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2022.11.29

"かすり傷"放置で「片腕切断」25歳男性の驚く顛末|「医師宣告を動画配信」する超前向きな人生観


医師から衝撃的な宣告を受ける宮野さん(写真:YouTube「片腕男子」チャンネルより)

医師から衝撃的な宣告を受ける宮野さん(写真:YouTube「片腕男子」チャンネルより)

「片腕男子」というチャンネル名でYouTubeに配信された、1本の動画。殺風景な診察室で、緊張した面持ちの青年が医師の話にうなずいている。彼は今、「血管肉腫」という血管内側の細胞の悪性腫瘍を左手に患っていると告げられたばかりだ。それは衝撃的な宣告だった。なぜなら彼は、「ただのかすり傷」だと思っていたからだ。

「片腕男子」 ※外部サイトに遷移します

男性の名前は、宮野貴至さん(25歳)。このとき(2022年6月)は、都内の大学に通いながら芸人を目指していた。宮野さんは医師の話に黙ってうなずき、診察室には言葉を選びながら話す医師の声だけが響いている。

医師「手術として外科的にやるとなると、かなり厳しい話ですけれども、左の肩ごと、上腕骨、肩甲骨も含めて手を取れば、治る確率はあると思うんです。

ただもちろん、それってかなりご本人にとっても、利き腕ではないにしてもね、手がなくなっちゃうし、生活だって変わっちゃうから、すごく決断としては難しいし、もう一つは、血管肉腫自体の治療成績って、あんまり実は良くないんですね……」

ここで医師は少し言いよどんで、宮野さんに投げかける。

医師「数字で言ってもいい? 数字で言うと、大体2年後に助かる人が半分なんですよ、2年後に命がある人が半分」

まさに寝耳に水の話だった。隣に座る付き添いの両親は、一人息子への残酷な宣告にどんな顔をしているのだろう。両親の気持ちを考えると、心が苦しくなった。

かすり傷の「かさぶた」をくり返しむいていた

話は5年ほど前にさかのぼる。その当時宮野さんは、左手の親指にしこりがあるのを感じていた。だが痛みはなく、普段通りの生活送っていた。あるとき、仲間とバスケットボールをしたという。その際、親指のしこりにボールが擦れ、かすり傷を負ってしまった。

すぐにかさぶたになったが、誰しも経験があるように、かさぶたが気になってむいてしまった。それが生傷になり、またしばらくすると、かさぶたになる――そんなことを5年ほどくり返していたという。

「ただのかすり傷で病院には行かないですよね」と、現在の宮野さんが笑う。「まあいっか、と思って放置してしまったんです」。

随分長く経ってから、あまりに傷が治らないことと、その傷が化膿し、しこりが大きくなっていることを自覚した。そこで、とりあえず診てもらおうと町医者に行ったのだという。傷を診察した医師はすぐに大きな病院への紹介状を書き、冒頭のシーンになる。

宮野さんの親指の傷は、悪性腫瘍となり、左脇のリンパにも転移していたのだ。

左手の親指にあったしこりがどんどん大きくなっていき、悪性腫瘍になってしまった(写真:宮野さん提供)

左手の親指にあったしこりがどんどん大きくなっていき、悪性腫瘍になってしまった(写真:宮野さん提供)

医師「手術をするなら、治すためにいちばんベストな方法が『切断』。それは、腕と肩甲骨を含めて脇の下からごっそり全部、鎖骨のほうまで取る手術になると思います。今の段階で本人がどっちの手術をするのかは、ある程度決めておいたほうがいいかもしれない」

言葉を選びながら、過酷な治療方法を伝える医師。その内容を聞いた宮野さんは、迷いのない表情で「結構決まってます」と告げた。医師は「どうする……?」と言葉に詰まりながら尋ねる。すると宮野さんは、きっぱりとこう告げた。

「(腕を)落としたほうがいいと思います」

この宮野さんの迷いのない様子に、表情は写っていないが、医師の少し安堵したような空気を感じる。まだ25歳の若者に、命の保障はないが腕を切断することがベストだと告げるのは、かなり苦しい気持ちだっただろう。

医師「頑張れそう……?」

宮野さん「全然大丈夫です」

医師「……強いね」

「死ぬかもしれない」という恐怖

しかし、再び残酷な試練が宮野さんを待ち構えていた。左手親指から脇のリンパへと転移した悪性腫瘍が、内臓に達している可能性があるというのだ。そうなると「手術はできない」と医師から説明された。その検査結果が出るのは、さらに10日後。最初はあまり実感がなかったという宮野さんだが、この10日間で恐怖が一気に押し寄せてきたという。

「検査結果の日、待合室で呼び出しを待っている時間が、人生でいちばん怖かったです。『死ぬかもしれない』という恐怖で心臓がバクバクしました。その死の恐怖に比べたら、たとえ腕がなくなっても治療できるだけいいと思っていました」

検査の結果、内臓への転移は見られず、左腕の手術が執刀されることになった。治療できるだけでもよかった――それが本心だったとはいえ、腕を失うことを割り切れるものだろうか。宮野さんはこの医師宣告の一部始終をカメラに収め、前述のように自身のYouTubeチャンネルで配信。以降も、治療の経過をほぼリアルタイムで配信し続けた。動画には「冷静に受け止めていてすごい」といったコメントがたくさんついた。

「信じられないかもしれませんが、このとき僕は『自分は生まれ変わる』『新しい世界が始まる』とすら思っていました。これは僕が元々持つ『エンタメ精神』ゆえかもしれません」

正直、強がりなのではないか……そう思い、宮野さんの顔を見つめると、迷いのない表情で微笑みかけられ、面食らってしまう。「エンタメ精神」、それは宮野さんが目指してきたことに関係するだろう。

都内の有名私大に通っていた宮野さんは、就職活動が本格化した4年生の春、一般企業に就職する姿が思い描けず「芸人になろう」と決心。元々「エンターテインメントに関わる仕事をしたい」という夢もあり、すぐに行動に移した。芸人が多く所属する大手事務所の養成所のオーディションを受け、無事に入所。大学はいったん、休学した。

養成所では、のちに「アルフォンス」というコンビを組む相方とも出会った。相方とは「友達でも家族でもない、とはいえビジネスパートナーとも割り切れない」という不思議な関係性を築きながら、一人暮らしをしていた宮野さんの家で同居生活を送った。

ラウンジでボーイのアルバイトをしながら、事務所ライブのオーディションを受ける毎日。オーディションを受けて合格しなければ、自分たちのネタをライブで披露することもできない厳しい世界だ。

コンビを組んでいた元相方の飯谷さん(写真右)とは半年間同居していた(写真:YouTube「片腕男子」チャンネルより)

コンビを組んでいた元相方の飯谷さん(写真右)とは半年間同居していた(写真:YouTube「片腕男子」チャンネルより)

病気が判明したのは、養成所に通って1年が経った頃だった。ずっと、日本一の若手漫才師を決める「M-1グランプリ」で優勝したい、という夢を抱いていた。そして、卒業ライブの投票審査を1位で通過したものの、事務所への所属審査には落ちてしまい、フリー芸人として奮起している最中だった。

「相方とは毎日のように喧嘩をしていたけど、本気で一緒にお笑いをやろうと思っていました。だから病気がわかったとき、本当に申し訳なかった。相方は僕と出会う4年前にもコンビを組んでいたのですが、養成所の卒業直前に解散してしまい、夢破れた経験があるんです。それから僕とコンビを組み、数年越しの再チャレンジの機会でした。また振り出しに戻ってしまった」

病気は本当に大変なことだ。しかし手術が終わった現在も、宮野さんはYouTubeで動画を配信し、そこではコントも披露している。芸人を続けるという選択肢もあったのではないか。

「僕らはM-1での優勝を目指していました。憧れていたフットボールアワーさんやチュートリアルさんみたいな、カッコいい漫才をしたかった。漫才以外のことに注目されてしまうのは違うな、と思ったんです。もちろん、車椅子で活動している芸人さんもいらっしゃいますし、そういった方々の笑いを僕は素晴らしいと思います。でも、僕がやりたかった漫才は、そういう形ではなかった」

「できなくなったこと」を経験した人が感じる思い

命の危険や不幸に見舞われ、「当たり前の日常」が幸せだと気づくことがある。それは、「できなくなったこと」を経験した人が感じる思いでもある。それを宮野さんは「気づかなくてもよかったこと」だと語った。

「マイナスの現状があってこそ気づく思いですよね。生きてるだけでもよかった、と感じるのは、『幸せのレベルが下がっている』と思いました。僕は、やりたいことができないとか、夢を諦めなくてはいけないということを、きちんと『つらい』と感じることにしたんです。だから、『芸人をやめよう』と決めました。それは本当につらいことでした」

ともに芸人を目指してきた相方には、「芸人やめるわ」と伝えた。相方はそれを受け入れ、いつも飄々としている態度にも変化はないように見えた。でも、相方にとっては再起をかけた挑戦だ。それが志半ばで終わりを告げるのは、きっと悔しいに違いない。この決断を無駄にしないためにも、「幸せレベル」を自分で上げていかなくてはならない。

そうは思っても、メンタルが落ち込んでしまう場面もあった。退院後は、関西の実家から両親が上京し、身の回りの手伝いをしてくれた。それはとても助かった反面、自分の無力感を強く自覚することにもなったと話す。

「突然障害を負ってしまった人によく起こることだと、病院のカウンセラーがおっしゃっていました。周りの人が心配して何もかも手伝ってしまうと、本人は無力感を覚えてしまうそうです。もちろん、気を遣ってくれている相手の気持ちを有難いと思っているのですが……。僕の場合は両親に対して苛立ちを覚えてしまい、そんな自分にも嫌気が差していました」

とはいえ、できないことや不自由になることも実際にはある。「洋服は一人で着られるけど、靴ひもを結ぶのは難しい」など、身近な人には自分のできること、できないことをまず話したほうがいいと宮野さんは言う。

「何でもかんでも手を貸してもらわなくても大丈夫、と言っても、同居していた相方は退院の日に迎えにすらきてくれなかったですけどね(笑)。家に帰ったら、『あ、おかえり』と入院前と変わらない出迎えでした。でも、その態度に救われた部分が大きかったです」

「今日は泊まりにきていた友人に靴ひもを結んでもらいました」と話す宮野さん(写真:筆者撮影)

「今日は泊まりにきていた友人に靴ひもを結んでもらいました」と話す宮野さん(写真:筆者撮影)

「前例のない病気」に罹患していた

手術後の病理検査で、宮野さんを襲った病気の詳細が判明した。類上皮血管肉腫と類上皮肉腫という2つの希少がんを併発していたのだと言う。これは世界でも例を見ない病気で、WHO(世界保健機関)にも報告がないと医師は話した。原因については特定できていない。

その結果報告を伝える動画で、宮野さんは語った。

「人類初の病気。類上皮血管肉腫になる人って100万人に1人らしいんですよ。類上皮肉腫も年間20〜30人。この2つがあるっていうのが、今まで1例もなかった。『新人類』ですよね。例えば、視覚を失った人って聴覚が良くなるとか言うじゃないですか。左手を失ったから予知能力とか出るかもしれないですよね、新人類なんで。予知能力が出たら、僕は……投資します(笑)」

6月の突然の医師宣告、そして手術を経て5カ月。大学には復学せず、退学した。「実家に戻っておいで」という両親の申し出を断り、もうすぐシェアハウスに居を移す予定だ。そこで仲間とともに、まずはYouTubeへの動画配信に本腰を入れるという。

医師宣告の動画からコツコツとアップし続け、まもなくチャンネル登録者数が6万人になる(2022年11月22日現在)。YouTubeへ収益化の申請をしたのは、つい最近のことで、まだ配信だけでは稼げていないと話すが、宮野さんは“超前向き”だ。しかし矛盾するようだが、その頭の片隅にはいつも「5年生存率」がチラついている。5年後、自分は再発せずに生きていられるだろうか。

「死を意識すると人生を振り返るって言うじゃないですか。僕はいつ死んでもおかしくないとなったとき、お金や安定よりも、仲間と過ごす時間やエンタメに関わりたいという夢がいちばん大切だと思ったんです」

自分は可哀想ではなく「価値がある」

YouTubeには「片腕になってから初めて洗濯してみました」「しばらく動画配信を休んでいたのは、“腕”探してたからです」「障害者手帳で動物園に行ってみました」など、ブラックユーモアが光る動画を次々と配信。そこに悲壮感は1ミリもない。

左腕を切断してから、初めて一人で洗濯に挑戦した様子を動画で配信(写真:YouTube「片腕男子」チャンネルより)

左腕を切断してから、初めて一人で洗濯に挑戦した様子を動画で配信(写真:YouTube「片腕男子」チャンネルより)

しかし、無理をして前向きな発信をしている、というのではない。美辞麗句を並べたような応援メッセージでもない。「片腕を失った自分」をコンテンツとしてフルに使い、真剣に“笑い”をつくろうとしている。

もちろん、それは“障害者いじり”とは違う。漫才をする芸人ではなくなってしまったけれど、自分のつくる動画は、ずっと夢見てきた「エンタメ」の一つだと信じている。各動画のコメント欄には、宮野さんの底抜けに明るい姿に励まされた闘病中の人、つらい日々でも「笑えました」という人たちのメッセージであふれている。

「僕のこの状況って可哀想というより、数少ない属性で珍しいから価値があると思うんです。元芸人で、片腕で、現在ユーチューバーで……どんどん自分の肩書を増やしていきたい。僕はやっぱりエンタメを仕事にしたいので」

宮野さんに将来を悲観する気配はない。「これから生活はどうするの?」と心配する人がいるかもしれないし、もしかしたら破れかぶれになっているのではと思う人もいるかもしれない。

宮野さんを支えてくれている友人たちは、退院時に漫画『左ききのエレン』をくれた。別れ際には「じゃあな」と左手で握手を求めてくる。もう、めちゃくちゃだ。でも、そういう仲間たちのおかげで、いま“新しい自分”をポジティブに生きられている。

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提供元:"かすり傷"放置で「片腕切断」25歳男性の驚く顛末|東洋経済オンライン

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