化石の部類だろう。いまのサラリーマンは違う。定年まで勤めることが前提ではなくなったのだから、40代、50代の若さで人生の仕切り直しを余儀なくされている。

そこに、「わが人生」を取り戻すチャンスがあるはずだ。空疎さに気がつくということは、むしろ幸せなことだと思いたい。

小欲を「フワフワと」楽しもう

会社も家庭も「わが人生」ではないとすれば、たちまち気が楽になる。職場での評価に人生を重ね合わせたからつらかったのだ。評価が下がれば人生も下り坂だと思い込んでいた。気にすることなんかなかったのだ。

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あるいは家族への義務感に縛られたからつらかった。豊かな暮らしや安定した暮らしを守るのが自分の役割と思い込んできた。先の見えない不況の時代にあって、重苦しい役割だったが、これも気にしなくていい。

では、「わが人生」をどこに見いだすか。

下り坂だろうが収入が減ろうが、少しも動じることのない世界だ。明日は明日の風が吹くの世界だ。さらに言えば「小欲」の世界だ。

息苦しい土台作りの人生とはおさらばして、小欲をフワフワと楽しめる人が、結局は「わが人生」を楽しみ尽くすことになる。そろそろそういう時期、「小欲」の時代ではないだろうか。

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提供元:「島耕作」作者が説く50代から人生を楽しむ方法|東洋経済オンライン

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