2017.09.20
食べ物の好き嫌いが多い子に親ができること│大人よりも友だちの影響がはるかに大きい
子どもたちは「同年代」という社会的カテゴリーを他の友だちと共有しています(写真:cba / PIXTA)
子育ては何にも代えがたい喜びの源である反面、真剣に取り組む人ほど、「どうして言うことを聞いてくれないんだろう?」と悩む場面も少なくない。
2000年刊行のロングセラーで、この夏に新版として改題・文庫化された『子育ての大誤解――重要なのは親じゃない』の著者にしてアメリカの教育研究者、ジュディス・リッチ・ハリス氏が、子どもの好き嫌いをなくす方法から思春期の子どもとの向き合い方まで、誰もがぶつかる子育ての壁を乗り越えるためのヒントを伝授する。
『子育ての大誤解――重要なのは親じゃない』 ※外部サイトに遷移します
小さいお子さんをお持ちの方は、食べ物の好き嫌い、食わず嫌いにお困りではないだろうか? 就学前の子どもは、それが最も顕著だといわれる。親がどんなにおだてたり説得したりしようとも、嫌いな(もしくは嫌いだと決め付けている)食べ物を口に入れようとはしない。
子どもの食わず嫌い、好き嫌いをなくす方法はただひとつ。その食べ物が好きだという友だちと一緒にテーブルに座らせ、その食べ物を一緒に食べさせることだ。
お手本は他の子どもたち
就学前の子どもたちにとって、お気に入りのお手本は他の子どもたちだ。3歳もしくは4歳ともなると同じ保育園の遊び友だちと同じように行動するようになり、その行動様式を家にまで持ち帰るようになる。
彼らの話す言葉を聞くとそれがすぐわかる。友だちの言葉遣いが移るのだ。あるイギリス人の心理言語学者の娘は、カリフォルニア州オークランドの保育園に通園するようになってから4カ月もすると、「黒人の英語をまるでネイティブのように話す」ようになっていたという。彼女の仲良しの園児が黒人だったからだ。その黒人の遊び友だちよりもイギリス人の母親と過ごす時間のほうが多かったはずなのに、彼女の話し言葉に影響を及ぼしていたのは母親の訛りではなく、友だちの訛(なま)りだった。
言ってみれば、子どもたちは「同年代」という社会的カテゴリーを他の友だちと共有しているのだ。その結果、「大人」という、自分とは別のカテゴリーに属する親ではなく、友だちの影響をはるかに大きく受ける。
1歳の赤ちゃんでさえ、自分の社会的カテゴリーを認識している。
1931年、インディアナ大学心理学部のウィンスロップ・ケロッグ教授は、グアという名の1匹のチンパンジーを、自分の息子ドナルドとともに育てることにした。チンパンジーを人間として育てたらどうなるのかを知るためだった。はたして、人間と同レベルの知能を持つようになるのだろうか? グアがケロッグ家に到着したとき、ドナルドは10カ月、グアは7カ月半だった。グアは到着直後から人間の赤ちゃんとして扱われた。ケロッグ夫妻はグアに洋服を着せ、当時の赤ちゃんが履いていた固めの靴を履かせた。グアは檻に入れられることも、縄でつながれることもなかった。おまるも使えるようになった。歯も磨いた。食事もドナルドと同じで、同じように昼寝をし、お風呂にも入った。
2人は驚くほど気が合った。彼らはまるできょうだいのように、家具のまわりで追いかけっこをし、大騒ぎをしてはよく笑った。一方が泣けば、他方が慰めるように肩をたたいて抱きしめた。グアがドナルドよりも早く昼寝から目覚めてしまうと、ドナルドの部屋に行かせないようにするのが大変だったという。
ケロッグ夫妻がくすぐったり、手を持ってぐるぐる回したりするとグアはまるで人間の赤ちゃんのように喜んだ。ハグやキスで愛情を表現した。洋服を着せてもらうときは自ら袖に腕を通し、よだれかけを結びやすいようにと頭をちょこんと下げた。何か悪さをして、怒られると「ウーウー」と悲しげな泣き声をあげ、怒った人の腕の中に飛び込み、「お許しを懇願するキス」をしようとした。そしてそのキスを受け入れてもらえると、ほっとため息をつくのだが、それは吐息が聞こえるほど大きなため息だった。
グアは「人間」になっていったが…
博士の期待どおり、グアはこうして「人間」になっていった。予想していなかったのは、ドナルドがチンパンジーのようになってしまったことだ。ドナルドにはグアの悪癖である柱をかむ癖が見られるようになり、チンパンジー語をいくつも覚えた。自分の意思を伝えるのに、ただうなったり、ほえたりするだけで、人間の言葉はほとんど話せなかった。生後19カ月のドナルドが話す英語の単語はわずかに3つ。平均的なアメリカの子どもであれば、19カ月ともなると50以上の単語を発し、2語文を使いはじめる時期だ。この時点で実験は打ち切られ、グアは動物園へと戻っていった。
ドナルドは、親の言葉や振る舞いではなくてチンパンジーのそれを模倣するようになった。これは彼がそのときすでに社会的カテゴリーを認識しはじめていた証しにほかならない。自分とグアが同じ社会的カテゴリーに属していると、正しく知覚していたのだ(幸いなことに、実験中止後のドナルドは平均的な発育ペースを取り戻し、最終的にはハーバード大学医学大学院を卒業したそうだ)。
子どもたちが歳を重ねるにつれて、同年代の集団に対して忠誠を表明することはますます重要となってくる。私はいつもおもしろく観察しているのだが、思春期前の子どもたちは家族で買い物に行くと、親の前後10歩ほど離れたところを歩く。仲間たちにその姿を目撃されたときに「私はこの人たちとは違うのだ」という立場を明確にさせるためなのだ。私は〈彼ら〉とは違うのだと。この行為は子どもたちが親を愛しているかどうかとは関係ない。
夫と私は異なるタイプの子どもを2人育ててきた。娘たちは同じ地域に住み、4学年違いで同じ学校に通った。小学校時代はそれぞれが同じような仲間集団に属していたが、高校に入るとそれが変わった。上の娘は優等生グループ、下の娘は不良グループに属すようになった。
上の娘はコンピュータサイエンティスト、下の娘は看護師となり、最終的には2人とも立派になった。上の娘はその方向に向かって一直線に進んだが、下の娘は紆余曲折を経てそこに達した。
同じ親に育てられたが、まったく違う人間だった
娘たちは同じ親に育てられたが、きょうだいとは往々にしてそうであるように、まったく違う人間だった。上の子は親の導きをほとんど必要としなかった。自分のしたいことをしたいようにしたが、それはたまたま私たち親が望んでいることと一致した。
下の娘には私たちの導きはほとんど通用しなかった。聞いたそばからそれをはねつけた。それは彼女の仲間集団が掲げる目標や価値観と相いれなかったからだ。彼女の親である私たちはいらだち、腹を立てた。彼女もまた私たちに腹を立てることが多かった。
下の娘は13歳にしてたばこを吸っていた。彼女が言葉を話すようになって以来、私が禁煙主義を吹聴しつづけてきたのにもかかわらずだ。
未成年の喫煙を防ごうとしたとき、「シワだらけになる」「性的不能になる」「がんで死んでしまう」などと、たばこが及ぼす健康上の害を伝えても無駄だ。大人が喫煙を好ましく思わないからこそ、10代の少年少女はそれに惹かれるのだ。
同年代のタレントや有名人に講演を依頼することもやはり意味がない。講演者は裏切り者とみなされるだけだ。大人に貧乏くじを引かされた哀れなやつとしか見てもらえない。
たばこを入手しにくくすることさえ効果薄だ。アメリカで、未成年者にたばこを販売した店を州をあげて大々的に取り締まった事例があるが、それでも未成年の喫煙はなくならなかった。たばこの入手を難しくしたことで、ますます彼らのチャレンジ精神を駆り立ててしまっただけだった。
大人が思春期の子どもに及ぼすことのできる力は限られている。子どもたちは独自の文化を構築するが、それは仲間集団ごとに異なる。彼らが大人文化のどの部分を取り入れ、どの部分を放棄するのか、そして新しく独自に考案するものがどういうものであるか、私たちには予測もつかなければ、それを決めることもできない。
ただし、まったく無力なわけでもない。最良の策は、未成年者がたばこを1箱買うごとにたばこ会社のお偉いさんたちが愉快そうに甲高く笑う様子を描く広告キャンペーンを張ることだ。だまされやすい子どもたちに商品を売り込むため、喫煙をカッコいいものとして魅せる広告を考案している様子を描けばいい。喫煙を、子どもたち自身が望むことではなく、大人が子どもたちに望むこととして描けばいいのだ。
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提供元:食べ物の好き嫌いが多い子に親ができること│東洋経済オンライン