2021.03.03
50代に糖尿病で亡くなった男が残す痛切な筆録|「落下星の部屋」が20年以上も続いている理由
落下星の部屋。メインコンテンツは今も当時のまま読める(筆者撮影)(筆者撮影)
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故人が残したブログやSNSページ。生前に残された最後の投稿に遺族や知人、ファンが“墓参り”して何年も追悼する。なかには数万件のコメントが書き込まれている例もある。ただ、残された側からすると、故人のサイトは戸惑いの対象になることもある。
故人のサイトとどう向き合うのが正解なのか? 簡単には答えが出せない問題だが、先人の事例から何かをつかむことはできるだろう。具体的な事例を紹介しながら追っていく連載の第8回。
糖尿病による体の異変を緻密に描写
蒸し暑い1日が終わり、帰宅してすぐに入浴し、食事を取りました。
テレビではナイター中継をやっていました。
(中略)
3缶目から4缶目に移ったときです。プルトップを開けてテレビに目をもどしたら、
「なにかおかしい。」
「そうだ。ボールが見がたい。」
変だぞと思って室内を見回しても、いつもと変わりないオレの部屋。でも、なにかかおかしい。物が見がたい。
ふと蛍光灯を見上げると、なんとなく赤っぽい。
訳がわからず、とりあえず手のひらで片目づつおおってみると、あらら、左目は正常なのに右目だけにするとまっかに染まった室内。2~3回確認してからドクターの言葉を思い出したのです。
「そうか・・・。これが眼底出血かぁ・・・。」
(落下星の部屋 「片目失明」より)
※改行と小見出しのカット以外、文章は原文ママ。以下同
「落下星の部屋」というサイトがある。糖尿病により右目を失明し、両足を切断、腎不全となった、落下星(らっかせい)さんのホームページだ。1999年12月にスタートして以来、ドメインを変えながら現在まで公開されている。
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緻密な描写がなされた回想文は読む者を強い力で引き寄せて追体験させる。落下星さんはサイト開設の3年後に亡くなったが、残されたテキストの引力は衰えず、糖尿病の恐ろしさを伝えるコンテンツとして今日にいたるまで知る人ぞ知る存在となっている。
落下星さんはどんな思いを込めてこのサイトを作り、そして残していったのだろう? サイトにあるコンテンツやアーカイブの断片を読み込んでいくと、その意図が浮かび上がってくる。
「落下星」はパソコン通信時代から愛用しているハンドルネームだ。地元の名産品である落花生と、若い頃から親しんできた天体観測で見かける流れ星(落下してくる星)をかけてつけた。1950年に生まれてからずっと千葉県を拠点に暮らし、健康だった頃はプラネタリウムで働き、解説員として天体の魅力を市民に伝えていた時期もある。いわば人生そのものを表した名前だ。
30歳前後で離婚して以来、ずっと独身を貫いている。テニスやスキー、スキューバダイビングが好きで、自宅マンションには天体観測用の望遠鏡やパソコン、カメラなどの品々が並ぶ。仕事に趣味にと精力的に過ごす一方で、無類の酒好きを止める相手はいない。いつしか医師から糖尿病(2型)だと告げられた。
不整脈の症状もあり、毎日薬を服用して定期的に医師の診察を受けるようになったが、自覚症状は薄く、不健康な生活が改まる気配はなかった。冒頭の引用はその果てに起きた“入り口”の出来事といえる。
右目失明。運転免許を返納し、視力回復に望みをつないで2年ほど通院して検査したがよい兆候は現れなかった。それどころか、数年と経たないうちに神経障害や腎臓障害など、糖尿病でよく起きる複数の合併症が頭をもたげるようになってきた。理由は本人もよくわかっている。
右目の視力を失ってから、「つぎは足にくるな」と思っていたのですが、私は足が壊疽(「えそ」と読みます。腐ってくる事。)を起こす恐怖よりもアルコールの魅力の方が強かったので、食事は注意していたのですが、飲酒はやめられませんでした。(^_^;)
(落下星の部屋 「右足切断」より)
右足にも異常が現れた
引用タイトルにあるように、次に異常が現れたのは右足だった。少し長いが引用を続ける。
ある日、右足の親指の付け根附近が痛み出しました。体重をかけたり、飛び跳ねたりすると、ちょうど打ち身やねん挫のような痛みがあります。
「まさか壊疽……」
と、恐る恐る右足を見たのですが、外見上はなんの異常もありません。
マッサージをしてみても、強く揉まない限りさほど痛くはありませんでした。
「しらない間にどこかにぶつけたのかな?」
と、ひとまず安心してしまいました。
もしもこの時点で医者に行き、詳しく検査してもらえば、右足の切断にはならなくて済んだ可能性が強いのです。
しかし、私はそのまま忘れてしまったのです。(^_^;)
それから4~5日もたった頃でしょうか。だんだん痛みがひどくなりました。
入浴したついでに、親指を見ると、つめの下の部分が真っ黒に変色しています。
「うわあぁぁ~~~っ、やったなっ」
それまでも毎日入浴はしていたのですが、目が悪いせいか、気が付かなかったのです。それでも、歩かないと痛みはありません。糖尿病から来る神経障害のせいです。本当に手後れになるまで痛みを感じないので困ったものです。
そのまま病院に直行し、2週間の入院で血行の回復を模索したが断念。ひざ下からの切断手術を受け、そのまま義足作りとリハビリのプロセスに移った。翌月には身体障害者手帳の交付を受ける。1995年。40代半ばの出来事だった。
「右足切断」ページ(筆者撮影)
翌年には腎臓障害が悪化して腎不全となる。数日ほど胸焼けすると感じていたら夜中に突然吐き気が襲い、息がほとんどできなくなって救急車を呼んだ。そこから週に3度の人工透析が始まる。動脈から血液を採りだし、ろ過装置(ダイアライザー)を通して静脈に戻す。前準備や透析後の止血の時間を含めると1回当たりおよそ5時間。透析外来を怠ると待っているのは死だ。
その数年後には、うおのめが元で壊疽が始まり、左足も切断する手術を受ける。
やっと入院したと思ったら、さっそく左足を膝下から切断することになりました。
これで両足が義足となりなす。
なんか、生きたままユウレイになる気持ちです。
(だってユーレイには足が無い。あははは。)
(落下星の部屋 「左足切断」より)
身体障害者手帳の障害名欄には、「疾病による両下肢機能の著しい障害(両下肢欠損含む)(2級)」と「糖尿病による自己の身辺の日常生活活動が極度に制限されるじん臓機能障害(1級)」の文字が並んだ。
失明や両足切断は行動の制約を生み、週3回の透析外来は働く時間の制約に直結する。長年勤めていたプラネタリウムからも身を引くしかなくなり、職場を依願退職した。以来、職にはついていない。重度の障害により受け取れるようになった生命保険の保険金が生活をつなぐ命綱となった。
「私を『おろかなやつ』と笑って結構です。」
「落下星の部屋」を立ち上げたのは退職から1年近く経った頃だ。
当初からコンテンツは糖尿病関連の記事が中心で、天文関連は日記でたまに言及する程度にとどまる。相互リンクも同病を患う人が中心だ。天文への関心が尽きたわけではないし、過去と隔絶したいわけでもない。けれど、積極的に取り上げるつもりはなかったようだ。
サイトのコンセプトは「人工透析」の締めの文章から読み取れる。
現代の医学では糖尿病はなおせません。進行を遅らせるだけでせいいっぱいなのです。
厳しい言い方ですが、それが現実なのです。
これ以上悪くしないために、日々努力を重ねる覚悟でいないと……
私を「おろかなやつ」と笑って結構です。でも、あなた自身は絶対に同じ道をたどらないと約束してください。本当にお願いいたします。
(落下星の部屋 「人工透析」より)
自分の自堕落ぶりや甘さも含めて包み隠さず伝えることで糖尿病の怖さを伝えたい。そのワンテーマに絞って淡々と更新していたから、その後も病気関連以外のコンテンツを大幅に増やした痕跡はない。
当時、掲示板等で落下星さんと交流していたある男性はこう述懐する。
「落下星さんと知り合ったのは状態が悪くなったあとです。亡くなることも覚悟していたので、自分の悪かったことも躊躇なく語っていたと記憶しています。自分の半生をほかの患者に知らせることで、自分のようにならないようにと言っているようでした。しかし、卑屈になっているのではなく、強い方だなと思っていました」
さらし者になっても誰かの状態の悪化を食い止めたいという自己犠牲的な精神。それでも文章全体からどこかのんきな雰囲気が伝わるのが落下星さんのユニークなところだと思う。
その時々で楽しめることを見つけられる性分
サイト立ち上げの3カ月後、左目から眼底出血した際の日記も“らしさ”がよく出ている。
うーん。いくら脳天気な私でも、そろそろ最悪のシナリオに対して策を考えておかないといけないな。
とはいっても、昔買っておいた「ドキュメント・トーカー」という音声読み上げソフトをインストールして悦にいってるんじゃ、あんまり深刻になっているとはいえないな。(^_^;)
性格異常なのかもしれないけど、そのときどきで楽しめることを見つけられるから落ち込まないですむのかもしれない。(^_^)
しかし、悔いが残るのは買ったばかりのデジカメ。1枚も撮影しないうちに使えなくなってしまった。
いや、やっばり目をなおさなくちゃ。一瞬、ここまで来たらアルコール解禁にしようと思ったがデジカメを使えるようにしなければ……
(落下星の部屋 「左目も眼底出血」)
最終的に左目の失明は免れたが、書いているときは結果を知る由もない。それでも終始この調子を貫いている。
それが表現上だけの強がりではないことは、この数カ月後に仲間と連れだって沖縄旅行に出かけたことからもわかる。旅行先で透析外来を受け付けてくれる病院に予約を入れ、ガラスボートに乗ってきれいな海を眺めたり、琉球ガラスのジョッキに注いだビールで乾杯したりした。オフ会もたびたび企画し、頻繁に遠方に出かけて親交を温めたりもしている。現状を受け入れて「その時々で楽しめることを見つけられる」性分なのは間違いなさそうだ。
その楽しさが治療や健康とバッティングしたときも、デメリットを承知したうえで楽しさをとることが多かったのかもしれない。アーカイブに残された日記の断片を探っているとこんな記述をみつけた。
ところで、昨夜、NHKで老人のリハビリに関する番組をやっていた。
歩ける可能性のある老人から、車椅子を取り上げる。すると、しかたなく歩くようになり、生活そのものがリハビリになって、回復が早まると言う内容。
卒中で麻痺していたのに、再び歩けるようになるのはよいことだが、老人にとって楽なのは車椅子のはず。
残された人生、辛いリハビリに耐えて歩くか楽して寝たきりになるか、本人の選択に任せるべきじゃないかと思った。
寝たきりになるのが、必ず不幸とは限らないのではないか。
(落下星の部屋 2002年3月12日の「日記」より)
「☆賞味期限;2020年頃までかな?」
もちろん病状は悪化させたくないし、できる限り摂生に努めたい。実際、「食事療法」のページからは病状悪化を抑える食生活へまじめに取り組む姿勢がうかがえるし、病院から下肢を切断した患者にリハビリを勧めるように頼まれるなど模範的な患者の一面もあった。
2000年頃まで存在していたプロフィールページには「☆賞味期限;2020年頃までかな?」とある(筆者撮影)
かつてあったプロフィールページには生年月日欄の直下に「☆賞味期限;2020年頃までかな?」との記述も見られる。サイトを立ち上げた頃は70歳頃まで生きる意識を持っていた可能性がある。であるならば、「亡くなることも覚悟していた」のと同時に、長く生きる希望も抱きながらサイトを更新していたのではないか。
しかし、2002年の秋頃にはそんな長期的な展望が見えなくなってしまったのかもしれない。
ところで、やっぱり「酒」もやめられない。(^_^;)
酒の悪い事は十分承知しているのだが、そして、この数年、
なにか特別な日にしか酒を飲むことはなかったが、
今日は飲みたくて我慢できなくなってしまった。
言い訳すれば、いろいろ言えるだろうが、
結局は意志が弱いだけなのだろう。
ウイスキーを買って来てしまった。もう、やめられないだろうなぁ
(落下星の部屋 2002年9月28日の「日記」より)
最後の日記は現在も読める。亡くなる半月ほど前、2002年11月3日にアップされたものだ。
昼食を食べに出かけたら、たょうどマンションを出たところで
町内子供会のおみこしパレードをやっていた。
かわいいね。5分ばすかり、セニアカーを止めて、見とれてしまった。(^_^)
(落下星の部屋 2002年11月3日の「日記」より)
楽しいことと健康。短期的な最優先と長期的な最優先。ある程度の範囲でバランスがとれていれば何の問題もなかっただろう。しかし、そうでなかったから病気になり、病状を悪化させてしまった。それは「意志が弱い」からかもしれないが、それを真正面からさらす姿勢には逆の印象も受ける。
「人工透析」ページの末文をもう一度引用したい。
私を「おろかなやつ」と笑って結構です。でも、あなた自身は絶対に同じ道をたどらないと約束してください。本当にお願いいたします。
複数のミラーサイトを経て、無料ホームページサービスへ
落下星さんの死は掲示板の投稿により読者の知るところとなった。サイト上でも交流していた幼なじみの男性による書き込みだった。
当時の「落下星の部屋」は落下星さん宅のネット回線を提供しているプロバイダーのホームページサービスを利用していたため、遺品整理の過程で回線契約を終了した時点で消滅する運命にあった。しかし、この男性がサイトの内容を丸ごとコピーし、自らのホームページに使っているプロバイダーのスペースに移管したことで生き残る。
2021年2月時点のトップページ(筆者撮影)
そのサイトも今は存在しない。調べてみると、男性自身のサイトが姿を消したのと同じ時期にURLが失効となっている。現在閲覧できる「落下星の部屋」はその後に再移管されたものだ。場を提供しているのは無料で利用できるホームページサービスで、現在まで運営が続いている。
男性とは連絡がとれなかったため想像の域を出ないが、おそらくは何らかの事情で自身のプロバイダー契約を終了することになったときに、「落下星の部屋」の命運を無料ホームページサービスに委ねたのではないかと思われる。自分の手元にあれば確実に消滅するが、無料ホームページサービスに移したらもう少しは生き延びられるかもしれない。その可能性にかけたのではないか。
実際、そうした意図で無料ホームページサービスに移管するパターンはほかにも見られる。それでも多くはホームページブームの終焉とともに、無料サービス自体の撤退とともに姿を消してしまうが、現在まで残っているサイトもごくまれにある。
そのごくまれな存在に「落下星の部屋」はなっている。運はもちろんあっただろう。ただしそれだけでなく、サイトが持つ力も今の結果に寄与しているはずだ。体の機能が失われていく過程をさらしきった文章に多くの読者が引き寄せられ、その力は死後も続いた。その継続的な反響が、管理を引き継いだ男性に無料サービスに命運を託すという行動を促したところはあると思う。
落下星さんは何年先までの読者を想定していたのだろう。生前までか、プロフィールで自身の「賞味期限」としていた2020年頃までか、あるいは何十年ももっと先までか――。とりあえず、2021年2月時点では誰でも読める状態が維持されている。
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提供元:50代に糖尿病で亡くなった男が残す痛切な筆録|東洋経済オンライン