2022.11.02
ソウル雑踏事故で多数、「圧死」から命を守れるか|法医学の医師に聞くメカニズムと救命法
(© 2022 Bloomberg Finance LP)
10月29日夜にソウルの繁華街、梨泰院(イテウォン)で起きた事故。10万人が押し寄せたというハロウィンのイベントで、多くの人が折り重なるように倒れ、約150人が死亡した。
これまで国内の死亡事故の検証に多数関わってきた滋賀医科大学社会医学講座教授の一杉正仁さんは、「規模からしても、これは航空機事故のレベル」と話す。
「圧死」はなぜ起きるのか
報道によると、この事故で亡くなった人たちの死因は、「圧死」が多い。圧死とは胸を圧迫されたことによる窒息をいい、専門的には “外傷性窒息”と呼ぶ。
だが、人が上に乗っただけで命を落とすことなどあるのだろうか。
「それがあるんです。私たちは日々呼吸をしていますが、そのためには胸の動きが欠かせません。その動きが外から圧迫されて止められてしまえば、息ができなくなり、窒息という状態に陥るのです」と一杉さん。こう述べたうえで、次のように説明する。
「簡単に言うと、呼吸とは、酸素の多い空気を取り込み、二酸化炭素を含む空気を吐き出すこと。その際に必要となるのが肺と、横隔膜です。横隔膜とは胸とお腹を仕切っている筋肉を言い、この横隔膜が下がって肺が広がると、陰圧がかかって外気が取り込まれ、反対に横隔膜が上がって肺が縮まると、陽圧がかかって空気が吐き出されます」
今回のように、外からの強い圧で胸が広がろうとするのを押さえつけてしまうと、肺が広がらないので呼吸をする能力が失われ、窒息死するという。
「おそらく亡くなった方々は、主に上半身、胸を中心とした部分がまったく動かせなかったのではないかと推測されます。そのため今回の事件のような窒息が起きたのだと思います」
そしてもう一つ、圧迫は心臓にも影響を及ぼすという。
「胸が圧迫されると全身を循環している血液が心臓に戻りにくくなります。心臓に必要な酸素と栄養が供給されなくなるため、心停止が起こります」
圧死に関しては、こんなこともわかっている。「50kg程度でもずっと胸の上に乗ったままでいると、30分後には呼吸困難による生命の危険が生じて、70~80分で死にいたる」というデータだ。50kgというと身長にもよるが、成人女性の体重ぐらいだ。それだけの重さでも人を死に至らしめてしまう。
圧死というと、2001年に兵庫県明石市で発生した花火大会の歩道橋事故を思い出す人もいるかもしれない。このときは11人が圧死などによって死亡し、約180人が負傷した。
圧死は人が乗って起こるケースだけではないと、一杉さんは言う。
「1995年の阪神淡路大地震では、家屋や家具の倒壊によって圧死した方がかなりいらっしゃいました。亡くなった約5500人のうち、77%にあたる4224人が圧死でした。このほかにも、2005年のJR福知山脱線事故では、約100人が亡くなりましたが、このうち先頭車両では圧死が多かったといわれています」
ほかにも、労災事故でも圧死のケースは珍しくなく、決して稀なものではないのだ。
最も大きなきっかけは「転倒」
話を、“人が乗ったときの圧死”に戻す。
一杉さんによると、今回の事故にしろ、明石の事故にしろ、ある“きっかけとなる状況”が惨事を招いたという。最も大きなきっかけが「転倒」だ。どんなに人がぎゅうぎゅうになっていても、転ばなければ事故は免れることができる。
「もし今回、多くの方がお酒をかなり飲まれていたとしたら、足もとがふらついているので、転倒のリスクが高くなっていたと考えられます。もう一つ、人から押されるという行為も、バランスが崩れるので転倒リスクとなりうる」
30日、雑踏事故の起きたソウル・梨泰院の現場を視察する尹錫悦大統領 © 2022 Bloomberg Finance LP
「今回、タレントさんのような有名な方が来られたと報じられていますが、われ先にという心理が働いて人を押しのけていこうとした、そうしたことが転倒につながったのではないか」
また、逃げ場がない状態も群衆による圧死を起こすリスクが高いという。
「日本では明石の事故後、イベントなどで群衆が発生する場合の警備に関しては、かなり慎重になっているので、ここまで大きな事故は起こりにくくなっていると考えています。ただ、身長が低く、またろっ骨などの骨が強くない、例えば大人より子ども、男性より女性のほうが転倒して上に乗られたときに圧死するリスクが高い。注意が必要です」
事実、ソウル新聞によると、「被害者の多くが10~20代であり、性別では男性54人、女性97人」とソウル・龍山消防署のチェ・ソンボム署長が発表しており、女性の死亡者が男性の2倍近く多い(関連記事)。
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危ないと思ったら、何かにつかまること
では、こうした事故から命を守るために、どう気をつければいいのだろうか。
「まず、危ないと思ったら、何かにつかまることです。それで転倒することは防げます」
実は、これは満員電車でもいえることだ。やはり満員電車も圧死による事故が起こってもおかしくない場所のひとつだ。特に駅に到着して人が乗り降りするとき、急ブレーキがかかったときにリスクがある。
今、多くの人はスマホに夢中で吊り輪につかまっていないが、できればしっかり持ってほしい、と一杉さんは警鐘を鳴らす。
それでも転倒してしまったら、どう身を守ればいいのか。
「大事なのは、胸を圧迫させないこと。つまり、胸を動かせるスペースを確保することです。まずは可能なら上半身を横にします。それができなければ、鎖骨の下あたりに両手のこぶしをもってきたり、バッグなどを挟ませたりして、胸と相手との間にスペースを作ります。これは仰向けの場合も、うつ伏せの場合も同様です。その際、胸にこぶしをもっていかないように。逆に呼吸ができなくなります」
呼吸をするスペースができれば、最悪の状態は防げる可能性があるそうだ。
遭遇した場合、どう救命活動をすべきか
次に、このような場面に遭遇した場合、どう救命するかも知っておきたい。今回の事件の報道をみると、多くの人が心臓マッサージを施していたが、一杉さんによると「それは正しい」という。
「呼吸停止になると、まもなく心停止します。ですので、心臓がまだ動いている段階であれば、とにかく心臓マッサージをすることが重要。今回はこの心臓マッサージで救われた命があるのではないでしょうか」
心臓マッサージ(胸骨圧迫)のやり方は日本心臓財団のホームページに書いてある。心臓マッサージなどのキーワードで検索するのもいいだろう。
「胸の真ん中に手のかかとの部分を重ねてのせ、肘を伸ばしたまま真上から強く、胸が約5cm沈むまで、押してください。圧迫を繰り返すとき、手を胸から離さないでください」
一方、電気的刺激を使ってショック療法的に元に戻す救命装置であるAED(自動体外式除細動器)は、心室細動(正常の規則的な動きを失ってしまった心臓の働き)があるときに行うと有効だという。ただ、心肺停止の時間が5分以上続くと、救命は極めて難しくなるそうだ。
今後、どういう状況で事故が起きたかなど、詳しい状況が明らかになっていくだろう。これを教訓として自分と周囲の身を守る術を身につけておきたい。
心臓マッサージ(胸骨圧迫)のやり方 ※外部サイトに遷移します
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提供元:ソウル雑踏事故で多数、「圧死」から命を守れるか|東洋経済オンライン