2024.05.23
お金持ちとは本当に"うらやましい人生"なのか|「FIRE」の流行から数年たって改めて考える
お金持ちになれば、幸せになれるのだろうか? 自分は何にお金を使っているときに一番心が満たされるのか、改めて考えたい(写真:8x10/PIXTA)
ネット上には「お金持ちになるには」「お金持ちの思考や習慣」というタイトルの記事や書籍が溢れている。
書店に行っても、同様のタイトルの本がこれでもかと並ぶ。かくいう筆者も、そうしたテーマで執筆することも少なくない。
しかし、最近思うのだ。お金持ちになると、それほど幸せなのだろうか? 不労所得を手にし、経済的自由を得れば「上がり」なのだろうか? 資本主義は永遠に栄えていくのだろうか。そもそも、どうして我々はお金持ちになりたいのか。その真理を解きほぐしていくと、もっと違う幸せへの扉が見えてくるかもしれない。
「FIRE」生活は幸せなのか
私たちは、持っているお金が減っていくことに不安と恐怖を感じる。これはマーケティング手法でよく耳にする「保有効果」の罠かもしれない。人間は一度手にしたものや権利に対して、本来以上の価値を感じ、手放すことが惜しくなる。もし手放せば、その損失が与える痛みは大きく、かつ不安になってしまう。
とはいえ、お金は使うためにあり、何もしなければ減るのは仕方ない。それを解決する手段として、数年前から「FIRE」が流行った。「Financial Independence, Retire Early (経済的な自立と早期リタイア)」を縮めた言い方で、一定の元本を貯め、それを資産運用して残高をキープし続け、働かなくても暮らせる生活を目指すというもの。
実現にはまず25年分の生活費を貯めるところから始まる。年間300万円かかるなら7500万円だ。それを年利4%で運用できれば元本を減らすことなく、生活費を賄い続けられるという理屈だった。一時はこの「FIRE」こそ、幸せへの扉と思われたものだ。
しかし、この考え方だと最初に決めた生活費以上に贅沢はできない。たとえ運用が順調でも、この先も4%で回していけるかはわからない。一見うらやましいFIRE生活を実現したとしても、使えるお金には縛られるし、つつましく節約生活をしていくことになる。
金持ちになればなるほど生活コストが増える
そう聞くと、それはイメージするお金持ちの生活ではない、高級ブランドショップや会員制レストランの常連となり、住まいはタワマン最上階で、休暇は当然海外、それも優雅にクルーズ旅行でないと――といった声が聞こえそうだ。
確かに、それが他人の財布から出たお金で実現するなら幸せだが、我が家のお金から出すとなると微妙な心境になる。
お金持ちになると、100円ショップ、業務用スーパーやドンキに行くことは減るだろう。食材を日常的に高級スーパーやデパ地下で買い、子ども服もブランドショップメインでそろえるかもしれない。それだけでも、生活コストがとてつもなく高い。
子どもの習い事も一流の先生を探し、学校だって学費のかかる有名私立を選ぶことも多くなるだろう。それも幼稚園や小学校から。そうなると、親同士のお付き合いも大変だ。お迎えの車はベンツ、ママ友とのお茶に1万円超えのアフタヌーンティー、着ていく服もコスメもバッグはおおむねハイブランド――などと、果てしなくお金がかかる。
しかし、いったんその階層に入ってしまうと、生活レベルを下げることができなくなったりもするだろう。お金持ち生活を持続するには、莫大なコストがかかるのだ。
なお、タワマン最上階と書いたが、超がつくようなお金持ちはまた別の場所に自宅があったりする。富裕層はざっくり2つに分かれており、先祖代々お金持ちで、その土地や財産を受け継ぐ「資産家」がひとつ。もうひとつが、自身の才覚や努力、あるいは投資で財を築いた「一代財産家」だ。
前者は土地持ちであることが多く、高級住宅街に広い自宅を持っていたりする。これがまた、必ずしもラクではないらしい。歴史のある邸宅は、補修するにもひと騒動だ。規格が決まっている今の住宅とは違い、昔の大工仕事で作られた家だとすると、その技術を持つ熟練職人がどんどん減っているため工賃も高くなる。
植栽も同様で、知人が嘆いていたが、松の木の手入れに年間50万円もかかるのだとか。これも、専門の植木職人が少なくなっているせいだという。ネットで安い業者を探してくればOKというわけにはいかないのだ。また、大邸宅になればなるほど、犯罪対策の警備費も必要になるだろう。そして相続となれば、一等地であればあるほど莫大な相続税が出ていく。
お金持ちには社会的責任が伴う
かつてのセレブ階級である貴族だって楽ではなかったという。NHKの朝ドラ『虎に翼』で、華族のお嬢様である「涼子さま」が、家名存続のために自分の夢を諦めて婿を取るエピソードがあるが、「自分が家を継がなければ、多くの者が路頭に迷う」という意味の台詞があった。真のセレブは、自分のために働く使用人の雇用を守る責任がある。自由な仕事も恋愛もままならない。西洋の貴族社会もそうで、働かなくていいかわりに、貴族は地代を納めてくれる領民への義務を負っていた。治安判事を務めたり、領民の教育制度や救貧に気を配ったり、橋をかけたりインフラ整備をしたりと、民のために尽くさなくてはいけない。贅沢三昧して遊び惚けているようでは、真のセレブとは扱われなかった。
また、大金があるところには怪しい輩が必ず寄ってくる。宝くじで7億円当たっても、その後が幸せとは限らない。大谷翔平選手が事件に巻き込まれたのも、巨額のお金を持っていたからではないか。
お金持ちには、お金持ちにしかわからない苦労や災難がある。筆者は「お金持ち」ではなく、「応・金持ち」を目指すべきだと思う。自分に応じたお金という意味だ。
例えば、大きすぎる冷蔵庫に食材を詰め込んでも使い切れずに腐らせてしまうだろう。超高速も楽々出せるスポーツカーを買っても、テクニックがないと快適に乗りこなせない。それと同じように、人には「上手に使えるお金の器」があるように思うのだ。
今払おうとしている金額は、モノの価値に対して妥当か、高すぎるのか、それがわからないものは簡単に買うべきではない。それは現在の「器」を越えたものだからだ。
価値がピンとこないものにお金を払って手にしても、心から満足できるだろうか。自分の器に応じたお金の使い方をしながら、徐々にその大きさを広げていけばいい。
今の器を越えて、いきなりお金を欲しがると、投資詐欺の標的になりかねない。大金を持っていることより、自分は何にお金を使っているときが一番楽しく、心が満たされるのか、それをわかっているなら幸せの扉がはっきり見えてくるのではないだろうか。
節約家の幸せの見つけ方
そうは言っても、物価も高いし、円安は続くし、収入が増える気配もない。使えるお金がないなら、知恵を使って楽しむしかない。
食材高騰の折、毎日の食費は頭が痛いが、工夫のしがいがある。先日、300円台のおつまみを出す激安居酒屋に行ったのだが、どんなメニューなら安く作れるかのヒントになった。面白かったのは、お好みサラダ。お任せという意味かと思ったら、千切りキャベツに刻みタクアン・鰹節・紅ショウガを載せ、オタフクソースとマヨネーズで調理した、食べればお好み焼き味のするサラダだった。これなら簡単で安いし、大人も子供も喜んでくれそうだ。
ちなみに最近のマイブーム食材がしらたきで、1袋100円程度で買えるうえ、煮物はもちろん、炒め物に加えてもかさましになる。味付けが自由なので、チャプチェ風に甘辛くしても、ペペロンチーノ風でも、なんでもあう。ラーメンの麺が足りないときに、スープに加えてもいい。そういう実験をしながら節約レシピを考えるのは楽しいものだ。
GWで旅行に行っても、その地域のドラッグストアを覗くのは欠かせない。聞いたこともないプライベートブランドが見つかることも多い。安いと評判のスーパーがないかを事前に調べて、東京では買えないような価格の食品を土産用バッグに詰めて持ち帰ることもしばしばだ。むろん保冷バッグも持参する。ほとんど買い出し旅だ。安い食材や店との遭遇が楽しく、わくわくする。お金持ちにはお金持ちの幸せがあるだろうが、ないなりの楽しみ方を見つけることは誰にでもできるはずだ。
お金にしろ所有物にしろ、持っているものが減っていくのはつらいだけだが、持てるものがだんだん増えていく人生には夢がある。急がずに、少しずつ器を増やそうではないか。
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提供元:お金持ちとは本当に"うらやましい人生"なのか|東洋経済オンライン