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2022.12.14

医師が「医療は配管工事と同じ」と教える納得の訳|自然を深く知ることで治療方法が見えることも


心臓発作は血流の流れが悪くなることで起こります(写真:lightsource/PIXTA)

心臓発作は血流の流れが悪くなることで起こります(写真:lightsource/PIXTA)

北極圏、ネパール高地、アメリカ先住民居留地など世界各地で医療活動をおこなってきた現役医師のジョナサン・ライスマン氏は「体内の器官を理解するには、自然の生態系への深い知識が必要」と指摘します。『未知なる人体への旅 自然界と体の不思議な関係』の著者であるライスマン氏が、「血流の詰まりが起きる仕組み」について、自然界を通して得た豊かな知識と洞察をもとに解説します。

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医師の仕事は、体液がきちんと流れるようにすること

人体の深い洞窟には、水路や暗渠が迷路さながらいたるところに走り、どの流れにも、ある特定の体液が流れている。そうした体液の流れが阻害されると疾患が起きる。

例えば尿の流れが止まると、腎臓病と尿路感染症を引き起こす。中耳からの膿の排出が阻害されると、耳の感染症になる。鼻汁が副鼻腔にたまる場合も同様だ。肺からの粘液の流れが悪くなり、肺に菌が入って炎症が起こると、肺炎につながる。

かたや胆のう、腎臓、唾液腺にできた結石や、中耳のバランスをとる部位の耳石がそれぞれの体液の流れを阻害すると、たとえようのない苦痛をもたらす。虫垂炎、憩室炎、膿瘍、便秘――どれも、人間の体内のパイプを流れる液体をせき止める詰まりによって起きている。

体液の流れは、伝統的な漢方薬の教義と共通する。気の流れがせき止められた場所に、大半の病気の原因があるのだ。西洋医学にも同じ重要な教義があることを学んだ。人間の健康は体液が安定して着実に流れることで保たれる、ということだ。医師の仕事は詰まりを取り除き、体液がきちんと流れるようにすること、医療行為の大半は配管工事のようなものなのだ。

人体の最も致命的な配管問題は心臓発作だ。心臓発作は、鉛筆の先端よりも小さな血栓が冠動脈の支流にでき、酸素と栄養を心筋に運ぶ血流をせき止めることで起きる。

一方、心停止は電気的な問題だ。心停止が起きると心臓は停止し、拍動を止める。その診断は患者に脈がないと告げるのと同じだ。心臓発作は心停止につながることがある。心筋に血液が送られなくなり、通常は協調している電気システムが乱れるときだ。ときには局所的な電気的混乱によって、心臓の電気的リズム全体が制御不能に陥ることも、どこか1つの器官に不具合があることで拍動が途絶えることもある。

拍動は人体の命を支えるリズムであり、心停止は厳密には「死」を意味する。ただし、蘇生するチャンスはまだある。心肺蘇生法(CPR)や電気ショックによってだ。CPRの胸骨圧迫、いわゆる心臓マッサージは心臓から血液を押し出し、停止した心臓の代わりに拍動させる方法で、電気ショックは車のジャンプスタートのように正常な電気リズムを回復させるためのものだ。それによって、多くの患者が蘇生する。

心臓の拍動を再開させるチャンスがいよいよ絶望的になってくると、わたしは「心臓マッサージを停止!」と叫び、壁の時計に表示された時刻を読み上げる。心臓の蘇生をあきらめたその瞬間が、正式に死を宣告された時刻となるからだ。

心臓発作では分単位の治療が重要だが、心停止では秒単位の治療が求められる。「コードブルー」とも呼ばれる心停止は、医学的治療で最も緊急を要する。だから、あらゆる医師、看護師の手を借りるために、コードブルーになると病院の全館放送のスピーカーからアナウンスされるのだ。

ほかの臓器が働きを停止すると、たいてい何分か、何時間か、何日か後に死がやってくる。脳死後に肉体が何年も生きられることすらある。しかし、心停止の場合、厳密に言えば、死はその瞬間に起きている。心臓の死はまさに人体の死なのだ。

「血管」と「水路」の共通点

旅客機から眼下を見下ろしたとき、地上をヘビのようにのたくって走る水路に魅了された。ちっぽけな小川が大きな流れになり、さらにほかと合流し、どんどん大きくなっていく。自分の体にも同じパターンがあることに気づいていた。前腕には、表面に青みがかった血管がくねくねと走っている。まさに大地を水路が延びているのと同じだ。血管は腕を上っていき、より太い血管と合流する。地上の流域を流れる川のように。

カムチャツカ半島でリサーチをしたときは、地元の家族といっしょに1週間にわたって馬で旅をした。出発してから数時間して、ビストラヤ川のもっと細い支流との合流地点にたどり着いた。右に曲がり、しばらく支流沿いに進み、最初の晩はそこでキャンプをした。

翌日、上流に向かって進んでいくと、また合流地点にぶつかった。そこでは、これまでたどってきた支流よりもさらに細い流れに分かれていた。そしてふたたび曲がり、さらに細い支流沿いに馬を進めた。

こうして、細くなっていく流れを次々にたどりながら、山に分け入った。たどってきた流れが、水がちょろちょろ流れるだけになり、やがてその水は岩が散らばるツンドラの下にすっかり消えてしまった。ついに、谷間の頂上である山の峠に立ったのだった。

峠の上から、反対側の険しい斜面の下にも別の広い谷間が開け、水が反対方向に流れ落ちていくのが見えた。それはたった今登ってきた谷間とそっくりな風景だった。峠が2つの水系の境界、すなわち分水界になっているのがはっきりとわかった。はるか下に小川の流れが見える。それが別の水系の始まりで、やがて支流に分かれたり合流したりするのだろう。

峠を越えると、今度はそちらの流れをたどっていくことにした。

その後数日で、流れはほかの支流と合流して、刻一刻と大きくなっていき、その地域の水の流れがどういう形になっているか、直感的に理解するようになった。それは道なき道を歩んで山中を案内していく際に不可欠の知識だった。

人体にもいたるところに分水界がある

自然界と同様に、人体にはいたるところに分水界がある。胆汁は肝臓から細い管に排出されると、次々に大きな流れへと合流していき、やがて膵臓の消化液の支流に入り、そこで混じり合った物質を小腸へと運んでいく。同じようなパターンの流れが唾液腺と乳腺からの排出にも見られる。

カムチャツカ半島のビストラヤ川をさかのぼる旅は、心臓から出発した血液が人体のあらゆる組織へ旅していくのと似ていた。心臓から押し出されるすべての血液は最初に人体の本流である大動脈に入る。合流地点に到達すると、曲がって、より細い支流の動脈をたどっていき、さらにいっそう細い支流に分岐した動脈網へと進んでいく。こうして1つ曲がるたびに、血液は体内の目的地へぐんぐん近づいていく。

人体の太い血管や中太の血管にはすべて名前があるが、人体の奥地を流れている、いちばん細い毛細血管には、どんなに詳細な医学書でも名前が付けられていない。細胞の入口まで直接栄養を運んでいく毛細血管は、人体における山の峠だ。

動脈の流れを旅してきた血液は、そこを通過すると、ふたたびそっくりな別の血管の流れへと入っていき、帰りの旅路につくのだ。

循環する旅の第2章は、細い静脈の流れで始まる。その流れは次々に合流して、より太い血管を流れていく。前腕を走っている青みがかった血管は、手とその筋肉、骨、腱、皮膚が出合った地点から流れ出たごく小さな流れが合流したものだ。

人体のどの部分も、血液の流れ同士が合流するために必要だ。ちょうど地面に落ちる雨の一滴一滴が、やがてひと筋の流れを作るように。そして、人体の地形図でもっとも遠い場所から出て酸素を使い果たした血液は、人体でもっとも大きな静脈の川、大静脈に流れこんでいく。

人体の血管は地球上の川と同じく活力にあふれ、自ら軌道修正して慢性的な障害物を迂回することができる。例えば冠動脈疾患がある人々には、長年のうちに迂回路ができることがよくあり、それによって血液が細胞まで流れていくことが可能になる。

川は岩によって流れをせき止められると、やがて岩を迂回する新しい流れを見つけるが、それとまったく同じように、人体の心臓血管系は血液の流れのために新しい流れを作り、古い流れは三日月湖のように取り残されるのだ。

配管工の考え方を医療に取り入れる

人体についての見識をより深めるために、わたしは配管工の考え方を取り入れることにした。あるとき、病院の一部で水道が完全に止まったという連絡があった。メンテナンス責任者は病院内の配管を1本残らず熟知していて、どこに詰まりが生じているかを推測できた。

彼の予想どおり、問題の病棟に供給している管が本管から分岐する箇所で、原因を発見した。バルブが故障したので流れを管理しているゲートが閉まり、心臓発作の血栓さながら完全に水を止めてしまったのだ。心臓ステントのようにバルブ交換によってその病棟への水流が回復し、問題は解決できた。医師と同じやり方で配管の問題を解決したのだ。

病院の配管の分岐点と同じように、人体における分岐点は臓器とそれに接続する血管系から構成されている。人体の血栓を治療するとき、わたしは彼とまったく同じように考える。冠動脈の支流の中で血栓が作られているなら、その支流が栄養を運ぶ細胞だけ血流が遮断され、心臓の残りの部分は健康な血流を受け取っている。

しかし、それを解明するのは簡単ではない。心臓は肉と骨でできた不透明な胸壁で隠されているので、さまざまな場所にいる同僚に蛇口をひねってみてくれと無線で連絡したり、給水設備室に入っていったりすることはできない。そこで心電図が役に立つわけだ。心電図は心臓の中をのぞき、その中の蛇口を確認するための手段なのだ。そして、心電図の解釈をするためには、流域を理解する必要がある。

標準的な心電図の12本の電極は心筋の中を走る電気信号を記録し、それぞれが心臓の別の部位を表している。心組織への血流が止まると、電気活動の混乱が心電図のジグザグの線に現れるが、重要なのは、それが全体的なのか部分的なのかを判断することだ。

胸痛を訴える患者の心電図を見たら、最初にこう考える。その混乱が起きているのは、どこの場所か。問題が冠動脈の1つの流域内だけで起きていれば、患者の胸痛は些細な原因からではなく、おそらく心臓発作で引き起こされたのだ。

配管工も医師も大局的に眺める

配管システムの問題解決テクニックと同じように、また山の中を旅するように、地形と分岐する水の流れを熟知することは不可欠だ。

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カテーテル治療をおこなう心臓専門医も、冠動脈にカテーテルを挿入して心臓発作を起こした犯人である血栓までたどっていくときに同様の技巧を発揮する。心臓専門医は分岐ごとにどちらに曲がればいいのかを知っているので、どんどん細い血管に入りこんでいき、造影剤が停止している箇所までたどり着けるのだ。

きわめてやっかいな配管の問題の解決や命にかかわる病気の治療をし、人里離れた深い山を進んでいくとき、配管工も医師も旅人も流れのほとりに立ち、相互につながる流れや枝分かれする水路を大局的に眺めなくてはならない。すべてはその流域を理解するためだ。

ただし人体の血流は、地上の水路や建物の下水管とはある重要な点で異なっている。大地からの排水は大きな川に合流して網状三角州を作り、旅の最後に海へ到達する。

同じように、建物の配管システムからの流出物は太い管に流れこみ、最後に汚水処理場という終点に着く。しかし、血液はちがう。心臓から出ると、無限に分岐する血管を流れて、全身のあらゆる細胞と出合ってから、ふたたび太い血管に合流する。そして最終的に旅が始まった場所である血液の三角州に、人体の真の中心である心臓に戻ってくるのだ。

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提供元:医師が「医療は配管工事と同じ」と教える納得の訳|東洋経済オンライン

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