2022.07.08
お金は代替可能、なくても人は生きていける理由|だがまだ信用のない人は「お金でも持っておく」
堀江貴文氏(左)と山崎元氏(右)は「お金」には合理的に向き合うべきと説く(写真:徳間書店提供)
お金に関わる老後不安の問題に対処する心構えとは? 経済評論家の山崎元氏、実業家の堀江貴文氏の共著による新刊『決定版! お金の増やし方&稼ぎ方』より一部抜粋・再構成してお届けする。
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堀江:お金の本質は「信用の数値化」
つねにあなたの関心の的になっている「お金」。ときにあなたに充足感をもたらし、ときに心配やトラブルの種にもなってしまうお金。いっけん複雑で厄介に思える、このお金とはいったいなんなのか? 答えはシンプルだ。
お金の本質は「信用の数値化」である。それだけだ。
お金は「信用の数値化」にすぎない。ということは実はいくらでも代替可能なのだ。つまり、お金がなくても人は生きていける。
いまあなたがお金に困っているとする。でもその場しのぎだろうがなんだろうが、とにかくあなたに救いの手は差し伸べられる。ご飯を食べさせてくれたり、泊めてくれたりする友人や知り合いのひとりふたりはいるはずだ。
では、なぜ彼ら彼女らはあなたを助けてくれるのか。それはあなたを「信用」しているからだ。ここでの信用とは、つまり長年のよしみだ。お金がなくても生きていけるとはそういう意味である。
あなたの信用が大きく、かつ多方面にわたれば、そのぶん強固なセーフティネットになる。それだけではない。もしあなたがなにか事業を興そうとしたとき、あなたに信用が備わっていれば、その軍資金を出してくれる相手だってあらわれるだろう。
お金を持っていることと、信用を持っていることは、かぎりなくイコールなのである。
山崎:お金は「自由を拡大する手段」。単なる手段なので合理的に扱え
お金が「信用の数値化」だというのは、まったくそのとおりだ。信用があれば、お金がなくてもいろいろなことができる。
逆に、お金があれば、信用のない間柄でもいろいろなことをしてもらえる。お金を払うと、モノの所有権を移転してくれたり、さまざまなサービスを提供してくれたりする。
お金は「信用がない人」でも、他人に動いてもらうことができるツールなのだ。少し乱暴かもしれないが、「まだ信用がない人は、お金でも持っておけ」と言うこともできる。
さて、私が「お金とはなにか」を説明するときには「お金は自由を拡大する手段だ」と説明する。お金があれば、美味しいものを食べたり、行きたい場所に旅行したり、欲しい商品を手に入れたりといった欲望を叶えられる。最近なら、民間人でも宇宙に行ける。加えて、お金があるほうが人助けをするにも、できることの範囲が大きい。
この「人助け」という単語を講演会などで付け加えると、「お金は悪いものではないのだ」と思って、安心したような表情を見せる人が少なくない。
ただし、お金はあくまでも「手段」だ。「目的」ではない。そして、お金の本質は「数値」なので、合理的に扱うべきだ。徹底的に合理的に扱うのがいい。
堀江:お金は「日本銀行の信用」にすぎない
お金は道具であり、単なる手段にすぎないと僕も思う。「お金とは価値を交換するためのツール」だ。で、繰り返すが、お金の本質は「信用の数値化」だ。
1万円札の製造原価はわずか17円だ。この1万円札に1万円の価値があるのは、日本銀行が「1万円の価値があります」と保証しているからにほかならない。つまり「日本銀行の信用」が、その価値を裏付けているのだ。
悪いイメージのある「借金」だが、これだってまさに信用力の塊だ。「この人に貸しても、お金が確実に返ってくる」と信用してもらえないと、お金を借りることができない。
借金をしたことがない人はクレジットカードの限度額をイメージしてみてほしい。
クレジットカードをある程度の期間利用し、月々の支払いを滞りなく続けていると、それに応じて利用限度額もアップしていく。これはクレジットカード会社が、あなたには信用力があると判断した結果だ。そうしてあなたのクレジットカードはどんどん使い勝手がよくなっていくわけだ。
信用がお金をもたらし、お金が信用を増幅させる。単純な話だ。それが世の中のお金の仕組みである。
山崎:お金の厄介さは、「感情」が複雑に絡みがちなこと
お金に関する意思決定は、最適な状態からいくら損をしているかで数値的に評価することができる。たとえば、ダメな運用商品に投資したらいくら損だったのかが、結果論ではなく、意思決定時点のレベルで計算できる。
つまり、「バカの値段」が数値でわかるのがお金の世界なのだ。
お金は合理的に扱うべきだ。しかし、そうは言われても難しい。その理由は、お金には「感情」が複雑に絡むからだ。
ひとつには、お金がないと「生きていけない」かもしれないという恐怖がある。いわゆる「食えない」という状態だ。そうなりたくないという恐怖がお金の不安に直結する。
もうひとつ、お金にはプライドの問題がある。これも厄介だ。
お金はなんでも数値に換算して評価する。たとえば、年収の高い人が低い人に対して優越感を持つようなことが起こる。経済論理的には、より高い報酬を得るのは、世間に評価される、より大きな貢献をしたからだと考えることができる。すると、より大きな収入を得ている人は、社会にとってより価値の高い人なのだという連想が生じる。
そして、お金は数値なので、他人と比べやすい。年収1000万円の夫は、年収500万円の夫よりも価値の高い人間なのだというような意識が妻どうしの間で生じたりする。嫉妬や競争意識が、手段にすぎないお金を目的化する。そして、お金を目的化すると、人生は幸せに送れない。
山崎:非合理的な選択をしないために、「サンクコスト(埋没費用)」は見切る
人がお金を合理的に扱いづらい理由の1つに「サンクコスト(埋没費用)」がある。
たとえば、1000円で買った株が800円に下がってしまったとする。多くの人は「800円に下がってしまった株価を1000円にしたい」と思うはずだ。しかし、この「下がってしまった200円」は、「今後のため」の意思決定にあっては無視すべき要素だ。200円の損は、すでに起きてしまったことであり、いまから意図的に変えることはできない。
このように、すでに発生してしまった損失をいまの時点では取り返せないコストとして認識したものが「サンクコスト」だ。
この場合は、自分の買値から見た損得とは無関係に、「この株は800円のもの」だとして、これからどうするかを判断するのが正しい。
たとえば、1株が1000円から800円に下がったタイミングで、まとまったお金が必要になったとしよう。ここで「1000円で買った株を800円で売りたくない」と思い、消費者金融などから借金をするのはまったく非合理的な選択だ。ここではサンクコストにこだわらずに、必要な金額を部分的に売却や解約すべきなのだ。
サンクコストは、人間の心にとって厄介な存在だ。ノーベル経済学賞を受賞した学者の研究の対象にもなっているくらいのものなのだ。
だが、お金の運用は勝ち負けの世界ではないし、こだわりは持たないほうがいい。起きてしまった損は意識的に棚上げして忘れることにして、意思決定の時点から改めて先を見ながら損得を計算することをつねに意識しよう。ぜひ「習慣」にするといい。
意思決定全般に言えることだが、人生ではこれから変えられることについてのみ努力する価値がある。
山崎:サンクコストと並ぶ曲者 「機会費用」
サンクコストと並んで、人間の意思決定を歪めるのが「機会費用」だ。AとBの二択の選択肢がある場合、Aを選ぶと、Bを選ばないことになる。機会費用とは、もしBを選んでいた場合に得られていた利益を指す。
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例を出そう。ある大学生が家庭教師のアルバイトで、1回5000円稼いでいたとする。ある日、アイドルのコンサートに誘われ、迷ったあげくアルバイトを休むことにした。コンサートのチケット代は4000円だった。
この大学生がコンサートに行くために負担した「実質的」な費用はいくらなのか。
答えは、チケット代の4000円だけではない。アルバイトで稼げるはずだった5000円も加える必要があり、合計9000円がコンサートの鑑賞費用だ。
もし、この大学生が「チケット代は4000円だし、せっかくの機会だからコンサートに行くか」とだけ判断していたら機会費用を考慮できていない。ここでは「9000円分の価値があるかどうか」が正しい判断基準だ。それでもコンサートに行きたいなら行くといいし、9000円分の価値はないと思えばアルバイトに行くのが合理的だ。
サンクコストと機会費用は忘れられやすい。お金の問題に限らず、人生のさまざまな意思決定にあって、これらの存在を意識すると「不必要な損」が減る。ぜひ覚えて使いこなせるようになってほしい。
就職、転職、結婚、離婚など、人生の重要事を考える際にも大事な考え方だ。
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提供元:お金は代替可能、なくても人は生きていける理由|東洋経済オンライン