2022.12.29
高山登山者は「脳の腫れ」に注意すべき医学的理由|命を脅かす「高地脳浮腫」を発症することも
脳の仕組みについて解説します(写真:NISH/PIXTA)
北極圏、ネパール高地、アメリカ先住民居留地など世界各地で医療活動をおこなってきた現役医師のジョナサン・ライスマン氏は「体内の器官を理解するには、自然の生態系への深い知識が必要」と指摘します。『未知なる人体への旅 自然界と体の不思議な関係』の著者であるライスマン氏が、今回は「脳の仕組み」について、自然界を通して得た豊かな知識と洞察をもとに解説します。
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海抜から高くなればなるほど「脳は腫れる」
ヒマラヤの高地では、頭痛はただの頭痛ではない。人体がその土地に適応していないしるしだ。高山病はどの臓器よりも脳に深刻な影響を与える。
脳の機能はもっとも先進的な神経科学の研究でも、ほとんど解明されていない。人間がその中に住んでいるというのに、脳はいまだにブラックボックスだ。この臓器の中で、どのように意識が作り出されるのかははっきりわかっていないし、どこで脳が終わり、どこで精神が始まるのか、その正確な地点についてはいまだに研究途上だ。1つわかっているのは、海抜から高くなればなるほど脳は腫れるということだ。
エベレストがビルで海抜ゼロが1階だとしたら、その頂上は2900階になる。1階からエレベーターに乗ったら、途中で耳がジンジン痛くなるのに加え、おそらく生涯最悪の二日酔いの症状になるだろう。ズキズキする頭痛、吐き気、倦怠感は、最も軽い高山病である急性高山病(AMS)の典型的な症状だ。
高度がより上がるともっと具合が悪くなり、脳の腫れが命を脅かすほどになる高地脳浮腫(HACE)を発症することもある。高山病で命を落とすのは、ほとんどがHACEのためだ。
高地で肺に水がたまることもあるが、ヒマラヤのような高い山を登るときに経験する大半の症状は、脳に影響を受けるからだ。標高が高くなると、どうして脳の生理機能にこのような不快で、死にいたりかねない変化が起きるのかはいまだに謎だ。未知のメカニズムと、気圧と酸素濃度の低い薄い空気で、脳内の血管から体液が漏れるのだ。
とりわけ脳の場合、ほかの臓器とはちがい、ちょっとした腫れも大きな問題を引き起こす。
例えば、肺はつねにふくらんだり、しぼんだりするように作られている。おまけに、骨が平行に並び筋肉が付いた胸郭に保護されていて、それが肺といっしょにふくらんだり、しぼんだりする。
かたや脳を保護する頭蓋骨は、非常に硬くて動かない。新生児のときは動く部分があるが、生後数か月が過ぎてそこが閉じると、硬くて伸び縮みできない、ほとんど隙間のない頭蓋骨になる。外傷、感染症、腫瘍、あるいは高地への旅による、わずかな脳の腫れでも、たちまち頭蓋骨腔内はいっぱいになり、圧力が高くなる。
これによって脳の血液供給が停止したり、呼吸のコントロールなどの基本的な脳機能がとどこおったりして、しばしば急死にいたる。頭蓋内の血液を排出することは、実際にはほぼ不可能だ。適切な量の血液を排出するよりもずっと前に、人は脳が圧迫されることで死んでしまうからだ。
ただし、頭蓋内圧の亢進(こうしん)は治療できる。脳神経外科医は患者の頭蓋骨に大きな窓を開け、脳がつぶれずに広がる場所をこしらえる。そうした手術のおかげで、HACEから救われた人もいる。しかし、殺菌した手術室もなく、手術ができる脳神経外科医もいないヒマラヤでは、おそらく不可能だろう。
赤ん坊の脳と高齢者の脳の違い
生まれたとき、赤ん坊の脳はぽっちゃりしていて、表面は入り組み折りたたまれ、ほとんど隙間なく頭蓋骨の内側にぺったり張りついている。赤ん坊の頭のCTスキャンは、ラッシュアワーの混んだ地下鉄車内さながらだ。年をとるにつれ、脳は縮んでいく。そのプロセスはアルコール依存や脳卒中によって加速する。
高齢者のCTスキャンだと、脳は熟したブドウというよりも干からびたレーズンみたいに見え、ひだとひだのあいだにかなり隙間ができ、脳の外側とそれを取り囲んでいる頭蓋骨のあいだのスペースがあきらかに広がっている。縮んだ脳は望ましくないが、高所ではメリットもある。高齢者の脳は腫れてもスペースに余裕があるので、若くて健康なトレッカーよりも高山病に悩まされにくいのだ。
ヒマラヤの診療所で働いているときに、私はほぼ毎日、頭痛、吐き気、食欲不振、不眠を訴える患者を半ダースは診察した。どの場合も、どのぐらいの時間をかけてここまで登ってきたかをたずねた――急いで登ってきたなら、その症状は急性高山病(AMS)が原因だと指摘できる。
高度は心臓と肺のリズムに加え、もう1つのバイタルサインとなる。患者の脈を調べるのはもちろん、山を移動した際の詳細なスケジュールもたずねた。そこで役立った療法は、休息、服薬、数日かけて体を高地に慣れさせることだ。
多くの患者は、ヒマラヤの奥地まで車で到着したあと、AMSの症状が出た。車を使うと1日足らずで着くので、体が馴化する暇がなかったのだ。地元民ですら、ふもとを訪れたあと、車で帰宅するとAMSを発症した。
低地に数週間いただけで馴化は消える
長年高地に住んでいることで人体は長期的に馴化(じゅんか)し、乏しい酸素を細胞に運ぶのに役立つ赤血球がたくさん作られている。しかし、AMSを防ぐ馴化は、山でどんなに長く暮らしていても、低地に数週間いただけで消えてしまう。
AMSの患者に対して重視される検査はバランスだ。診察室の床に片足で立たせ、さらに一歩ごとにかかとで反対側の爪先にふれながら、まっすぐ歩かせてみる。この重要な診断検査は、患者の脳の腫れの重症度を教えてくれる。それが閾値まで達すると、頭蓋内の圧力によって、脳の基本的な調整能力がそこなわれてしまう。
バランスをとれなくなっているのは、ただのAMSではなくて、もっと危険な病状、高地脳浮腫(HACE)の最初の兆候であることが多い。
患者のなかに78歳の女性がいた。チベット人仏教徒の女性高僧で、周辺の高い谷間の崖に並ぶ洞窟に38年間、1人で住んでいた。1日の大半を瞑想して過ごしているという。孤独で静かな住まいが、精神修行に集中するためには必須なのだ。谷間の絶壁の高みにある洞窟は、社会のあわただしさからの隠れ家だった。
上に行けば行くほど酸素分子と同じく人も少なくなるので、高位の僧は山にこもる。ゆったりと暮らし、瞑想でマインドフルネスの状態になることが、この高地でどんなに動いても驚くほど呼吸が乱れないことに役立っているのではないかと、私は推測した。
精神と脳は2つの異なるものなのか、それとも1つのものなのか、とその高僧にたずねてみた。
高僧は2つの別々のものだと考えていた。精神は脳と同じく体の中にあるが、指で指し示すことはできず、形も体積も色も持たない。
私はさらに突っこんだ質問をした。
「脳はどこで終わり、精神はどこで始まると考えますか」
彼女は答えた。
「それを解き明かすためには瞑想するしかないでしょう」
精神と脳について別の視点から知るために、友人の精神科医に話を聞いた。しかし、質問すると、そもそも精神が存在しているとは信じていない、という答えだった。その説明は以下のものだった。
私たちが経験する世界は意識全体に統合されているように思える。ようするに融合体なのだ。脳の各領域、すなわち脳幹から大脳皮質まで、さまざまなレベルの領域が少しずつ意識を形作っている。精神というのは、下方にある脳の領域の最も基本的な反射作用と、もっと高尚な感情や認識の機能を結びつけ、統合している重層的な存在だと。
精神は脳のさまざまな領域の共同作業を理解する手段
精神の存在を信じないのに、人間の精神の疾患をどうやって診断し治療するのかと質問したが、それは彼にとっては矛盾でもなんでもなかった。精神というのは、脳のさまざまな領域がいかに共同作業をしているのかを理解する手段にすぎない。精神疾患というのは、脳神経科医がほかの脳疾患を診断するのに通常使う、血液検査、CT、MRIなどの手段ではよく理解できない脳機能の状況を簡潔に表現した言葉なのだ。
顕微鏡で脳の生検をしても、精神科医には役に立たないだろう。しかし、脳の精神的な状況はおもに会話によって判断されるので、精神科医にとっては、それが第一の診断基準になる。ときには相手と話すだけで、精神科医は精神疾患の最終的な行動である自殺から患者を救うことができる。自殺とは脳が自死し、肉体を道連れにすることなのだ。
精神は精神科医にとって必要な概念だが、古くさい時代遅れの考えだと、その精神科医は述べた。1世紀以上前から、脳がさまざまな領域に仕事を割り振っていることはわかっている。そのため、意識は1つの流れのように感じられるかもしれないが、実際にはキルトのように継ぎ合わされたものだ。「精神」とは、認識のための臓器、つまり脳が働くとどういう感じがするかを表現するのに使う言葉でしかないと。
人間は、おおざっぱに言うと二次元の生活を地上で送っていて、昔からずっと上の領域は到達不可能で手の届かない謎の領域だった。飛ぶことは技術的に不可能だったし、山は高度のために身体的ストレスを与えた。
その危険性ゆえに山は不吉な土地とみなされるようになったが、同時に魔力を秘めた場所でもあった。教会の丸天井ですら、その高さだけで、礼拝者たちに超自然的な力を前にしているような感覚を与えることができる。しかも奇妙なことに、われわれの頭蓋の天井を連想させる。その下には脳が、精神的な器官が鎮座しているのだ。
脳が果たしている、謎めいた見晴台の役目
はるか昔から、人は意識の本質について考えをめぐらせてきて、それについて説明しようとする哲学や理論が無数に存在している。私には、精神は相互関連性から生じているように思える。脳はニューロンから構成され、そうした細胞と細胞のつながりが、脳機能の基本的な単位になっている。
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より高い位置から眺めると、関連するニューロン同士が寄り集まって、それぞれ独自の機能を持ち、脳の地理的領域を形成していることがわかるだろう。そうしたいくつもの領域での相互作用を通じて、個人の意識が作られる――各領域でのやりとりから、全体が生まれるのだ。
さらに高い地点から鳥瞰すると、ふたりの人間の会話、すなわち、2つの脳のあいだの言語的なかかわりによって、精神の働きがあきらかにできる。より高く登りいちばん高い場所から見下ろすと、人は高僧の視点を得られるのかもしれない。
どんな高度にいようと、私たちは自分だけの山――最も高く、最も奥深い臓器である脳から世界を眺めている。脳は実際のところ、それほど体の奥にあるわけではない。頭皮と頭蓋骨という隙間がほとんどない、2つのごく薄い覆いのすぐ下に位置し、私たちが世界を経験するときの謎めいた見晴台の役目をしている。
つまり、脳は自分の最も深い部分が存在する場所だと言える。しかも人体と同じく、脳全体では、脳内の各領域を合わせたよりもずっと大きな力を発揮することができるのだ。
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